第38話 安倍弥琴という男3

文字数 2,165文字

 寺を出た与彦は、ハルに聞きました。

「して、その連れ去った者は何者じゃ?」
「安倍という()()です。少し細身で優男のような、整った顔立ちをしていました」
「むぅ、幅が広いのぉ」
「ハル殿、他に特徴はないか?」
「特徴ですか……、特徴………特徴……」

ハルは自分の顎に手をついて考えました。

「特徴……特徴……あ」
「いかがなされた?」
「訛りです!」
「……訛り?」
「はい、京訛りの言葉です!」
「京訛り……」

ハルは少し興奮した様子で与彦と夜彦に訴えました。

「しかし、京訛りの優男など京に行けば腐る程いるのではないか」
「そうだな夜彦、しかし探さなくてはならぬ。皆の者、京へ向かうぞ!」

若衆の返事を聞いた与彦と夜彦は本来の烏の姿に戻り、空へと飛び立ちました。ハルは軽く宙返りをして烏に化け、同じく空へと飛びました。

 さすがは烏天狗です。上手に風を捕まえながら、星々が散る大空を飛び続けました。ハルは遅れを取るまいと必死に翼を羽ばたかせて着いて行きました。

 ハルたちが京都に着いたのは夜明け前です。
二十羽ほどの烏は、とあるビルの屋上に降りました。

「京に着いたのぅ」
「むぅ、随分と様変わりしたものだ」

大きなビルや整備された道路、そこを通る車や人々を見下ろしながら、夜彦が言いました。

「よし、皆の者、これから散ってアキ殿を探し出せ!安倍という男とともにおるはずだ!」
「優男を一番に探し出した者には、ハル殿が京で一番美味い団子を馳走してくれるぞ!皆の者、奮起せよ!」

烏天狗たちは目を光らせ、散り散りになって飛び去って行きました。その動きはとてつもなく速く、若衆はあっという間にいなくなりました。

「我も団子が食いたい!若衆に遅れをとってはならぬ!」

夜彦は若衆と同じく目を輝かせて空へと飛んで行きました。

「ムフフ、ということでハル殿、よろしく頼むぞ!」

与彦は満足そうな表情を浮かべました。

 遠くの空がだんだんと白んできました。それに合わせて、そよ風が疲れきったハルの羽を撫でていきました。

「私もご主人を捜して参ります」
「ハル殿は我とともにおるのだ」
「いいえ、まだ動けます!」
「無理をしてはならぬ」
「大丈夫です!」

次の瞬間、少し強い風がハルと与彦に当たりました。与彦はその風をうまく捕まえ、翼を使って上手に飛びました。ハルはその風に煽られて倒れ、風のなされるがままに、ビルの屋上にころころと転がされました。

「体は正直だ。無理をしてはならぬ」

与彦はいつもの山伏姿になり、ハルもいつもの女人の姿に戻ってその場に座りました。

 日が登り、それは南の高いところへといく手前頃、一羽の烏が与彦の前に飛んできました。

「与彦様!いました!」
「む?どこじゃ?」
「こちらです」

烏に案内されてたどり着いた場所は、とある田舎の畑です。烏姿で畑の上をうろうろしていると、近くの用水路から一人の腰の折れ曲がった男性が歩いてきました。

「アキ殿、あれか?」
「違います。まだ若い男の子です」
「ですが、『やさいおとこ』と言ったではありませぬか?」
「ん?今何と申した?」

この若い烏天狗は『優男(やさおとこ)』を『野菜男(やさいおとこ)』と聞き間違えて、ずっと畑をうろついていたそうです。

 先ほどのビルの屋上に戻った二人は、また若い烏天狗の情報を待ちました。すると、また別の烏が戻ってきました。

「与彦様!いました!」
「む?どこじゃ?」
「こちらです」

烏に案内されてたどり着いた場所は、このビルから近い寂れた住宅街です。烏の姿で小さなアパートの上をうろうろしていると、部屋の一室から一人の女性らしき人が出てきました。

「アキ殿、あれか?」
「違います。男の子は男の子ですが、あの者は女装をしています。安倍はもっと男の子らしい格好をしています」
「ですが、『ややおとこ』と言ったではありませぬか?」
「ん?今何と申した?」

この若い烏天狗は『優男』を『やや男』と聞き間違えて、ずっと住宅街をうろついていたそうです。

 先ほどのビルの屋上に戻った二人は、また若衆の朗報を待ちました。
 その後も、若衆が次から次と報を携えて二人の前に飛んできました。その度に二人は若衆の後を付いて行くのですが、首を横に振ってはビルに戻るの繰り返しで、夕方になる頃には、さすがの二人もヘトヘトになってしまいました。

「なんなのだ、うちの若衆は耳が悪いのか?頭が悪いのか?顔が悪いのか?それとも、我の言い方が悪かったのか?ハル殿、どう思う?」

ハルは与彦の問いに答えることは出来ず、その場にしゃがみ込み、うずくまってしまいました。

「ハル殿!」
「……少し、休んでいるだけですので、ご心配なく」

ハルの頭には、知らず知らずのうちに獣の耳が出ていました。
そうこうしていると、また若い烏が戻ってきました。

「与彦様!いました!」
「む?どこじゃ?」
「こちらです」

 烏の姿をした与彦とハルは若い烏の後に着いて行きました。
その途中、木々が生い茂る山の上で突風がハルたちにぶつかり、与彦と若い烏は難なく避けました。ですがハルはまともに突風を食らってしまい、バランスを崩して山の中へ落ちてしまいました。
それに気づかない与彦と若い烏は、何事もなかったかのように翼を羽ばたかせて行きました。

「いやぁ、心地よい突風だったのぅ、ハル殿」

与彦はそう言って後ろを振り返りました。もちろんハルはいません。

「む?ハル殿?」
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