マリアの見た迫害

文字数 13,753文字

教会から戻ったらリリは早退したのか見当たらなかった。
メールをしても返ってこない。
なので、放課後になって美羽と二人で帰りにカフェでも行ってみようということになった。
川向うと違ってこっち側はまだ以前のように飲食店も通常営業している。
「ねえ。休み時間どこ行ってたの?」
「えっ?」
校庭を歩いていると美羽が聞いてきた。
「ちょっと教会に行ってたの」
「ああ!マリアってあそこ好きっ言ってたもんね!」
「ちょっと気分転換にね。あそこ綺麗じゃない」
「だよね。こんな世の中じゃ気分転換もしたくなるよ」
美羽が笑って言った。
学校の雰囲気は変わったけど美羽は変わってない。
校門を出たところで見覚えのある後ろ姿が目に入った。
藤代さんだ……
藤代さんの周りに三人の同級生らしき女の子が駈寄った。
そして藤代さんを連れて橋を渡っていった。
今、川向うはかなり治安が悪い。
そんなとこにこっち側にいる子が何をしに行くんだろう?
美羽と歩いていてどうにも気になった。
「ごめん!美羽!私、用事思い出しちゃった!」
「えっ?」
「この埋め合わせは明日するからほんとにゴメンね!」
両手を合わせて美羽に謝ると急いで藤代さんの後を追った。


四人は橋を渡りきったところにある閉鎖中の工場のようなところに入っていった。
なにをしているんだろう…?
「さっさと謝りなよ」
「早く!」
「土下座だよ!土下座!」
女の子の声が聞こえる。
そっと倉庫の扉を開ける。

ガランとした倉庫の中。
埃っぽい臭いが鼻に着く中、小さな窓から入る光をたよりに目を凝らす。
制服を着た女子が三人。
さっき藤代さんを連れてきた子達だ。
それに私服姿の男子も三人いた。
そして真っ白いものが目に入った。
藤代さんだ。藤代さんが一糸まとわぬ姿で地面に四つん這いになっていた。
私は自分の目に飛び込んで来たものが理解できなかった。
私に気が付いていないのかわからないが女子三人が口々に叫んだ。
「手をついて謝れよ!」
「生きててすみませんって!」
藤代さんは地面に手をついているが頭を下げようとはしない。
「土下座ムービー世界中に配信するんだからさっさと謝罪しろよ!」
「だったらマワす?」
三人の中の一人が笑いながら言った。
「土下座ムービーとマワしてるムービーどっちがいい?世界中に配信するの」
一人が言うと男子も女子も大笑いした。
「もういいよ。両立させよう」
「そうそう!やりながらみんなに謝ればいいじゃん」
女子が言うと男子は歓声を上げた。
一人が膝まづいている藤代さんの背後から髪を引っ張った。
「きゃぁ――!!」
藤代さんが叫んだ。
私も同時に叫んだ。
「やめてッ!!!」
奥にいた全員がこっちを見る。
「藤代さん!」
私は藤代さんの横にいる女子の一人を突き飛ばして彼女を抱きしめた。
「どうしてこんな酷いことをするの!?」
私はその場にいる全員に向かって叫んだ。
するとクスクスと笑い声が耳に入った。
「あなた達、中等部の生徒よね!?」
「だったらなんなんです?」
「はい?」
なんだ?この開き直った態度!?
「私達はこの子に謝罪のチャンスを上げてるんです」
「謝罪?」
私が聞き返すとリーダー格らしい女子が言った。
「あの黒い雨… あれはこの子が降らせてるんです」
すると他の子も言う。
「そうそう。この子人間じゃないから」
「化け物よ。こいつも親も!だから――」
藤代さんは一言も発しない。
私の腕の中でただ黙っているだけだ。
でも私は黙っていられなかった。
「この子の親御さんのことは噂でしょう!?」
瑞希に聞いた話しが頭に浮かんだ。
「この子のお母さん、風俗で働いてるんです。身体売ってるんですよ。その金で私たちと同じ学校に通ってるんですよ!?ありえなくないですか?」
「ほんと!いやらし~」
「不潔だよね♪」
横の2人もわざと顔をしかめて言う。
「だから学校に来るなって前から言ってるんです」
「そうしたら逆恨みで黒い雨を降らせたんですよ」
無茶苦茶だ。
要するにこの子達は藤代さんが気に入らないだけなんだ。
だけどここまで言われている藤代さんは――
こんないも酷い目にあっている彼女は――
その表情は無感情だった。
その目には悔しさも悲しさも感じられない……
「この子も身体売って小遣い稼いでるんじゃないの?」
「マジ!?どこで?」
「河原のボロ小屋で川向うの乞食相手に!しかも一回千円とかじゃん?」
「ウヒャ~!ありえない~!!」
「マジ人間様としてどうよって感じ!?」
「キャハハハッハ!!」
そしてその場にいる私と藤代さんを除いた全員の笑い声が響いた。
藤代さんの体が小刻みに震えている。
「おいおい。俺らも川向うじゃねえか」
すると女の子が「あんたらは違うよ。この化け物に制裁を加えてやるんだから」と、せせら笑うように言った。
「でも何度もやってるもんな」
「しかも避妊してね―し」
耳を疑った。
そんなことを今まで繰り返してきたのか?
しかしその次の言葉はもっど残酷で酷いものだった。
「大丈夫でしょ。こんな奴から産まれてくるのは犬か猫だし」
「言えてる!」
「人間じゃないし」
女の子が言うと男子が応えた。
「じゃあ腹パンの必要もねえか?」
「またやるべ」
「キャハハハハハッ!!」
「ハハハハハッ!」
私と藤代さんを除いた全員の笑い声が響いた。
藤代さんの体が小刻みに震えている。
酷過ぎる――!!
私は立ち上がるとリーダー格らしい女の子の前にいくと思い切り頬を叩いた。
全員が黙った。
どうにも手が止まらなかった…
それくらい嫌な顔と笑い声だった。
「いいかげんにしなよ!!人として言っていいことと悪いことがあるでしょう!!」
睨む私を叩かれた真ん中の子がキッと睨み返した。
「先輩面して… この子は学校からも、川向うの連中からも嫌われてるんだから!」
「まだ言うか!?」
私がサッと手を上げると3人ビクッと身体を震わせた。
怒りがこみ上げた。
これが人間が人間に対する仕打ちだろうか?
怒りと一緒に自分の中でなにか、言いようのないものが大きくなるのを感じた。
全員を睨みつける。
身体が熱くなる。
こいつらは許せない――!!
「い、行きましょう!バッカみたい」
「いいのかよ?」
「この人は高原教授の娘だし、あの真壁郷のお気に入りだし」
「マジ…?」
郷の名前がでると六人ゆっくりと後退りすると私に向かって口々に叫んだ。
「この子にかかわるとろくなことにならないからね!」
「覚えてろ!」
「ちくしょう!!」
三人の女子は名門の学生に似つかわしくない捨て台詞をはいて倉庫から駆けっていった。
「ふん!おとといきやがれっていうの」
私の台詞も名門の女子とは程遠いな……ハハッ……

とりあえず危険は去ったので藤代さんの方を見て微笑んだ。
「もう大丈夫!さっ、服着よう」
「は、はい」
地面に落ちている藤代さんの服を拾うと手渡した。
「高原先輩」
「なあに?」
服を着ながら藤城さんが私に話しかけてきた。
「ご迷惑をおかけしました」
「な、何言ってんの!?私は全然迷惑じゃないから!」
「でも厄介な人達ですから」
藤城さんは自分をいじめていた子の親が代議士で、この街ではかなり権力を持っていること。
そのおかげで学校でも先生すら彼女には遠慮するらしいことを話した。
「すみません。お待たせしました」
制服を着た藤城さんが小さな声で言った。
私は彼女を家まで送っていくことにした。
道行くがてら会話する。
「あの黒い雨が私のせいだとあの子達は思ってます」
「そんなことあるわけないじゃない」
「みんなこの世が終わるとか思ってるんです。だからとにかく怖いのを紛らわすために弱い者を叩くんです。それに――」
「それに?」
「あの子達は私や母が身体を売ってお金を稼いでいると思ってます。おまけに私も私の両親も化物だと思ってますから。だから男子にお金まで渡して私にけしかけるんです」
差別だ。
絶対に許しちゃいけないと思った。
「ねえ。藤城さん・・・ 余計なお世話かもしれないんだけどいいかな?」
「はい」
「やっぱ諦めちゃダメだよ!あいつらが大勢いたって諦めたらダメ!闘わなくっちゃ!」
藤城さんは顔を緩めて私に答えた。
「ムキになるだけです。ますます制御不能になります。私が反抗しなければ・・・ 今よりは酷くならないでしょう」
私は首を振った。
「違う。ほんとうはあなたそんなこと思っていない」
「えっ」
「だって、さっきあなた認めなかったでしょう?手はついていたけど自分が黒い雨を降らせてるって認めなかった!だから謝らなかった」
藤城さんは唇をまっすぐむすんで目を伏せた。
「私も力になるから!」
藤城さんの手を取って言った。
藤城さんは驚いたように目を大きくして私を見た。
一瞬、握っていた藤城さんの手に力が入るのを感じた。
でもすぐにそれはなくなって、藤城さんはうつむきながら頭を振った。
「やっぱりダメです。これは私の問題だし両親にも言われてますから」
「私と関わるなって?」
藤城さんは黙ってうなすいた。
「それってどういうこと?どうして関わったらいけないの?」
藤城さんは答えない。
私はそれ以上は追及しなかった。
しばらく無言で河原沿いを歩いていると藤城さんがピタッと止まった。
「どうしたの?」
「あそこが私の家ですから。もう大丈夫です」
藤城さんが指した河原には古い木造の平屋がいくつか密集していた。
「送っていただいてありがとうございました」
藤城さんは深くお辞儀した。
「ううん。いいの」
「高原先輩」
「ん?」
藤城さんは私の顔を真正面から見て、間を置くと表情を和らげて言った。
「私、身体なんか売ってません。もちろんお母さんも。お酒を飲むお店で働いてるだけです。お父さんは工事現場で働いてます」
「うん」
それを聞いて私は笑顔で頷いた。
「今日はありがとうございました」
もう一度深く頭を下げると藤城さんは私に笑顔を見せた。
そして背を向けて家の方へ歩いて行った。


家に帰ると門の前で神尾先生と近所の人が話していた。
神尾先生の表情に厳しさを感じた。
普段はこんな顔を見せる人じゃない。
なにか真剣なことを話している様子。
私が挨拶すると近所の人は笑顔で返してくれた。

夕方になりパパが帰ってきていたので久しぶりに家族が揃った夕食になった。
「ねえ先生、さっきのなんの話ししてたの?」
あのときの真剣な表情が気になったから。
「ああ、あれね」
神尾先生は食事の手を休めた。
「こっちの街にも川向こうから暴徒が押しかけてきてるんですって。先週なんて五丁目にあるスーパーや四丁目の沢井さんのお宅が被害にあったそうよ」
「マジかよッ!?」
詩乃が大きな声を出した。
その名前は聞き覚えがある。
私達のクラスメートだ。
先週から学校を休んでると思ってたら……
「それって警察とか来なかったの?」
瑞希が聞くと神尾先生が答えた。
「警察が来た時にはみんな逃げていなかったみたい。もっとも最近じゃあ犯罪が多すぎて通報してもすぐには来れないみたいなの」
以前まではこんな世の中じゃなかったのに……
「それで治安を守るために自警団を作ろうってご近所さんどうしで話してるんですって」
「なんで?警察に任せようよ」
瑞希が不満そうに言う。
「噂じゃあ被害があって警察を呼ぶと、その警察が残りの金品を持ち去って強盗するって言ってたから信用できないって」
「おいおい!それって酷すぎだろう」
詩乃が言う。
パパは黙って聞いていた。
「まあいいや。俺は賛成だね。っていうか参加するよ。向こうのクズ共に好き勝手させてたまるかよ」
「私は反対よ。なにがあるかわからないし危険だもの」
私が言うと詩乃が反論した。
「俺達のクラスメートだって被害に遭ってるんだぜ?こういうときは力を合わせて戦わないと。それにああいう民度の低い連中はきっちり教えてやらねーと。害虫駆除のいい機会だろ」
「詩乃。言葉が過ぎるわ」
詩乃に注意してから神尾先生はパパに聞いた。
「どうしましょう?この辺りの人たちはみんな賛成みたいですけど」
パパはフォークとナイフを置くと静かに言った。
「私は反対だ。警察の強盗の件にしても噂に過ぎない。それよりも家族をむざむざ危険な目に合わせたくない。おまえたちは気にしないで普段通り学校に通って生活しなさい」
パパの言葉に詩乃は不服そうだった。
「でもこういうときって参加しないと裏切ったとか言われてハブられない?変に目をつけられたりして」
瑞希が不安そうに言う。
「私もそれが心配です」
神尾先生がパパに言った。
「わかったよ。少し考えさせてくれ。先方には二三日中に返事をすると伝えてくれないか?」
「わかりました」
重い雰囲気の食事になった。
「こういう時だからこそ仲良くするとかできないのかなぁ…」
「無理無理。だって向こうから攻めて来るんだから」
私の言葉に詩乃が手を振って返した。
「でも…」
「それは私達の自業自得だ」
パパが私達の顔を見て言う。
「私達…… この街の人間は自分達が富を持っている、裕福だと自覚して彼等、むこうの街の人間を見下し、蔑み、侮蔑してきた。その理由は彼等が自分たちよりも貧困であるという傲慢な理由でしかない。彼らに怒りを向けられるのも自業自得なんだよ」
「だからって連中の好きにさせてたらダメでしょ」
詩乃が反論する。
「いいかい詩乃。マリアも瑞希も聞いて欲しい」
パパが改まって言う。
「本来、産まれや環境で違いはあっても人間の持つ権利は平等なんだ。互いに尊重して権利を認めなければいけない。だが、この二つの街の人は差別もいがみ合いも当然のことだと思っている。
誰もそのことに疑問を感じないように隣人と手を取り合うことも忘れている。憎しみや怒りしか互いに向けようとしない」
私も詩乃も瑞希も黙ってパパの言葉を聞いていた。
パパは初めて話していて眉間に皺を作った。
「それは世界のどこに行っても変わらないのかもしれない」
パパの一言は重く、私達は両肩に重しを乗せられたような気がした。

夕食をすませてテレビ点けるとニュースが流れた。
キャスターの後ろには大きな地図がある。
『本日、各地で大規模な暴動が起こりました。今週に入って暴動が起こった地域は次のとおりです』
キャスターが読み上げるのと同時に地図の上の地区が赤く点滅する。
全国でこれだけの暴動が起きているのに改めて驚いた。
『この事態を考慮して政府は無期限の厳戒令と共に主要な都市を軍隊と警察によって警戒する旨を発表しました。
また治安維持を担当する軍隊、並びに警察官に無期限の発砲許可を発令しました。これにより治安の急速な回復を図る次第です』
「嘘だろ?まるで戦争中みたいじゃん?」
詩乃が驚いた。
「ついこの前まで普通に楽しい毎日だったのにどうしてこんななっちゃったんだろう…」
瑞希が顔を曇らせた。
「大丈夫よ。治安が回復すればいつもの日常に戻るわ」
そんな瑞希を励ますように神尾先生が言う。
『続いてのニュースです。本日、山間部の井戸水から高濃度の汚染が確認されました。全国で調査を実施しますので、新しい情報が出るまで生水は口にしないでください』
「長い時間のあいだに地中に蓄積されていた汚染物質が地下水に影響を与えた可能性は十分考えられる」
落ち着いた声で言うパパをみんなが振り返ってみる。
「これからどうなるの…?」
私が聞くとパパは間を置いて一言。
「もう手遅れかもしれない」
その一言はその場にいる全員を凍りつかせた。
手遅れ……
ニュースでは天気予報に続いて明日の黒い雨が降る地域の予報、毒性スモッグの発生時間と地域を発表していた。


次の日になり私は学校で純に藤城さんの件を相談しようと思っていた。
純なら理事長だしなにか打開策を打ち出してくれるかもしれない。
「おはようマリア」
「おはようリリ、美羽」
その日は私は時間ギリギリの登校だった。
純の机を見る。
まだ来ている様子はない。
「あれ?純はまだ来てないの?」
「うん」
美羽がうなずく。
その後、ホームルームで先生から純はしばらく休むということを聞かされた。
「あーあ……寂しくなったわね」
昼休みにガランとした食堂を見て美羽が言う。
「メニューもおそばとうどんしかなくなっちゃったしね」
リリが冗談めかして言った。
「聞いた?ミネラルウォーターのペットボトルが爆発的に売れてるんだって」
「昨日のニュースのせいよね」
美羽に私が言う。
「水もダメ。空気もダメ。もう詰じゃない?」
リリがサラッと言う。
「不吉なこと言わないでよ~大丈夫だって」
美羽がリリに言った。
「きっともとのようになるよ。人間って頭良いもん」
「そうね」
美羽の言葉にリリがうなずいた。
「ねっ?マリア」
「そうだよね!世の中大変なことばかりじゃないって」
明るく言ったが昨日のパパの言葉が頭から離れない。
“もう手遅れかもしれない”


あれから四日経った。
純はまだ休んでいる。
藤代さんのことを相談しようと思った私の思惑は完全に外れてしまった。
恐ろしい事件はその日、昼休みが終わるころに起こった。
「お姉ちゃん!詩乃!大変!!」
いきなり瑞希が私たちの教室に来た。
その顔は真っ青になっている。
「どうしたの!?」
「なんだよ?高等部の校舎まで来てどうしたんだよ?」
肩で息をする瑞希に私と詩乃が尋ねた。
「ふ、藤代さんが!!いきなり街の人が学校に乗り込んできて、た、助けないと!ころ、殺される!!」
激しく動揺する瑞希の様子からただ事でないことが想像できた。
詩乃と顔を見合わせると瑞希の肩をゆすって言った。
「どこ!?なにがあったの!?案内して!」
「中等部の校庭…… そこで大変なの…」
「私も行くわ」
異常な雰囲気を察したリリが声をかけてきた。
「行こう!!瑞希、中等部の校庭ね!?」
「うん!」
「わかった。瑞希、あんたはここにいなさい。美羽、ゴメン!瑞希のこと見てて」
「う、うん」
瑞希を美羽に預けると私とリリ、詩乃で中等部の校庭に急いで向かった。
あの瑞希の怯えきった様子……
なにか胸騒ぎがする。
校舎を出て敷地を突っ切る。
教会の前を走りぬけて中等部の校庭に着いた。

「あ…!ああっ!!」
私の目に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
真っ白な十字架に貼り付けられた藤代さんの姿が目に飛び込んできた。
そしてそれを囲む群衆。
中等部の生徒もいれば先生までいる。それに街の人も。
「なんだよこれ…」
詩乃が絶句する。
「殺せッ!殺せッ!殺せッ!」
群衆の恐ろしい叫びが耳に入ってきた。
「止めて!!止めて――!!」
私は恐ろしい狂気の渦巻く中に叫びながら飛び込んだ。
人をかきわけて藤代さんの貼り付けられている十字架の下まで行く。
詩乃とリリも群衆の前に立ちはだかる。
「どうしてこんなことをするの!?止めて!!」
私は声を震わせて叫んだ!!
「そいつは化け物だ!!」
「そいつのせいで破滅が来るんだ!!」
周りを囲む人たちが口々に叫ぶ。
「そうよ!こいつが黒い雨を降らせて生物を殺してるの!!地下水に放射能を混ぜたのもこいつの仲間がやったんだわ!!」
藤代さんをいじめていた子が群衆に叫ぶ。
「そうだ!!」
私たちを囲む人たちの目には形容しがたい狂気が宿っていた。
血走った剥き出しの憎悪が突き刺さる。
「みんな静まれ~い!」
後ろから声がするとみんながシーンとなった。
群衆の間からでっぷりと太った豚のような男が出てきた。
高そうなスーツを着ている。
「お父さん!」
藤代さんをいじめていたリーダー格の子が駆け寄る。
「止めてください!!今すぐ藤代さんを解放してください!」
私が言うと女子が代議士に耳打ちする。
代議士が濁ったような目で私をぎょろっと見て口を開いた。
「君が高原教授の娘さんか。いかんなぁ、いくら研究が大切でも子供の教育はちゃんとせんと。わしはこの街を守る義務がある!なぜなら国民に選ばれた政治家だからだ!君も自分の住んでいる街を守りなさい!」
「何を言ってるの!?」
「黙れ!!論より証拠だ!!」
代議士が怒鳴ると群衆の後ろから数人に押さえつけられながら二人の男女が私達の前に連れてこられた。
「お父さん… お母さん…!」
藤代さんの口から言葉が漏れた。
「止めてください!この子も私達も黒い雨とは無関係です!」
藤代さんの両親が代議士にに訴える。
あれ…
会ったことがある…
私はこの人達に、藤代さんの両親に会ったことがある!!
「何が無関係よ!!」
代議士の娘がヒステリックに言うと藤代さんの親に唾を吐きかけた。
「これでもしらを切るきかい!?」
娘はポケットからナイフを出すといきなり
藤代さんのお母さんの顔に斬りつけた。
「お母さん!!」
藤代さんが叫ぶ。
鮮血がブシュ―ッと吹き出しボタボタと地面に滴った。
「見ろ!!こいつを!!」
代議士が藤代さんのお母さんの髪をつかんで顔の傷口を晒した。
一人の男が傷口を布で拭くと顔には赤い線が縦に一本あるだけだった。
「こんなに早く傷が治っている!!こんなことが普通の人間にできるか!?こいつは人間じゃない!!」
「親はバラバラにして燃やそう!そうすればきっと死ぬ」
「娘はどうする?」
「あのまま燃やしてしまおう…焼き殺せば大丈夫だ」
「その前に皮をはいでどこまで生きれるのか試してみたいわ」
どす黒い悪意が立ち昇っているように感じた。
巨大な渦となってちっぽけな理性や善意を呑み込んでしまう。
「マリア、こいつらは殺すしかないわ。私に任せて」
リリが小声で言う。
「ダメよリリ」
「バカ野郎!!てめえらこんなことしたら警察が黙ってねえぞ!!」
詩乃が叫ぶと全員静まり返った。
そして代議士が大笑いした。
「ゲハハハハハ!馬鹿もん!警察なんぞ都市部の治安維持が主体で一々こんなとこまでこんわ!それに懇意にしている署長にはわしから金を渡してある!さあ!みんな!遠慮はいらんぞ!!気が済むまで嬲殺しにしてしまえ!!」
すると狂った群衆の中から声が上がった。
「こいつらも仲間なのか?いや、仲間だな」
「こいつらも化物の仲間だ」
「一緒に殺してしまおう…」
「そうだ!殺そう!」
狂気の目を向けながら私達を囲むように棒や角材を持ってにじり寄る。
「やっちまえっ!!」
一斉に襲い掛かってきた。
「止めて!!もう止めて!!」
私が必死に叫んだ時に爆音と閃光が響いた。
「落雷だああ!!」
「うあああっ!!」
群衆が叫ぶ。
「アキ――!!」
藤代さんのお母さんが叫んだ。
ハッとして目を見開く。
「ああっ!!」
落雷は私達のすぐ側――
藤代さんが貼り付けになっている十字架に落ちたんだ!!
その証拠に十字架の影も形も見えない。
白い煙がもうもうと立ち込めていた。
その中から人影が現れた。
「郷……」
郷だった。
しかも気を失っている藤代さんを抱きかかえている。
その後ろには根元から真っ二つに裂けた十字架が地面に横たわっていた。
落雷があった。
藤代さんが死んだ。
誰もがそう思った。
しかし十字架だけがへし折れ、藤代さんは気を失っているだけだった。
そして降ってわいたようにもう一人いる。
誰もが何が起きたのか理解できない。
さっきまで狂騒していた群衆は水を打ったように静まり返っていた。
「こいつを頼む」
そう言って郷は藤代さんを地面に降ろした。
詩乃が応えて藤代さんを抱きかかえる。
そして郷が群衆に向かって話しだした。
「俺は、およそ社会のルールってやつは無視してきた。何故なら俺が法だからだ。気に入らねえ奴、ムカついた奴は誰であろうとブチのめしてきた。だがここまで吐き気が出るほどムカついた奴らは見たことがないぜ!!」
郷が烈火のごとく怒った。
それを受けて先頭にいた代議士が口を開く。
「ま、また化物を助けるような人間がいるとは!も、問題だ!これは問題だぞ!!」
郷を指さして狼狽しながら言う。
「ふざけるな!このガキが!!」
「こいつも殺せ!!」
怒号と雄叫びと共に群衆が一斉に郷に襲いかかった。
「この腐った人間どもがぁッ!!」
郷が握りしめた拳を地面に叩きつけた。
もの凄い音と衝撃で一瞬、地震のように地面が揺れた気がした。
殴った後の地面はクレーターのように陥没してひび割れた。
その有様を見た全員が凍りついた様に動けなくなった。
「さっさと散れ!でねえと皆殺しだぞ!!」
全員に向かって郷が言う。
その言葉を皮切りに我先にと群衆が逃げ始めた。
「うわわっ…!!」
「ひいいい――!!」
例の代議士だけはガタガタと震えながらも叫んだ。
「ば、馬鹿もん!!怯むな!!戦え!!街を守れ!!」
「このブタ野郎ッ!!!!」
郷が代議士の前に立ちはだかる。
「ひ、ひいいいい――!!ぶばあっ!!」
もの凄いパンチが代議士のカエルのような体を吹っ飛ばした。
くるくると回転しながら宙を飛んだ代議士は地面に落ちると動かなくなった。
「お父さん!お母さん!」
藤代さんがかけよる。
後に私も続いた。
藤代さんはお母さんに抱きついて泣いている。
「私… あなたたちを知ってる……」
私の言葉を聞いて藤代さん達がこっちを見る。
「私たちを知っているって…君は?」
お父さんが聞いた。
「高原です。高原マリア、高原教授の娘です。とても小さい頃……お二人を見ました……夢の中で」
「夢って…?」
藤代さんのお母さんが聞く。
「はい… 機械がたくさん置いてある部屋があって…… みんな同じ時間を刻んでいて…… そこを抜けると暗い大きなプールがあるんです。その中に――」
私の夢に出てくるプールから這い上がった男女。
それが藤代さんのお父さんとお母さんだ。
「君はあのとき私たちを見ていた子か……」
藤代さんのお父さんが私の顔を見て静かに言った。
私が悪夢だと思っていた、あの光景。
パパは昔から私の見たものは夢だと――
神尾先生も、2人とも口をそろえて言ってきた。
でもこの人達なら――
藤代さんのお父さんとお母さんなら私の疑問に答えてくれるかもしれない。
「すみません…教えていただけませんか?」
私は藤代さんのお父さんに問いかけた。
「あのプールのこと、今でも夢に見て……ずっと夢の中だけの記憶だと思っていました。でもあれは現実だった。あなたたちがいて私を覚えている。藤代さんに私と関わるなって言っていたのもそれが原因なんじゃないですか?」
藤代さんのお父さんとお母さんは顔を見合わせた。
「教えて欲しいんです。あれはなんだったのか」
二人は答えない。
ただ、異様な緊張感が私達の間に張りつめた。
「お父さん……お母さん」
藤代さんが張りつめた緊張感に不安を覚えたように問いかける。
私の後ろにいる郷も詩乃も、リリも黙って二人が話しだすのを待っていた。
「あの時の子が、私達を見た子が高原教授の娘さんならこれも運命でしょう…… わかりました。お話ししましょう。ただ、ここではマズイ。私達の家で話しましょう」
私達は藤代さんと両親を家まで送っていくことにした。
家に着くと藤代さんのお父さんが私達を招き入れるためにドアを開いた。
「いけない!お父さん、やっぱり話したらいけない!」
藤代さんがすがるように言う。
「いいんだよ。決めたんだ」
お父さんは藤代さんに優しく微笑みかけた。
「お邪魔します」
私は頭を下げると靴を脱いで部屋の中に上がった。
詩乃と郷、リリも同じようにして上がる。
「高原さん。あなたの質問に答えましょう」
おとうさんが落ち着いて私を見ながら言った。
私は唾を呑み込むと疑問を口にした。
「あの……あそこは?あの部屋は、プールは何なのですか?なぜあんなに人が?」
「あれは……いらなくなったサンプルを処分するまでの間、安置しておくところです」
「サンプル?処分って?」
「私達は…造られた命なんです。あなたのお父さんである高原教授に」
「ええ…?」
造られた命?
どういうことなの?
詩乃も私と同じように何を言われているのか理解できないという顔をしていた。
でも郷はじっと藤代さんのお父さんを見ていた。
「造られたって?どういうことだよ?」
詩乃が聞く。
「そのまんまの意味よ。私達は造られたの。ある目的のためにね」
今度は藤代さんのお母さんが答える。
「そんなことが人間の技術で可能なのか!?聞いたこともない」
詩乃が信じられないというふうに両手を広げて言う。
「さっきの傷を見たでしょう?あんな傷が短時間に治ると思う?」
「それは……」
お母さんの言葉に詩乃は答えに詰まった。
背中を冷たい汗が流れる。
傷の再生。
回復力。
「私達の細胞には自己再生能力があります。それに治癒力も通常の人間に比べて数倍早い」
「なぜ?なんのためにパパはあなたたちを造ったの?」
「私達のような、いや、もっと優れた高度な人造人間を造りだすためです」
人造人間……
その言葉が重しのようにのしかかった。
「高原教授は、あるプロジェクトのために研究をしていました。その研究が人造人間を創造することです。ですが私達は欠陥品だった」
「欠陥品?だってこうして元気に生きてるじゃない?」
私が言うと藤代さんのお父さんは首を振った。
「私達の身体機能の低下は著しく早い。現在の環境でも薬を摂取しなければ生きられないのです。これです」
ポケットから錠剤が取り出されてテーブルの上に置かれた。
「ああっ……」
詩乃が言葉に詰まる。
私も目を見開いた。
これはパパが私達にいつも渡していた薬の一つだ。
「これは身体機能を安定させて良好な状態を保つ効果があります。でも私達、欠陥を抱えた者にとっては命ともいえる薬なのです」
言葉を区切るとお父さんは思い出すようにあのときのことを話しだした。
「そういう欠陥があったので私達は意識を奪われて処分されることになったのです。でもあの日、研究所に落雷がありました。そのショックで奇跡的に私達は意識を取り戻したのです」
私が夢で見るあの場面だ。
「残念ながら意識を取り戻したのは私と彼女だけでした。私達は行くあてもなく、ただただ本能的に逃げ出したのです」
「そんなときでした。アキに出会ったのは」
お母さんが優しい目で藤代さんを見た。
「私達は人目を避けながら遠くに行こうとしました。そんなある日、雨の中ベランダで震えている少女がいたのです」
もしかして、その少女が藤代さん?
私が見ると藤代さんは無言でうなずいた。
「アキは雨に打たれて震えていた。私は放っておけずベランダによじ登りました」
お父さんの話しではそこは昔、藤代さんが本物の母親と暮らしていたアパートだった。
彼女は虐待を受けていた。
実の母親から常習的に虐げられ、冷たい雨に打たれて風邪をこじらせていた。
身も心も死ぬ寸前だったらしい。
事情を知らない彼らは助けようとベランダを開けて藤代さんを家の中に入れようとした。
そこには暖かい部屋で男とクスリを打っている母親がいた。
不幸な事故はそのときおきた。
母親からすれば突然ベランダから知らない男女が侵入してきたのだ。
しかも違法な薬物を使用していた。
パニックになった母親と男は発狂したように襲いかかってきた。
気がついたときは母親と男は死んでいた。
自分たちが殺したのだと言った。
そして藤代さんを看病して、死体を処分した後は三人で他の街で暮らすようになる。
「私達はこの子の実の親を殺してしまった。それでもこの子は私達を許してくれた」
「あたりまえだよ!だって私を助けてくれたんだもの!あの人は…あんなの親じゃない!死んで当然なんだよ」
罪の告白をするお父さんの肩にすがりながら藤代さんが強く言った。
この人達に血のつながりはない。
でも、そんなものより遥に強い絆で結ばれているのだと思った。
血のつながりなんて時には何の意味もないものなのだ……
この三人を見ているとそう思わざる得なかった。
「一度はこの街から逃げた私達ですが薬がないと生きてはいけない……この街なら比較的、容易に手に入るのです。だから戻ってきてしまった」
「なぜそんな薬が手に入るんだ?」
「私たちの他にもいるからよ。完成して試験されている人造人間が」
「嘘だろ!?そんなこと!!」
藤代さんのお母さんの言葉に詩乃が激しく動揺する。
私も同じだった。
「そういう経緯があったから、私と…同じ学園にいる高原教授の娘と関わるなと言ってたんですね?」
お父さんがうなずく。
「ですがそれもここまでです。私達はこの街から出て行きます。次は誰にも気に留められないように生きていきます」
何とかしてあげたいと思った。
なにも悪いことをしていないのになぜ逃げ隠れしながら生きていかないといけないのか?
それは彼らが人間ではないから?
いや!この二人は人間だ。
ほんとうの人間よりも優しく思いやりのある人間だ。
「これから準備をします。申し訳ありませんが」
藤代さんのお父さんが立ち上がった。
「どこへ…?」
「さあ…… でもこの子だけは、アキは幸せにしたい」
ニッコリと言う。
その顔には温かみがあった。
私は藤代さんのお父さんに頭を下げた。
アパートを出ようとしたときに藤代さんの手を握って言った。
「ねえ。どこにいっても落ち着いたら連絡して!」
「はい!」
藤代さんは愛らしい笑顔を見せてうなずいた。
それが藤代さんを見た最後になった。



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