第30話 瞬殺、逃亡、三つ巴
文字数 2,625文字
「さて、残るはあなただけです」
車を覆う氷を砕く間もなかった。
「嘘、だろ……?」
信じられずにカズマは呟くも、否定材料は見当たらない。
リューズがいた場所には雪が丘のように積みあがり、ロイスは現在進行形で落下している。
共に、近づくことすらできていなかった。
「カズマ! 逃げて!」
車の中から、アルルの叫ぶ声が響く。
「それが賢明な判断です」
イツラコリウキも逃亡を促す。
「冗談……抜かせ!」
カズマは銃を抜くも、遅い。
「――死の氷柱 」
真下から現れた氷柱が右手を突き刺し、音をたてながら手首まで凍らせていった。
「くそっ……な!」
「安心なさい。表面を凍らせているに過ぎないから、すぐに死んだりはしないわ」
同じような氷柱が両足を貫き、カズマは動けなくなる。
その横を、イツラコリウキが悠然と横切った。
「だから、黙ってなさい」
彼女の命令に従うつもりはなかったが、カズマは見送る羽目となる。
「アルル様、あなたはいつまでフールでいるつもりですか?」
返事はないが、イツラコリウキは一方的に続ける。
「今回の当てのない放浪など、まさに愚か者の極み。こんなことに、プロビデンスやカオスまでも使わせて」
「そんなの頼んでない! そっちが勝手に使ったんじゃない!」
アルルの金切り声が冴え渡る。
「自分の〝願い〟を持たない人間が、わかったようなこと言わないでよ!」
「あなたは、なにもわかっていない」
冷然とイツラコリウキは返した。
「この状況下であなたが死なないから、ハーミットを動かさざるを得なかったのですよ」
暗に、捕まるくらいなら死ねと。
「それと、私は自分の〝願い〟を叶えています。最初から、この名を約束されてなどいなかった」
初めて、彼女から感情が垣間見えた。
「イツラコリウキ。どちらかと言うと、私は『曲がった黒曜石のナイフ』ですけどね」
その言葉の意味するところは狂気。
「私はね……ただ熱を冷ましたかった。自分の曲がった想いが、あの子を傷つけないように……!」
空気が凍てつく。彼女の熱を冷ます為だけに、他の命はとざされてしまう。
カズマは唯一動く左手で氷を叩き割ろうとするも、威力が足りないのかビクともしなかった。
「くそっ!」
仕方なく、凍った右手を撃ち抜く。両手で拳銃を持ち、足の氷に叩きつける。
「随分と、無茶をするんですね」
必死で氷を叩き割っているカズマを止めもせず、イツラコリウキは笑っていた。
「こいつは最善策だよ」
肌に直接氷が張り付いた状態が続けば、壊死する可能性があった。
「それにあんたの言葉を信じて死ぬよりも、自分を信じて死ぬほうがマシだ」
――無論、死ぬ気はない。
いち早く、その存在を察したのはアイオロスだった。
落下するロイスを見届けもせず、風を使役して探る。
「――煙を吐く鏡 」
放たれし黒き風は、止まることを知らない。主の許しがあるまで彼方まで――進路にあるモノを教えてくれる。
「……フィロソフィアか」
不自然な風の正体はフィロソフィアの戦闘機。
隊列を組んで、こちらに向かっている。
「姉さ……いや、いいか」
声を飛ばそうとするも、留まった。
いつまでも姉の力を借りていてはならないと、アイオロスは一人で迎え撃つ決意をする。
「でも、言っておかないと心配かけるかな」
しかしすぐさまその可能性に至り、
「うん、一応言うだけは言っておこう」
アイオロスは風――長い息 を番え、
「姉さん。フィロソフィアが攻めてくるから、ちょっと蹴散らしてくる」
言葉を乗せた。
「――一つ脚 」
そして更に上昇、加速した。
アイオロスの声はイツラコリウキだけでなく、カズマにも届いていた。
「フィロソフィアが?」
――何故、このタイミングで?
「アイオ!」
イツラコリウキは叫ぶも、届かず。
見上げるアイオロスの姿は雲へと消えていった。
空の戦場となれば、さすがの彼女も関与できないのだろう。雪を降らせたところで、戦闘機が相手では大した援護になりやしない。
「アイオ……」
イツラコリウキは完全に取り乱していた。
今ならば、アイオロスの干渉もなくヤレる。カズマは黙って銃口を定めるも、引き金は動かなかった。
持っていた銃は、余すとこなく凍結していた。
「ふふふ……」
イツラコリウキは微笑みを浮かべ、カズマを見た。睨むような鋭さはないのに、体がすくみ上がる。
それでも、カズマは体を鼓舞して四肢を振るう。
「あら、逃げるの?」
まともに戦って、どうにかなるものではない。なんの対策もなしに、災害に立ち向かうなど愚の骨頂。
気付けば、車も死体も時の流れに取り残されたようだった。
目に見える全てが青く白く、美しい氷河を形成している。
その所為か、方向が掴めない。
吹き荒れる雪風が感覚を狂わせる。そう遠くまで走っていないはずなのに、イツラコリウキの姿は見えなくなっていた。
気が緩み、カズマは座り込む。
手持ちぶさたに、改めて状況の確認をする。
腰の銃は共にただの鈍器に成り下がった。両脇の銃は外気に晒されていなかったので、無事のようだ。
アルルの心配も今は必用ない。
イツラコリウキが説得を試みたところから、利用価値は認められている。
それにアルルの無力化は容易だ。強制的に連れ帰るとしても、大した労苦はかからない。
リューズはあのままでは死ぬだろう。あの雪量となると、剣ではどうしようもない。
ロイスはきっと生きている。彼のリミットは誰にも感知しようがないので、敵を欺くのはお手の物のはず。
カズマは冷静に頭を働かせているつもりでいたが、そんなことはなかった。
無駄な思考が多すぎる。
いや、体を動かすのが億劫だから思考に逃げていた。
――寒くて体が動かない。
なにもしていなくても、このままでは死ぬ。
「くそ……っ!」
血を流したのを後悔し始める。
出血が、低体温症の進行を加速させていた。
車を覆う氷を砕く間もなかった。
「嘘、だろ……?」
信じられずにカズマは呟くも、否定材料は見当たらない。
リューズがいた場所には雪が丘のように積みあがり、ロイスは現在進行形で落下している。
共に、近づくことすらできていなかった。
「カズマ! 逃げて!」
車の中から、アルルの叫ぶ声が響く。
「それが賢明な判断です」
イツラコリウキも逃亡を促す。
「冗談……抜かせ!」
カズマは銃を抜くも、遅い。
「――
真下から現れた氷柱が右手を突き刺し、音をたてながら手首まで凍らせていった。
「くそっ……な!」
「安心なさい。表面を凍らせているに過ぎないから、すぐに死んだりはしないわ」
同じような氷柱が両足を貫き、カズマは動けなくなる。
その横を、イツラコリウキが悠然と横切った。
「だから、黙ってなさい」
彼女の命令に従うつもりはなかったが、カズマは見送る羽目となる。
「アルル様、あなたはいつまでフールでいるつもりですか?」
返事はないが、イツラコリウキは一方的に続ける。
「今回の当てのない放浪など、まさに愚か者の極み。こんなことに、プロビデンスやカオスまでも使わせて」
「そんなの頼んでない! そっちが勝手に使ったんじゃない!」
アルルの金切り声が冴え渡る。
「自分の〝願い〟を持たない人間が、わかったようなこと言わないでよ!」
「あなたは、なにもわかっていない」
冷然とイツラコリウキは返した。
「この状況下であなたが死なないから、ハーミットを動かさざるを得なかったのですよ」
暗に、捕まるくらいなら死ねと。
「それと、私は自分の〝願い〟を叶えています。最初から、この名を約束されてなどいなかった」
初めて、彼女から感情が垣間見えた。
「イツラコリウキ。どちらかと言うと、私は『曲がった黒曜石のナイフ』ですけどね」
その言葉の意味するところは狂気。
「私はね……ただ熱を冷ましたかった。自分の曲がった想いが、あの子を傷つけないように……!」
空気が凍てつく。彼女の熱を冷ます為だけに、他の命はとざされてしまう。
カズマは唯一動く左手で氷を叩き割ろうとするも、威力が足りないのかビクともしなかった。
「くそっ!」
仕方なく、凍った右手を撃ち抜く。両手で拳銃を持ち、足の氷に叩きつける。
「随分と、無茶をするんですね」
必死で氷を叩き割っているカズマを止めもせず、イツラコリウキは笑っていた。
「こいつは最善策だよ」
肌に直接氷が張り付いた状態が続けば、壊死する可能性があった。
「それにあんたの言葉を信じて死ぬよりも、自分を信じて死ぬほうがマシだ」
――無論、死ぬ気はない。
いち早く、その存在を察したのはアイオロスだった。
落下するロイスを見届けもせず、風を使役して探る。
「――
放たれし黒き風は、止まることを知らない。主の許しがあるまで彼方まで――進路にあるモノを教えてくれる。
「……フィロソフィアか」
不自然な風の正体はフィロソフィアの戦闘機。
隊列を組んで、こちらに向かっている。
「姉さ……いや、いいか」
声を飛ばそうとするも、留まった。
いつまでも姉の力を借りていてはならないと、アイオロスは一人で迎え撃つ決意をする。
「でも、言っておかないと心配かけるかな」
しかしすぐさまその可能性に至り、
「うん、一応言うだけは言っておこう」
アイオロスは風――
「姉さん。フィロソフィアが攻めてくるから、ちょっと蹴散らしてくる」
言葉を乗せた。
「――
そして更に上昇、加速した。
アイオロスの声はイツラコリウキだけでなく、カズマにも届いていた。
「フィロソフィアが?」
――何故、このタイミングで?
「アイオ!」
イツラコリウキは叫ぶも、届かず。
見上げるアイオロスの姿は雲へと消えていった。
空の戦場となれば、さすがの彼女も関与できないのだろう。雪を降らせたところで、戦闘機が相手では大した援護になりやしない。
「アイオ……」
イツラコリウキは完全に取り乱していた。
今ならば、アイオロスの干渉もなくヤレる。カズマは黙って銃口を定めるも、引き金は動かなかった。
持っていた銃は、余すとこなく凍結していた。
「ふふふ……」
イツラコリウキは微笑みを浮かべ、カズマを見た。睨むような鋭さはないのに、体がすくみ上がる。
それでも、カズマは体を鼓舞して四肢を振るう。
「あら、逃げるの?」
まともに戦って、どうにかなるものではない。なんの対策もなしに、災害に立ち向かうなど愚の骨頂。
気付けば、車も死体も時の流れに取り残されたようだった。
目に見える全てが青く白く、美しい氷河を形成している。
その所為か、方向が掴めない。
吹き荒れる雪風が感覚を狂わせる。そう遠くまで走っていないはずなのに、イツラコリウキの姿は見えなくなっていた。
気が緩み、カズマは座り込む。
手持ちぶさたに、改めて状況の確認をする。
腰の銃は共にただの鈍器に成り下がった。両脇の銃は外気に晒されていなかったので、無事のようだ。
アルルの心配も今は必用ない。
イツラコリウキが説得を試みたところから、利用価値は認められている。
それにアルルの無力化は容易だ。強制的に連れ帰るとしても、大した労苦はかからない。
リューズはあのままでは死ぬだろう。あの雪量となると、剣ではどうしようもない。
ロイスはきっと生きている。彼のリミットは誰にも感知しようがないので、敵を欺くのはお手の物のはず。
カズマは冷静に頭を働かせているつもりでいたが、そんなことはなかった。
無駄な思考が多すぎる。
いや、体を動かすのが億劫だから思考に逃げていた。
――寒くて体が動かない。
なにもしていなくても、このままでは死ぬ。
「くそ……っ!」
血を流したのを後悔し始める。
出血が、低体温症の進行を加速させていた。