5.NUSエクステンション2006①:請問、老師!

文字数 2,160文字

中国語は謡うように

中国語と一括りに言っても、普通語(マンダリン)は北京語が基になった便宜上の共通語のようなもので、広東語、上海語、福州語等等々、各地ではそれぞれの言葉が使われています。声調(トーン)の数も異なり、潮州語が最も多くて、まるで歌っているように聞こえるのですよ、と北京人の老師がにこやかに教えてくれるのですが、老師、私たちは老師の北京発音を聞き取るのが精一杯です、と学生たちは思っているに違いない。

更に同じ普通語を話しても、“北方“の発音は巻舌が強く、“南方“の発音は比較的平坦です。学生にとっては“南方“発音のほうが聞き取りやすいのですが、中国語学習者たるもの、生粋の“北方“発音をマスターしたい!しかし…日本人にとっては至難の技(特に私)。国立シンガポール大学エクステンション普通語科では、そのような言語学的背景から、出身地の異なる老師たちがクラスを受け持っています。シンガポールローカルの老師、台湾、上海、北京。思い出してみれば贅沢なことです。シンガポールにいながら、各地域の発音を学べるのですから…またシンガポールは中国大陸と同じく、漢字は簡体字を使用します。(簡体字フォントを設定していないので、このエッセイは日本語漢字に置き換えてお送りしております…併音/ピンインを覚えていないだけですけれど!すみません)

学んでいるのは留学生や駐在員の家族が多いので、老師たちもエクステンションのスタッフも、言葉だけでなく、シンガポールでの生活や、華人文化そのものを教えることに力を注いでいたように思います。と、キレイにまとめてみましたが、実は授業内容はあまり思い出すことができません…ちゃんと勉強はしていましたよ?簡体字を練習し過ぎて、日本語漢字の書き方を忘れるくらいは真面目に学んでおりました。日本語の「雲」が書けなくなったときは、我ながら呆れましたが、改めて、言葉は使わないと脳内淘汰されるものだと知りました。それよりも、王老師(シンガポール人の先生、恐らく主任格)が一緒に食事をして車で家まで送ってくれたとき、カーステレオに台湾バンド“動力火車“の曲が掛かっていたこととか、いつも上品で優しい林老師(台湾人の先生)がシンガポールにおけるメイドの労働環境改善について熱く語っていたこととか、にこにこしながらツッコミの鋭い陳老師(上海人の先生)は夫婦でシンガポールへ働きに来ていて、小さな子供は上海の両親の元に預けているとか、張老師(北京人の先生)の服の色と京劇役者みたいに凛とした発音とか、そんな細々したものばかり覚えています。

授業時間は午前三時間、午後二時間(記憶が曖昧)。同じ階にエクステンションの英語科も有るため、簡単なキッチン設備が有るカンティーンで、一緒にお昼を食べたり、お茶を飲んだりします。いろいろな国籍の学生が、英語と中国語で雑談するカオス…。シンガポールの公用語は英語なので、近隣諸国から英語を学びにくる留学生もいます。先生方の教務室を挟んで右手側が普通語科教室の並び、左手側が英語科教室の並びとなっていて、友達がいるのだけれど、お互いなんだか未知の領域。放課後も残ってアルバイトの時間まで自習していることの多かった私は、教室やカンティーンを掃除してくれるクリーナーさんとなんとなく親しくなり、お互いの家族の話をしたり、お菓子をくれたり、私のぎこちない言葉に耳を傾けてくれた彼女にも感謝です。エクステンションの有るオフィスビルはオーチャード・ロードに近く、周辺にはホーカーやレストランも多いので、先生方も気軽に学生と食事に出掛けてくれたりしました。勿論、終始普通語で話さなくてはなりませんが、社会人学部といっても、老師たちの学生に対するフラットで率直な態度は、今思えば“聞く”“話す”語学を学ぶ上で、対話したいというモチベーションを上げるために、重要なことだったのだと思います。語学の先生って凄いんだ…

許老師は、もう一人の台湾人の先生で、それは熱心で、それは面白く、それは厳しい先生でした。普通語には可能補語という文法があるのですが、その例文として許老師が『洗不干浄、洗不干浄』と当時の洗剤のコマーシャルを真似して歌う声が、今でも聞こえてきそうです。話題豊かでリズミカルな授業は、学生の楽しみでもあり、容赦無く追試を課してくる畏ろしい先生でもありました。クリスチャンであり、台湾での兵役義務や、シンガポールと台湾の関係史などを話してくれたのも許老師です。私が中国語を好きになれたのは、きっとあの時出会った老師たちの人柄が、大きな理由であったのだと思います。

その発音は「北京」じゃなくて、「背景」だわ、すみ!

一対一のスピーキングのテストで、王老師に直された発音(*トーンの使い分けができていなかった)を、当時は違いもよく分からないまま、繰り返していたことを思い出します。今では文脈によって意識しなくても口から出てくるので、老師の教えはほどほど身に付いていますよー、と胸を張っては言えないけれど、伝えたかったなあ、と思うのです。普通語を話すことで、私はシンガポールと繋がることができる。その言葉を紡ぐことに付随している、思い出や感情や知り得たことや発音や。それはまるで、故郷を想って謡うような。
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