第1話

文字数 940文字


人生とは道端の石や花に目を止めるように、自分に必要なものを拾い集めて歩いていくことだ。と、数日前階段をのぼりながら唐突に思った。



子どもを幼稚園バスへ乗せた帰りのことだった。

バス停までの道のりで、3歳の息子はよく立ち止まる。

たんぽぽが綿毛になっているからといって止まる。不思議な場所に落ちている少し大きい石を見ては「どうしてここに?」と問う。カラスノエンドウについたアブラムシを見ては「みどりいろのむし」と言って止まる。

そのたびに「そうだね。バスに遅れちゃうから行こうね」と声を掛ける。

バスには多少余裕のある時間に出る。だからといって3歩進むたびにこの調子で止まられるとさすがに遅れてしまう。

毎日同じ道を通っている。バス停まではせいぜい100mくらいだろうか。

大人が1人で目的地に向かって歩くのとは違う景色が子どもには見えている。



大人からするとそんな些細なことは正直にいってどうでも良い、取るに足らないことだ。

でもそれは私たちがもう黄色いたんぽぽが一晩で綿毛に変わっても不思議ではないことを知っているからだ。石を蹴りながら歩いてくるだろう小学生がいるかもしれないことも知っている。カラスノエンドウがアブラムシの好物で、そこらじゅうのカラスノエンドウにびっしりとアブラムシがついていることも私たちにとってはもう不思議ではない。

それらひとつひとつをまだ「常識」や「当たり前」として内面化していない3歳児にとって、それらひとつひとつはとても不思議で初めて見ることなのだ。

そしてその不思議を拾い集めて、推測し、自分の「知識」として蓄えていく。



3歳児は発展途上の柔らかい生きものだ。人生という旅をついこの間始めたばかりの小さな生きもの。

3歳児にとって3歩進むたびに立ち止まることは必要なことなのだ。3歳が3歳なりにこの世を理解するために必要な寄り道だ。

私たちには目的地がある。それはバス停だったり「大人になること」だったりいつか来る「死」という終わりだったり、様々なかたちをしている。

時間に余裕があるならば目的地まで立ち止まることは必要なことなのだ。立ち止まって見る、聞く、触れる、考える。

そうやって拾い集めたものが次の瞬間からの自分をつくる。

そのことに唐突に気がついた春の終わりの日だった。
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