第9話 引き合う力

文字数 4,275文字

「これは凄い、あっという間にサイトの照合が終わって、内容に沿って分類されていく」
 上杉は驚嘆の声で慧一を見た。
 一緒に見ている耕太と晶紀と歩美は、何が凄いのか今一つ分からなくて、呆然としている。授業終わりに、慧一が上杉に手製のソフトウェアのデモをすると聞きつけ、教室に残ったのだが、どうも理系分野はみんな苦手らしい。
「今のネット検索エンジンってかなり優秀なんですけど、たくさんのサイトがヒットしすぎて、自分の知りたい内容にフィットしてるかは、結局人間が見て判断しなければならないじゃないですか。それが怠かったので、テキスト内容をAIで判断して分類する機能を付加したんです」
 上杉から有象無象のネット情報から、知りたい情報をピックアップするのに苦労していると聞き、慧一が手製で作ったサイト分類ソフトを披露したのだ。
 慧一自身、相当このソフトが気に入ってるらしく、絶賛する上杉に嬉しそうに説明をした。

「ところで愛美から聞いた話だと、慧一はソフトウェアのバグを見つける、特別な才能があるらしいじゃないか。しかも、そのソフトが動く様子を見たわけでもないのに、バグを予言するという話だった」
「なんか突然見えるんです」
「ソフトウェアのバグだけじゃなくて、近未来に起きる日常の危険や不具合も見えると聞いたけど」
「えー、それって凄いじゃん。人生無敵って感じ」
 晶紀が羨ましそうに慧一の能力を褒める。
「全て見えるわけじゃないんだ。自分の意志には関係なく、突然頭の中に危険な光景が見えて、しばらくすると同じことが起きるという感じ」
「そのとき、頭の中に蛇の目が見えるって聞いたけど、やはり君のファントムと関係あるのかな」
「それはよく分かりません。でも無関係ではないと思います」
「今日は、ぜひ君がファントムに目覚めたきっかけを教えてくれないか?」
 上杉の依頼に、他の者も興味津々で食いついてきた。
「構いませんが、そんな面白い話じゃないですよ」
 皆の期待の大きさに負けて、慧一は苦笑しながら話し始めた。


 七歳の夏に小学校から帰宅後、一人で家の近くの原っぱにトンボ捕りに出かけた。
 慧一は少しでも大きなトンボを捕りたくて夢中で走り回り、ついに満足のいく一匹を捕獲して、意気揚々と家路についた。
 この大きな成果を得るために、かなり家から離れた山道に入っていた。舗装もされていない荒れた道だったが、早く家に帰ってトンボを見せたい思いで足取りは軽かった。
 山道も終わりかけた頃、道の真ん中に何かいるように感じて不意に足を止めると、そこにいたのは一メートルはありそうな大きな蛇だった。
 逃げたらとびかかってくる気がして、慧一は気力を振り絞って蛇と対峙した。
 蛇は鎌首をもたげ、チロチロと舌を出しながら慧一の様子をうかがっている。
 その目の不気味さは、悪魔のように思えた。
 慧一は虫取り網を持つ手に意識を集中した。

 何時間も経った気がした。事実太陽は沈みかけていた。蛇は褐色の舌を動かすだけで、威嚇するようにこちらを凝視している。
 だんだん慧一は何も考えることができなくなっていた。
 ただ、目に神経を集中し蛇を牽制し続けた。
 その対峙は、まるで蛇と生命力をぶつけ合って戦っているかに思えた。
 しかし時間の経過とともに、慧一の気力がだんだん萎えかけてきた。太陽も傾きかけている。そんな慧一の危機に呼応するかのように突然背後から声がした。
「おい、どうしたんだ!」
 ダダッと人の足音がして、蛇はその音に反応してさっと草むらに消えていった。慧一は緊張が解けてその場にへたりこんだ。
――助かった、でももう動くことができない。
 意識がスッと遠のいていく。
 意識が戻って家に帰り着いたのは、出かけてからなんと六時間経過した後であった。
 その夜、慧一は夢を見た。
 昼間見た蛇がじっと慧一を見つめながらだんだん近づいてくる。そして蛇の目が自分の目に吸いこまれるように入ってきた。
 朝になって目が覚めても、頭の中に蛇の目がある感覚は消えなかった。

 それから六年が過ぎ、慧一は中学生になった。
 もうすっかり蛇の目のことを忘れ、学校のサッカークラブで汗を流す毎日を送った。
 クラブが終わって薄暮の中を下校していると、突然頭の中にあの日の蛇の目が現れた。
 驚いて立ち止まると、前方のガードレールにカーブを曲がり損ねたバイクが突っ込んできた。足元を衝撃でふっとんだバックミーラーが紙一重で掠めていく。下手するとそれが当たって死んだかもしれない。蛇の目が現れて立ち止まったから救われたのだ。
 それ以来、慧一は何か危機が訪れる予兆として蛇の目を見るようになる。成長に従って、その頻度も増えていった。


 慧一が話し終わると、皆寒くもないのに、肩をすくめてゾクゾクしていた。
「まるでオカルトね。その話だと子供のときに出会った蛇の意識が、あなたのファントムの正体みたいじゃない」
 晶紀は二の腕を摩りながら、呆れたような顔をしている。
「みんなのファントムが発動したきっかけは違うの」
「私は空手の突きの威力を上げたいと毎日思っていたら、ある日突然ファントムが現れた」
「僕はラグビーで、凄い圧力の相手の突進を何とか止めたいと思って練習していたら、ファントムが発動した」
「私は鳥を見ていて、あんな風に空を飛んで下を見たらどんな風に見えるんだろうって、毎日思う内に突然ファントムが出た」
「みんな強い願望が刺激に成ってファントムが出てるのに比べて、慧一は蛇自体がファントムとなって感じがしますねぇ」
「やはり亜種なんでしょうか?」
 慧一は不安そうに言った。
「その言葉はよしましょう。たまたまこの中に、慧一のようなパターンがいないだけで、もしかしたら慧一のような発動の方が主流なのかもしれない。少なくとも危険察知能力は非常に役に立つ能力です」

「慧一、あなたはアスクレーピオスの神話を知っていますか?」
「いえ、知りません」
「ギリシャ神話によれば、アスクレーピオスは蛇毒を薬に使って多くの病気を治したそうです。死後、彼の功績が認められて、神の一員として天に上ったとき、彼が使っていた蛇に基づきへびつかい座が誕生しました。ただ、彼は最終的に死者をも蘇らせ、冥王ハーデスの怒りを買い、ゼウスの雷によって撃ち殺されたと伝えられています。あなたも神の領域には踏み込まないことだ」
 上杉は笑顔でおどけた様子で、慧一の神がかった能力を褒め称えた。
「神話のようなロマンティックな話は僕にはどうもピンときません。僕はただ、ちょっと変わった能力があるだけのどこにでもいる平凡な高校生ですよ」
「上杉さん、これ以上その話は止しましょう。慧一君困っているし」
 慧一の困った様子に歩美が心配しそうに訴える。

「知念さん、私は困らせたくて言ってるつもりはないですよ。ただ、感じるんです。彼がその能力があるが故に、望まない争いに引きずり込まれる予感がします。それでも、自分をよく知っていれば災いに打ち勝つこともできます」
「自分をよく知るって、どういうことですか?」
 慧一は思わず質問してしまったと思った。完全に上杉のいつものペースだ。

「人は誰でも思いがけず災いや困難に遭遇するものです。例えばマウンテンゴリラに殺されている評論家の皆さんはいい例です。みんな自分がなぜ殺されなければいけないのか分からない中で殺されている。でも被害者は避けようと思えば、避けることができたんです」
「どうやってですか?」
「簡単です。高いところに居なければいいんです」
 上杉は報道されているマウンテンゴリラの殺人ルールを指摘した。

「でもルールが変わるかもしれないじゃないですか」
「もちろん、その可能性はある。だがここで言いたいのは、多くの被害者は自分がターゲットになっている自覚がなかったということです。テレビ関係者で自ら報道してるにも関わらずです。なぜだと思いますか?」
「それはさっきから言われてるように、殺される理由が思い当たらなかったからじゃないですか。例えば恨みを買ってるような」
「そう、一般的には……でも君達はまた違う意味で知っていた方がいい」
 上杉は、慧一たちに意味ありげな視線を巡らした。

「それは、マウンテンゴリラがこの学園と関係あるということですか?」
「直接学園が関与しているかは分かりませんが、少なくともマウンテンゴリラが示した能力はファントムと無関係とは思えません。逆にファントムを使ったと考えれば、説明は容易になります」
「それなら、早く警察に話さないと」
 拓馬が非難するように顔を赤くして言った。
「今の状態でですか? まだ私の推測の域を出ていません。もっと証拠が集まらないと、いたずらに学園とここに通う学生・OBに迷惑がかかるだけです」
 先ほどまでの活発な議論が影を潜め、沈黙が訪れた。上杉の言うことはもっともなので、もどかしさだけがその場の空気を支配した。

「あれ、みんなどうしたの?」
 愛美が同じA組の忍、蘭と一緒に現れた。ただならぬ雰囲気に戸惑っている。
「いやマウンテンゴリラの話をしていてさ」
 慧一が先ほどここで行われたやりとりを説明する。
「ふーん、まあ確かに今の段階で警察に行っても相手にされないわよね。第一ファントムの話は世間的には認知されてないんでしょう。手品だっていう人もいるし」
 愛美は驚くほど冷静だった。父親が日本の心理学会では異端児とされ、冷遇されてきたこともあるのかもしれない。
「だったら、私たちでマウンテンゴリラを捕まえればいいんじゃない」
 最近少しファントムを使えるように成って来た忍が、興味津々の顔で言った。
「簡単に考えないでくれ。マウンテンゴリラの力がファントムだとすれば、想像の次元を超えた強いファントムだと思う」
 慧一が慎重に忍を(たしな)めた。
「ふーん、慧一はやる気ないんだ」
 晶紀が意外そうな顔をした。
「とてもじゃないが、相手にならないよ。レベルが違いすぎる」

 つまらなそうな顔をする晶紀は無視して、慧一はマウンテンゴリラのファントムの強さを想像してみた。正直なところ、ファントムの強さ自体は、対峙して直接比べてみないことには分からない。それよりも、人を無造作に殺せる精神の方が恐ろしかった。
 勝負となるとそこが一番勝敗に大きく影響する。剣道の達人であっても、真剣で対決したら、殺人を経験した者に後れを取るのと同じことだ。

 ただ、心のどこかで引き合うものを感じていた。絶対に関わりたくない相手なのに、荒ぶる心を持て余しながら、どうかしてると自分を戒めた
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