第2話
文字数 2,088文字
私が住んでいる宗泉寺 は、都会の一等地に建てられた石仏溢 れる由緒正しいお寺である。
「宗泉寺」と石で彫られたすぐ横に、にっこり笑顔のお地蔵さんが六つ並んでいる。
境内は比較的広く、山門から中に入ると、歴史がありそうな樹齢五百年を超える老木が迎えてくれる。木々の濃い緑に囲まれて守られたそのバリケードは、私たち衆生をどんな災いからも守護してくれるそんな意思が感じ取れる。
安置されている本尊は聖観音菩薩である。真言宗では大日如来が基本であるのだが、中には色々な仏様を本尊としているお寺もある。私がなぜ観音様とお話ができるのか、これで理解できたことであろう。
私は小さい頃から観音様の声を聞くことがよくあった。はじめは仏の世界というものが本当に存在していて、それが当たり前なんだと思っていたものだ。
成長するにつれて、娑婆 というものに触れ、様々な人の世界のことを知った。その世界はとても変わっていて、私が居てはいけない場所なのだとも理解していた。
外は人の住む世界で、私が住んでいるお寺こそが極楽と通じ合っているのだと。
物心つく頃から、私はなんでこの世界に生まれてきたんだろう……と不思議に思っていたものだ。
でも間近に仏道の修行で鍛えてくれるお父さんが居てはじめて、私は修行の為に仏の世界から降りてきたんだと思い込むようになっていった。
それが正しかったのかは今ではわからない。観音様は何も答えてはくれない。ただ、私はお寺の外の世界では生きてはいけない。清浄な空気の中でしか生きられないのだと知ったときには、毎日泣きはらして学校から帰ってきたものだ。
それでも頑張って短大まで進んだものの、やはり就職までには至らなかった。私の生きる道はこれからも決まっているんだろう。そう思った。
ただ、仏教以外に私にも特技があった。それは文章力に長けていたということ。大学では文系の道に進み、小説などを書こうと頑張ったものだが、プロの道は果てしなく遠いということもわかった。
これを活かして仏教の世界で何かできないだろうか。
そうだ、仏教に関する書物を書けばいいのだ! 小説家になるという夢を諦めた訳ではなかったが、私の夢は着々と構想が練られていく。
今こうして日記の様なものを書いてはいるが、それも全ては文章力の向上の為なのである。
父親にはこのことは話してはいない。私にも秘密があってもいいと思うのだ。もっとも、観音様にはばればれな訳なのだが……。
日記を書き終えた私は、日課の修行の為に仏堂へと赴いた。
「今日も頑張るのです」
いつもの様に座禅を組み、心を落ち着かせる。私が普段、平静を失わずにいられたのはまさしく座禅のおかげだ。
こうして座り続けることで、心のセルフコントロールを図っているのだ。
そのうちお寺に訪ねてくる人がいた。珍しくお父さんが出て対応してくれている。こんな時間に何か用だろうか。
「音夢、こっちへいらっしゃい」
お父さんが呼んでいる、何だろうか。私は座禅を組むのを辞め、客間まで行ってみることにした。
「何か用なのです?」
「音夢、さっそくお客さんだ。失礼のないようにするんだよ」
お父さんが何を言っているのか、すぐに理解することができた。そうか、遂に私の悩み相談が始まったのだ。
「はじめまして、宜しくおねがいです」
軽く頭を下げ、目線を上げると、少し落ち着いた感じの女性が見えた。歳は還暦をちょっと過ぎたくらいだろうか。
「はじめまして、可愛い尼僧さんだねえ。修行中なのに大丈夫だったのかい? ごめんなさいね」
「いえ、ちょうど終えるところだったのです」
「あらそう? なら都合がよいし、ちょっとおばさんの話を聞いていってくれるかしら」
「わかりました。私でよければ是非」
そのおばさまはご自分の家族のことや、職場のことなど、私が普段聞くことのない話をたくさんしてくれた。
「音夢ちゃんにこんなこと言うのは、何だけれど……実は孫のことで困っているのよねえ」
「お孫さんですか?」
「そうなの、小学生を上がる年齢になるんだけれど、どうも友達が少ないようなのよ。だから心配で……何か学校でいじめられているんじゃないかって。そういう話って直接は聞きにくいわよね」
私はその悩みにすぐに答えた。
「そうなのです……。だったら、その子の共通の趣味を使って聞くのはどうですか?」
「共通の趣味?」
「何かその子の好きなことはないのです?」
「そうねえ、一人で居ることが多いからゲームなんかが好きな様ね……それと、お人形で遊んでいることなんか多いわ」
「だったら、そのお人形を使って話しかけてみてください。今日何があったのかな? とか何でもいいのです。腹話術みたいな感じで……お孫さん、喜ぶと思います」
「そうね……あの子の趣味とか考えたことがなかったわ。音夢ちゃん、ありがとう。今度、お人形を買って一緒に遊んでみるわ」
「それがいいのです」
それからもちょっとした会話を続け、おばさまは満足な顔をしてお寺を出ていった。
振り向きざまに、こちらに向けて微笑んでくれたその顔は忘れられない私の宝物になるだろう。
「宗泉寺」と石で彫られたすぐ横に、にっこり笑顔のお地蔵さんが六つ並んでいる。
境内は比較的広く、山門から中に入ると、歴史がありそうな樹齢五百年を超える老木が迎えてくれる。木々の濃い緑に囲まれて守られたそのバリケードは、私たち衆生をどんな災いからも守護してくれるそんな意思が感じ取れる。
安置されている本尊は聖観音菩薩である。真言宗では大日如来が基本であるのだが、中には色々な仏様を本尊としているお寺もある。私がなぜ観音様とお話ができるのか、これで理解できたことであろう。
私は小さい頃から観音様の声を聞くことがよくあった。はじめは仏の世界というものが本当に存在していて、それが当たり前なんだと思っていたものだ。
成長するにつれて、
外は人の住む世界で、私が住んでいるお寺こそが極楽と通じ合っているのだと。
物心つく頃から、私はなんでこの世界に生まれてきたんだろう……と不思議に思っていたものだ。
でも間近に仏道の修行で鍛えてくれるお父さんが居てはじめて、私は修行の為に仏の世界から降りてきたんだと思い込むようになっていった。
それが正しかったのかは今ではわからない。観音様は何も答えてはくれない。ただ、私はお寺の外の世界では生きてはいけない。清浄な空気の中でしか生きられないのだと知ったときには、毎日泣きはらして学校から帰ってきたものだ。
それでも頑張って短大まで進んだものの、やはり就職までには至らなかった。私の生きる道はこれからも決まっているんだろう。そう思った。
ただ、仏教以外に私にも特技があった。それは文章力に長けていたということ。大学では文系の道に進み、小説などを書こうと頑張ったものだが、プロの道は果てしなく遠いということもわかった。
これを活かして仏教の世界で何かできないだろうか。
そうだ、仏教に関する書物を書けばいいのだ! 小説家になるという夢を諦めた訳ではなかったが、私の夢は着々と構想が練られていく。
今こうして日記の様なものを書いてはいるが、それも全ては文章力の向上の為なのである。
父親にはこのことは話してはいない。私にも秘密があってもいいと思うのだ。もっとも、観音様にはばればれな訳なのだが……。
日記を書き終えた私は、日課の修行の為に仏堂へと赴いた。
「今日も頑張るのです」
いつもの様に座禅を組み、心を落ち着かせる。私が普段、平静を失わずにいられたのはまさしく座禅のおかげだ。
こうして座り続けることで、心のセルフコントロールを図っているのだ。
そのうちお寺に訪ねてくる人がいた。珍しくお父さんが出て対応してくれている。こんな時間に何か用だろうか。
「音夢、こっちへいらっしゃい」
お父さんが呼んでいる、何だろうか。私は座禅を組むのを辞め、客間まで行ってみることにした。
「何か用なのです?」
「音夢、さっそくお客さんだ。失礼のないようにするんだよ」
お父さんが何を言っているのか、すぐに理解することができた。そうか、遂に私の悩み相談が始まったのだ。
「はじめまして、宜しくおねがいです」
軽く頭を下げ、目線を上げると、少し落ち着いた感じの女性が見えた。歳は還暦をちょっと過ぎたくらいだろうか。
「はじめまして、可愛い尼僧さんだねえ。修行中なのに大丈夫だったのかい? ごめんなさいね」
「いえ、ちょうど終えるところだったのです」
「あらそう? なら都合がよいし、ちょっとおばさんの話を聞いていってくれるかしら」
「わかりました。私でよければ是非」
そのおばさまはご自分の家族のことや、職場のことなど、私が普段聞くことのない話をたくさんしてくれた。
「音夢ちゃんにこんなこと言うのは、何だけれど……実は孫のことで困っているのよねえ」
「お孫さんですか?」
「そうなの、小学生を上がる年齢になるんだけれど、どうも友達が少ないようなのよ。だから心配で……何か学校でいじめられているんじゃないかって。そういう話って直接は聞きにくいわよね」
私はその悩みにすぐに答えた。
「そうなのです……。だったら、その子の共通の趣味を使って聞くのはどうですか?」
「共通の趣味?」
「何かその子の好きなことはないのです?」
「そうねえ、一人で居ることが多いからゲームなんかが好きな様ね……それと、お人形で遊んでいることなんか多いわ」
「だったら、そのお人形を使って話しかけてみてください。今日何があったのかな? とか何でもいいのです。腹話術みたいな感じで……お孫さん、喜ぶと思います」
「そうね……あの子の趣味とか考えたことがなかったわ。音夢ちゃん、ありがとう。今度、お人形を買って一緒に遊んでみるわ」
「それがいいのです」
それからもちょっとした会話を続け、おばさまは満足な顔をしてお寺を出ていった。
振り向きざまに、こちらに向けて微笑んでくれたその顔は忘れられない私の宝物になるだろう。