夕方は気怠い 2
文字数 3,180文字
年頃の少女らしい潔癖さと、子どもらしい割り切りと。
今置かれている状況に対して思うところは多いだろうに、それでもある程度少女の様子が安定してるのは、霊であるからというのも大きいだろう。身体がある時と比べ色々なものを置いてきている霊は、基本の思考は確かに本人であるけれど、身体にいる時よりも余計な発想や感情が入り辛く、その分絶対に変わらない部分の意思がはっきりとわかりやすい。
不思議なことに、色々と置いてきている筈の霊は、その意思決定をするための重要な部分は決して置いてこないらしい。その人らしさを失わないまま霊は現れる。
仮に同じ問題を、身体がある状態で聞いても最後に出る答え自体は同じだろうが、その答えを出す前後であれこれと悩みとか心配とか不安とか配慮が入ってしまって、長くグダグダとなるのが生身の特徴だ。決まりきった結論ですら簡単には思い切れない、それは生きているからこその優柔不断。
人というのは、どんな性格でも結構複雑なもの。物心つく前の幼子ですら、単純に表に見せる行為だけが全てではない。
周りに自分は単純だから、なんて言う人ですら、見せない奥底は誰だって持っている。
考えるのが苦手と言ってはばからないような人だって、何も考えていない訳ではないのが常だろう。
その手の者たちは嘘をついている訳ではない。ただ、自分の底を自分でも気づいていないだけで。気づかないふりをしているか、本当に気づいていないかは人によるだろうが、「単純」とか「短絡的」とか、そんな要素だけでできた人間など現実にはいない。
設定だけ並べる物語の薄っぺらさのように人間を捉えるべきではないのだ。
それは何かを置いてきた霊ですら同じ。置いてきただけで、底が浅くなったわけではない。
どうやらもうノーティが安定しているので、話を進めてみる。
「貴方の覚えてる限りで、自分にそういうことしそうな相手って、いた?」
「えー? アタシそういう相手とは距離置いてるしぃ……」
距離を置くという辺り、懸想を向けてくる誰かがいない訳ではない、が、そういう気配がわかる程度には少女も日頃、己の言動には気をつけているらしい。そういう交流はしないというからには必要な配慮だろう。
思い当たるものがないらしく首を傾げている少女に、更に問いかける。
「婚約者さんは?」
「ない絶対ない」
ここで一番考えられそうな身近な相手を出してみれば、相当に不満を抱えていたようなのに即座にはっきりとした断定が返ってくる。疑う思考すら一切挟まないそこには単純な「圏外」という以上の、信頼にも似たものが垣間見えた。
前の話からすると婚約者は少し年上だったはずで、そういう行為と無縁というにはまだ若い男だったと思うが、不思議な関係を築いているようだ。
「絶対なんだ?」
「うん。あいつはアタシに乱暴する位なら自殺するよ。アタシが何言ったって怒らないし、誘っても反応しないし。いつまでたってもアタシの手すら握れない、頭も撫でられないのに、胸ガバーってして何かするとか無いわ」
「ものすごい堅物なのね?」
「そ。その上絶対アタシを裏切ったりしない。アタシのためなら命だって差し出す。最初から親がそういう奴を選んでるもん。あの親からすればアタシのためだけに生きてくれればどんな奴でもいいって感じだから、そこは絶対なの」
どこの物語の騎士だろう。
それはまた凄い忠誠心の婚約者を探し出したものだ、と思うと同時、それでは確かに簡単に婚約破棄にもならないだろうなと理解する。ノーティの親からすればその許婚は、本当に娘可愛さに探し出した犠牲の羊なのだろう。恐らくは娘への絶対の忠誠心さえ持っていれば他を殆ど気にしていない。仕事だって出来なくても笑って許すのかもしれない。
何しろ可愛い娘を外に出さない為に、自分たちの中に入る者だ。
可愛い娘を何からも守り、いざとなれば身代わりに死んでもらって構わない。最後は娘が残っていればそれでいい。
きっとそんな残酷な親の愛情がある。
それをノーティが気づいてるかはともかく、その婚約者が絶対に自分を傷つけないという少女の自信はきっと本物だろう。ただ、そこまでの前提を考えると、当然にある筈の条件や思考が不自然に抜けているのが気にかかるが。
「まるで騎士ねぇ」
「本物より本物っぽいよ。賢者様にも見せてあげたいくらい」
悪戯っぽく笑う少女は、残酷なほど全部無自覚だ。
ここまでの話で少女が挙げた「遊び相手の男」は全員が騎士だった事。
単純に、その見栄えの良さから若い女性に人気のある職業でもあるので、それだけなら好みの問題だけで済んだのだが。気に食わない割に少女がずっと、絶えず文句を言うことで「妙に気にしている」婚約者がそういう性格の男だとするなら。
まぁ。意外に脈がある、のかもしれない。
なかなか複雑な乙女心だ。
とはいえその未来があるかどうかは、今の案内にかかっている。
「そんな人だと、あなたがこんなことになってたら、凄い衝撃でしょうね」
「…………あっ……」
少し明るくなっていた少女の顔色がさっと悪くなる。
胸元をかばっていた両手の拳がキュッと握り締められるのが傍目にもわかった。
「やっぱ……ダメ、かな。あいつ嫌かな……婚約破棄とか……されちゃうのかな」
「ノーティ」
「あいつも、自分が最初の男じゃないと嫌だと思うのかな。よく言うよね、男は最初の男に〜ってあれ」
そんな相手は不要と言いつつ婚約者の気持ちを気にする矛盾は、可愛らしいものだと思う。
自分で気づいてないだけだとしても、そこで意地を張り続ける可愛げのなさよりは余程好ましい。きっと生身でもこうして色々なことに悩んだりしていたのだろう。矛盾した言動で周りを振り回したりして、それでも、それすら可愛らしいと思われているのだろう。
「あーあ、アタシの自慢なんて身持ちくらいだったのに」
ここに来て初めて泣きそうな顔をしている。どうやら今までの言動で見せていた齢不相応な貞操感は、劣等感のせいでもあったらしい。カトレアからすれば、仮に商人の娘でなかったとしても、この子はきっと色んな人に好かれただろうと思うのだけど。
「そうかしら?」
「そーだよ。賢者様みたいにキレイじゃないし、そんなに頭良くないし、性格だってこうじゃん。ワガママだし落ち着きないし騒がしいし。普通に誰かに好かれる女じゃないってことくらいわかってるもん」
「私は好きよ?」
カトレアと比べて卑下しているものの、その見た目なら優劣はないんではないだろうかと思う。むしろ感情が素直に出てコロコロ変わる表情は非常に愛らしく、誰かに好かれる要素なら十分ある。
現在の言葉遣いは多少気になるが、これはこれで個性だろう。そんなもの歳を重ねれば外面的には修正可能だ。
きっと普通に大勢に好かれる人間というのは、この少女のような子だろう。
自慢できないがカトレアは、賢者という特殊な立場と環境にいたことを差し引いても、この家に来る前からこれといった友人だっていなかったので、それは間違いない。同じ場所にノーティがいたら、きっとノーティの方が周り中に可愛がられている様が簡単に想像つくのだし。
それなのに、妙に自分に自信がないのは年頃独特なものじゃないかと推測できる。
誰でも通る道、ともいう。
「そりゃ賢者様の好みが変わってるんだよー。でもありがと」
憎まれ口を叩きつつも、はにかみながら嬉しそうに礼を言うなんて、同性ですら本当に可愛いと思うのだが。
そういう行為を上っ面の言葉でしかしない彼女とは違い、少女は素で行っているのだから、これを可愛いと呼ばずにどうするのだろう。周りの者たちだって気づいていないはずはない。
そんな少女を見ながら、己の有様の捻くれぶりを再認識して、彼女はうっすら自嘲するしかなかった。
今置かれている状況に対して思うところは多いだろうに、それでもある程度少女の様子が安定してるのは、霊であるからというのも大きいだろう。身体がある時と比べ色々なものを置いてきている霊は、基本の思考は確かに本人であるけれど、身体にいる時よりも余計な発想や感情が入り辛く、その分絶対に変わらない部分の意思がはっきりとわかりやすい。
不思議なことに、色々と置いてきている筈の霊は、その意思決定をするための重要な部分は決して置いてこないらしい。その人らしさを失わないまま霊は現れる。
仮に同じ問題を、身体がある状態で聞いても最後に出る答え自体は同じだろうが、その答えを出す前後であれこれと悩みとか心配とか不安とか配慮が入ってしまって、長くグダグダとなるのが生身の特徴だ。決まりきった結論ですら簡単には思い切れない、それは生きているからこその優柔不断。
人というのは、どんな性格でも結構複雑なもの。物心つく前の幼子ですら、単純に表に見せる行為だけが全てではない。
周りに自分は単純だから、なんて言う人ですら、見せない奥底は誰だって持っている。
考えるのが苦手と言ってはばからないような人だって、何も考えていない訳ではないのが常だろう。
その手の者たちは嘘をついている訳ではない。ただ、自分の底を自分でも気づいていないだけで。気づかないふりをしているか、本当に気づいていないかは人によるだろうが、「単純」とか「短絡的」とか、そんな要素だけでできた人間など現実にはいない。
設定だけ並べる物語の薄っぺらさのように人間を捉えるべきではないのだ。
それは何かを置いてきた霊ですら同じ。置いてきただけで、底が浅くなったわけではない。
どうやらもうノーティが安定しているので、話を進めてみる。
「貴方の覚えてる限りで、自分にそういうことしそうな相手って、いた?」
「えー? アタシそういう相手とは距離置いてるしぃ……」
距離を置くという辺り、懸想を向けてくる誰かがいない訳ではない、が、そういう気配がわかる程度には少女も日頃、己の言動には気をつけているらしい。そういう交流はしないというからには必要な配慮だろう。
思い当たるものがないらしく首を傾げている少女に、更に問いかける。
「婚約者さんは?」
「ない絶対ない」
ここで一番考えられそうな身近な相手を出してみれば、相当に不満を抱えていたようなのに即座にはっきりとした断定が返ってくる。疑う思考すら一切挟まないそこには単純な「圏外」という以上の、信頼にも似たものが垣間見えた。
前の話からすると婚約者は少し年上だったはずで、そういう行為と無縁というにはまだ若い男だったと思うが、不思議な関係を築いているようだ。
「絶対なんだ?」
「うん。あいつはアタシに乱暴する位なら自殺するよ。アタシが何言ったって怒らないし、誘っても反応しないし。いつまでたってもアタシの手すら握れない、頭も撫でられないのに、胸ガバーってして何かするとか無いわ」
「ものすごい堅物なのね?」
「そ。その上絶対アタシを裏切ったりしない。アタシのためなら命だって差し出す。最初から親がそういう奴を選んでるもん。あの親からすればアタシのためだけに生きてくれればどんな奴でもいいって感じだから、そこは絶対なの」
どこの物語の騎士だろう。
それはまた凄い忠誠心の婚約者を探し出したものだ、と思うと同時、それでは確かに簡単に婚約破棄にもならないだろうなと理解する。ノーティの親からすればその許婚は、本当に娘可愛さに探し出した犠牲の羊なのだろう。恐らくは娘への絶対の忠誠心さえ持っていれば他を殆ど気にしていない。仕事だって出来なくても笑って許すのかもしれない。
何しろ可愛い娘を外に出さない為に、自分たちの中に入る者だ。
可愛い娘を何からも守り、いざとなれば身代わりに死んでもらって構わない。最後は娘が残っていればそれでいい。
きっとそんな残酷な親の愛情がある。
それをノーティが気づいてるかはともかく、その婚約者が絶対に自分を傷つけないという少女の自信はきっと本物だろう。ただ、そこまでの前提を考えると、当然にある筈の条件や思考が不自然に抜けているのが気にかかるが。
「まるで騎士ねぇ」
「本物より本物っぽいよ。賢者様にも見せてあげたいくらい」
悪戯っぽく笑う少女は、残酷なほど全部無自覚だ。
ここまでの話で少女が挙げた「遊び相手の男」は全員が騎士だった事。
単純に、その見栄えの良さから若い女性に人気のある職業でもあるので、それだけなら好みの問題だけで済んだのだが。気に食わない割に少女がずっと、絶えず文句を言うことで「妙に気にしている」婚約者がそういう性格の男だとするなら。
まぁ。意外に脈がある、のかもしれない。
なかなか複雑な乙女心だ。
とはいえその未来があるかどうかは、今の案内にかかっている。
「そんな人だと、あなたがこんなことになってたら、凄い衝撃でしょうね」
「…………あっ……」
少し明るくなっていた少女の顔色がさっと悪くなる。
胸元をかばっていた両手の拳がキュッと握り締められるのが傍目にもわかった。
「やっぱ……ダメ、かな。あいつ嫌かな……婚約破棄とか……されちゃうのかな」
「ノーティ」
「あいつも、自分が最初の男じゃないと嫌だと思うのかな。よく言うよね、男は最初の男に〜ってあれ」
そんな相手は不要と言いつつ婚約者の気持ちを気にする矛盾は、可愛らしいものだと思う。
自分で気づいてないだけだとしても、そこで意地を張り続ける可愛げのなさよりは余程好ましい。きっと生身でもこうして色々なことに悩んだりしていたのだろう。矛盾した言動で周りを振り回したりして、それでも、それすら可愛らしいと思われているのだろう。
「あーあ、アタシの自慢なんて身持ちくらいだったのに」
ここに来て初めて泣きそうな顔をしている。どうやら今までの言動で見せていた齢不相応な貞操感は、劣等感のせいでもあったらしい。カトレアからすれば、仮に商人の娘でなかったとしても、この子はきっと色んな人に好かれただろうと思うのだけど。
「そうかしら?」
「そーだよ。賢者様みたいにキレイじゃないし、そんなに頭良くないし、性格だってこうじゃん。ワガママだし落ち着きないし騒がしいし。普通に誰かに好かれる女じゃないってことくらいわかってるもん」
「私は好きよ?」
カトレアと比べて卑下しているものの、その見た目なら優劣はないんではないだろうかと思う。むしろ感情が素直に出てコロコロ変わる表情は非常に愛らしく、誰かに好かれる要素なら十分ある。
現在の言葉遣いは多少気になるが、これはこれで個性だろう。そんなもの歳を重ねれば外面的には修正可能だ。
きっと普通に大勢に好かれる人間というのは、この少女のような子だろう。
自慢できないがカトレアは、賢者という特殊な立場と環境にいたことを差し引いても、この家に来る前からこれといった友人だっていなかったので、それは間違いない。同じ場所にノーティがいたら、きっとノーティの方が周り中に可愛がられている様が簡単に想像つくのだし。
それなのに、妙に自分に自信がないのは年頃独特なものじゃないかと推測できる。
誰でも通る道、ともいう。
「そりゃ賢者様の好みが変わってるんだよー。でもありがと」
憎まれ口を叩きつつも、はにかみながら嬉しそうに礼を言うなんて、同性ですら本当に可愛いと思うのだが。
そういう行為を上っ面の言葉でしかしない彼女とは違い、少女は素で行っているのだから、これを可愛いと呼ばずにどうするのだろう。周りの者たちだって気づいていないはずはない。
そんな少女を見ながら、己の有様の捻くれぶりを再認識して、彼女はうっすら自嘲するしかなかった。