-vana- 第3話「落ちた穂」

文字数 2,801文字

――辺りはまだ暗い。
ゆるやかに目を開けると、いつものとおり、誰もが眠っていた。

ごろりと寝返りを打ち、天井を見上げる。
――起きて何かをすると、二人の眠りを妨げることになるかもしれないな…。

そう思い至り、そのまま目を閉じて、外からの音に耳を澄ました。
木々のざわめき、風の音。――それでも妙に静かなのは、ひょっとすると雪でも積もっているのかもしれない。

寒くはあれど、冬は嫌いではない。
何事もなく、静かなのは好いことだ。冬は、よりその静けさが際立つ。

獣のうちにも、長く眠るものもあるというのに。
己だけが眠らずにいるというのは、摂理に反したことなのだろうか?

――静かすぎるというのも、妙に落ち着かないな。
何故か鎮まらない己の心を持て余し、せめて静けさを愉しもうかと、諦めたように――けれども音もなく、溜息を零した。

退屈な朝は久しぶりだ。
少しずつ差し込み始めた暁の光に背を向け、何をするでもなくただ丸んだ。

辺りは仄暗い。
――己の翳に身を委ねつつ、草木のように眠れぬものだろうかと目を閉じて。

己の呼吸に耳を澄ます。
いつもこうであってくれたら、どんなに心がやすまることだろう。

そんな事をぼんやりと思いながら、ようやくすこし微睡んだ心地になる。
と、差し込んだ光を受けてか、隣で眠っていた誰かがのそりと起き上がる気配がし、微睡んでいた意識を其方に向けた。

――…。

その人物は無言のまま、眠る為に自らが使っていた布を、私の使っているそれへと重ねる。
ふわりと被せられたそれは、雪の冷たさを僅かに含んでいて。

ぞくり、と身を震わせた。

思いもしていなかった冷たさに身体が驚いたのだろうか。
げほ、と口をついて出た咳に、傍らの人物は慌てて私の背を撫でる。
「起こしてしもうたか。…堪忍な」
「…十六夜か。…何、すこし咽せてしまっただけだ。すぐに治まるよ」

「…、あんた、また起きとったんか。」
「…。また、とは?」

「わざとらし。…最近は殊更眠れてへんのやろ」
「……、知っていたのか。」

「顔に出とる。目ぇ閉じて、横んなっとき。それだけでもだいぶちゃうやろ」
「…、わかったよ。」

――いずれにせよ、少年のいる傍ら、目立つしごとは出来ぬしな。
そう考えつつ、またごろりと寝返りを打った。

壁に向かい、胸に手を当て、どうにか呼吸を整える。
――はやく治めなければ。

焦ると却ってよくないのだろうと、何となく察しは付いている。…けれど。
怯えているともとれる自らの振る舞いに、最早嫌気すら感じない。

その背に十六夜の視線を感じつつ、尚も壁を睨め付けた。
誰かが傍らに居るということにも慣れないままで。


――そうしていると、誰かがのそりと動く気配がした。

『…風邪、ですか?』
「…っ。」――その問いには、応えられなかった。

「…葵。起きたんか。どうや、具合は?」
まるで応えの代わりのように、十六夜が問いを投げかけた。

『だいぶん、よくなりました。…ありがとうございます』
「どういたしまして。腹はまだ減ってるか?」
『あ、はい。少し…』
「…。遠慮せんで、正直に言いや。」
そう苦笑すると、十六夜は朝餉の支度に立った。


私は、どうやら治まったらしい呼吸を吐き出し、眠ることを諦めて起き上がった。
「――葵くん、おはよう」

『おはようございます。』
まだどこかぼんやりとした様子で、葵は返事をした。

「…よく眠れたかな?」
『はい、お陰さまで』――葵はそう答えると、ふわあ、と欠伸をした。余程眠いらしい。

「まだ、眠っていても良いんだよ? 朝餉の支度が出来たら声を掛けようか。」
『ありがとうございます。…でも、大丈夫です。』

「そうかい。――今日は冷えるね」
葵の伸び伸びとした様子に口元を緩めながら、暖をとるものを拵える。

『はい。――おれ、何か手伝いましょうか』
「いや、いい。――客人は黙って持て成されていなさい。」
笑いを噛み殺しながらそう言うと、葵は素直に頷いた。
そんな様子に、ちらりと此方を見た十六夜は、――病人のお前が言うな。とでも言いたそうな目をしていた。

葵には、どうやら不可視のつもりで出しているものさえ視えていた様子だった。故に、迂闊に式も出せない。
じぶんで何かを支度するのはいつぶりだろうと思いつつ支度を終え、取り留めもない思考を断ち切った。

「――さて。これでじきに暖まろう。…それで、何故君はこの山で倒れていたのか、聞かせてもらえないかな?」
『…はい。』
葵は、問われるままに身の上を話し始めた。


おれは、この山を越えてすこし行った山の中にある、里から来ました。
おれの里では、少し前の長雨で、鉄砲水が起こって…、皆、里をたて直そうと力を尽くしていました。
けれど、長雨と鉄砲水で、里の田畠や備蓄までもがやられたようで…、女たちは里の外へはたらきに行き、男の多くは里に残ってはたらきました。

おれは…、悩みましたが、里に残っても大したちからになれませんし、せめて口減らしにと思って、里から出ることにしました。
――当然、じゅうぶんな食料を持たせてもらう訳にもいかず、この山に差し掛かったところで、腹を空かせて倒れてしまって…。


手短な話に、成程、と頷く。
――その里には今頃、さらなる飢饉が襲いかかっているだろうことを悼みながら。

彼は里を出て正解だったな。
「そうか…。それは、大変だったね。」
――むごい答えを口には出さず、ひとまずは労いの言葉をかけた。
…おそらく十六夜も、そう思い至って尚、黙っていたことだろう。

『はい。…あの、もしよかったら、あなたのところで働かせてください。』
帰る場所のない少年は、恐る恐る、その言葉を口にした。

「――生憎だが、わたしの手は足りていてね。この山を降りたところに村があるから、そこの長に話してくるといい。きっと、ちからになってくれるよ。」
『そうですか…。何から何まで、ありがとうございます』

「君のちからになれなくて、申し訳ない。」
『いえ。助けていただいただけで、じゅうぶんです。』

「――ごはん、出来たで」
「そうか。…運ぶよ。」――式神が出せぬぶん、手が足りぬだろうと声をかけたが。
「ええから、座っとき。…あんたはいっつも、うちのしごとをとるんやから」
「おっと、それは済まなかった。」――病人は大人しくしていろ、とでも言いたげに、さっさと済まされてしまった。

――そんな私達の様子を、葵は懐かしむように、或いは嬉しそうに見つめていた。
あたたかい部屋のうちで、賑やかに膳を囲むこと。――里を出て、二度と出来ないだろうと思っていたそれが目の前にあることを、密かに喜んでいたのだろうと、私はその心情を偲んだ。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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