第7話 寝不足の頭にサンスクリットが染みる

文字数 2,910文字

 ネパールに来てから、ほとんど安眠できていない。
 
 夜は、外の騒音に悩まされる。昼間に仮眠するようにして、夜の熟睡は諦めた。
 眠らずに、外国で物想いに耽る夜も悪くない。

 ナラヤンさんにラジオを借りた。教師のディーパから、早朝にサンスクリットのラジオ番組があるとの情報を得たからだ。サンスクリットで時事ニュースを報じる。なんというニッチな需要をつく趣向!

 番組を聴く習慣をつけた。アナウンサーは、癖のあるサンスクリットを読む。私の語学力では、理解不能な部分も多い。それでも聴き続ける。1フレーズでも意味がわかると嬉しい。

 ラジオを聴きながら、授業の予習に勤しむ。常に寝不足の私だが、朦朧(もうろう)として冴えない脳ミソにも、サンスクリットの構造的な美しさは浸透する。知れば知るほど、深遠さに気付かされる。無知の知、(おのれ)がいかに物事を知らないかを思い知らされる毎日である。

 サンスクリットは私に、新たな物の見方を提供する。

 猫や犬は、赤色を識別できない。蝙蝠(こうもり)に聞こえる超音波は、人間の耳には届かない。人間も、自分たちの感知できる範囲の現実で生きている。しかも、環境も成育歴も異なる個々の人間には、それぞれの真実が存在する。有効範囲の限定された真実だ。

 私にも、現段階での私なりの真実がある。真実は私の変化とともに変身(メタモルフォーゼ)していく。

 サンスクリットの(うた)は、私の変化に寄り添う。理解したつもりの詩も、時間を置いて再読すると、まったく違った印象を与える。
 日本の小説でも、しばらく経って読み返してみると、違った印象を受ける場合がある。が、サンスクリット文学においては、特に顕著に感じる。

 聖典『バガヴァッドギーター』を毎日読む敬虔(けいけん)なヒンドゥ教徒たちは、「『ギーター』(『バガヴァッドギーター』の略称)は、読むたびに新たな発見がある」と称賛する。話を盛る傾向にあるインド人だが、『ギーター』についての賛辞は、実直に語っている気がする。

 また逆に、サンスクリットを読む過程で気付きを得られ、自分が変わっていく感覚もある。思考に奥行きが出てくる。

 サンスクリットで〈私〉は、अहम्(aham/アハム)だ。はじめに習った時は、単なるワードの一つとして記憶した。

 後で知ったが、アハムには、音に秘密がある。

 अहम्(aham/アハム)を反対から読むと、महा(mahā/マハー)となる。〈マハー〉とは、〈大いなるもの〉、宇宙全体だ。

 宇宙(マハー)の裏に、個人(アハム)が。単語一つにしても、深掘りすれば発見がある。

 更に突っ込んで考えてみる。
 上記の説だと、正確さに欠ける。〈マハー(mahā)〉を反対から読むと、〈アハム(aham)〉ではなく、〈アーハム(āham)〉だ。

 では、〈アーハム(āham)〉を〈a+aham〉と考えては?

 サンスクリットにおける接頭辞〈a〉は打消(うちけし)の役割で、日本語の〈非〉や〈不〉に当たる。〈a〉でaham(私個人)を打ち消し、ひっくり返した結果がmahāであるとの解釈だ。これなら、しっくりするか?

 いいや、もしかしたら、〈a〉ではなく〈ā〉がくっ付いているのでは? 〈ā〉が付くと、〈向かってくる〉ニュアンスが付加される。たとえば、〈गम्(gam/ガム)〉は〈行く〉だが、〈ā + gam〉の〈आगम्(アーガム)〉は〈来る〉だ。
〈私〉の内側を見つめれば、偉大なる宇宙が見えてくる――〈アーハム(āham)〉を〈ā+aham〉と解釈するなら、そんな物語が見えてくる。

〈a+ā + aham〉の可能性もある。その場合は――

 このようなタイプの思考実験は、夜通し考えていても、まったく飽きない。単語の音にまで配慮の行き届いた、実に精巧な言語であると気付かされ、驚きに目が冴えてくる。

 サンスクリット文学についても触れたい。

 初級学習者のほとんどが、基本文法の習得後は掌編物語の読解に挑む。たいていは『ヒトーパデーシャ』か『パンチャタントラ』を読むだろう。いずれも、子供向けの寓話集だ。

『ヒトーパデーシャ』のうち、私のお気に入りの『ロバと犬の話』を紹介する。


『ロバと犬の話』
 昔々のお話です。ある村に、染物屋が住んでいました。
 染物屋は、犬とロバを飼っています。
 犬の仕事は、家の番です。主人の外出に()いていき、護衛も担当します。
 ロバの役目は、背中に洗濯物を載せ、川まで運ぶ仕事です。
 ある晩、染物屋が寝静まったあと、泥棒が家に入ろうとしました。
 庭で寝ていた犬とロバは、泥棒に気付きます。
 犬は、ちっとも吠えません。
 ロバはヤキモキして、()かします。
「おい、友よ。泥棒だ。吠えて主人を起こせ。お前の役目だろうが」
五月蠅(うるさ)いなぁ。主人は一度ぐらい泥棒に入られて、痛い目に遭えばいい。長年、家の番をしてきたのに、俺の有難味をわかっていない。この前なんか、俺の飯をうっかり忘れたんだぞ? 泥棒に入られれば、俺の重要性を再認識する切っ掛けになるだろうさ」



 犬の返答を聞いたロバは、腹を立てます。
「使えない奴め。ゴチャゴチャ文句を垂れている場合か?」
(いや)だね。俺の面倒を見ない主人に、仕える必要はない」
「恩知らずめ。お前が一番、活躍すべき場面だろうが。もう、いい。ガッカリだ。お前の代わりに、俺が起こす」


 さて、ここでクイズです。この後、物語はどうなるでしょうか?
 答えは――


 ロバは染物屋を起こそうと、高らかに(いなな)きます。驚いた泥棒は慌てて退散しました。
 泥棒の侵入を知らない染物屋は、ロバに起こされて怒り心頭です。棒を手に庭へ来て、ロバをボコボコに殴ります。ロバは死んでしまいました。

♪他人の仕事に割り込む者は 不幸に陥る羽目になる
 主人のために嘶いて 打たれたロバの末路のように♪
 
 正解でしたでしょうか?

 日本人の倫理的感覚であれば、別の顛末(てんまつ)を想像するかもしれない。つまり、仕事をサボった犬が罰せられ、忠実なロバが得をする、と。

 ロバは殺される。「一人一人に、それぞれの役目がある。他人の役目に首を突っ込むな」との教訓である。

『ヒトーパデーシャ』は〈為になるアドバイス〉を意味する。王族の子供たちの教育のため、依頼を受けた学者(パンディット)が考案したといわれる。
 物語の中で、動物たちは奮闘する。ときには弱肉強食の厳しい世界で死に瀕するが、知恵を絞って生きようとする。

 王族の子供たちには、将来、命を狙われる場面もあるだろう。命を守るために、『ヒトーパデーシャ』は発案された。他人の策略に()まらず、知恵を働かせて生きる術の習得――物語に込められた、子供たちへの愛。

 どんな手段でも構わない。とにかく生きてくれ。生き延びるために、賢くあれ。

「優しい人間になれ」とか、生っちょろい道徳を教えている場合ではない。

 サンスクリットの物語は、これまでの私の読書体験では想定できないラストに着地する場合が多くある。「こういうラストだろう」との推測が、(ことごと)く外れる。翻訳に挑んでも、解釈に自信が持てない。「誤訳ではないか」との疑いが出て、いちいち何度も読み返す羽目になる。私の凝り固まった観念を砕き、頭の中を引っ掻き回してくれる。
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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