死刑囚の男
文字数 1,623文字
その足音は近づいて来ると
男がいる独房の前で止まった。
錠の音がして、鉄の扉が開いた。
扉が放たれた独房
そこに居る男は拘束着で動きを制限され
不自由を強いられている。
腕を前に交錯させ、その手は縛り付けられ、
舌を噛まないように口にはマスクをはめられていた。
ここは刑務所の独房、
そして男は死刑囚。
これから男は
刑に処されることになる。
史上稀に見る狂暴犯、
最凶の通り魔、それが男の別称。
殺人、暴行傷害、器物破損、
公務執行妨害、窃盗、強盗等々
犯した罪は数知れず
殺した相手の数は
両手であっても数えきれない。
暴力を好み、
誰彼構わずすぐに喧嘩をはじめ、
相手が死ぬまで殴り続ける。
男にとっては
喧嘩をしている瞬間こそが
自分が生きていると実感出来る時であり
それ以外は生きていないのと同じことであった。
社会のルールが全く通用しない
まるで野生児そのもののような男。
死刑囚が再び気づくと
そこは扉が一つあるだけで
他には何も無い広く真っ白な空間だった。
つい先程、自分は絞首刑となり
吊るされて宙に浮いていた筈。
自分が既に死んでいるのなら、
ここは地獄ということになるのだろう。
自分は地獄に堕ちるべき人間だ
という自覚ぐらいはある。
彼はそんなことを考えていたかもしれない。
そこは打って変わって
柔らかいオレンジの照明で
落着いた雰囲気のバー。
そしてカウンターには
グレーの髪と髭をたくわえた
初老の紳士の姿があった。
死刑囚である男は
とりあえずその紳士を殴ろうとする。
こうしたところが野生児そのものであり、
この男は人を見るとまず殴ろうとする。
ロマンスグレーな紳士は、
自らを転移エージェントと名乗り
死刑囚の男がこれから
異世界に転生することを伝えた。
まずは、喧嘩の際にも、
己の拳で殴ることを信条としている死刑囚に
驚異的な打撃力が与えられたと言う。
初老の紳士から
一通りの説明を受けた死刑囚。
紳士はそう言って
カウンター横にある裏口の扉を指差した。
普段からほとんど喋らない死刑囚は、
ここに来てからはじめて口を開いた。
その言葉と同時に
死刑囚は紳士の顔を殴りつけた。
男は『もう殴っていいのか?』と聞いていたのだったが
初老の紳士はまさかそんなことは
微塵も思っていなかっただろう。
殴られた紳士は
すぐ後ろの壁に激突した後、床に倒れる。
死刑囚は殴った拳を見つめ
やはり首を傾げながら、
言われた通りに横の扉から
この転移の間を出て行った。
男が部屋を出て行くと、
初老の紳士の肉体から魂が出現する。
転移エージェントは人間ではないので
肉体の損傷は大した問題ではなく、
魂さえ無事であれば何とでもなる。
おそらく、
ここの神々のことであるから、何も考えておらず
ただ面白そうとか、
そのレベルの理由なのであろう。
いずれにしても
死刑囚の男は、勇者として
異世界に転生したのだった。