疎遠な親友

文字数 2,188文字

セエノの大学祭に招待された。

僕自身の大学時代にはゼミでやったポン菓子の店と競馬ならぬ『競魚(けいぎょ)』とが思い出にある。
どちらもくだらない学生のくだらない暇つぶし程度のものだった。

セエノから模擬店のあらましは聞いていた。まあ、文学部2年生の幼さと理知で企画しうる内容には間違いないだろう。
だが、そんなものが成立するのか、という思いでキャンパスの中を目的の教室を探して歩いた。

「あ。これか」

つぶやいて僕は街中のレンタル会議室にあるようなプレート版に目を落とす。

『コスプレ図書室・モヤ』

入ると受付に『図書委員』の腕章をつけた女子生徒が座っていた。服装はセーラー服だ。

「ようこそ。当図書室はジャンルごとに司書がコンシェルジェを担当させていただいております。このカテゴリ表からお選びください」
「えーと。純文学担当の『妙子(たえこ)』さんを」
「はい、かしこまりました。妙子さーん」
「はい」

出てきたのは黄とオレンジの絣の着物を着て、髪はおさげ。分厚いレンズの黒縁メガネをかけた、いかにもといった女子だ。

「タカイ様、当図書室へようこそ」
「セエノ、一見の客をいきなり名前で呼ぶのはまずいだろう」
「タカイさんこそわたしをセエノって。それに図書室ですから客って言うのはおかしいです」
「しかし、よくこれだけ詰め込んだな」

広い教室ではないが、四方と中央にずらりと書棚が配置され、しかも隙間なく本がびっしりと置かれている。

「男子が軽トラで自宅生の家を回ってかき集めたんです。みんなやっぱり読書量がハンパじゃないです」
「ふーん。ところでそのメガネ、似合ってるね」
「やめてください。こうでもしないとわたしの素顔を隠せないからです」
「まあ、コスプレだからね」
「そうじゃないんです。相手を不快にさせないように、です」

聞いていて切なくなってきた。

「じゃあ早速僕に合う本を一緒に探してくれないか」
「はい」

2人して純文学のエリアを見て回る。

「これなんかどうですか。夏目漱石の『こころ』」
「王道だね。暗記するほど読み込んだからここではいいよ」
「そうですか。ならこれは? 太宰治の『ヴィヨンの妻』」
「太宰は好きな作家だけど、患者さんと向き合う立場とすれば今は遠慮かな」
「うーん。難しいお客さんですね」
「キミだってお客って言ってるじゃないか」
「あ、これはどうですか? 大江健三郎の『死者の奢り』」
「うーん。まあ、医学生の頃の気分を思い出してみるかな」
「ありがとうございます。ではこちらでどうぞ」

セエノが『閲覧席』と書いたテーブルに案内してくれた。既に何人か文庫本やハードカバーに目を落としている。全員男だった。
僕も椅子に深く腰掛け、読書モードに入る。セエノがお茶を運んできてくれた。

「図書室ですので料金はいただきません。飲み物はサービスです。ただ、選んだ本がお気に召したら購入していただくことはできます」
「なるほど。そういうシステムか」
「ごゆっくり」

セエノがテーブルを離れた後、僕は『死者の奢り』の冒頭を読み始めた。
主人公が行うアルバイトが医学生であった僕と少し重なるものなのだ。だから学生時代に読んだ時も『親近感』を抱いた記憶がある。この深甚な小説に対して少し不思議な感覚だけれども。

そして、僕は読みながらセエノの様子も横目で観察した。

セエノがこの日本の中でもかなりアカデミックな部類に入るはずのこの学校で、他の生徒たちとどのような関係性を保っているのかがとても気にかかった。あるいは保っておらず、破綻しているのでは無いかという気がかりの方が大きかったかもしれない。

ただ、数分眺めているだけで自分の杞憂だったのかな、と思うことができた。

音声は聞き取れないが、立働く様子を見ていると他の生徒とのコミュニケーションも少なくとも仕事上はきちんと取れているように見える。
話しながら笑顔を漏らしている場面もあった。

「タカイさん、雰囲気、楽しんでいただけてますか?」
「ああ。安心したよ。キミにちゃんと友達がいるみたいで」
「友達・・・まあ、同級生ですね」
「なんだ。醒めてるね」
「わたし、タカイさんと出会ってから死ぬほど勉強したんです」
「うん」
「前期は全優とりました。都内の大学の文学シンポジウムの代表にも選ばれたんです」
「すごいね」
「だからわたしに直接『キモい』と言ってた子達の口は封じました。でも」
「ん?」
「それでも『セエノはキモ系だからね』って冗談ぽく言う生徒の口を封じるまでは行きませんでした」
「うー・・・ん」

僕が唸ってこめかみを軽く指で揉んでいると、セエノとは対照的な容姿の女子生徒がテーブルに歩み寄ってきた。細身で高い身長に更にヒールを履き、おそらくブルーのカラーコンタクトをつけている。おそらく僕の知らないアニメかなにかのコスプレ。

「セエノさん、特定の人ばかり相手してちゃダメじゃない!」
「あ、ごめんなさい」

その女子生徒がテーブルを離れてから僕は小声でセエノにつぶやいた。

「えらくキツい子だね」
「彼女がわたしの親友」
「え? あんなぞんざいなのに?」
「彼女は冗談でも真顔でも、入学以来わたしに『キモい』という言葉を決して吐かなかった唯一の子。だから、親友」
「そうなのか・・・うーん・・・ところでセエノ」
「はい」
「なんで図書室の名前が『モヤ』なんだい?」
「今の彼女の名前。彼女が発案者だから」

そうか。容姿といい、影響力ある子ということなんだろう。
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