男前先生 (2)

文字数 7,704文字

 六日前の月曜日、昼二時ころ。アパートの近くにある城山の、三の丸跡のベンチから、マサキは赤木山を眺めていた。
 雲の隙間から差す日差しは夏の入りを思わせる。二時の太陽は地表をじわじわと熱するが、ベンチを覆う屋根の影と、周囲を囲む木々のざわめきが、マサキから幾らか熱さをさらうようだった。
「赤木山には傘雲か」
 ヒヨドリの甲高い声が三の丸跡の空に響く。そこは広く駐車場にもなっていて、車が二台ほど停まっているが、人影はマサキの他にない。
 空には雲が多く流れる。東の地にそびえる赤木山にも傘雲のような雲がかかっていた。雨が降りそうだ。
 かの万葉集には「青空」という語が見当たらないのだという。
 昔の日本人は空に「青」という形容詞はつけなかったらしい。
 万葉人たちの言う「青」とは、現代人の見る色彩としての「青」ではなく、漠然とした、あるいは本質的な「深さ」を意味している。
 古代日本人にとっても海は「青」であるが、それは「青い」からではなく、海の持つ「源」としての旺盛な生命力を指している、という。
「青雲」という言葉は今でも稀に見聞きするが、日常単独で使うことはまずないと言っていい。
 万葉集に「青雲」を使う歌は五つあり、その意味は、青い雲を見て言ったわけではなく、何かの兆しのような意味ありげな雲を見て歌ったそうだ。例えば、山を隠してしまう雲、とか。
 ふと日が翳った。意味ありげに雲が太陽を覆ってしまった。温い風が山を走る。ここら辺でも雨が近いのか。マサキは、ベンチを立った。

 三の丸跡からアパートまでは、ゆっくり歩いて十分ほど。膝近くまで背伸びた雑草の間の、踏み固められた土の上をなぞるようにして歩く。
 道の両側の草と草の間を渡した蜘蛛の巣を壊す度に「すまん」と頭を下げる。
「白雲」という言葉も万葉集に見える。
 万葉の「白」とは、感覚的に濁りのないものを指して言うそうだ。色の「白」もその中に含まれる。
 古代日本人に色彩感覚はなく、視覚の感覚用語としてはアカ、クロ、アオ、シロの四つだったという。見た人の感覚で四つの語を使い分けていた。
 おおらかと言うか、大雑把と言うか。
 部屋の片付けなどほとんどせず、色弱で特定の色の見分けができなくて小中学生のころクラスメイトにからかわれたマサキにとってはいい時代だった、と言えるかもしれない。
 教科書の絵を写すという授業で、茶色と緑の区別がつかなくてどっちも緑で塗ってしまったことを笑われた。そんな、ほろ苦い思い出が浮かんできた(部屋を掃除しないことは全く関係ない)。
 城山は、山城である。三の丸跡から緩やかに下り、頭上に鳥たちの鳴き交わすのを聞きながら竹やぶの間を抜けると、小さな観音堂がある。
 いつも静かな観音堂の前に、ガチャっと荷物が置いてあった。ガサガサと、合図のように空で鳴った。見上げてみて。
「あ」
 社のすぐ脇にある高い木の上に人がいた。そのまま社の前まできたとき。
「おーい、せんせー!」
 空の上から、声が降ってきた。少し高くてよく通る、力強い声だ。
 見上げると、高い木をさっきの人が下りてくる。手を振ろうと思ったがやめた。ペコっと小さく頭を下げた。相手が認めたかどうかは怪しい。
「こんちは、神先生」
 下でも声がかかった。男の人が笑顔で迎えてくれた。身長はマサキより少し低い、百七十くらいか、お腹周りがちょっと厚い。「たるんでいる」という感じではない、言うなれば少し丸みを帯びた「岩」のような硬さを感じさせる。
 ――神先生は、やめて欲しいな。
 近づきながら「こんにちは」と挨拶を返す。男の人の先、木の根元近くには他に頭に手ぬぐいを巻いた二人の若い男がいて、見上げている。
 一人は知ってる顔だ。ちらっとマサキを見て頭を下げてくれたので、マサキも返した。
 もう一人は、さらに若い、初めてみる顔だ。木から少し離れた場所に立つ男の人と並ぶと、マサキも他の三人と同じように顔を上げた。
 下りてくるときが一番危ない。
 スパイダーマンのようにするするという訳にはいかないが、危険性を十分に把握しながらも下の人間に危険を感じさせずに下りてくる様は流石だ。
 無事に下りきり、器具を外しながら二人の若者と少し言葉をかけ合うと、こちらに近づいてきた。
 いつものことだが、近くで並ぶとその小ささに驚く。百六十はあるまい。木の上にいるときは、もっと大きく見える。
 隣の男性と二言三言言葉を交わし、マサキと向き合う。
「お疲れ様です」
 向けられる笑顔に、マサキから声を出した。この人は、女性である。この人は、「空師」である。

 彼女は守谷純子(ジュンコ)という。年齢は、マサキよりも幾らか上、三十代前半。
 地上でマサキを迎えてくれた男性は、守谷学(サトル)と言い、二人は夫婦である。ちなみに、旦那さんは四十を過ぎている。
 もともと、旦那さんが木に登っていたのだが、落下事故をしていまい、それから代わって奥さんが登り始めた。
 旦那さんは、その事故で下半身に障害が残ってしまい、木に登ることは無理だった。
 どの顔も真っ黒に日焼けしている。
 時刻は午後三時。空師の人たちは三時休憩の時間だ。マサキも、輪の中に入って一緒にお茶とお菓子を馳走になった。
「ほら、あんた眼鏡外したほうが絶対もてるって。なんでコンタクトにしないのさ。合わないの?」
「いや、コンタクトはめんどくさそうで」
 眼鏡をかけながら答えた。
 今までの人生の中で、コンタクトに変えようかと迷ったことは一秒もない。いつでもかけたり外したりすることができる。選択こそが人生。
「先生、で、書き物のほうはどうなんだい?」
「ボチボチです。あの、『先生』はやめて欲しいんすけど」
「なに言ってるん! ダメだよ、そんなんじゃ! もっと堂々としなきゃ。ほんとに先生になれないよ」
 マサキは彼女のことを「ねぇさん」と呼ぶ。ほとんど口に出さないが、敬愛の念を込めて、そしてそれを隠すために。
 彼女に近づくと、暖かいと同時に、眩しくもある。
「そうそう。神くんは人がよすぎる。少し調子に乗せて上げねぇと。な、神先生!」
 ポンと肩を叩かれた。旦那さん、笑顔も声の調子も柔らかいが、表情にはある種の厳しさがある。
 マサキから遠い、マサキの苦手な世界を見てきた、そんな人の色だ。結果、この夫婦と話していると、若干緊張する。
「あの、先生なんすか?」
 遠慮気味に聞いてきたのは、マサキが初めて見る一番若い男だった。
 目が大きく、眉毛の細い、二十歳くらいに見える、まだ「男の子」と言いたくなるよう若者だ。
 まっすぐマサキを見つめてくるが、見つめられたほうは助けを求めるようにサトルの顔を見た。
「神先生だ。小説家目指して頑張ってる。将来有名になるから、タケルもよくしてもらっといたほうがいいぞ」
 タケルと呼ばれた若者が改めて「お願いします」とマサキに頭を下げた。
 マサキも「あ、お願いします」と返す。ちなみに、もう一人の若者は清水理(オサム)といい、二十四歳で守谷夫妻と一緒に三年くらい前から働いている。二人とも、髪の毛を染めていて見た目はイマドキのにぃちゃんだ。
「タケル、あんた勉強したいって言ってたじゃん。神先生に勉強教えてもらいな。中学生の家庭教師もしてるんだよね」
「ジン先生」というと、別に〝有名な〟先生がいるのでますます気恥ずかしい。
「いちおう、みてますけど」
「今度、ついででもいいからこの子も見てあげてよ。ね、タケル」
「お願いします」
「ついでに見る」という状況を考えると、むしろ腰は引けるが、ねぇさんの申し出をすっぱり断ることはできなかった。
「タケル、がんばんなよ! 先生、こいつが言うこと聞かなかったらすぐに言って」
 ということで、タケルと連絡先を交換した。「先生、あたしも」と、純子とも交換した。
 ちらっとサトルの目を確認した。「彼女のことは全部わかっている」というサトルの笑顔だった。恥ずかしさが顔から溢れそうだった。
 休憩が終わり、マサキも社を後にして、城山を下りた。マサキが部屋に戻るのを見ていたかのように、雨が落ちてきた。
 
 守谷夫妻に始めて会ったのは、今から五、六年前。サラリーマン時代は土日が休みなため、十月の体育の日の三輪町民運動会に毎年かり出されていた。
 その運動会で二人に会った。サトルはそのころ既に足を悪くしていて、競技に参加するのは純子のほうだった。
 地区のテントに現れた二人の感じのよさ、その雰囲気にマサキはすぐ惹かれた。勿論、その場でマサキから声をかけるなどということができるわけはなかった。
 運動会の後、慰労会で地区の集会場にいくと、そこに守谷夫妻もいた。お菓子やちょっとした料理が出て、酒もあった。長テーブルをぐるりと人が囲んでいた。
 守谷旦那さんは、マサキの間に一人挟んで右側にいた。
 多少酒が入ったからといって、すぐに打ち解けることもできず、コップのビールをちびちび飲みながら、何気なく会話を聞いていた。
「神くんは知らねぇだろうけど、『三輪の守谷』っつって有名だったんだ」
 言ってきたのは斉藤さんだ。毎年運動会で顔を合わせる人で、慰労会で酔っ払って女性連中にからむ姿は恒例になっている。
「俺もあいつの片腕だったんだぜ」と前置きして、斉藤さんはそのころのことを懐かしそうに話し始めた。
「もう何年前だろうな、俺らが十七、八のときだからな、サン爆(ばく)だったんだよ、俺ら、サン爆で、サトル君がリーダーでさぁ。『湘爆』知ってるかい?」
『湘南爆走族』、略して『湘爆』。伝説の暴走族漫画だ。
 年代的にはマサキよりも上の世代だが、小学生のマサキも友だちに教えられて読んだ。
 通っていた小学校が三輪(ミワ)第一小学校であり、友だちと三人で休み時間に三輪第一小爆走族、略して「ミワバクだ!」と言って、学校の中をぶんぶん言いながら爆走(早歩き)していた。
 なるほど「ミワバク」より「サンバク」のが言い易いか。三輪に〝爆〟が実在していたことに驚き、嬉しかった。
「サトルくんが江口洋介でさ、俺は、言ったら丸川角児だな」
 その頃、井伊市の周りにはミワ爆の他に二つの「族」があって、三つの族で井伊市の覇権を争っていた、という。
「三国時代、いや、三〝族〟時代か」
 なかなか面白い言い方をする。アルコールが手伝っているだろうが、これ以上アルコールに助けを求めると、きっと「飲まれる」ことになるだろう。バイクで、ときには拳で、自分たちの存在をかけて争っていた。他の二つが所帯をどんどん大きくしていく中で、サン爆はそうではなかったという。
「俺らは少数精鋭さ。多いときでも十、十五、二十人くらいか。他は三十とか五十とか。そいつらとやりあっても、全然負けなかったね、うん、負けなかった。俺らみんな兄弟みてぇなもんさ。三国志でいやぁ、蜀か、蜀。さしずめ、俺は趙雲だな」
 斉藤さんの口から「さしずめ」とは。酒に飲まれかけている斉藤さんの姿は、趙雲というより張飛、の部下を思わせる。
 一度、井伊市の街中で三族がかち合った。その場でやり合うわけにもいかず、少し東に流れた河川敷に移動した。周りをバイクで囲み、無数のヘッドライトに囲まれたその場所で、三族入り乱れての大合戦が始まった。誰が誰と闘っているのかわからないバトルロイヤル状態、次々に人が倒れて河川敷を埋めていく中、最後まで倒れずに勝ち名乗りを上げたのが「サトルくん」だった、という。
「伝説だったよ、伝説。最強サン爆!」
「おい、ヒロシ、おめぇさっきからなに言ってんだよ」
 ずっとこっちに背中を向けて話をしていた「サトルくん」が、斉藤さんにからみついた。
「サン爆のこと教えてたんだよ、サン爆最強伝説」
「変なことべぇ言ってんじゃねぇよ」
 サトルがペチンと斉藤さんの頭を叩いた。酔っているのか。
「こいつの言うこと信じなくていいから」
「あ、はい」
 斉藤さんの話したことがどれほど本当かはわからない。まるまる信じるつもりもないが、サトルが昔かなりヤンチャしていたということは疑いようがなかった。
 昔と比べて丸くなったであろう顔つきの中に、「やってきた」人の持つ厳しさ、恐さがあった。斉藤さんの話を聞くまでもなく、グラウンドで初めて見たときからわかっていた。
「こんにちは」
 突然、背後から女性の声がかかる。
「今日はどうもお疲れ様でした」
「あ、お疲れ様です」
 女性がぐっと体を近づけて斉藤さんとの間に入ってきた。
「なに飲んでるの? ビール? ビールでいいんでしょ?」
 言ってるうちにはビールは注がれていた。横顔を、思わずじっと見てしまう。
 ――この人も持っている。
 表情、声、雰囲気に、人の間の溝や垣根を軽々と飛び越える跳躍力がある。
 斉藤さんが、並んだ二人に「純ちゃん、今日は子どもどうしたん?」など聞いていた。なんとなく場がこなれたので、マサキは思い切って聞いてみた。
「守谷さんは、なになさってるんですか?」
 このとき、サトルの足のことは完全に忘れていた。
「空師って、知ってる?」
 言ったのは奥さんのほうだった。
 空師。
 その語感はマサキに衝撃的だった。そんな素敵な名前の職業があることなど、初めて知った。
 空師の仕事のこと、そしてサトルの足のこと、そのとき教えてくれた。
 この地区には、四月に引っ越してきたそうだ。斉藤さんという会話の重心がマサキから離れていくと、守谷夫婦もそれにつられて離れていった。
 マサキは、また一人でつまみをつつきながら、隣の人たちの会話を、加わるともなく聞いていた。

 火曜日の夜八時過ぎ、成美が既に勉強しているところに、タケルはやってきた。
 カバンなどは持たず、ノートと筆入れを手に持って入ってきた。
 成美の反応は心配だった。この話をしたときはかなり嫌な顔をした。もともと初対面の人間と気安く話をする子ではない。
 タケルが部屋に入ってきてマサキの右、成美と相向かいになる位置に座っても、空気は思ったほど硬くはならないようだった。一つ。
――匂いがすげぇな。
 思った瞬間、成美と眼が合った。彼女はすぐに顔を伏せた。
 マサキ自身は香水なんかつけない、部屋には芳香剤もないし、香、アロマテラピー的なものとは無縁。人がくる前にファブリーズをシュシュッとするくらいである。
「軽く自己紹介しておくか。じゃあ、タケルくん」
「滝野タケルっす。よろしくっす」
「よろしく。で、こっちが」
「藤沢です」
 ごまかして言ったわけではない。「藤沢成美」が本名である。
 藤沢さんは、タケルの顔を見ずに、俯いたままぺこっと小さく頭を動かした。自分から名乗ったというのは、ある意味前向きだ。
「タケルくんは、どうしようか? やはり数字が強いほうがいいのかな?」
「純子さんとサトルさんからは、まず日本語をちゃんと覚えろって言われてきました」
 ――流石だ。
 関心してしまうというのは二人に対して失礼かもしれない。
 空師というのは、決して一人ではできない。
 高い木に登り枝を落とし、あるいは幹を切り倒す。相手の言葉だけでなく、状況をちゃんと把握していなければ、仲間や自分の命を危険にさらすことになる。
 状況を理解し、的確に動く。「言語化」するというこが、理解の近道でもあるだろう。
 マサキも、まず国語の勉強から始めようと思っていた。空師は自然を相手にするために、なんとなく数字に強いほうがいいのかと思っていた。
 それにしてもなんにしても、日本語がまず基本である。
「じゃあ」
 とマサキはプリントを一枚、タケルの前に出した。
「文を一回読んで。その後、設問に答える、例のやつをやってもらうか」
 タケルが、小さく声を出しながら読み始めた。マサキは、あえて注意することをしなかった。
 成美を見ると、一瞬顔を上げたようだったが、マサキに対して何事かの視線を送ってはこなかった。
「メジャーでの、しろ、しろしま」
「じょうじまは」
「あ、じょうじま(城島)は」
 成美がちらっと見たのは、声が出ていることではなく、その内容だったかもしれない。プリントの素材は『最強捕手論』という本のコピーである。
 たどたどしい読み方だった。つっかえ、読み間違え。マサキがフォローしながら、およそ五分後、「読めました」とタケルが言った。
「よし、じゃあ、設問に答えてもらおう」
 A4プリントの上部に問題文、下部に設問が書いてある。
 問題文は本からの抜粋だが、設問部分はマサキが自分で作った。
 タケルがじっと問題文に目を落としている。シャーペンの頭の部分を頬に押し当て、口をとんがらせて、考えている。マサキが小さな声で問題文を読み上げた。
「第一問、城島はメジャーで活躍したかどうか、どうしてそう思ったかの理由は」
 タケルは、中学のときはサッカー部だった。「野球は?」と、読んでる横から聞いてみると「普通に好きッす」ということだ。
「できなかった」
 声で答えながら、プリントに記入。
「なんでできなかったか、理由を説明してください」
「えーっと」
 文章の中に答えのある質問もあれば、「そんな城島をどう思うか?」といった抽象的な質問、さらには「那須川天心をストリートで倒すにはどうする?」と、野球と全然関係ない質問まで。
「天心は最強っすよ。無理っす」
 マサキがとにかく言うのは「考えろ」ということ。答えがあってるか間違ってるかよりも、「なんでそう思うのか?」ということを答えさせた。
 そろそろ九時になろうというとき、ピリリリ、と鳴った。タケルの携帯だったが、タケルは普通に電話に出る。
「今、勉強中だよ、マジだって」
 と。質問に答えていたときよりも声が大きい。
 すぐに終わりにするかと思ったが、さにあらず。
 成美が勉強道具を片付け、マサキを一睨みして立ち上がった。
 ドアの手前で、掌を鼻の前でヒラヒラさせ、出ていった。タケルは見ていないだろう。
 階段を降りる足音がゆっくりで、マサキはなんとなく気まずい。電話は五分ほど続いた。
「あ、すんません。あれ、藤沢ちゃん、帰っちゃったんすか」
「タケルくん」
 タケルは、マサキの見たとおり二十歳だそうだ。やはり、ちょっとやりずらい。
「今日はこのへんで終わりにするか」
「あ、はい」
「次は、どうする?」
「またラインします。ありがとうございました」
 そう言って、ノートと筆入れを持ってさっさと部屋を横切った。出るところで「失礼します」と頭を下げたのは、失礼ながら意外に思った。
 ドアがパタンと閉まる。部屋の中には二十歳の男の子が残していった「残り香」がありありと漂っていた。
 ――また、「次」があるんだろうか……。
 携帯で話す声がここまで聞こえ、徐々に遠ざかる。
 ねぇさんの提案でもあり、これでもう終わり、ということはないかもしれないが、少なくともタケル本人は積極的ではないだろう、というのが率直な印象だった。
 ――やる気のない人間に勉強させる技術は、わたしにはない。
 今のマサキには。本人の意思こそ第一だ。そこんところを、純子に確認してもらったほうがいいかもしれない。
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