前編

文字数 14,739文字

 一週間前、ナイアスは夏休みを満喫している時に、叔父で機械工学者のアルフから呼び出しを受けた。
 ナイアスはアルフにいい印象はなかった。他人の都合を一切無視して無茶な用件を突きつけてくるからだ。かと言って断ると奇弁と文句を垂れ続けてくるので対処に困る。やむなく受け入れた。メールで返答を出すと公共機関とタクシーを使い、アルフの家に向かった。
 タクシーはアルフの家の前に到着した。ナイアスは領収書を受け取った。タクシーは去った。
 ナイアスは門に備え付けてあるインターホンを押した。カメラはナイアスを認識して自動で開く。庭を通って玄関ドアの前に来た。モーター音がしてドアが開いた。少年のメイドが玄関に立っていた。
 メイドは頭を下げた。「お待ちしていました、ナイアス・シン様ですね。アルフ様がお待ちです。ご案内します」
 ナイアスはアルフの家に入った。ドアが自動で閉まる。メイドを見つめた。今時、人間のメイドを雇うとは珍しい。ナイアスはメイドに近づき、目を見た。虹彩は透き通っていて、奥には機械の部品が見える。目の障害を機械で補ったサイボーグだ。「住み込みをしているのか」
「住み込みですか」
「家に住んでいるって意味だよ」
「所属なら」メイドは抑揚のない声で答えた。
 ナイアスは眉をひそめた。メイドの返事がかみ合ってない。
「アルフ様がお待ちです」メイドは廊下を奥へと進んでいく。
 ナイアスはメイドに続いた。
 突き当りのドアの前に来た。
 メイドはセキュリティ用の電子キーが付いた取っ手に手を触れた。モータ音がした。取っ手を引いてドアを開けて入った。
 ナイアスも書斎に入った。
 本棚には機械工学や哲学を主にした気難しい本や、何に使うのか分からない機械端末が置いてある。カウンターにはキーボードを含めた入力装置と一体になった機械から板状の機械まで、博物館の展示に似た構成で置いてある。水槽が窓際にあり、魚が内部で水草の間を泳いでいる映像が浮かんでいる。
 アルフは不抜けた表情で、椅子に座って待っていた。
「ナイアス様が来ました」少年のメイドはアルフに声をかけた。
「よく来たな、蹴り飛ばすんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
 メイドは書斎の隅に移動した。
 ナイアスはアルフの元に向かい、机に目をやった。アルフの家族を写した写真が置いてある。人間のメイドを雇っているのと言い、アナログな写真を飾っているのと言い、懐古趣味がある。
「かしこまらなくても良い」アルフは椅子を回してナイアスの方を向いた。「用件と言っても大した話ではない。俺の代わりにクラウド・シティに行って、トーマスからデータの入ったカードを持ってきてくれ」
「データをですか。今はネットワークを使えば簡単にできますよ。セキュリティも量子キーですから以前に比べて安全です」
 アルフは端末を軽くつついた。机に特定した人物が持っているボックスのデータが現れた。ボックスに映っている男のデータは、アルフよりも10歳程若く見える。「お前の親父さんに渡したデータの解析が終わったんだ。個人の頼みだから、公営のストレージに残すとまずいんだ」端末を操作し、メールを含めた通信ソフトを次々と起動する。アクセスの痕跡はない。ネットワークにデータを置いていない証拠だ。
「手渡しで受け取ってこいって意味ですか。自分で行けばいいじゃないですか」
 アルフはナイアスをにらんだ。
 ナイアスは引き下がった。
「エセ人間が威張り散らる、消毒液に塗れた街に行く気力はない。俺も歳だからな、自然のない場所に行けば適応できずに早死しちまうよ」
「エセ人間って、差別ですよ。チャイルド・キットと言うんです」
 ナイアスはアルフに突っかかった。チャイルド・キットとは子供でも扱える容易さ、従順さによる汎用を売りにして製造、販売している人型ロボットの商品名だ。発売してから瞬く間に売れた。今では他の人型ロボットを駆逐し、人型ロボットの代名詞になった。
「呼び名が何でも意味は同じだ」アルフは強い口調で言い、端末を操作した。「人間の生きがいを奪った人工物に変わりはないんだからな」
「労働ですか」
 アルフはうなづいた。「奪ったのは端っこだ。近い内に制御する側も乗っ取るかもしれん」笑みを浮かべた。人に代わって労働を請け負うロボットが普及すれば、人は働く場所を失っていくのは誰でも予測できた。一方でロボットは単純かつ危険な労働を肩代わりするだけで、人間の労働は整備や組み立てを始めとする複雑な作業や、コミュニケーションを主軸とする安全な職業へ転換していくと答えた識者もいた。
 実際に人型ロボットが稼働した予測は無用な心配に終わった。奪った労働は高度な論理判断を必要とするエリートの仕事だだった。単純労働は元々から機械に置き換わっていたのもあるが不確定な要素が多く、プログラムの枠組みでしか判断できない人型ロボットとの相性が悪かった。労働を失わずに済んだと歓迎する一方、安全なデスクワークを奪ったと憤慨する者もいる。労働を巡る論争は未だに解決していない。
「ロボットが人を支配するとでも」
「既に支配しているよ。気付いていないだけさ」アルフは腕を組んだ。「人とロボットの違いは分かるか」
「機械でできているか、プログラムで動くかですか」
 アルフはうなった。「他にも答えはある。子供ができるか、死の概念を理解できるかだ。見た目ではなく意識や性分に関する問題で区分けている。今はいいが、違いのほとんどは技術発展で突破できる。近いうち、人とロボットとの区別ができなくなるかも知れんぞ」
 ナイアスは眉をひそめた。脱線した話に夢中になる悪い癖が始まった。
 アルフはナイアスの表情を見て、苦笑いをした。「すまない、話が逸れたな」机に置いてあるカードを手に取り、ナイアスに投げた。
 ナイアスはカードを受け取り、眺めた。半透明で電子マネーの額が映っている。
 アルフは端末を操作した。机に浮かぶ立体映像が切り替わり、データが多重に映る。
 ナイアスはデータを確認した。チャイルド・キットの学習機能に関する内容だ。
「お前の親父さんにデータの整理を頼み込んでな、先日終わったのでデータを取ってこいって言ってきた。膨大な学習機能と整理が必要だったとぼやいてたよ」
「何を整理したんですか」ナイアスはアルフに尋ねた。父は大学時代に人工意識を研究していて、現在はチャイルド・キットの製造メーカーの元で同じ研究をしている。メーカーのあるクラウド・シティにこもっているので家に戻らず、守秘義務の兼ね合いで連絡もとっていない。
「個人情報だよ」アルフは笑みを浮かべた。「お前は今夏休みで暇人こいているんだろ。なら社会勉強ついでに行ってこい。金はカードにぶち込んである。残ったらお前の口座に入れて構わんぞ」
 ナイアスは為息をついた。何故、呼び出して金をかける手間を掛けてでも自分に頼むのか、メイドにでも頼めばいいのにだ。
 アルフはナイアスの表情を見て笑った。「不安か、行って帰ってくるだけだぞ。来週でも良いからな」
「金を受け取ったまま逃げる可能性もあります。もらった情報を売るってのも、ありますよ」ナイアスはアルフに尋ねた。
「お前の性格ならありえんよ」アルフは快活に答えた。「持ち逃げしてもはした金だ、別に構わんよ。売るにしても、誰も分からん情報に金を出す奴はいない」
「はあ」ナイアスは曖昧に返事をした。
「話は終わりだ」アルフはドアの方を向いた。「クライス」
 ドアが開き、メイドが現れた。「アルフ様、御用ですか」
「ナイアスを送り届けろ、外には出るなよ」
「かしこまりました」メイドは頭を下げた。
 ナイアスはメイドと共に部屋を出た。メイドを雇うのは裕福層にとって当然の社会だったが、今やチャイルド・キットに代わった。今時メイドを雇っているのは懐古主義の人間か、チャイルド・キットを嫌う人間位しかいない。
 玄関に来た。
 メイドはドアを開けた。「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」
 ナイアスは外に出た。メイドがドアを閉めた。道路に出ると自身が持っているカードを取り出し、操作してタクシーを呼んだ。待っている間、アルフからもらったカードを眺めた。特に変な細工をしていない、一般に流通しているカードだ。父の再会を兼ねて、クラウド・シティに観光しに行くいい機会だと言い聞かせた。
 暫く経過した。タクシーが来た。自動で後部座席のドアが開いた。
 ナイアスはタクシーに乗り込み、家に向かった。



 モノレールが超高層ビルの天辺にはり巡っているレールに従い、ビルに入った。内部にはプラットホームがある。速度を落として停止した。
 けたたましい案内のアナウンスが響き、モノレールの扉が開いた。人々が降りていく。ナイアスは人の動きに沿って降りていく。
 人々はプラットホームから改札口に一直線に向かっていく。ナイアスは人々の波から外れて立ち止まり、つり下がっている案内板を見た。透明な板で、情報が立体に浮かんでいる。田舎では見かけない情報板に驚いた。
 モノレールが発車し、人々の波が消えた。
 ナイアスは情報が切り替わったのを確認し、プラットホームから改札口に向かった。
 駅の改札は金属探知機に似たゲートがあり、脇に駅員が立っている。ゲートを通して対象者に装備しているカードを読み取る仕組みだ。
 ナイアスは改札口を通過して駅前の広場に出た。
 駅の周囲は無数の超高層ビルが立ち並んでいて、屋上に敷いてあるレールには小型車の輸送列車が走っている。露店の類いはなく、店はビルに入っている。ビルのガラスには動画の広告が映っている。ビル間の荷物の輸送は専用の列車が担当する。
 ナイアスは完璧なまでに計算した都市設計に感心した。平地にある湿地帯に過ぎなかった土地は、今や世界最先端の機械とコンピューターで制御したユートピアになったのだ。
 ナイアスは案内板に近づいた。
 案内板はナイアスを認識した。『端末をご提示ください。ガイドを配布します』音声が響いた。
 ナイアスはカードを懐から取り出し、案内板にかざした。
 案内板の色が瞬時に変化する。『ガイドを配布致しました。端末にてデータを確認ください』音声が響いた。
 ナイアスはカードに目をやった。半透明のカードにメニュー画面が映っている。指先でカードをいじった。目標を入力すると立体で地図が浮かんだ。チャイルド・キットのメーカーが治める企業城下町としてのエリアを中心に、放射状に広がっている。「歩いていく方が遠回りかもな」案内通りに歩き出した。バスで行っても徒歩で向かっても、到着時間とほぼ同じだったからだ。
 超高層ビルが詰め込んで建っている区域には店が並んでいる。
 ナイアスは店に入る勇気がなかった。田舎の人間にとって、最新の設備が整った店に入るにも尻込みしてしまう。
 大通りをたどっていくと、ゲートが見えた。ナイアスは立体地図に目をやる。父がいる場所にはゲートを通って入る必要がある。
 ゲートに近づいた。ゲートは白く無人で、管理している人間は誰もいない。バーは降りていて、歩行者を含めて立ち入りに制限がかかっている。
 自動車がゲートに近付く。自動でバーが上がった。車は先へと向かっていく。
 ナイアスはアルフが根回しをしてくれていると信じ、ゲートに近づいた。
 歩行者道路にもゲートがあり、バーが降りている。
 ゲートに近づいた途端、耳をつんざく電子音がゲートから響く。
 ナイアスはとっさに下がった。警報は鳴り止まない。
 車輪の付いた警備ロボットが一斉にナイアスの周りに集まり出した。スタンガンの付いたマジックハンドを伸ばす。
 ナイアスはロボットの集団を前に動きを固めた。近づいただけで犯罪者になるのか。脳裏で必死に言い訳を探した。
 パトロールカーの音が近づいてきた。道路の脇に止まり、警察官のヨシュアが運転席から降りてきた。次いで警備型チャイルド・キットが後部座席から降りてきた。半透明のボディをしていて、内部の機械が透けて見える。
 ヨシュアがナイアスに近づいてきた。「何をしているんだ」ナイアスに尋ねた。
「自分の質問ですよ」ナイアスは声を上げた。
「通報により対象を確認します」警備型チャイルド・キットはナイアスを識別した。「対象を確認しました。反抗は見せていません」
「締め上げるなよ」ヨシュアはチャイルド・キットの方を向いた。
「対象の確保はしなくても良いと」
「犯罪者ではない、自動で連絡が入っただけだ」ヨシュアはナイアスの前に来た。「まずは警報がうるさい。止めろ」
「了解です」警備型チャイルド・キットはゲートの方を向き、センサーを介してネットワークに接続した。警報の音が消えた。
 ナイアスは一息ついた。機械ではなく人間が来たので安心した。「すみません、父に会いに行くのですが、先に進めないんです」カードを操作した。父親であるトーマスの身分証明が、地図と共にホログラムで映る。
 ヨシュアはトーマスの身分を確認した。
「叔父が下準備をしてくれると言っていましたが、今の状況からできていません。父に連絡するにもメーカーの社員だからか、連絡ができないんです」
 ヨシュアはナイアスの話にうなづいた。論理としては合っている。「先はメーカーの企業城下町になっててな、出入りに制限がかかってる。セキュリティがうるさくて、データにない奴に片っ端から警告かけてくるんだ」ヨシュアは胸ポケットから半透明のカードを取り出し、操作する。データが多重に浮かぶ。「カードを」
 ナイアスはカードを押してホログラムを閉じ、ヨシュアに差し出した。
 ヨシュアはカードを受け取り、カードを重ねた。互いのカードが鈍く光り、データがリンクした。カードを操作した。接続を示すアイコンがホログラムとして浮かんだ。
 暫くして回線がつながった。カードからトーマスのバストアップが立体映像で現れる。
『警察か、俺をまた聴取する気か』
「聴取する程の何かをしていたのか」
『技術者と言う奴は法を綱で渡っとるもんだ。疑わしき行動の一つや二つはある。警察さん、今回は何の容疑でガサ入れするのかね。令状なしで』
「法令遵守が警察のモットーでね。お偉いさんから指示がなければ動かんよ。今回は貴方の息子さんを名乗る人が、特別区域前のゲートでうろたえてましたから保護したまでです。で、連絡を取った次第です」
『ナイアスとなれば、アルフの使いか。奴め、入り方すら教えとらんのか』
 ナイアスはヨシュアの脇に来て、ホログラムとして映っているトーマスと対面した。「父さん、ナイアスです。すみません。企業の敷地に入る手段が分からなくて、警察が来てしまいました」
『警察がした話をまたするか。パトカーに乗って俺のいる建物まで来てくれ。入るならアルフがキーを入れているから問題ない。入れてないなら、お前の代わりに文句をたたきつけてやる』
「すみません」
『警察のIDからして名前はヨシュアと言ったか。特別区域の入り方すら分からん、頭の悪い息子を指定した建物まで運んでくれ』
「私はタクシー業者じゃないですよ。敷地に入るまでの手続きしかできません」
『事情は把握した。なら通してくれ』回線が切れて、ホログラムが消えた。
 ヨシュアはナイアスにカードを差し出した。
 ナイアスはカードを受け取った。
 ヨシュアは警備型チャイルド・キットの方を向いた。「彼を敷地内に入れろ。ついでにロボット共に解散命令を出せ」
「確保せずともよろしいですか」
「何を聞いている。関係者を通せと言っているんだから通す処理をするんだ」ヨシュアは警備型チャイルド・キットに罵声を浴びせた。
「はい」警備型チャイルド・キットはヨシュアの罵声にひるまず、ナイアスに集まっているロボットの方を向いた。ナイアスを認証するプログラムをロボットに送信した。ロボット達は一斉に解散した。
 警備型チャイルド・キットはナイアスの方を向き、目を通してスキャンをした。危険物の類いはない。「ナイアス=シン様。ゲートに来てください」ゲートに向かって歩き出した。
 ナイアスとヨシュアは警察型チャイルド・キットに続いた。
 警備型チャイルド・キットはゲートの脇にある液晶案内に手を当てた。液晶画面が切り替わり、認証をする。電子音と共にバーが上がっていく。
「警備員はいないんですか」
「関係者は条件で判断し、自動で認証します。条件がない人間は排除するだけです」
 ナイアスは警察型チャイルド・キットの言葉にうなづいた。プリセットしているデータで認証した存在だけを通せばいいので、人を介さずともコンピューターで容易にできる。「チャイルド・キットって警察業務もやるんですね」
「やるなら補助だけだ。珍しいか」
「田舎者ですから」
 ヨシュアは笑った。「警察に限らず、チャイルド・キットなんてのは特別区域に掃いて捨てる程いる。珍しさで腰を抜かすなよ」
「はあ」ナイアスは曖昧に返事をした。
「じゃあな」ナイアスと警備型チャイルド・キットはパトロールカーに引き返し、パトロールカーに乗り込んだ。ゲートに向かうと自動で上がった。パトロールカーは特別区域内に入っていった。
 ナイアスは開いたゲートの先に向かって歩き出した。
 超高層ビル群が熱帯雨林の木々の如く立ち並ぶ世界が、ゲートの先にあった。
 ナイアスはカードを操作した。地図がホログラムで浮かぶ。案内通りに歩いていく。公共機関による移動も選択にあるが、待ち時間を含めて比較すると同じ時間になるので、松より動いたほうが良いと判断した。
 道路は電気式の自動車がすれ違う。ラウンドアバウトが大通りを交差する場所に設置してある。運転席に人が乗っているがハンドルは緊急時のマニュアル操作のみに使う。通常は道路に埋め込んだ給電を兼ねた制御装置や衛星による位置情報により無人で動く。
 歩道では行き交う人々に紛れて、チャイルド・キットや車型ロボットが清掃や運搬をしている。人々は目をくれずに歩いている。
 見慣れない光景は田舎者のナイアスにとって珍しさの塊だった。
 暫く案内に従って歩いていく。入り組んだ道に入った。
 徐々にビルが立ち並ぶエリアから外れ、人気も少なくなってきた。
 汚れが見える高層ビルが立ち並ぶエリアに来た。道は整っているが、ゴミや破片が道路の隅に散らばっている。
 ナイアスは不安になり、カードから映るホログラムを確認した。居場所やルートに間違いはない。ただし正確な道が映らず、自身がいる場所は立体の建物を示している。座標がずれているのだ。引き下がるにも、見慣れず入り組んだ道を逆に進むのは難がある。地元の人に聞くにも、物騒な場所で聞けば返答の代わりにナイフと銃弾が返ってくる。
 やむなく案内へのルートに向かう形で、入り組んだ道を進んでいく。
 次第にますます荒れた道に出ていく。
 ナイアスは不安だった。衛星を経由しているので迷いはなく目標に向かっているのは分かる。問題は治安を含めた一切の情報がない点だ。道を進むと行き止まりに出て回り道をするのを繰り返している。ホームレスやストリートギャングの風貌をした人間に遭遇するも、自分に興味を持たず近づかなかったのは幸いだった。自身も関わるのを防ぐ為、特に用件を話さずに距離を置いた。
 大通りから外れ、寂れた住宅街に出る。茶色のレンガを模した建物が立ち並ぶ。行き止まりにぶつかり、引き換えして直前の通りを案内に映るルートに近い側に曲がる。
 ナイアスは案内板もないのに気づいた。貧困の進む街はインフラ整備が後回しになっているのだ。不安になりながら進んでいく。
 幅の広い道路に出た。
 道路は川の下を通る地下トンネルにつながっている。
 ナイアスはカードから浮かぶホログラムの地図とを見比べた。橋を渡るルートは遠回りで4マイルも無駄になる。疲れを覚え、休憩を取る為に広場に向かった。案内板を設置しているなら、通して地図データをダウンロードできる。
 広場は薄汚れた白いブロックで覆っている。中心にはオベリスクを模したモニュメントが立っていて、人々が歩道でストリートスポーツをしていた。
 ナイアスは広場に入り、施設がないか探し回る為、オベリスクに向かって歩いた。
 オベリスクの前で人が集まっているのが見えた。同時になめらかで透き通った歌声が響いてくる。
 ナイアスは人が集まっている先から歌が聞こえているのに気づいた。施設を探すのが目当てだったが、声のキレイさに興味を抱いた。気づいた時にはオベリスクの前で人をかき分けていた。
 オベリスクの前では、汚れきったホームレスの男が座っていた。目の前にはボディが破損している端末が置いてあり、ホログラムでコードが映っている。男の隣には女性が歌を歌っていた。歌は引退したヨハンと言う歌手が歌っていた、誰もが知っているカントリーミュージックだ。楽器や音頭がないにも関わらず、完璧な調子で歌っていた。
 人々は女性の姿を見つめていた。集まっている人々は皆、真剣な面持ちで女性を見つめている。
 女性は歌を歌い終えた。人々から惜しみない拍手が飛んだ。
 男は立ち上がり、女性の前に出た。「お前ら、良かったんなら拍手じゃなくて金をよこせ」男は古ぼけた板状の端末を操作し、コードをホログラムで写した。
 集まっていた人々は嫌悪の表情をした。コードは男の電子マネーの口座にリンクしていて、かざして金額を入れれば男の元に入る。現在では紙幣の類いは一切使用できず、貧民であっても端末の所持は必須だ。
 人々は男の態度に不快を示し、退散していく。女性は立ち尽くすだけで動かない。
 ナイアスは立ち尽くしていた。
 男はナイアスに近づいた。「お前、聞いてたんだろ、金くらい出せよ。身なりが良いんだからよ、小金出したっていいよな」
 ナイアスは男の口の臭いに不快になり、顔をしかめて引き下がる。
「なあ」男は大声を上げた。ナイアスは男の大声に一瞬、ひるんだ。ナイアスの反応を見て不敵な笑みを浮かべた。脅せば金を出すタイプだ。「お前みてえなガキが来ていい場所じゃねえんだよ。大体な」
「すみません、もめないでください」女性は抑揚の薄い声で注意して、ぎこちない動きで男の元に近づいた。「互いに不快なままでは何も解決しません」
 男は舌打ちをした。「うるせえな、誰が拾ってやったんだ。てめえは俺に金を落としてくれれば良いんだよ」
「すみません」女性は頭を下げた。
 ナイアスは女性の動きを見て違和感を覚えた。見た目は五体満足にも関わらず、動きが不安定だ。人が入っている動きに似ている。
「拾った」ナイアスは男の言葉をオウム返しに声を出した。女性と男の関係に不審を覚えた。
「ジロジロ見てんじゃねえよ。金を出せば良いんだよ。カードを見せろ、よこせ」男はナイアスに殴りかかった。男の腕の動きは軽く、子供でなければ軽くかわしていなせる速度だった。
 ナイアスは男の拳を避けた。男の拳は空を切る。直後に伸ばした腕をわざとかばい、いたがる演技をした。「痛え、野郎俺が貧弱だからって、避けてカウンター決めやがった」わざと大声を出す。人々は何事かと男の方を向くも、まもなく目を背けた。男の演技は日常茶飯事で、周りの人間も分かりきっていた。「奴が俺をいじめやがる。貧乏人に文句言って、なけなしの金を取る気だぞ」
「演技だって分かってますよ」女性は男に声をかけた。
 男は女性をにらんだ。「いちいち言ってんじゃねえ」男は女性の足を蹴り飛ばした。
 女性は特に反応を見せず、ナイアスの前に来た。「すみません、ご迷惑をおかけしました」頭を下げた。
 ナイアスは女性に違和感を覚えた。男と似た服を着ているが、男と違って体臭が一切ない。目は透明な虹彩の奥に、カメラのレンズに似た部品とコードが見える。アルフのメイドと同じだ。「失礼ですが、貴方はサイボーグですか」女性に尋ねた。今の時代、欠損した体の部位は脳や主要な神経を除き機械で補える。珍しくはないが、クラウド・シティでは貧しい人間が高額な機械の体に置き換えるなんてできるのかと、疑念が浮かんだ。
「私はサイボーグではありません。チャイルド・キットです」女性は淡々と答えた。
 ナイアスは女性の姿に驚いた。服からはみ出ている皮膚は透き通っていて、シワも人と変わりない。「人間にしか見えない。歌もチャイルド・キットの打ち込みなのか」
「前のマスターから学びました」
 ナイアスは女性の動きを見て、動きのぎこちなさを理解した。隣にいる男がまともなメンテナンスをしないのは推測できる。内部の部品が破損していて、まともに動かないのだ。
「歌を覚えさせるなんて、変わったマスターだね」
「元々なのか後からなのかは分かりません。前のマスターは私を自分の子供と重ね、世界や歌についてよく教えてくれました」
「今は」
 女性は首を振った。
 ナイアスは小さくうなづいた。前のマスターが亡くなった時、遺族が廃棄したのを男が拾い、データを消さないまま認証したのだ。
 男はナイアスの前に出た。「下らねえ話をしてるんじゃねえ。話の続きを聞きたきゃ金を払え」
 ナイアスはカードを操作した。
 男は笑みを浮かべた。金を恵んでくれると予想した。
 ナイアスのカードから、立体地図が現れた。目標と現在地が映っている。現在地は建物にめり込んでいる。「座標がずれているんだ。目標地点には、トンネルを通れば着けますか」女性に尋ねた。チャイルド・キットなら正確な位置情報を教えてくれると踏んだ。
 男は舌打ちをした。「おい、俺は案内人じゃねえんだ。金を」
「私のメモリーには現在の周辺情報があります。ただし貴方のデータよりも古く、ネットワークにも接続できないので、正確さに欠けます」女性は淡々と答え、手を差し出した。手のひらに内蔵してあるカメラからホログラムの立体地図が映る。
「貴方が保持している座標と、私が保持している座標とを照合して同期します」
 女性はナイアスのカードを見つめた。目のレンズを通して、ナイアスのカードを見つめる。カードに映っているデータを読み込んだ。カードを通してネットワークに接続し、周辺のネットワークの座標を更新して読み込む。地図に読み込んだ座標と、カードの座標とを測量の原理で計測し、正確な座標と共に地図を修正する。
 目標までのルートが改めて映る。広場から出てトンネルを通り、大通りに向かってビル街から離れた場所に線が現れた。
「大丈夫ですか」
 ナイアスは地図を確認し、うなづいた。「ありがとう、道がずれていて不安だったんだ」
「お役に立てれば光栄です」
「おい、お前」男は女性の前に出た。「案内までしてやったんだ、金をよこせよ」
 ナイアスは渋々カードを操作した。男はにやけて端末を操作し、コードを出した。半透明のカードで端末を透かしてみた。端末のコードを認証した。ウィンドウが映る。指で操作して送金した。
 送金が完了した旨の表示が男のデータに現れる。
 男はナイアスに笑みを浮かべた。「感謝するぞ、次もサービスしてやるからな」
「ありがとう」ナイアスは女性に声をかけ、オベリスクの前から出ていった。
 女性はぎこちなく頭を下げた。
 ナイアスはオベリスクを後にして広場から出た。案内通りに脇にある川の下を通るトンネルを通った。
 トンネルは車が通る音が響いている。歩道にはホームレスがゴザを敷いて寝ていて、脇には治安維持を推奨する企業の広告が映っている。行き交う人は少ない。
 ナイアスは薄暗く、液晶と天井の黄色い光だけが歩道を闇を照らす光景に不気味さを覚えた。寝転がっているホームレスは、起き上がって自分の首を絞めるか、かみ付いて殺すかするゾンビに見えた。早足でトンネルを抜け、外に出た。
 外は白と黒を基調とした超高層ビルが囲っている。外の街頭テレビから響く音楽と、車と人が発する音が混ざっている。
 ナイアスは無機質なビルで囲った世界に安心し、案内板を探した。交差点の脇に設置してあるのが見えた。近づいてカードをかざした。案内板はカードを近づけた。地図と共に周辺の状況が映る。目標近辺の治安は安定している。自分が通ってきた川の対岸側は治安が安定せず、観光で来る人間は近付くのを禁止する旨のダイアログが映っている。データをダウンロードしてカードを操作した。立体地図が映る。ナイアスは案内に従い、目標に向かって進んでいった。
 案内に従って進んだ先は、巨大なビル群が植え込む区域から離れた、高層ビルが立ち並ぶ区画だった。華やかな超高層ビルに慣れていると大した高さではないと錯覚するが、10階建てのビルが所狭しと並んでいる光景は、緑とブロック塀で囲った家に慣れた人間にとって、まだ都会の一部だと認識できた。
 ナイアスはビルの前に来た。
 ガラス張りのドアで、隣にカードによる認証端末になっている。不特定多数の人間が出入りする住居では特定の人間以外を排除する生体認証ではなく、カード式の方が融通がきく。
 ナイアスはカードをかざした。エラーが出て警備員が来たなら、入り口で警察が来た時と同じく、最初からアポイントを取っていたと話せばいい。
 液晶に認証が完了した旨の表示が出る。
 ドアに設置してある、半透明の電子キー端末が起動する鈍い音がした。内部にあるギアが回転して、ドアの端から上部に接続している金属の棒が上がる。ドアの脇に隙間ができて、ドアが隙間に入り込んだ。『認証しました。お入りください』
 ナイアスは開ききったドアを見た。隙間に入り込んでいる。ビルに入り、ロビーに来た。
 ロビーは無人で、自動車が2、3台入るスペースがある。半透明のボディをしたチャイルド・キットがエレベーター前の受付で待機している。
 ナイアスはチャイルド・キットに近づいた。「すみません、トーマス=シンに会いに来たのですが」カードを差し出した。
 チャイルド・キットはナイアスの方を向き、カードを受け取った。『トーマス=シン様に接続します』手を机にある端末に触れた。認証をしてトーマスの部屋に接続する。
『部屋は空いています。カードによる認証で立ち入りができます』
「勝手に行っても良いのかい」
『貴方が持っているカードで認証が可能です。部屋番号を書き込んでおきました』チャイルド・キットはナイアスにカードを差し出した。ナイアスはカードを受け取り、なぞって操作した。カードに映るメニュー画面から、ビル内の立体案内図の項目が追加してある。メニューを操作した。ビルの立体映像が浮かび、同時に現在位置とトーマスの部屋の場所が色の付いた球体で示してある。
『分かりますか』チャイルド・キットはナイアスに尋ねた。
 ナイアスはチャイルド・キットの質問に驚いた。何の感情も持たない存在が人を気遣うとは予想していなかった。「大丈夫だよ、迷ったら戻ってくるから」
『解決したのなら、私の役割は終わりです。ありがとうございました』
 ナイアスはチャイルド・キットから離れた。気遣ったのではなく、質問の回答が意図通りだったかを確認したに過ぎない。エレベーターに近づいた。自動でドアが開く。エレベーターに入ると、センサーがカードを検知した。ドアが閉まり、指定した階まで上昇した。
 指定した階に到着し、ドアが開いた。
 ナイアスはカードのホログラムに映る案内に従い、廊下を進んでいく、トーマスの部屋の前まで来た。ドアは艶のある赤で染まっていて、箱根細工のパネルラインを持っている。ドアの前や隣には何もない。カードを操作し、ホログラムを切るとドアの前にかざした。カードのランプが光って認証し、パネルラインが次々に展開してドアが端へと折りたたんでいく。
 先に廊下が見える。機械部品が端に転がっていて、真ん中しか歩く場所がない。
「父さん、いる」ナイアスは声かけた。何も返事がない。奥から来る冷えた空気に不審を覚えつつ、部屋に入った。
 オゾンの匂いに塗れた薄暗い廊下を進み、奥にある部屋の前に来た。ドアに手をかけ、開ける。
 オフィスの一室並みの広さの一室に、切り刻んだ人間の体が無数に転がっている。端にはチャイルド・キットがコードをむき出しにした状態で横たわっていて、部品が山盛りで箱に入っている。
 トーマスが、チャイルド・キットの前で笑みを浮かべながら多重に浮かぶ情報を見ながら調整していた。
 ナイアスは人の体が転がっているのに不気味さを覚え、観察した。切り口はコードやプラグがむき出しになっている。「父さん」ナイアスはトーマスに声をかけた。
 トーマスは手に持っている端末を操作した。情報が一斉に消えた。「おお、息子か。アルフから話は聞いているぞ」ナイアスに近づき、抱きしめた。
「父さん。母さんに連絡もよこさないで、マッドサイエンティストにでもなったのかい」
 トーマスはナイアスから離れ、足の部品を手にとった。感触は人に近い。「人間を分解して作ってるんじゃないよね」
「初期型のチャイルド・キットの部品だぞ。最初は人と同じ姿をしたアンドロイドだ。ただし切っても叩いても傷はつかんがな。周りが不気味がるわ、猟奇な趣味に使う奴がいるわですぐ打ち切ったんだ」机に向かい、棚から緑色のカードを1枚手に取った。
 ナイアスは足の部品を元の場所に置いた。「知ってるよ、広場で会った」
 トーマスは手を止めた。「今、なんて」
「広場で会ったんだ。女性の格好でぎこちない動きだった」
 トーマスはナイアスの元に早足で寄った。「何だと、チャイルド・キットの初期型は生産を打ち切ったのは10年以上前だ。レトロ趣味な奴が品評会でもしてたか」
「歌を歌っていた」ナイアスはカードを取り出し、データを呼び出した。出納に関する内容で、男に電子マネーを渡した履歴が残っている。指でなぞって履歴の詳細を写した。20分前に広場のある座標で1ドルを渡している。男の身分はIDで映っている。
 トーマスはデータを眺めた。「歌を歌っていたのは本当なのか、チャイルド・キットは文化継承は禁止しているんだぞ」
「文化継承って何」ナイアスはトーマスに尋ねた。
「かいつまんで言えば、チャイルド・キットに教えちゃいかん内容だ。文化継承をしているとなれば、即座に警察が動くぞ」トーマスは机に向かい、端末を操作した。多重のウィンドウが展開する。次々に現れるウィンドウからデータの検索をかける。金を渡した位置から、チャイルド・キットの存在の真偽を確認している。通常、チャイルド・キットはネットワークにひも付けしている。問題が発生した場合、警察が即座に駆けつける仕組みだ。文化継承が発生しているとなれば、人間の存在に触れる程の問題になるので、警察は最優先で処理にかかる。事件が発生している場所と座標が一致していれば、ナイアスの言葉が事実だと分かる。
 検索結果が映った。広場で更新した時間の履歴と、金銭を渡した相手のIDが映る。
 トーマスはIDから検索をかけた。何も出ない。やむなく自分が所属しているメーカーに入り、操作して深層のデータベースに入った。チャイルド・キットの購入歴を、製造販売初期から調べていく。一つのIDに当たった。購入者の名前はヨハン=マグワイアで、80代の男となっている。備考欄には心臓に疾患があるとの記述があった。日常生活に支障をきたしているので、介護を理由に購入したと予測できる。
 ナイアスはデータを見た。「名前、知ってるよ。歌手だ」
「同姓同名ならな。仮に別人だとしても、既に死んでいる可能性が高いな」
「何で分かるんだ」
「データの最終更新が10年前だ。心臓疾患でチャイルド・キットを持っている人間が、データを更新する施設に行かないなど、ありえん」トーマスは隅に転がっている初期型のチャイルド・キットの部品を見た。既に生産が終了していて、メンテナンスは不可能だ。普通なら現行型に交換している。実際には購入履歴に新規購入や処分の履歴がない。処分する前に亡くなり、遺族がメーカーに連絡しないで処分したのだ。規定から外れたチャイルド・キットが存在しているとなれば、保護して解析に回せば新たな技術を得るきっかけになる。「場所に案内してくれ、会って保護しなければならん」
「会うって、すぐに」ナイアスはトーマスに尋ねた。
「当たり前だ。警察に知れれば即処分にかかる。行動に移す前に先手を取るんだ」トーマスは興奮気味に答え、部屋から出ていった。
 ナイアスはトーマスに続いた。


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