第4話 ジェシカの母親

文字数 1,388文字

 それから数日間警察の女の人の家で過ごした後、私は教会に連れて行かれた。そこには優しそうな若い神父さんがいて、目に涙を浮かべながら十字を切り、私を柔らかく抱きしめた。教会の隣には神父さんの住む小さな家があった。

「ジェシカ、今日からここが君の家だよ。好きに使うといい」

 私にあてがわれた部屋には窓から明るい日が差しこみ、ベッドには清潔なシーツにふわふわのお布団、それにうさぎのぬいぐるみまである。これが夢でもいいや。目が覚めるまで、できるだけ長くここにいよう。私はそう考え、ベッドのスプリングを試すように腰かけて軽くはねたり、うさぎちゃんをだきしめてかわいがったりした。



「ジュリアン神父、ジェシカの様子はどうですか?」
「あいかわらず無表情でほとんど何もしゃべりませんが、食欲もあり元気そうではありますね」
「そうですか……。私の家にいた時も、ジェシカは終始無表情でしたわ。5年間も監禁されひどい扱いを受けていたんですもの、心が(すさ)んでしまっても仕方ありませんわね。ただ、母親の話が出たときだけは泣き叫んだりして、そこがまたかわいそうで」

 メリーアン警部補はそう言うと、沈んだ表情で俯いた。

「しかし母親はろくすっぽ彼女の世話をせず、結局ドラッグの過剰摂取で死亡しているそうじゃないですか、3年も前に。天涯孤独の身となったかわいそうな子ではありますが、ここで神に祈りをささげながら暮らしていれば、きっとご加護を受けられることでしょう」

 ジュリアン神父は胸の十字架に触れながら、慈悲深く穏やかな微笑を浮かべた。

 ジェシカの母親は、けっして愛情深い優しいママではなかった。シングルマザーである彼女はバーやいかがわしいクラブで働きながら、その日その日を暮らしていた。ジェシカはほぼネグレクト(育児放棄)に近い状態だったが、それでも最低限の食事だけは与えられていたようだ。しかしアルコールや薬物への依存もあった彼女は、ジェシカを意味なく虐待することも多々あった。なのにジェシカはいまだに母親のことを恋しがる。かわいがられた記憶などほとんど無いに等しいはずなのに、優しいママがきっと迎えに来てくれると自分自身に言い聞かせているようだった。

 おそらくそれは、極限状態の中でひとり恐怖と戦いながら過ごす内に母親の存在が想い出として美化され、理想の母親像とすり替わった結果なのだろうと思われる。ジェシカは依然としてほとんど話さないため、彼女の正確な心理状態については推測するしかないのだが。

 12歳の少女が窓ひとつない真っ暗闇の地下室にたったひとりで閉じ込められ、唯一そこから出られる時間に待っているのは性的虐待のみ。そのような暮らしを5年間も強要される中でジェシカは、ほとんどの感情や言葉を失ってしまったかのようで、常に無表情で「ハイ、イイエ」といった最低限の反応しか示さなくなっていた。しかし母親のことを思い出すと突然、「ママに会いたい、私の優しいママ、私のママはまだ来ないの!?」 と、すでに死んでしまった、ましてや生きていたとしてもジェシカの思い描く母親像とはかけ離れた人物である、どこにも存在しない幻影を求め激しく泣き叫ぶのであった。

 ジュリアン神父はそんなジェシカのことを不憫に思い、彼女のために毎晩、神に熱心に祈りをささげた。しかしジェシカの様子は特に変わらず、月日だけが流れていった。
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