第7話 ゼクシィ

文字数 2,146文字

アタシはちょうど台所にいたので、千尋にこう呼びかけた。
「ちーやん、コーヒーでも飲む?」
千尋は、「うん、お願い」と言い、台所の蛇口まで来て、手洗い石けんで手を洗う。

千尋は流し場の蛇口を捻って、手をぬらした後、
ハンディタイプの手洗い石けんをプッシュする。
千尋は、指と指の間、手首まで1分ほどかけて入念に洗っている。
こういう所は千尋はしっかりしている。
5分でメイクを済ませる子には思えない。
そして、千尋は手を流し場にかけてあるタオルで拭いた後、コップでうがいをする。
うがいをしながら「あ、い、う、え、お」と言っているようだ。
こういう所も千尋あどけなさが垣間見られ、可愛らしい。

アタシは、やかんに360ccの水を入れ、強火でやかんの中の水を沸かす。
樹脂でできた耐熱のコップにスティック状のカフェインレスの粉末を入れる。
やかんの水が沸いたので、それを耐熱のコップに注ぐ。
湯を徐々に注ぐと、かさを増し、漆黒の湖のようになるコーヒーカップ。
2人分のコップをリビングの机の上に置き、アタシはそこに豆乳を少し注ぐ。
「あ、カエデ。アタシのもお願い」と言われたので、千尋のコップにも豆乳を少し注いだ。

アタシたちは、YOKUMOKUのお菓子を食べながら、コーヒーを飲んで談笑する。
「カエデ、今日もお昼あんまり食べなかったでしょ」お母さんのような口調で千尋は言う。
「好き嫌いばっかりしてると、おムネも大きくならないぞっ」とアタシをからかう。
アタシは「千尋のおムネをいつも拝んでるからいいよ」と笑って返した。
さっきまでの職場での雰囲気とは一転、アタシたちはマンションに帰ると、
決まってこんな他愛もないやり取りを繰り返している。

「あ、またカエデ、飲み終わったコップそのまま机の上に置きっぱなしにしてる」
千尋が不満そうな声で私の前で言う。
ゲッとアタシは思うが、こうしたやり取りも日常茶飯事で、
アタシは小さい頃から母親にも言われ続けていたので、こうした指摘にも慣れていた。
普段の、夜の営み以外のやり取りはアタシが「受け」、千尋が「攻め」になっている。

アタシはゼクシィの特集ページを開いていた。
別に結婚する予定もないが、こうした山奥では都会と比べて情報が限られるので、
ネットサーフィンと様々な情報が集約しているゼクシィは貴重な情報源になっている。
アタシは、千尋に向かって言う。
「アタシも、この写真の女の子みたいに茶髪のセミロングにしようかなあ」
千尋は、あたしのちょっとしたつぶやきだったが、すぐに猛反対した。
「ダメっ。カエデは今のままがいいの。絶対カエデは黒髪のショートの方が似合ってるもん」
千尋がプリプリしてたので、アタシはなだめるように「冗談だよ」と言った。
そして、アタシは続けていった。
「ちーやん、前にアタシの髪の匂いが好きだって言ってたでしょ。セミロングにしたら、アタシとちーやんが抱き合いっこしてるときに、ちーやんはアタシの髪の匂いを思う存分、堪能できるじゃん。ちーやんは、ベッドの上で、アタシの髪をメチャクチャにして言うんだ。カエデ、やっぱり貴女は私にとって、最高の女。誰にも渡さない。こうしてやるんだからって言って、アタシの髪に鼻を近づけ、耳元で「好きだよ」ってささやくの」

「もうっ。カエデったら、そんな事妄想してたの。カエデったら、変な大人向け漫画の読み過ぎだよ」あきれたように千尋は言うが、こんなアタシの冗談にも笑って付き合ってくれる。

千尋は、アタシの読んでいるゼクシィのページをパラパラとめくり、ウェディングドレスを着た新婦と、タキシードを着た新郎の2ショット写真のページを開いた。
「私もウェディングドレスを着てみたいな」と千尋は言う。
アタシは「ちーやん、まだ相手いないじゃん」とからかい半分で言う。
「いるもん」と千尋は否定し、その後に「失礼ねっ」と言いながらも、
ココでもアタシの毒を含んだ返しに笑顔で答えてくれる。

「私も、ウェディングドレスを着て、最愛の人と、愛の証として式場で式を挙げたい」
そう言う千尋の目は真剣だった。
「ちーやんのことを本当に理解してくれる、愛してくれる人が見つかるといいね」
アタシはそう返事をした。
すると、千尋は意外な返事を返した。
「別にアタシはカエデが結婚相手でもいいと思ってるんだ」
アタシは諭すように千尋に返事をする。
「ちーやん、日本では同性同士は結婚できないんだよ」と。
千尋は言う。
「それは法的に婚姻関係が認められないだけで、私たちが結婚したいという意志そのものを否定するわけじゃないわ」と強い口調で返した。
アタシはやれやれと思い、「うん。じゃあ、もしアタシたちが結婚することになったら、ウェディングドレスを着た新婦同士が結婚することになるね」と言った。

千尋は言う。
「うん。カエデのウェディングドレスも似合うと思うけどタキシード姿も似合うと思うんだよね。カエデ、そこらの男の子より格好いいし」と笑いながらアタシに言う。
アタシは言う。
「ちーやん、アタシも一応女の子だし、普通、女の子はタキシードなんか着ないよ」と。
千尋は「冗談よっ」と言いながらも、
「でも、もしカエデが好きな男の子と結ばれたら、私たち離ればなれになっちゃうね」と
寂しそうに言う千尋の姿が私には愛くるしく見えていた。
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