トリビア:比類なきバカ帝王まーくんのつづき
文字数 1,159文字
後白河院の生涯を見るとかなり痛ましい。ずっとみんなに煙たがられている。帝王なのに。
心を許せる人なんていたんだろうか。
その近衛なんちゃらくんみたいにバカでもいいから優しい子にそばにいてほしいと思ってしまうのは、もちろんそういう公私混同は君主としてはNGなんだけど、そうなんだけど、これもまたかわいそうで、つい、きゅんとしてしまう。
後白河くんの、とくに若い頃が痛ましい。みんなに余計者あつかいされている。皇子なのに。
当時、天皇を赤ちゃんとか二歳とか、せいぜい十歳とかの子どもにしておいて、そのお父さんが「上皇」として実際に政治を動かす「院政」というのが流行っていた、いや流行ってたわけじゃないけどそういうダブルなシステムがスタンダードになっていた(上皇が出家すると「法皇」と呼ばれる。立場としては同じだ)。お父さんって、まーくん何歳なのという話だが、なんか十五歳くらいのときにうっかり息子を作っちゃって(隠し子じゃないですちゃんとお妃の子です)、その子が十四歳で天皇になっている(二条天皇)。
その上皇なのに、何もさせてもらえない雅仁くん。
ひまだから、御所に設けられた桟敷から八条大路を見物して、気に入った庶民を呼び集めたりするのを楽しみにしていたらしい。遊女たちもその中に入っている。遊女と言っても江戸時代と違って娼婦ではない。歌姫・舞姫だ。
私(作者)はすごく面白い人だと思うけれど、そう思わない人がいるのもわかる。
正直、帝王としては変人だ。
あきれた貴族たちが、桟敷に板を打ちつけて外を見えなくしてしまった。権大納言と参議という最高位の人たちが命じたらしい。
これにはさすがに雅仁くん
「ひどい」
と言って抵抗した。がまんの限界だったにちがいない。
「あの人たちなんとかして」
と涙ながらに臣下の武士に訴えた。泣かれたほうも驚いた。いちおう相手は帝王なんである。
すぐに動き、「無礼にもほどがある」とその公卿たちを捕らえさせ、院の前に引きずってきて地べたの上で拷問した。そして流罪にした。かっこいい。ちょっとキレ気味でやばいけどかっこいいし優しい。
その武士が清盛だ。
知れば知るほど、「清盛は人を人とも思わないワンマンで、後白河は周囲を手玉に取ったタヌキ親爺だった」というイメージって誰が作ったんだろうと思う。なんかいろいろ違う。