第20話 カエレ

文字数 1,755文字

 みずほ町恒例の夏のテニス講習会。
 準備体操が終わり、壇上ではテニス協会会長の開会の挨拶が続いていた。

 秀一(しゅういち)夏穂(かほ)はクラブハウス前のベンチに並んで座っている。
 そこは高い位置にあるため、壇上の岩田や整列する子供たちを見渡すことができた。

「コータは兄さんが温室の中にいるのに、鍵をかけたんだ」と秀一は隣の夏穂を見た。「兄さんが何かコータに、ひどいことをしたらしいんだけど、どう思う?」
 
「秀ちゃん、コータの言葉を真に受けない方がいいよ」と、夏穂は困ったような顔をした。「……コータ、高校でいじめにあって、心の病気になっちゃったらしいの……一輝さんが湯川の心療内科に連れて行ってたんだけど……一輝さんが亡くなってから、病気が悪化しちゃったみたいなの」
 
「……今は誰がコータを病院に連れて行ってるの?」

「心配ないよ! コータには真理子先生がついてる」

 秀一は辺りを見回した。

 コートの隅に設たテントの中では、町の年寄りたちが団扇を仰ぎながら菓子や茶を口にしていた。金網の向こうの雑木林では、大人たちが思い思いの場所にレジャーシートやパラソルを広げて談笑している。

 どこかにコータの姉の真理子がいるならいいのだが……。
 コータを一人にしてしまったことを秀一は悔やんでいた。

「ガンちゃんの話、相変わらず長いな」と夏穂が呟いた。「具合が悪くなる子が出なければいいけど……」

 夏穂が心配するのも無理はない。日が高くなるにつれて気温が上がってきていた。
 大人たちは日陰にいるが、じっと話を聞いてなければならない子供たちは明らかにうんざりし始めていた。

「午後に、うちのお祖父(じい)ちゃんが来るから、会ってやってね。秀ちゃんに食べさせたいから、トウモロコシもいで茹でて来るって、張り切ってたよ」

「オレも秀じいに会いたい。聞きたいこともあるし。でも、昼には帰るんだ」

 秀一が言うと夏穂がじっとこっちを見てきた。

「秀ちゃん、いつから自分のこと

って言うようになったの? 前は

だったよね」

 秀一は自分でもわかるくらい赤くなった。すぐ下を向いた。

 ——正語(しょうご)の影響だ。

 子供の時の秀一はカッコいい正語に憧れて、何でも真似しようとした。正語が捨てた文房具を拾って使ったりもした。
 夏穂から自分のあさましい秘め事を指摘されたようで、秀一は顔が上げられなかった。
 
「おじさんが、秀ちゃんの言葉遣いが乱暴になったって言ってたよ」

「……お父さんが⁈」

 父がそんな事を言ってるのかと驚いて顔を上げたが、夏穂と目が合ってすぐまた下を向いた。

「秀ちゃんを預かっている家は男の子ばかりで、みんな荒っぽいんだって?」

「そんなことないよ!」と、秀一はうつむいたまま首を振った。

「しかも今、男子高に通ってるんでしょ? 大丈夫?」

「全然、平気!」

「まあ、BL漫画みたいな事、現実には起こりっこないんだろうけどね」と夏穂は立ち上がった。「お祖父ちゃんに連絡してくる。早く来ないと秀ちゃんが帰っちゃうって、言わなきゃ」

 夏穂はwi-fiが入る公民館へ向かって歩き出した。

「オレも行く!」と秀一も立ち上がった。

 思い出したら、急に正語のことが気になった。
 無事に『西手』に着けたかどうか聞いてみようと、夏穂の後ろを歩き出した途端、何かの気配を感じて振り返った。

 『あの女』がいた。
 一瞬で体が凍りつく。

 声も上げられず固まっていたら、コートの方から岩田の怒鳴り声が聞こえてきた。

「そこ! 人の話は立って聞きなさい」

「話が長いんだよ!」と言い返す女の子の声がした。

「立っていられないなら、帰りなさい!」と再び岩田の声。

「あれ、凛ちゃんだよ」いつの間にか夏穂が隣に立っていた。「ちょっと行って、止めてくる!」

 夏穂の言葉で秀一は金縛りが解けたように我に返った。

「秀ちゃんはDコートに行ってて。ガンちゃんをそっちに行かせるよ」と夏穂は早口で言った。「初心者の子供二人を担当するだけだから、のんびり遊んであげて」

 そう言うと夏穂はコートに向かって駆け足で斜面を下りて行った。

 秀一は『あの女』を見ないようにしながら、ギクシャクした足取りでDコートに向かった。

 背後から『声』がした。

 

  



 秀一は逃げるように足を速めたが『声』はすぐ後ろを追いかけてくる。

 

  



 

 
 


 

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登場人物紹介

鷲宮秀一、主人公の高校生

九我正語(くがしょうご)、秀一の従兄弟、警察官

九我正思(くがしょうじ)正語の父親。人の恋愛感情を瞬時に見抜く特殊能力を持つ。

九我光子、正語の母親。秀一の伯母。

雅、介護士。雅は熟女スナックにいた時の源氏名。本名は不明

夏穂、秀一の幼馴染。秀一に片思い。

涼音(すずね)、秀一の幼馴染

武尊(たける)、秀一の幼馴染

賢人、秀一の甥っ子

真理子、みずほ中学の教師

コータ、真理子の弟、秀一の幼馴染

野々花、パンケーキ店の女主人

岩田、秀一のテニスの師匠

鷲宮一輝(故人)秀一の兄

鷲宮輝子(故人)秀一の母親。正語の母親、九我光子の妹

水谷凛、夏穂の従姉妹

鷲宮智和、秀一と一輝の父親

鷲宮高太郎、智和の兄

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