第9話

文字数 4,374文字

 美佐と有希はグリーンクロッチに戻り、再び張り込んでみた。すると今度は紺色のスーツの男性が現れた。髪は七三に分け、ポマードでしっかりと固めている。一見まじめなサラリーマン風だが、こういうヤツの方が却って怪しいと、テレビのバラエティ番組で見たことがあった。
 こっそりと後をつけ、やがて紺色スーツは携帯を取り出すと、何かを話し始めた。美佐は盗聴リングをはめると、会話を盗み聞きする。
「……今から獲物を探します。任せてください。今度はしくじりません」
『わかってるだろうな? 今度逃がしたら、ただじゃおかねえからな! 今日中に少なくとも二人は連れてこい! さもないと……」
「かしこまりました社長。飛び切りの娘を連れてきますので……」
 どうやらこいつが人身売買のスカウトマンに間違いないようだ。
 美佐は有希に合図を送り、カチューシャを頭にのせると、男の後ろまで歩き、豪快に転んで見せた。
「いった~い!」
 そこへ有希が駆け寄る。
「大丈夫? みさ……き。怪我はない?」
「ちょっと擦りむいただけだから平気よ、ゆきえ」
 すると背後にいた男から声がかかった。
「お嬢さん、もしよかったら近くに仕事場があるんだ。もし良かったら、そこで手当てしてあげようか?」
 ――かかった。案外ちょろいものね。でも、ここで素直について行ってはダメよ。わたしたちはあくまでも、通りすがりなのだから。
「……それには及びません。急いでいますので失礼します」
 敢えてつれないそぶりを見せることで、相手の気を引く。恋愛テクニックと同じである。美佐はまだ経験がないけれど、ファッション雑誌を読み込んでいるだけあって、その手の知識だけはあった。
「待って! もしかしてキミたちは、もうどこかの事務所に入っている?」
「事務所? 何のことです?」有希も予定通りの台詞を吐いた。
「いや、ふたりとも、あまりにも可愛いものだから、てっきりモデルをやっているんじゃないかって」
 これほどテンプレート通りの台詞が聞けるとは思わなかった。
「そんなぁ。全然かわいくないですよ」美佐は品を作る。
「そうそう。私たちは昨日田舎から出てきたばかりで、モデルなんてとんでもないですぅ」
 すると男はここぞとばかりに名刺を取り出した。
「実はわたくし、メスカープロダクションという芸能事務所の社員でして、少し時間をもらえないかな? 五分でいいから」
 すると男はアイドルに興味はないかと訊いてきた。二人は拒んでみせたが、それでもまんざらではない仕草を見せる。
 とりあえず話だけでもと口説かれ、二人は仕方がなくという演技をしながら、男の後についていった。
 案の定、グリーンクロッチのビルに入ると、エレベーターで三階に昇る。次第に不安が募っていくが、有希は意外と平気そうで、のんきに鼻歌を歌っていた。
「ブレスレッドを買っておいて良かったわ」男に聞こえないよう、美佐は独り言のごとくつぶやく。
「そうね。もし、危ない目にあいそうになった時はすぐに変身できるのはありがたいわ。この暑さでは、下に着込むわけにもいかないしね」
 思わずブレスレッドをさすり、美佐は男の背中を見つめながら、扉が開くのを、今か今かと待ちわびた。

 三階に着くと、通路を進む。通路沿いにはところどころ段ボールが詰まれ、ごみが散乱している。お世辞にもまともな芸能事務所があるとは思えない。
 やがて突き当りとなり、右手にドアがあった。すりガラスのドア枠にはメスカープロダクションとあった。
 部屋に入るなり応接室に通され、ソファーに座るように促された。室内は思いのほか清潔感にあふれ、怪しさは微塵も感じられない。途中、社員と思われる男性たちが十人ほどデスクに向かい、電話を掛けたり、パソコンの前に座りながらキーボードを叩いていた。
 しばらく待っていると、今度は恰幅の良い男性が現れた。頭は禿げあがっていたが、ブランド物のスーツと時計を身に着けている。出された名刺によると、名前は橋本で代表取締役社長の肩書だった。こいつがが元締めに違いない。
 橋本は両手の指を絡めながら、屈託のない笑顔を見せる。
「お名前を伺ってもよろしいですかな?」橋本は柔らかな口調で尋ねてきた。
「みさきです」美佐は即答した。
「ゆきえと言います」有希もそれに続く。
 まだ言い慣れないが、ここでしくじるようでは先が思いやられる。
「ふたりとも本当にかわいいね。十年……いや百年に一度の逸材だよ」
 定番すぎるお世辞に、美佐は吹き出しそうになったが、それでもグッと気持ちを抑える。
「ありがとうございます。そんなこと言われたのは初めてなので、正直言って戸惑っています」
「年はいくつ?」
 事前に打ち合わせした通り、ふたりとも「十九歳です」と答えた。かなり無理のある設定だが、怪しんでいる様子はない。
 しばらくの間、家庭環境などの話となり、共に一人っ子で大学生であることや、昨日、長野から一緒に出てきたばかりだということを伝える。入念に練習していただけに、滞りなくこなすことができた。
 そこでグラスに注がれたオレンジジュースが出された。喉が渇いていたのでちょうどいい。
 二人は話を聞きながら、ジュースに口をつける。冷たくておいしいが、味に違和感を憶えた。
 次第にまぶたが重くなると、強烈な眠気に襲われ、美佐と有希はそのままソファーに倒れ込んでしまった……。

 気が付くと、見知らぬ部屋に寝かされていた。
 脳内がゆらゆらと揺らめき、意識がはっきりしない。起き上がろうとしたが、後ろ手をロープのようなもので縛られていて身動きが取れない。ほどこうとすればするほど、縄が手首に食い込み、痛みが増すばかりだった。ジャスティスレディに変身しようとしたが、ロープのせいでブレスレッドまでは指が届かない。
 言い知れない恐怖が美佐を襲う。まさかこんな事態になることまでは想定しておらず、このまま外国に売られてしまうのではないかと不安が胸を割いた。
 だが、まだ諦めるわけにはいかない。ヒロインにピンチはつきもの。これくらいのことで絶望していたのでは、ジャスティスレディの名が廃る。とはいっても、まだ汚名ばかりが先行していたが。
 冷静になってまわりの様子をうかがう。辺りはとても薄暗く、照明どころか壁には窓すら無かった。唯一の明かりと言えば、天井の隅にある小さな天窓くらいである。
 明らかにグリーンクロッチとは別の場所で、おそらく倉庫のような建物に違いなかった。
 きっとあのジュースには睡眠薬が混入されていて、眠らされた間に運ばれたのだ。
 躰をひねると隣には有希の姿もあった。まぶたを閉じていて、寝息がはっきり聞こえる。
 そこで美佐は、まだ眠りから覚めない有希に声をかけた。
「有希! 起きて! 寝ている場合じゃないわ!!」
 すると彼女は目を覚まし、驚きの声を上げた。
 だが、すぐに状況を理解したようで、ごろりと背中を見せる。
「これならブレスレッドに手が届きそうだわ」美佐は興奮のあまり、ふん! と鼻を鳴らす。
 互いに背中合わせとなり、躰を摺り寄せると、それぞれブレスレッドのスイッチを押した。
 一瞬にしてジャスティスレディに変身すると、二人はロープを引きちぎった。
 床から起き上がりマスクを装着すると、ジャスティスレディ一号二号の完成だ。有希のアイマスクは美佐と同じ物の色違いをネット購入していた。いつの間にか有希のカチューシャが無くなっていたが、ここに運ばれる途中で落ちたのだと推測した。
 美佐は自分のカチューシャがそのままであることを確認し、胸をなでおろした。
 手分けをして部屋を捜索すると、奥の扉のから女性のすすり泣く声が聞こえてくる。まさかと思いドアを開けると、六畳ほどの小部屋の中に、五人のうら若き女性たちが、下着姿で縛られていた。彼女たちこそが、さっきの連中に騙され、拉致された女性たちに違いない。
 彼女たちは二人を見るなり、戸惑いの色を浮かべる。
 分からないでもない。こんな状況下で、コスプレをした場違いな輩が、突然二人も現れたのだから。
 そこを踏まえたうえで、美佐は諭すように言った。
「安心して。決して怪しいものじゃないわ。あなたたちを助けに来たの。私たちが来たからには、もう大丈夫よ」
 ジャスティスレディ一号二号は、拘束された女性たちのロープを次々にほどいて回った。
 思った通りアイドルになれると騙されていたらしく、彼女たちは、皆、自分の軽率な行動に後悔しているようだった。
 全員を解放し終えたところで、脱出するべくドアに向かう。
 先ほど美佐たちが縛られた空間に戻ると、突然別のドアが開き、橋本が入ってきた。続いて男たちがぞろぞろと姿を現す。よく見ると、先ほどの事務所にいた連中であり、みな、鉄パイプを握りしめている。
「誰だ貴様らは!? ここはヒロインごっこをする場所じゃねえぞ。大人しくしないと痛い目にあうぞ。さもなくば女だからって容赦はしねえからな!」
 そこで二人は、この日のために三日かけて練習してきたポーズを決めると、大声で名乗りを上げた。
「この世に悪がはびこる限り、正義の乙女は黙っていない。正義のヒロイン、ジャスティスレディ一号二号、参上!!」
 よし、バッチリ決まった。美佐は余韻に浸る。
 すると男どもは鉄パイプを振り上げながら、二人に襲い掛かってきた。
 レディたちはそれをものともせずに、次々と殴り倒していく。とはいっても活躍しているのは、もっぱら二号の方で、強烈なパンチを繰り出しながら敵を翻弄していく。彼女を選んで正解だったと感じながら、一号の美佐は二号のサポート役に徹した。
 あっという間に残り数人となったところで、橋本の声が響き渡る。
「そこまでだ! これ以上手を出すと、こいつの命は無い!」
 ボスは捉えられていた女性のひとりを捕まえ、後ろから羽交い絞めにすると、ナイフを喉元に当てる。
「……くっ! 卑怯よ! それでも男なの!?」一号は動きを止め、唾を飛ばす。二号も振り上げたこぶしを、ゆっくりと降ろした。
 橋本はにやりと口元を歪めながら余裕の構えを見せる。
「何とでも言え! この女を見殺しにするのか? 正義のヒロインが聞いて呆れるな」
 二人は肩を落とし、降参とばかりに両手を上げた。
 残りの男たちが詰め寄ると、抵抗できない二人は両手を鎖で縛られ、天井から吊り下げられた。
 美佐は必死にもがいたが、ジャスティススーツの力をもってしても、鉄の鎖はびくともしない。有希に望みを託したが、筋肉自慢の彼女でさえ、抜け出すことは叶わないようだった。
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