第35話 『 設定ノート 』

文字数 1,469文字

 大アタラン,もしくは古アトル・アン物語 四部作
(1983.7.6) 2 


・(前ページの続き)

で、ディカールとミアルドという個体の形を借りて、この問題に 理想の解答 (鋭の場合はまた別の結論であり、好の方はいまだに未解決である) を与えようとした場合どうなるか。特異なケースとして育ったのは貴公子ミアルドである。対するディカールは十二分な愛情と躾と信仰を得て育ち、更に天性の讃むべき【他者を思いやる心】を持っている。(※)
ミアルドはまぁ、前生の努力のたまものでしょう。性格・気質的には(典型的なABではどうやらあるが)非常に優れた、前向きで根の明るいものを持っている。努力家で理想家で最終的には楽天気質で。誰に教えられなくても天性のあふれる程の他者への愛情と上へ立とうとする責任感を持っているのだが …… 前者はその漠然としたものの使い途をまるっきり教えられず、後者は下手にそれを行使すると必ずや裏目に出るという立場におかれて、なまじ頭が良すぎるのでそれら全てを理解して、他者の幸福の為に黙って我慢してしまって。でもまっとうな人間が聖人君子でもあるまいに、まして哲学的事実に気がついている成長欲旺盛な者である場合 …… いつまでもそう孤独に耐えられる筈がないんだよね。まあミアルドはかなりよく保った …… というか、はっきし言って あまり 有り得ない仮空性の強いキャラだとは自分ながら思うが。
さて気がついたら結論は右ページの大矢印に書いてしまっていた。
要するにあれがテーマだ。

>>> 《母》(イシスとでも、イブでも、マリアでも、何でも)というものは要するに《絶対的な愛情》 → この場合、与える側の愛情の深さに関しては議論をおかない。与えられた側がその絶対性に対して疑問・疑惑を抱いてしまうか否かである。 → を注いでくれる相手のことであって(この場合ヘッセの使った語義とは相当に異る・あれは一切空とか「すべてはそれでいいのさ」式のかなり奇妙な心になじむ感覚だ)それを与えられさえすれば人は帰るべき所を得るのだ、という事実。
(してみるとあたし個人は母親の愛情を実はハナっから疑っていた事になるのか?)

(※疑問その1.)
 にもかかわらず(?)、彼がミアルドを 特に選んだ 理由は? (*)

・ミアルドは天性の貴人であり、王の器、人々を統べるべき者である。
 (ディカールはそうではない)。
・同情と愛情の違いはどこにあるんだ。優しさと恋心と?
・ようするにこの2人は結ばれるべき《運命の2人》だったのさっ

(*)ミアルドの帰るべき所はディカールの側(そば)だったのに、ディカールにとってはそうではないのか? but ... 実母ん所に帰るんだとも思えないけど……

 > 判った! つまり《母》てのは絶対的な愛情そのものの事なんだよ実は。んで、狭義での《母》はそれを体現もしくは具現化し、人に教える誰かしらの事なんだよ。だからナルチスはゴルトムントを通じてイブの存在を知り、ミアルドはディカールの内にそれを見出したと。で、ディカールはもちろん最初、生母からそれを教与されたんだろうけれど、既にそれを消化し、与える側にまわってる。だから図式としてディカール=母(絶対的愛情)に成り得るんであって、

 (母=絶対的愛情) ……【誰か(母)】 > 教与 > 人。

……あれ?

 ミアルドは未成長の母である。人みなすべて母である……ゴンゴンゴン……よーするにレンズかプリズムか? それとも色即是空の世界か……うん。

          わーらん。頭がパーじゃ。次頁へ。
 



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