【2日目 8月2日】

文字数 2,484文字

翌日の朝食後に、ホテルのラウンジで横川さんと打ち合わせをする事になった。
今日の横川さんはスーツではなく、白いポロシャツにスラックスというラフなスタイルだ。
「おはようございます。ゆっくり眠れましたか?」
「はい、眠れました。有難うございます」
僕は昨日の夜、浩二から得た情報を落とし込んで作成したレポートを早速渡した。
横川さんはしばらく目を通してから、満足気な顔を向けて来た。
「ありがとう。非常によく出来ています。びっくりです」
「おおきにどす。では次の話を伺いましょうか」
「そうですね、では順を追って説明しましょう。今回のこの仕事の依頼主はオーナー様ご本人なんです。
私は今の会社で仕事を始めた時からここの会長、すなわちオーナーとは知り合いだったもので、オーナーは私に『現在のホテルのサービス状況などを調査してもらえないか』と相談を持ち掛けて来られました。
そして私は、快く承諾させて頂きました。
ここまでが、こちらの調査表に記入して頂いたお仕事です。
実はもうひとつ、昨日も少しお話ししましたが、私はオーナーのコレクションについて、以前から疑惑を持っていました。
1968年にも似たような話がありました。」
浩二の言っていたロートレック展の《マルセル》の話だ。
「色々と調べた結果、現在も行方不明中のフェルメールの作品(合奏)が、こちらのホテルに隠されている・・・というものです」
「こちらのホテルの地下フロアーには、絵画の保管用施設があります。ここにはホテル内で使用している絵画のスペアーストックが100点近く所蔵されています。
その中から数点を、現在飾られているものと、年に一二度交換したりしているのです。・・・・ここまでお話しして、もうお気付きかもしれませんが・・」
「なるほど、その中にフェルメールも一緒にあるのではおまへんかと?」
「その通りです。3日後の8月5日は、年に一度のホテルの休館日に当たります。
この日は毎年ホテルのメンテナンスにあてられています。そして装飾物のリニュアルも、その時に行われます。
「つまり、絵画の交換なども」
哲也も、なんとなく横川さんの話の行方が見えて来たようだ。
「絵画の交換においては、専門の業者さんが行いますが、当日の作業立ち合い指示の方を、オーナーに代って私が任されています。明日の朝10時に、オーナーとここで打ち合わせをして、どの絵を交換するかを決めて、その後、地下の保管庫に行って確認をします。
そこで、君達は私のアシスタントとなって、地下での確認作業を手伝ってもらおうと思っています」
哲也は一瞬、僕の顔を見て「その時に、フェルメールを捜す、という事ですか?」
「その通り。フェルメールの《合奏》の写真は、後で君のスマホのアドレスに送っておきます」
「わかりました」
いとも簡単に、哲也は請け負ってしまった。

横川さんと別れた後、一旦、部屋に戻った。
部屋に入るなり僕は哲也に言った。
「おい哲也、大丈夫なのか」
「特に危険な事でもないし・・なんとかなるさ」
「そうかもしれないけど・・・」
「こんなええ部屋に泊まれる訳がわかったな。オーナー発注の仕事であれば、ええ部屋を提供しても安いもんだよ」
「もし、フェルメールが見つかったらどうするんだ」
「そらその時さ、俺達が考える事おへんよ、横川さんの方の問題や」
その時、哲也のスマホが鳴った。横川さんからの着信だ。フェルメールの《合奏》の絵が添付されているのであろう。
哲也はしばらく眺めるとスマホを僕に渡してきた。
《合奏》が添付されていた。
薄暗い部屋の中で、女性が二人、男性が一人描かれている。立ち上がっている女性は歌を歌っているのか・・・あとの二人は演奏をしているのであろうか、
左手奥には窓でもあるようだ、やわらかな陽が差し込んでいる。
眺めていると、その絵の中に吸い込まれて行きそうな不思議な力がある。
「壮太、美術館でも行ってみるか」
「え!」
「とりあえず、明日までには時間もあるし、例の『京都国立近代美術館』だっけ?」
「いいね、横川さんや浩二が言っていた、昔『ロートレックの《マルセル》が盗難にあった美術館だろ」
「ここからなら歩いても20分位やろう」
「近くだし、行ってみよう」いつも思うことだが、哲也の思い付きと行動力には感心する。最初は不安を与えるが、結果オーライな事が多々ある。
ここは哲也の提案に乗って行った方がよさそうだ。

ホテルのある祇園四条から鴨川沿いに歩き、二条通りに出たら右に折れて、しばらく行くと『京都国立近代美術館』が現れる。
外の暑さに耐えきれず、避暑を求めて中に入る。
絵画音痴の二人でも、美術館の展示空間は、僕らふたりを十分に魅了させてくれる時を与えてくれた。絵に向かい合う自分に、オーナーの気持ちがわずかに乗り移つった気がした。
そして1~2時間も過ごしたのであろうか、美術館を出て公園を抜けて
、来た道を戻り出している。僕は哲也に言われるまま美術館について来た事が、やはり正解だったと思い、満足感に浸っていると・・
「なあ、あの美術館の建物は1986年にリニュアルしたんだって。と言う事は、ロートレックの事件は1968年そやし、その後に建てかえがあった訳か」
「横川さんの話によると、オーナーの歳は85歳ということだから、30代の時の事件だな」
1968年の京都国立近代美術館から消えたロートレックの《マルセル》盗難事件。
それとフェルメールの《合奏》行方不明事件。
この二つが、ホテルのオーナーと何か繋がっているのだろうか。
「名画を盗んで、自分のものにしたくなる気持ちも分からなくはないな・・」
哲也の言う通り、僕もそう思う。
もちろん中にはお金目当ての人もいるだろう。でも自分の所蔵にしてみたくなる人がいるから、お金のために盗む人もいるのだろうと思う。
気が付くと、二条通りを抜けて鴨川沿いに出ていた。暑さも多少和らいで、鴨川は傾きかけて陽の光を映して、川面がキラキラと光っている。

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