32. 不運な偶然

文字数 1,705文字

ミツキ(カスミ)、幸田は、そこここに紅葉の名残りが見られる山中のハイキング・コースを散策していた。冬に向かう季節の、しかも平日なので、観光客と出会うことはほとんどない。遠足の小中学生もいない。幸い、今日は山から吹き下ろす寒風もなく、2+1人は、のんびり自然を楽しむことができた。

不意に、ミツキが身体を固くした。
幸田さん、あれ……
ミツキが幸田にテレパシーで話しかける。不安が口調に現れている。
周りの林が開けて、ちょっとした広場になってるぞ。4つのベンチのうち2つに人影がある。

今度は、カスミが幸田にテレパシーを送ってくる。緊張と不安が感じ取れる。

幸田は、ミツキとカスミの不安を取り除くように、落ち着いて静かな調子で脳内で返事をする。
弁当を食べている、ただの観光客だ。
あいつらの前を通っても、大丈夫か?
あぁ、私が軽く挨拶するから、君たちは何もしなくていい。もし声をかけられたら、目礼だけしておけ。
わかりました。

一つのベンチを占めているのは親子連れだ。3歳くらいの男の子がおにぎりを食べながらベンチを離れて駆けまわるのを母親が困ったように眺めている。父親は超然と自分の弁当に取り組んでいる

あの親子はスマホを取り出してない。安心だ。
カスミが幸田の意識に語りかける。
よく観察しているじゃないか。
もう一つのベンチは、20代とみえるカップルが占拠している。

女の人がスマホで自撮りをしています。ちょっと心配です。

彼女には我々にスマホを向ける理由がない。万一我々を撮ろうとしたら、私が拒絶する。私たちには肖像権がある。
広場の左前方で森の下草がザザザと騒いだ。幸田とミツキが目をやると、茶色の塊がハイキング道に飛び出し、矢のように広場に向かってくる。
あっ、あれは、イノシシ。
まずい、男の子とぶつかるぞ。
私に任せろ。
幸田がポケットから非殺傷性のプラスチック弾をこめた拳銃を取り出す。
幸田が銃を撃つ前に、イノシシが脚をもつれさせて、倒れた。

母親が子どもに駆け寄り、抱き上げる。

イノシシは倒れたまま、苦しそうにもがいている。


お姉ちゃん、イノシシにとどめを刺せ。
幸田の頭の中でカスミの声が響く。
私には殺せない。
お姉ちゃん、あたしに身体を貸せ!
イノシシがひときわ大きく震え、動きを止めた。カスミが止めをさしたのだ。
あたし、ひどい事をしてしまった。
君は、あの男の子の命を救ったのだ。よくやった。
幸田が拳銃を上着のポケットに戻しながら頭の中で応える。

幸田、あの女、まずくないか?

カップルの女性の方が倒れたイノシシにスマホを向け、なにか呟いている。

私が見ていた限りでは、彼女は我々を撮影していない。だが、イノシシが倒れた瞬間は撮っていたようだ。ここに長居は無用だ。山小屋に引き上げよう。

山小屋に戻る途中で、ミツキが不安そうに幸田に話しかける。
あの女性は、イノシシが倒れた瞬間の映像をネットにアップするでしょうか?
彼女が映像をネットに投稿すると思っておいた方がいいな。
お姉ちゃん、ビビるな。CIAの連中は、イノシシが突然死する映像なんか、気に留めない。
私もカスミ君と同じ意見だ。しかし、念のため別の隠れ家に移動しよう。
あたしが勝手なことしたせいで、ごめんなさい。
お姉ちゃんが謝る必要はない。お姉ちゃんは、あの子を助けた。人として正しいことをしたんだ。
カスミ君の言うとおりだ。ミツキ君が気にする必要はない。今の隠れ家は一時的なもので、近々別の隠れ家に移る予定だった。時期を早めるだけのことだ。
ミツキ(カスミ)と幸田が山小屋にたどり着いた時、三沢の米軍基地内のNSAの電子監視ルームで警告音が鳴った。
(監視員A) アオイが放電する映像がネットに投稿されたのか?
(監視員B)いいえ、投稿されたのは、子どもに向かって突進していたイノシシが突然倒れて動かなくなる映像よ。
(監視員A)なんだ、イノシシか。うん、待てよ。このイノシシがそのまま突進していたら、男の子の命が危ないところだった。
(監視員B)何者かが、男の子を守るために離れた場所からこのイノシシを止めたと思っているの?
(監視員A)確信はないが、念のため、横田基地のブラックマン博士にこの映像を送ろう。
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登場人物紹介

山科アオイ(17歳) 

両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。生き残ったアオイは、瀕死の状態でICUに運び込まれるが、何者かの手でそこから拉致され、アメリカ国防総省が日本に設置した人体改造研究所で、放電能力を持ち人間兵器に改造される。

謎のテロリスト集団に襲撃されて混乱に陥った人体改造研究所から、傷を負いながらも脱出。幸田と名乗る正体不明の男に助けられる。

幸田の力を借りてCIAの追っ手を振り切りながら、アオイは、自分をCIAに売り渡した謎の組織を突き止めようとする。

幸田(下の名前は不明、年齢40歳前後)

C人体改造研究所の近くで負傷しアオイを助けた謎の男。

英語に堪能、銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

無職。アオイをCIAに売り渡した組織の正体を突き止めることに対して、何者かから報酬を得ているようである。

田之上ミツキ(17歳)

東京郊外X市の公園で不良に暴行されかけているところを、アオイに救われる。

その後、アオイと同じフリースクールに通い始め、アオイと親しくなっていく。

実は、アメリカ国防総省ががアオイを倒すために送り込んだ刺客。ターゲットの自律神経系を一瞬にしてマヒさせ、生命維持機能を失わせる力を持っている。

細田真一(9歳)

アオイが通うフリースクールの仲間。小学校で、ひどいイジメにあって、フリースクールに移ってきた。天才的な絵の才能を持っている。

フリースクールの他の子ども達がアオイを恐がったり、煙たがったりする中で、一人だけアオイになついていて、アオイからも可愛がられている。

太一先生(20代後半、独身)

アオイが通うフリースクールのまとめ役であり、教師でもある。

温かい愛情で小学校低学年から高校生までの生徒たちを見守っている。

いざとなれば、肚の座った、芯の強い人間。

アオイに、高卒認定試験を受けて、大学進学することを勧めている。

レノックス・慧子(37歳、独身)

アメリカ国防総省(ペンタゴン)で人間兵器を開発してきた科学者。放電能力を持つ2018シリーズ5基と、ターゲットの自律神経系を破壊する脳波を発する2019シリーズ1基を開発した。

職人気質で、組織との折り合いは悪い。

CIAから、山科アオイの逃亡を助けたのではないかと、疑われている。

田之上ミツキを使って山科アオイを抹殺する密命を帯びて日本で活動しているが、CIAのパトリック・マスムラに監視されている。

日本人の両親のもとで17歳まで日本で過ごした。母親がアメリカ人と再婚したためレノックス姓となったが、日本風にレノックス・慧子と呼ばれることを好む。

パトリック・マスムラ(55歳、日系四世のアメリカ人)

CIAのベテラン工作員。アジア諸言語に堪能なため、過去20年間、アジアでの工作活動に従事してきた。眠りが浅いと、自分が殺害してきた多くの人間が夢に現れるので、睡眠薬が手放せない。

田之上カスミ(霊魂)

田之上ミツキの妹。

ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で、死亡する。

しかし、その魂がミツキに受け継がれ、ミツキと二人きりの時に、話しかけてくる。

ミツキが忘れてしまった出来事、ミツキが気づいていないミツキの心の葛藤に気づいている。

ミツキを深く愛している一方で、クールでニヒルな一面を備えている。

川野メグミ(年齢不詳)

フリースクールの高学年生徒に英語と数学を教えているボランティアの大学院生。

実は、アオイとミツキを監視するために送り込まれたCIA工作員。

カレン・ブラックマン(35歳、独身、離婚歴あり)

アメリカ国防総省の科学者。

山科アカネ逃亡事件の責任を問われて失脚したレノックス慧子に代わって、人間兵器開発チームのリーダーになる。

バランスの取れた組織人で、感情に流されることはない。人間として許せないと感じることでも、組織の決定には従う。

レノックス・慧子を尊敬しているが、目の上のタンコブとも感じている。

エル・リケルメ(おそらく偽名。年齢、国籍不明)

国際的な武器商人。

暗殺用人間兵器を、ブラックマーケットで売って、巨万の富を得ようとしている。

しかし、実態は、金の亡者というより、ニヒリストの変種。


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