第十一話 ダンジョンの短距離走(後編)

文字数 2,197文字

 隣の部屋から戦闘音が聞こえてきた。戦闘音はしばらく続いた。
(誰かが、モンスターを根こそぎ狩っているな)
 別に珍しい行為ではなかった。強くなるため、アイテムを手に入れるため、ダンジョンでモンスターを徹底的に狩る探索者は珍しくない。

 蛍石の部屋にいたモンスターも、通路を通って戦闘音のする部屋に向かう。
 蛍石は店のある部屋からを動くわけにはいかないので、黙って待つ。
 しばらくすると、部屋に続く通路から険しい顔のポニ子が姿を現した。
(まずい事態になったぞ)

 ポニ子がモンスターを狩っていた理由は泥棒のためだと思われた。
 長い距離を移動しようとしたとき通路にモンスターがいたのなら邪魔になり逃げ切れない。ポニ子は逃げ切るために、モンスターを根こそぎ狩っていたと思われた。
 蛍石は鏡花の知り合いであるポニ子を殺したくなかった。別にポニ子を殺しても、誰も見ていないダンジョンの中では、蛍石が殺したとはわからない。

 探索者のほとんどは罠に掛かったり、モンスターに殺されたりして命を落とす。ポニ子にしても、そんな運のない探索者の一人としてカウントされる。
(鏡花の知り合いなら、殺したくない。だが、泥棒を働ければ、俺は行動を止められない)

 ポニ子が魔法のベルト・ポーチから木製の杖を取り出し、軽く準備運動をする。
(やっぱり、盗む気だよ)
 止めておけと警告しようとしたが、言葉は口から出なかった。

 ポニ子は十mほど蛍石から距離をとる。次にスクロールを取り出して開いた。
 品物がスクロールの中に吸い込まれた。
 蛍石は駆け出して、部屋の出口に先回りしようとした。

 ポニ子が木製の杖を振った。突風が吹いて、蛍石の体は壁際まで吹き飛んだ。
(『突風の杖』だな。店主への攻撃。これで泥棒発生だ)
「泥棒!」と大きな声を上げる。

 蛍石はポニ子を全速力で追った。
 部屋の出口で追いつきそうになる。ポニ子が再び『突風の杖』を振った。
 再び突風が吹く。蛍石を部屋の端まで吹き飛ばした。
(あと、二回。あと、二回、突風の杖が使えれば、逃げ切れる)

 泥棒を応援するなんて、ダンジョン店主にはあるまじき行為だった。だが、この時はポニ子に逃げ切ってほしいと思った。
「残念だが、ここでは、それは通用しない」
 意識に反して言葉が出た。蛍石の意識に霞が掛かる。
「闘神流戦闘術・『流』」

 蛍石は使いたくなかった『流』を使用した。
 体がみるみる加速し、ポニ子を追った。部屋から出て通路を進む。
 隣の部屋に出たところで、『疾風の杖』を投げつけられた。杖の飛んでくる動きがゆっくりに見えた。
軽く身を捻って杖を躱す。ポニ子までの距離は、あと二十m。ポニ子が下の階に移動するための階段までは、二十五m。ポニ子は逃げ切れないと思った。

(俺はここでポニ子を殺すのか)
 気分が滅入った。だが、ポニ子に向かう速度は衰えない。ポニ子との距離が縮まる。
 心の中に言い知れぬ破壊衝動が沸き上がった。
「ポニ子を殺したい」そう思う蛍石が、そこにいた。

 ポニ子との距離が五mまで近づいた。ポニ子の髪を掴んで引き摺り倒す。それで、ポニ子の首をへし折る。
そんな姿を望む、血に飢えた蛍石が心の中にいた。
(駄目だ。この衝動を、俺は止められない。誰か、誰か、俺を止めてくれ!) 

 絶望的な心境で諦めた時に、前方からポニ子の声が聞こえた。
「闘神流戦闘術・『流』!」 
 距離が詰まらなくなった。
 ポニ子は五mの距離を保ったまま、階下の階段に駆け下りて行った。

「逃げられた。泥棒の成功だ」
 ポニ子に逃げられても、悔しくはなかった。ポニ子が見えなくなった時に、心に湧いた邪悪な考えは姿を消していた。
 蛍石はぼんやりと、ポニ子が消えた階下への階段を見ていた。
(俺以外の闘神流戦闘術。ポニ子は、俺の弟弟子なのか)

 そこで、闘神流戦闘術を学んだ時の情景を思い出そうとした。だか、師匠の名前と顔以外は何も浮かんでこなかった。
(俺は忘れている。大事な記憶を忘れている)
 記憶の欠落が怖くなったところで、背後から声を掛けられた。

 驚き振り返ると、渋い顔の馬活がいた。
「蛍石さん、悪いことをしましたね」

 馬活の言葉に、ドキリとする。
(何だ、記憶の欠落を知ったのがいけなかったのか? それとも、ポニ子を逃がした事態が、まずかったのか)
「何が、ですか?」と取り繕って答えたが、声は上ずっていた。

 馬活が申し訳なさそうな顔で詫びる。
「今の泥棒ですよ。私が『封印のスクロール』を書いて渡してばっかりに、泥棒に遭ったでしょう」
 蛍石は本心を隠して答える。
「何だ、そんなことですか。仕方ないですよ。馬活先生の仕事はスクロールを作成でしょう。探索者にお金を払われて頼まれたら、嫌と断れないでしょう」

 馬活は安堵した顔をした。
「そう言っていただけると、いいんですが」
 ダンジョンが軽く揺れた。
 馬活が暢気(のんき)な顔で発言する。
「一度目の揺れですね。今日は、もう店じまいですかな?」

「そうですね」と蛍石は立ち上がり、逃げるように店に戻った。
 蛍石は水筒を取り出して中の水を飲む。心を落ち着かせようとした。
 だが、ざわめいた心は、しばらく静まらなかった。
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