第一章・第二話 彼女の選択【後編】

文字数 6,980文字

「この件に関しては、わたくしは静観させてもらう」
義母君(ははぎみ)!?
 出し抜けに天璋院(てんしょういん)が口にしたことに、和宮(かずのみや)は思わず声を上げた。
何故(なにゆえ)です! 左様にわたくしの考えがお気に染まぬと!?
 和解してから、思えばまだ一月(ひとつき)しか経っていない。
 当初の印象がまだ天璋院の中に残っていても仕方がないが、今回ばかりは天璋院の協力は欲しい。しかし、天璋院は静かに首を横へ振った。
「落ち着きなさい、御台(みだい)。そうではない」
「そうでなくば、なぜです! 先程はご協力くださると……!」
 立て板に水と言い募る和宮に、天璋院は掌を上げて制する。
「そなたの考え自体には、わたくしも全面的に同意します。確かに、死の原因を()じ曲げ隠蔽するのは、正しいとは思わぬ。だが一方で、わたくしは大御台(おおみだい)として、幕府の立場も考えねばならぬ」
「幕府の立場って……」
「左様。本来、民の上に立つ幕府が、揺らいだり迷ったりはあってはならぬこと。失敗もまた(しか)りです。此度のように、勤め先で殺害されるなど、ましてや大奥でそれが起きたなど、民に広く知れ渡るのは避けたい」
「でも、それは」
「つまり隠蔽ではないかと、御台は思うでしょう。確かにそれも否定はできぬ。これが、一昔(ひとむかし)前の、太平の世で起きたことなら、わたくしとて御台の申す通りに、せめて遺族にだけは公表したかも知れぬ。しかし、今の世は微妙だ。黒船来航からこっち、幕府の権勢は傾きつつあるのは、御台にも分かっておろう。この上、大奥に曲者の侵入を許し、死人を出したなどと世間に流布すれば、幕府の権威を一気に地へ叩き落とすのは造作もない」
 そんなことはない、という反論はできなかった。
 現に幕閣は、それを食い止めようとして和宮を無理矢理家茂(いえもち)(めと)らせ、その辻褄合わせに必死になっている。
 辻褄合わせの中心にいる者には分からないだろうが、その政策は周りから見れば早くも綻び始めていることは明らかだ。十代半ばの和宮や、家茂にさえ見えている綻びが、二人より年長で、しかも聡明な天璋院に見えないはずもない。そして、きっと滝山にも――。
「でも……でも」
 どう反駁していいか分からないが、許容もできない。膝の上に置いた拳に、覚えず力が入る。
「では、どうしろと……?」
「御台?」
「だって、……皆、わたくしの所為で亡くなったのです。なのにそれを隠蔽するなど……」
「そなたの所為とは、如何(いか)なることです」
 問われて一瞬、和宮は口を噤んだ。
 まだ、熾仁(たるひと)が大奥へ侵入したという確たる証拠はない。目の前で会話し、声を聞いた以上それは間違いないのだが、顔をはっきりと確認したわけではない今の状況で、果たして彼の名を口にしてしまっていいのか。
 単純な疑問と、その奥に、まだ彼を庇いたい気持ちが残っているのではという疑惑が生まれ、和宮は愕然とした。
(……バカみたい……そんなことしたら、滝山がやったことと変わらないじゃない)
 パチン、と左手で片頬を叩く。
「御台?」
 その仕草に、天璋院が『怪訝(けげん)』と顔に書いたような表情で、和宮を覗き込んだ。
 伏せた瞼の先に、気遣わしげな天璋院の顔が映る。その顔を、一旦目を閉じることで遮断し、直後に深呼吸と共に目を開けた。
「……申し訳ございません。まだ……確たる証拠はないので、あくまでも推測なのですが」
「うん」
 頷きながら上体を戻す天璋院に合わせるように顔を上げ、和宮は言葉を継ぐ。
「侵入した曲者は、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁親王殿下と、一橋(ひとつばし)慶喜(よしのぶ)殿ではないかと、わたくしと桃の井は思っております」
何故(なにゆえ)、そう思うのだ」
 天璋院が、目を(しばたた)いた。
「熾仁親王殿下については、九割九分九厘、間違いありませぬ。根拠は、わたくしが聞いた声と、交わした会話、それに、嗅いだ(こう)(かお)りです」
「香?」
「はい。公家(くげ)社会でも、香は日常的に使われております。武家も大概似たようなものとお見受けしますが、公家の場合、人によっては合わせ香を使う者もおり、その香りだけで個人を特定できます」
「なるほど……それでも熾仁親王殿下と確定できぬ理由は?」
「……まことに不甲斐ない仕儀で恐縮ですが……昨夜、曲者二人はどちらも黒い衣装に身を包み、顔に覆面をしておりました」
「つまり、顔をはきと見ていないということか」
「御意にございます」
「それが、そなたの所為ということとどう繋がる?」
「慶喜殿と思われる者の目的は、定かではありませぬ。ただ、熾仁様の目的は、はっきりしております」
「……まさか、そなたか?」
「……左様です。あの方は、未だ婚約者であったわたくしを忘れ兼ねるようで……」
 和宮は、どこを見ればいいか分からなくなって、目を伏せた。とてもではないが、天璋院の顔を見られたものではない。
 滝山の顔も、同様だ。
 自分の元婚約者が、()りに()って、自分の新たな生活の場でこんなことを仕出かすとは、はっきり言って恥ずかし過ぎて()(たま)れない。
「宮様。恐れながらお伺いします」
 そこで滝山が口を(ひら)いた。
「よもや、今も日常的に逢い引きなさっておいでですか?」
「そんなわけないでしょ」
 思わずムッとして、また口調が()に戻ってしまう。
 しかし、滝山は気にする様子もない。
「ですが、熾仁親王殿下がそのように宮様を忘れ兼ね、大奥にまで泥棒(まが)いに侵入を試みられるということは、宮様も熾仁親王殿下に気を持たせるようなことをされたり、(おっしゃ)ったりしているのでは?」
「これ以上ないくらい、きっぱりハッキリ拒絶してるんですけど!」
「具体的には」
 追及されて、言葉に詰まる。本人に言うならともかく、こう真面目に、他人から訊かれて答えるなんて、やっぱり気恥ずかしい。
(……姉様に訊かれた時は、いざとなったら聞かせてやるとか思ってたけど……)
 よくよく考えたら、凄まじく何かこう、恥ずかしいことを言おうとしていたと気付いて、今更ながら、頬に熱が上る。
「宮様」
 沈黙が長かったのか、滝山が若干苛立ったような声音で促した。しかし、どう説明していいか分からない。
「答えられぬのですか」
「……あんただって、床入りの翌日には色々(・・)報告受けてんでしょ。そこまで言わせないでよ、恥ずかしい」
 明後日の方向へ視線を向けながら、ボソボソと手の甲で口を押さえながら答える。
 公家や皇室のほうのしきたりはよく知らないが、大奥の将軍夫妻の(ねや)の掟と言ったら、無神経にも程があると言っていい。
 ある代の将軍側室が、閨で色々と、所謂(いわゆる)床ねだりをし、結果彼女の縁戚が縁故採用で無法に出世したのが原因らしい。とにかく以後、そういう不当な縁故採用を防ぐ為に、閨でのあれこれを聞く係ができたのだそうだ。
 家茂と和宮の場合、正式に見張りのいる閨のみで男女のことをしてはいないので、全部を聞かれているわけではないだろうとは思う。とは言え、夜に正式に寝室で、となると色々聞かれていることはあるに違いない。
 それも、翌朝、寝ずの番はそれを上(恐らくつまり、御年寄りの誰かで、滝山も含まれる)に報告する決まりだというのだから――
(うわぁああ、想像したら恥ずかしさだけで死ねそう!!
 顔から火が出そうになって、思わず両手に顔を埋める。
 それでも、掌もあまり冷たいとは言えず、さしたる効果はない。
「……それはもう、その辺にしてやりなさい、滝山」
 見兼ねたのか、天璋院が口を挟む。
「ですが、熾仁親王殿下にどう(・・)拒否の言葉をお伝えしたかをお訊ねしているだけですのに」
「あ」
 思わず声を上げてしまう。
(そうだった……兄様にどう断ったかって訊かれただけだったか……って言うか、でも……)
 まさか、熾仁の目の前で家茂と口づけして見せたとか、愛を囁き合ってやったなどと、言えるわけがない。仕掛けたのは家茂のほうだし、確かにそれは、相手の求愛に対する絶対的な『(いな)』には間違いないのだが――
(……うん、無理! 言えないし、実演もできない!!
 脳内でグルグルしていると、不意に天璋院が小さく吹き出した。
「天璋院様?」
「もう本当にそれは勘弁してやりなさい、滝山」
 クスクスと、どこか楽しそうな笑いを挟みながら、天璋院が続ける。
「大方、熾仁親王殿下の目の前ででも、上様と(むつ)み合っておられたのであろう。確かにこの上ない、ハッキリとした拒絶ではないか」
「はっ、義母君!」
 思わずガバリと顔を上げた。
(何でそんなこと分かるんですか~!!
 と思ったが、やはり口には出せない。出せば、それを認めることになり、口で説明したも同然ということになる。
 結果、(おか)に打ち上げられた魚の如く、口をパクパクさせていると、視線の先にいる天璋院は、ついに(こら)え切れないと言うように笑いを爆発させた。
「はっ、義母君ってば!」
「天璋院様!?
「はっ……あっはっはははは……あー、ああ、すまぬ。つい……」
 クックッ、と笑いの残滓を引きずりながら、天璋院は笑い過ぎて滲んだ涙を拭った。
「すまぬのう。実は、御台には内緒で、少しそなたたちの生活を見守らせておった」
「は?」
 和宮が間抜けな声を出し、滝山は眉根を寄せる。
「いや、一月(ひとつき)前、そなたがここに挨拶に来てから数日な。心境の変化の理由を知りたくて……その報告は幾島から受けていたのだが、そなたたち夫婦の睦まじさと言ったら、微笑ましいというか御馳走様というか……」
「えっ……」
「もう三日でお腹一杯になったので、早々に調査は切り上げさせた。ともあれ、上様の伴侶として、何も心配は要らぬのは、わたくしが保証しよう。滝山」
 そう言った天璋院が、滝山のほうへ目を向けた時、すでに顔から笑いは引っ込んでいた。
「……はい」
「此度の調査、わたくしは先に申した通り静観する。ゆえに、そなたが御台に従おうと従うまいと、それもわたくしはもう何も言わぬ。好きにいたせ」
「義母君!?
 その内容に、先刻まで感じていた羞恥が一瞬で吹っ飛んだ。
「あの……待ってください。まさか本当に……」
「ただ、何度も言うようだが、わたくし個人としては、御台が正しいと思う。大御台としては幕府の立場を考えぬわけにもいかぬゆえ、わたくしはどちらの立場にも立ってよいか、まこと不甲斐ない話だが、判断がつかぬ。ゆえに静観するのだ。だから、御台」
「……はい」
「此度の調査は、そなたの思うようになさい。そなたが真実、上に立って差配せよ」
「そんな……わたくしはまだ」
 情けない話だが、まだ居所の女中たちは把握し兼ねている。
 全部で四名いる御年寄りの一人、滝山でさえこれ(・・)だ。彼女の下で働く女中たちは、言うまでもない。
 平時なら、彼女たちの掌握はじっくりと時を掛けてもいいと思うが、先刻、天璋院にも言った通り、今は時がない。そんな中、滝山に頭が上がらぬ女中たちを、滝山を飛び越えて従わせようとする内に、恐らく時は経ち、遺体は腐敗が進む。
 そんな和宮の思考を読んだのか、天璋院は立ち上がって、和宮の前へ歩んだ。膝を突いた天璋院の掌が、そっと和宮の肩先へ置かれる。
「……義母君」
「誰にでも初めはある。それに、此度のような大きな事件でもないと、御台所(みだいどころ)として人心の掌握は、中々(はかど)らぬかも知れぬぞ」
「ですが」
「案ずるな。わたくしは『静観する』とは言ったが、『放置する』とは言っておらぬ」
 彼女の手が、和宮の左手を取って、優しく包んだ。
「正直なところ、わたくしも『(こう)』と『()』の(あいだ)で、考えを決め兼ねているのだ。ゆえに、わたくしにもそれを考える時間が欲しい。とは言え、わたくしの心が決まるのを待っていたら、それこそまず遺体の問題が進んでしまうであろう。だから、その空白の時間をそなたに任せる。思う通りにやってみよ」
 和宮は、最初に取られた手を見、それから顔を上げて天璋院を見上げる。視線が絡むと、天璋院は小さく頷いた。
「コトは大奥全体に関わるゆえ、わたくしもいつまでも放っておきたくはない。どうしても、どうにもならなくなったら、わたくしも手を貸す。それまでには、わたくしも心の整理を付けておくと約束するし、それまでにそなたが大奥すべてを掌握できれば、それはそれでよいことだ。最終的には、何も事件などが起きずとも、そうなることが望ましいことでもある」
 尚も言葉が出なかった。
 どう答えていいか、答えるべきか分からない。けれども、分かっていることもある。
(……何がどうでも、今回の件にケリを付ける……ううん、熾仁兄様にどうにかあたしを諦めてもらう)
 今回の件ももちろん、半永久的に熾仁に(わずら)わされないようにする為にも、それは必須だ。
 しかし、喫緊の問題は、今回の出火偽造の件の収拾である。
「……分かりました。先に現場へ戻ります」
 和宮は、自身の手を包む天璋院の手に、空いた右手を添え、深々と頭を下げた。

***

「――よろしいのですか?」
 居所から下がっていく和宮と、滝山の後ろ姿を見送っていると、幾島が敬子(すみこ)に声を掛けた。
「何の話だ?」
「先程の件です。失礼ながら、耳に入ってしまったので」
「さもあろう。何しろそなたは、部屋の前にずっと座っておったのだから」
 クスリと小さく笑って、敬子は打ち掛けの裾を(さば)き、私室へと引き返す。上座に腰を下ろすと、続いて入って来た幾島も、下座へ腰を下ろした。
「わたくしが申すのも何ですが、御台様はよくやっておられます。この城に参った時を思えば、見違えるようです」
「そうだな。婚儀から早半年……いや、まだ半年と言うべきか。若いとはまこと、素晴らしきところもある時よ」
「わたくしから見れば、天璋院様もまだまだお(わこ)うございますが」
 敬子は微苦笑した。確かに、五十代半ばの幾島から見れば、二十代半ばの敬子はまだ若いのだろう。
「それはそれとして……御台様はまだ、ご自分の居所や、ほかの部署の女中を掌握しているとは言えませぬ。滝山でさえ未だ(さか)ろうておるあの様子では、此度の件、御台様お一人では手に余るのでは」
「先程も申したであろう。初めは誰にでもある。今はまだ、わたくしが手を()けてやれようが、お二人の若さであれば先は長い。あの子の、御台所としての勤めはまだこれから……」
 敬子は、フッと吐息を漏らして、半ば一人ごちるように言葉を継いだ。
「であればこそ、まずは一人で判断してみるということも必要であろう。此度の件は、練習には少々大きすぎるようだが、熾仁親王殿下が絡んでいるとなれば、ある意味、御台一人で乗り切るのも定めやも知れぬ」
「天璋院様」
 どこか、非難の色が混ざった呼び掛けに、敬子は再度、微苦笑を浮かべ、脇息へ肘を預ける。
「案ずるな。御台にも申したが、いざとなれば助けに入る。それまでにはわたくしも、御台に言った通り、心を決めねばな」
 心を決める――そう口にすれば、ふと、和宮が言ったことが頭をよぎった。
『皆、自分の意思とは関係なく死んだのです。それを隠蔽するなど――』
(隠蔽……か)
 幕府という『公』の為に、『個』の死因を隠蔽することくらい、貴人の家に生まれれば、呑み込まなくてはならないことだ。少なくとも、敬子にすればそうだった。
 けれども、和宮にとっては違うらしい。彼女は、皇室という貴い生まれのクセに、時折まるで平民のように、『個』を踏み付けられることに敏感だ。
 彼女の場合、結婚の時に散々、幕府という『公』から、『個』を踏み(にじ)られた経験から来るものかも知れない。
(それにしても、あの子にとっては、此度亡くなった者らは赤の他人であろうに……)
 それも、江戸(ここ)へ来た当初は忌み嫌い、下に見ていた武家の人間だ。真摯に人を愛する心は、ここまで一人の人間を変えるものなのか。
 そう思って、また苦笑が漏れる。真剣な恋心――それは、敬子にはこれまで縁がなかったし、今後もないだろうものだ。
 常人とは少々見る世界が違い、病弱であった夫・家定(いえさだ)との結婚生活は短く、男女として心通わせることはできなかった。元々、敬子がここへ来た役割としては、家定に彼の跡継ぎを慶喜と定めてもらう為、その説得を担ってのことだった。
 しかし、家定はそもそも慶喜を非常に嫌っており(理由は未だに知らないが)、慶喜の『よ』の字を出すだけで、苦虫を噛み潰すような顔になった。家定の周りも紀州派が固めていた為、敬子はついに嫁いで来た役割を果たすことなく夫と死別した。
 であればせめて、ただの夫婦としては睦まじく最後まで過ごせればよかった、という結論に辿り着いたのは、割合最近になってからだ。
 睦まじい夫婦、と思えば、やはり真っ先に頭に浮かぶのは、養子(むすこ)夫婦だ。
 思えば、敬子のここまでの半生は、(おも)に『公』に囚われていたように思う。だから、自身の思いにすぐに素直になり、その為に邪魔だと思える自身の嫁いで来た政略の役割を捨て去る決意をし、『個』を重んじる判断のできる和宮が、その若さが、少し羨ましくもあった。
(……或いはそれは、人の上に立つ人間として、重要な資質かも知れぬが……)
 彼女の判断が、果たして吉と出るか凶と出るか。凶に転んだ時、敬子はどう動くべきか――
「――天璋院様」
 思索を遮るように呼ばれ、敬子はいつしか俯けていた顔を上げる。
「何をお考えです?」
 幾島に探るように問われる。だが、どう答えたらよいか分からない。
「……さあな」
 口にすべき答えが見つからず、形になってもいない。敬子は黙って苦笑を深くするしかなかった。

©️神蔵 眞吹2024.
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登場人物紹介

【和宮親子内親王《かずのみや ちかこ ないしんのう》(登場時、7歳)】


生年月日/弘化3年閏5月10日(1846年7月3日)

性別/女

血液型/AB

身長/143センチ 体重/34キロ(将来的に身長/155センチ 体重/45キロ)


この物語の主人公。


丙午生まれの女児は夫を食い殺すと言う言い伝えの為、2歳の時に年替えの儀を行い、弘化2年12月21日(1846年1月19日)生まれとなる。

実年齢5歳の時、有栖川宮熾仁親王と婚約するが、幕閣と朝廷の思惑により、別れることになる。

納得できず、一度は熾仁と駆け落ちしようとするが……。

【徳川 家茂《とくがわ いえもち》(登場時、15歳)】

□幼名:菊千代《きくちよ》→慶福《よしとみ》


生年月日/弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)

性別/男

血液型/A

身長/150センチ 体重/40キロ(将来的には、身長/160センチ、体重/48キロ)


この物語のもう一人の主人公で、和宮の夫。


3歳で紀州藩主の座に就き、5歳で元服。

7歳の頃、乳母・浪江《なみえ》が檀家として縁のある善光寺の住職・広海上人の次女・柊和《ひな》(12)と知り合い、親しくなっていく。

12歳の時に、井伊 直弼《いい なおすけ》の大老就任により、十四代将軍に決まり、就任。この年、倫宮《みちのみや》則子《のりこ》女王(8)との縁談が持ち上がっていたが、解消。


13歳の時には柊和(18)も奥入りするが、翌年には和宮との縁談が持ち上がり、幕閣と大奥の上層部に邪魔と断じられた柊和(19)を失う。

その元凶と、一度は和宮に恨みを抱くが……。

【有栖川宮熾仁親王《ありすがわのみや たるひと しんのう》(登場時、18歳)】


生年月日/天保6年2月19日(1835年3月17日)

性別/男


5歳の和宮と、16歳の時に婚約。

和宮の亡き父の猶子となっている為、戸籍上は兄妹でもあるという不思議な関係。

和宮のことは、異性ではなく可愛い妹程度にしか思っていなかったが、公武合体策により和宮と別れる羽目になる。

本人としては、この時初めて彼女への愛を自覚したと思っているが……。

【土御門 邦子《つちみかど くにこ》(登場時、11歳)】


生年月日/天保13(1842)年10月12日

性別/女


和宮の侍女兼護衛。

陰陽師の家系である土御門家に生まれ、戦巫女として教育を受けた。

女だてらに武芸十八般どんと来い。

【天璋院《てんしょういん》/敬子《すみこ》(登場時、25歳)】

□名前の変転:一《かつ》→市《いち》→篤《あつ》→敬子


生年月日/天保6年12月19日(1836年2月5日)

性別/女


先代将軍・家定《いえさだ》の正室で、先代御台所《みだいどころ》。

戸籍上の、家茂の母。


17歳で、従兄である薩摩藩主・島津 斉彬《しまづ なりあきら》(44)の養女となる。この時、本姓と諱《いみな》は源 篤子《みなもとのあつこ》となる。

20歳の時、時の右大臣・近衛 忠煕《このえ ただひろ》の養女となり、名を藤原 敬子《ふじわらの すみこ》と改める。この年の11月、第13代将軍・家定の正室になるが、二年後、夫(享年34)に先立たれ、落飾して、天璋院を名乗っている。

生まれ育った環境による価値観の違いから、初対面時には和宮と対立するが……。

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