招かれざる客

文字数 3,909文字

「あの、貴方が森エルフの方なのですか?」

 コーデリアがおずおずと問いかける。

「如何にも。我の幻影を見破ったことだけは褒めてやろう」

 エルフの額の紋章は輝きを失い、広い額の中に溶けていった。

「お褒めに預かり恐縮にございます」

 ウィルは帽子を脱ぐと、エルフに恭しく頭を垂れた。

「勘違いするな。お前が優れていると言いたいのではない。人としてはましな部類だと言っているだけだ」
「心得ております。ところで、実は貴方方にお願いがあってここへ参ったのですが」
「それはとうに承知しておる。人間はいつも我等に要求することしか頭にないからな」

 エルフは軽く鼻を鳴らした。どうにも取り付く島がない、といった風情だ。

「もしよろしければ、貴方方の長老様のところまで案内して頂きたいのですが」

 ウィルが高飛車なエルフの態度を気にする風もなく言うと、エルフは眉根を寄せた。

「ふん、あの方に会いたいというのか?どこまでも図々しい奴等だ……まあ、お前たちが恥をかくところを見物するのも一興ではあろうな」
「森の賢者と讃えられる貴方方に、我等人間の知恵など遠く及ぶものではないことは理解しております。叶うものならば、長老様の深遠なる知恵の一端だけでも、我々に見せていただければ幸いと存じます」
「ほう、ずいぶんと謙虚だな。その態度が口先だけのものでなければよいが」

 あくまで腰を低くして対応するウィルに機嫌を直したのか、エルフは片頬を吊り上げて笑った。

「よかろう、お前たちを長老の元へ案内してやろう。くれぐれも失礼のないようにな」

 エルフが横を向き片手を木々にかざすと急に辺りの草木がざわめき始め、小鳥たちが慌ただしく空へと飛び立った。
 ふと気づくと、エルフの掌の先にある大木の根本にぽっかりと大きな穴が空き、その先からわずかに光が漏れている。人一人が身を屈めてようやく入れる程度の空間だが、ウィルはその穴を眺めていると思わず吸い込まれそうな気分になった。

「お前たちはこの森に赦された。さあ、私の後に付いて来るがよい」

 エルフは長い背を折り曲げ、大穴の中へと入っていった。
 ウィルがその後に続くと、コーデリアとカイルは一度顔を見合わせた後、ウィルの後を追った。

 大穴の先は意外と広い空間で、木々の根によって形作られた洞窟のようになっていた。下草には湿り気があり、陽光が根の隙間から差し込んでいて以外に周囲は明るい。木の根から時折滴り落ちる雫がコーデリアの首筋を濡らし、彼女は小さく悲鳴を漏らす。

「あまり大きな声を出すな。木霊が騒ぐ」

 エルフはコーデリアに冷たい一瞥をくれると、先を急いだ。
 ウィルが辺りを見渡すと、小さな緑色の球体があちこちに浮いている。
 球体はウィルが歩を進めると怯えたように周囲に避け、静かに明滅していた。

 蛇の胴のようにうねる木の洞窟を抜けると、一気に視界が開けた。
 降り注ぐ眩しい陽光に、ウィルは思わず目を細めた。
 しばらくして目が光に慣れると、ウィルの眼の前には極彩色の蝶が飛び交い、地面にはアスカトラの空中庭園ですら見たこともないような嫋やかな花々が咲き誇っていた。足元の短い下草は柔らかな絨毯のような踏み心地で、思わずこの場に身を横たえたくなる。

(これが、エルフの住処……)

 この辺りは植生が人の住まうところとは異なっているらしい。
 地上の天国と言える場所があるなら、あるいはこういう場所だろうか、とウィルは心中で呟く。

「何をしている。長老にご挨拶せよ」

 エルフが顎をしゃくった先には、大きな切り株に腰掛けている男がいる。
 年齢はウィルを案内してきたエルフとさして変わらないように見えるが、灰色の長い髪を双肩に垂れる男の瞳は閉じたままだ。長老と言うが、男の端正な(おもて)には法令線すら浮いていない。

「あの、初めまして、私はナヴァル城主コーデリア・バレットと申します。このたびは、ヘイルラントに侵入したカイザンラッド軍を追い払うため、森エルフの皆様の力をお借りしたくお願いに参りました」

 コーデリアが用意していた口上を述べると、長老はそれ以上言うな、と言いたげに掌をコーデリアの前にかざした。

「人間には久しぶりに会うたが、相変わらずせわしなきことよ。そなたらは小鳥らの歌を愛でたり、木漏れ日の暖かさに感謝を捧げたりはせぬのか?」

 困惑した様子のコーデリアに、ウィルが歩み寄る。

「無粋な真似をして申し訳ありません。我等人間はその生の短さゆえ、皆様のように挨拶代わりに詩を述べる習慣を持たないのです」
「ずいぶんと彩りに欠ける生を生きていおるのだな、人間は。ナルディス、なぜこのような者達をここへ通した?」
「彼等は私の幻影を見破ったのです」

 ウィル一行をここへ案内したエルフは、優雅に長老に一礼した。

「ほう、お前の聖紋に惑わされぬ者もいるのか……人間は見たいものしか見ようとしない生き物だと聞いておったのだがな」
「彼等は並の人間を上回る知恵はあるようです。もっとも、この地へ面倒事を持ち込もうとしている点は他の人間と変わらないようですが」
「カイザンラッド兵がどうとか申していたな。金色の髪の娘よ、そなたらとカイザンラッドとの間にどういう因縁があるのだ」

 目を閉じているのにコーデリアの姿が見えているかのように、長老は言う。

「それが、私にもよくわからないのです。彼等がどうやってこの地へ現れたのか、何を目的として攻めてきたのかも。ただ確かなことは、カイザンラッド軍の存在はこのヘイルラントにとり、重大な脅威であるということです」
「目は開いていても、そなたには何も物が見えていないのだな。奴等がどうやってここにたどり着いたかは知らぬが、何のために攻めてきたのかは明らかであろう」
「彼等の目的は何なのですか?お教え願えませんか」

 切迫した様子で訪ねるコーデリアに、ナルディスは侮蔑のこもった目を向ける。

「知れたこと。ヘイルラントを占領し、白銀協定の期限が切れたらアスカトラに攻め込むつもりなのであろう」
「そんな……」

 当然のように言い放つ長老を前に、コーデリアは絶句した。
 白銀協定とはファルギーズの戦いの後、アスカトラ合邦王国がカイザンラッド皇国へ十年間の平和税の支払いを決めた協定である。長老の言葉が正しければ、カイザンラッドはアスカトラから搾取するだけでは足りず、なおその領内へと爪牙を伸ばそうとしているというのか。

「この地をアスカトラへ侵攻する足掛かりにするというのですか!」
「考えてもみるがいい。ヘイルラントは土地も肥沃で、多くの兵を養える。それでいて隣接する領邦・クロンダイトは防備も手薄だ。ヘイルラントがあまりにも平和であったがゆえにな」
「ですが、これ以上アスカトラを攻めて何になるというのです?カイザンラッドはすでに平和税で十分に潤っているではありませんか?」

 長老はゆっくりと頭を振りつつ、諭すように言う。

「娘よ、そなたも知らぬわけではあるまい。カイザンラッドは身分も出自も問わず、戦功を立てた者には厚く報いる国だ。ファルギーズの勝利の立役者である竜将ヴァルサスも、剣奴の身分から取り立てられたと言うではないか」

 カイザンラッド七竜将──それはこの旭日昇天の勢いの帝国の武の要となる存在である。皇国中から選ばれた屈指の名将の一人であるヴァルサスは七竜将の中では最も若く、わずか21歳にして若さに似合わぬ老練な兵法を駆使し、ファルギーズの野で山岳エルフの将・トゥーラーンを屠った。
 以来、この少壮の将はカイザンラッドの東の押さえとして、アスカトラへ睨みを効かせ続けている。

「アスカトラを攻めれば、切り取った領土はそっくり攻めた者の手に入る。恐らくヴァルサスは白銀協定が開けたら即座にアスカトラへ攻め込む気でいよう。いずれアスカトラの領邦はすべてカイザンラッドの州に組み込まれてしまうかもしれんな」
「そんなこと、許されていいはずがありません!」
「そなたが許すかどうかなど、カイザンラッドが意に介すると思うのか?」

 コーデリアはぐっと詰まった。面を伏せ、拳を握り込んだまま何も言葉を発することができない。

「……このままでは、私の愛するヘイルラントがカイザンラッドに蹂躙されてしまいます。どうか、貴方がたのお力をお貸しください」
「人間界の勢力図がどのように変わろうと、我等の知ったことではない。森の民は森の外のことになど関わる気はない。パリサとその娘、アルティラとディリータがどのような運命をたどったか、お主とて知らぬわけではあるまい」

 目に涙を浮かべつつ哀願するコーデリアに、長老は冷たく言い放った。
 アルティラとディリータとは、アスカトラ国王クロタール2世と山岳エルフのパリサの間に生まれた双子の娘の名である。
 七年前にカイザンラッドに徹底抗戦することを主張し、平和条約に強硬に反対した
ため命を落としたパリサと行方不明となった双子の姉妹の悲劇は、今なおエルフ達の心に強烈に刻み込まれている。

「おお、なんと嘆かわしきお言葉。森の賢者と讃えられる貴方方が、これほど物事の見えぬ方達であったとは。この有様では、このヘイザムのエルフが滅びるのも時間の問題でしょうね」

 長老はウィルの無礼な言葉にびくりと身を震わせると、ずっと閉じていた瞳を開いた。白く濁ったその瞳からは、すでに光は失われていた。
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