第5話 やっぱり怖いよ。助けて!

文字数 4,630文字


     5


 暴動は更に酷くなってきた。私はこの暴動は一時的な物で警察によってすぐに鎮圧される物だと考えていたが、どうやら状況は益々面白くなってきたようだ。ここで一発、革命が起こって欲しいと私は願った。 コソコソした殺人はしたくない。堂々と人を殺したいのである。まるで、合法的に認められた狩猟のように殺したいのである。
 隠れて人を殺すのは健康に良くない。私は健康に人一倍敏感である。健康に秘密は良くない。健康一番、元気一番と考えている。だから、今、警察に内密に行なった殺人に対しては、最初は良かったが、今はすっきりとした気持ちになれない。「社会のゴミという老人を殺して、何の罪になるんだ? 俺はこの日本という国に元気と活気を与えてやりたい。老人という重りに足を取られて、元気を無くしている若者、中年に生きる元気と活気を与えてやりたい。俺は善人だろ?」と警察に堂々と言いたいが、現実には言えない。警察の中にも私の意見に賛同してくれる人も沢山いるだろう。しかし、未だ、外に意見が出せる程にメジャーな力ではない。
 私は今、非常にびくびくしている。私が行なった悪事が発覚しないか怯えているのだ。だから、今は狩猟どころか、狩られる獣だ。警察という猟師に怯えている弱い獣。従来、私は非常にプライドが高い性格であり、このような惨めな状態に耐えられない。家の布団の中に隠れて、その僅かな隙間から、ニュースを見て、自分の行なった犯罪の捜査がどの程度進んでいるかを確認するのが日課になっている。時にはパソコンのインターネットで自分の犯罪を調べる。検索エンジンで何度も、何度も念入りに調べる。そこで、警察の調べている犯人像が自分と違っていると大喜びし、自分に近いと恐怖に震える。私は死にたくない。生きたい。人を食ってでも生きたい。私が何を悪い事をしたんだ? 社会のゴミを掃除しただけじゃないか? 高利貸しを始末しただけじゃないか? 高利貸しを殺してどこが悪いんだ?
しかし、私が殺した人数を換算すると、今の法では死刑にならざるをえないだろう。明確に死刑。どうみても死刑だ。否だ。死にたくない。私は死にたくない。でも、社会のゴミである老人の掃除は行ないたい。この矛盾した気持ちをどう処理すればよいのだ?
「わあああああああああああああああああああああああああああ」と私は大声で叫んだ。
 今にでも警察が嗅ぎつけて、家に来るかもしれない。だから、革命が起こって欲しい。革命さえおこれば、何かが変わる。老人政治家中心で占められている腐敗した政府が変われば、私が認められる世界が来るかもしれない。政府の中で少しでも権力を持つ位置にいれば、自分で行動して世の中を変える事ができるかもしれない。だが、吟遊詩人である私に何ができるのだ! 祈るしかない、願うしかない。世の中が自分の理想の世界に変わるように神社や寺や教会で願う事しかする事はない。
 しかし、その前に警察がきたらどうしよう。革命が起こる前に警察がきたら、ジエンドだ。私は急いで、家の玄関に行って、戸を開けてみた。まだ、警察はいなかった。私は安心した。だが、内心、私はもう精神病か何かではないかと思わざるをえなかった。おまけに、犯罪に関わる事なので精神科医にもその事はどうしても言えなく、治療すらも受けられない。だから、想像の中でいつも精神科の医師にこう言うのだ。
 「先生は精神科の医師だから、私を無罪にできるでしょ」
 だが、現実に精神科医に私のやった犯罪を言えば確実に密告される。こいつらはプロなのになんで私のやった犯罪を密告するんだよ! おかしいじゃないか? プロだろ! プロ! プロなら腹の中で犯罪くらい黙っていろよ! だまらないと俺が精神科で治療をうけられないじゃないか? なんなら、俺がやった犯罪を自分がやったと肩代わりできるだろ! プロなんだから、なあプロだろ! だから、俺の精神を治療しろよ。ところが、現実に精神科医に行っても、本当の事は言えない。嘘を言って、SSRI等の薬を出させるのが限度だ。本格的なカウンセリングは受けられない。 
 家に居れば、いつも自身の犯罪が露見しないかを考える。おまけに、犯行現場に行く事もよくある。なぜ、犯行現場に行くかというのは罪悪感からではない。そこに、万が一、私が証拠を残してきたのではないかという事が気になるからだ。もし、証拠が残っていないと思ったら、その日は天にも昇ったように幸福な気持ちになる。証拠が残っていると考えれば、その日は絶望して、布団に包まってふくれながら寝る。もちろん、犯行現場に近づくというリスクも良く知っている。犯人のやりそうな事は犯行現場にあらわれるだ。この事は警察も熟知している。だが、どうしても犯行現場に近づくのをやめられないのだ。監視カメラが沢山配置されているかもしれないのに。
 こういうのを考えるとやっぱり人間という動物は感情の動物と言わざるをえないと思う。犯行現場に行ったら、どうみても逮捕される確率が高まるのは明白だ。犯行現場に頻繁に行く事は新たな証拠を出し続けるのと同じだ。しかし、どうしても我慢できない。知性よりも感情が我慢できない。そんな事はどうでも良いのだ。ただ、ただ、自分が安心できる証拠を見つける為に犯行現場に行くのである。
とりあえず、私は誰かに話さずには自分の精神を保てなくなってきた。それははっきり言って、明確にしておくが、被害者への罪悪感が理由ではない。恐怖心と自己保身からだ。高利貸し(老人)を殺しても罪悪感等痛むわけがない、自分が大切で、警察が怖くて、その亡霊に取りつかれているから、誰かに話したいのだ。
 だから、かわいい妹にそれとなく匂わせてみようと思った。あの美しい顔に慰めてもらいたい。美しい顔は何をしなくても、男の心を慰める。美とは素晴らしい。美は人間に秩序という安心感を与える。すべてが法則的に存在するという事実。基本は幾何学的法則によってなされているし、人間にとって本能的に感じて無害な物質もしくは、有用な物質で形成されている。法則によって、秩序だった人間にとって無害な物質、あるいは有用な物質で形成されている世界は人間にとって未来が予測可能で、安全が約束されている。その安全に飛び込みたいので、妹に慰めてもらいたいのだ。
 「お兄ちゃんが警察に捕まったら心配?」
 「なんでそんな事を言うの?」
 「ん、なんとなしに聞きたくなったの」
 「悪い事したんじゃないの?」
 「そんな事、お兄ちゃんがするわけがないじゃん」
 「確かに、万引きすらした事がないお兄ちゃんがそんな事はしないと思うけど、でも不気味だわ」
 「慰めて欲しい」
 「本当に何かあったんじゃないの?」
 「そんなわけないじゃん、ただ疲れているだけだよ」
 「それならいいけど、何かあったら言ってね」
 妹は何か私に対して、感ずる部分があったが、はっきりとは気づかなかったようだ。今までの人生で私には前科はない。万引きすらした事がない。そのような人間が突然、凶悪犯罪を起こすとは誰も考えられないだろう。ましてや殺人をするとは。
 次に母親に慰めてもらおうと思ったが、美がないので、それは止めた。あのドラム缶のような体では男を慰める事はできないだろう。美がない女には慰めてもらいたくない。美のない女は失敗作である。自分の母親を失敗作とは言いたくないが、それが現実。人間として母親は問題ないが、女としては駄目である。
 更には父親にも慰めてもらいたくなった。しかし、父親は直感が鋭いので、私の奥の気持ちまで読む事ができる。これは危険だ。財布の件でも考慮した事だが、人間のささいな表情や言葉のイントネーションやしぐさで心の中の大部分を読む事ができる人がマレにいる。そういう人種の前では私の誰かに話したいという弱気は致命的な失敗になりかねない。
 おまけに私は男が嫌いだ。あの筋肉質のゴツゴツした肉体、可愛くない低い声、何が良いのかまったくわからない。ホモがお互いなぜあんなに魅かれあうのかがわからない。その点、レズの気持ちは理解できる。あの脂肪質のやわらかい体、高くて赤ん坊を思い出させるような高い声。素晴らしい、まさにレズは芸術なのだ。
 妹には慰めてもらったが、何か釈然としない気持ちが残ってしまった。それは所詮、慰めであって根幹的に問題が解決したわけではないからだ。犯行現場に行って、証拠を残してないと確信して帰ってくるほうが、まだ良く眠れる。最近は睡眠不足が酷い。このままでは精神が肉体を潰してしまう。なんとか心の平安を保たなくては、その為に、犯行現場に行っていたが、これ以上行くとあまりに危険すぎる。
 その時、つい、私の死刑執行のイメージが頭の中によぎった。
(ここは死刑執行室、僧侶のお経を読む声が聞こえてくる、ナンマンダー、ナンマンダーと聞こえてくる)
 死にたくない! 死にたくない! 私は生きたいという強い思いにかられながら刑務官に囲まれていた。しかし、あるTVニュースが耳元に飛んでき、その妄想も雲のように消えていった。それは介護老人施設で、寝たきり老人に肘打ちをくらわせたり、パンチをしたりして肋骨等の骨を折って、死亡させていた女性看護師に殺人罪が適用されなかったというニュースだった。つまりは殺意が立証できないので殺人罪にはならないという事だった。
もしかしたら、私にも殺人罪が適用にならないかもしれない。私が使用した凶器は所詮、尖ったスパイクだ。ナイフではない。殺意さえ立証できなければ、私は死刑になる事はない。傷害致死罪か何かで暫くの間、刑務所にいけばよいだけだ。しかし、女性だから、殺人罪が見送られた可能性がある。女が死刑にはならないように日本はできている。女優先社会だ。生活保護も女性優先で支給される。このような社会では、男の私が死刑にならないと断言はできない。
 私は徹底的に自分が死刑にならないかインターネットや図書館で調べた。人を殺す場合にはどのような凶器だと殺意が立証されるかを徹底的に調べた。しかし、結論はよくわからないというのが真実だった。弁護士ごとに意見が変わる事があるし、判決を決める裁判所さえ、判例を時代の流れによって変えている。ただ、尖ったスパイクではナイフと違い、殺意を立証できない事もあり、私は助かる可能性があるのは理解できた。
 私は自分の事を幸運だと思った。別に殺意がないがゆえにナイフを使用しなかったわけではない。殺意満々で老人に屈辱的な死を与えるには尖ったスパイクで死ぬまで踏みつけてやるという事が必要であった。ナイフで老人を殺す事は相手にそれなりの敬意を払って殺す事になりかねない。それは嫌だった。徹底的に侮辱してから老人を確実に殺してやりたかった。それが今回、この幸運に繋がったのだ。まさに、運としかいえないような物であった。
私はその日は気分が非常に良かった。生きられる。生きる事ができる。老人は火葬場に生き、燃やされ骨になった後、骨壷の中に入れられ、暗い墓の中に閉じ込められて、皆からすぐに忘れられる。だが、私は太陽の中で健康的に沢山の飯を食い、健康的な生活ができるのだ。私は勝ち誇ったような気分になった。完全に躁状態だった。
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