第4話 田嶋

文字数 2,065文字

 ドームにつながるトンネルのゲートを三つ過ぎた。
「第五ゲートの先がドームです」
 事務官が簡潔に説明する。小川の動悸は少しずつ早くなってきている。知らず知らずのうちに胸のあたりを押さえた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し気がはやって……その……楽しみで」
 事務官は小川を見据えた。
「今まで何人かここへお送りしましたが、小川博士のように楽しみと言う方は初めてです」
 小川は自分の能天気さを指摘されたように感じ、照れ笑いをした。
「やり残してきたことはないのですか?」
「ここに来るまで、猶予が五年間ありましたから。やれることはしてきたつもりですよ」
 家族と一緒に大切な祖母を見送ることができた。
 幼い妹の将来のために特許を二つ取り、精子バンクに精子を売ってきた。
 ただ、両親が不審がらないていどにしか孝行できなかったのが残念だが。
「特定のパートナーもいなかったですし…さいごに友人にも会えたので、満足です」
 小川は脇に置いた小さなスケッチブックに手を置いた。


 田嶋は見送りに来てくれた。“事故に遭う出張先”のホテル、政府が迎えによこした車が待つ地下駐車場まで。
 いつものように、お役人然としたスーツ姿にくわえ煙草。
「餞別だ」
 そういうと、いちど没収したスケッチブックを差し出した。
「これ、田嶋たちのヤラセだろう? それっぽく作った」
 小川は苦笑して、やんわり押し返した。
「その名前に見覚えがないか?」
 表紙に書かれた名前は姓こそ違うが、名はだいぶ前に亡くなった世界的に有名なクリエイターと同一だ。
「まさか」
 小川の言葉に田嶋がニヤリと笑って見せた。
「……九条博士の遺物は心に灯をともす、らしい」
 田嶋はもう一度言った。餞別だから持っていけと。
 渡されたスケッチブックを呆然と見つめる小川に田嶋の声が届いた。
「『ぼくのゆめはロボットはかせになることです』」
 弾かれたように小川は顔をあげた。
「子どもが気まぐれで書い作文なんか気にしなくていいと俺は思った。でも仕事だからな。時どきおまえを見に行ったよ。初等科のとき膝を擦りむいて、ばあちゃんにおぶわれて学校から帰って来たよな。高等科のときには駅伝の選手に選ばれずに校庭の鉄棒のとこで悔し泣きしていた。無自覚にやたらと誰にも優しくて、そのくせ女子からの好意に気づかず、理工関連の資料ばかり読みあさって、いつまでもロボットに夢中……結局、おまえは大人になっても変わらなかった」
「な、なにを言ってるんだ、田嶋……」
 それは確かに小川の身の上にあったことだ。しかし、田嶋がリアルタイムで知るわけがない。
 小川と同い年の……。
 薄暗い駐車場で、あらためて田嶋を見つめる。大学生の頃からさほど変化が感じられない容貌の男だ。
 髪型や服装で四十代に見せているだけかも知れない。
「はやくおまえが大学生になればいいと思っていた。自然に出会って友だちになりたいと俺は待っていたんだ」
「田嶋……おまえは」
 田嶋はほほえむと、くわえていた火のついた煙草をやにわに左手で握りつぶし小川に突きだした。
「田嶋!!
 煙に混じって、かすかに肉の焦げる匂いがした。田嶋は拳を開いた。手のひらと指が火傷していた。数ヶ所の火脹れができ、皮がめくれている。その傷を見て小川は我がことのように痛みを感じた。
「俺には痛覚がない」
 田嶋はめくれた皮膚をためらわずに引き剥がした。
「う……」
 顔をしかめてうめいたのは小川のほうだった。
 傷が広がり、流れた血がワイシャツのカフスを赤く染めた。
「味覚も鈍い。この五年間、何度も飯を食ったな……味はよく分からなかった。でも小川と食事をするのは楽しかった」
 田嶋はポケットから取り出したハンカチで無造作に傷を包む。
「俺は半分機械になった身体と抗エイジングで長く生きている」
 あまりのことに小川は立ちつくした。
「小川、お前が今から行く先は俺みたいな奴ばかりだ。だから、見た目にとらわれるな、安易に気を許すな」
 真剣なまなざしで小川を見上げた。
「田嶋……」
「夢を叶えろ、ドームにはお前が探し求めた答えがあるから」
「もう会えないのか」
 田嶋は片頬をゆがめるようにして笑った。
「そういう場所だって何回も説明したろう」
 駐車場に並び立つ二人に事務官が声をかけた。
「そろそろお時間ですので」
 田嶋は事務官のほうを見て目で返事を返した。
「だとさ、小川」
 小川はとっさに田嶋の手を握った。
「……なんて言えばいいんだ…ありがとう、か?さよなら、か?」
 体の半分機械だと言った田嶋の手は温かかった。涙を小川はこらえていた。
「またな、にしとこう。達者で暮らせ」
 たとえ二度と会えなくても…。
 時代がかった田嶋のせりふに思わず吹き出すと、涙がこぼれた。
「でかいなりして泣くなよ」
 いつものように鼻先で笑うと田嶋は小川の手を握り返し、それから背中を押した。
 小川が後部座席におさまると、ドアはロックされ黒塗りの車はゆっくりと走り出した。
 ほの暗い駐車場に一人残った田嶋が手を振る。小さくなるその姿を小川は生涯忘れまいと思った。
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