海上都市

文字数 2,520文字

 窓を開けると、行き場を失っていた空気が外へと抜けて新鮮な風が部屋を満たしていく。
 ぼくは深呼吸をしてその風を体中に行き渡らせた。昨日の天候とは打って変わって、気持ちのいい晴れ晴れとした快晴が広がっている。

〈おはようございます! ご連絡を二件お預かりしてます。今日の天候設定は21時59分まで晴れ、22時から翌朝の5時59分まで雨となってます! 風速3,気温は20・1度、湿度は25・3パーセント。今日も元気にいきましょう!〉

 ハル(家にいる家庭用ロボットの名だ)が快活に一連の連絡を告げる。
 おはよう、と言って浴室に向かった。着ていたナイトウェアを脱いでハルに渡す。

「洗濯お願い。あと着替えも適当に見繕ってくれ」
〈ラジャー!〉

 寝起きのぼくの頭にハルの音声が響き渡った。元気なのはいいことだけど、元気すぎるのも考え物だ。
 洗濯が終わるまでにぼくはシャワーを浴びて汗を落とす。タオルで体を拭きながらシャワールームを出ると、きれいにたたまれた服がまとめて置かれていた。白シャツの上からグレーのセーター、下はネイバーパンツといったカジュアルな服装。
 リビングに戻ると携帯端末に機関から招集が掛かっていた
 ぼくは身支度をすませてから、スタンドに引っかけてあったチェスターコートを着たあとバッグを肩にかけて玄関に向かった。部屋の空気がこもるのが嫌で普段から窓は開けっ放しにしている。盗られて困る物も特にない。
 扉を開けて外に出ると後ろからハルに〈いってらっしゃいませ!〉と声をかけられる。

「いってくる」

 ドアを閉めて廊下を歩き出した。
 中央にあるエレベーターで降りて駐車場に出ると、相変わらずの明るさに思わず目を少し瞑った。空気孔のパイプがむき出しになっているが、とても古風で無機質な感じがして嫌いじゃない。
 ぼくは駐車場の停めてある自分の車に乗り込んだ。

〈目的地を指定して下さい〉
「階差機関監査局まで」

 シートベルトがぼくの体を包みこみ、車は発進した。


 人工知能技術の発展により、世界は大きく変貌した。
 効率化に伴って生産性は向上。いまや人類の大半が第三次産業へと移行し、ほとんどの分野に機械が携わっている。上空を優雅に飛んでいる連絡船、都市の下を這う列車、一般の乗用車。多くが人間に代わってAIが操作し、ありとあらゆる事が機械によって代替されている。
 当初はこの急速な機械化に怪訝だった人々も、生活用ロボットの普及につれて、もはやなくてはならない存在と認識するようになった。

 そんな世界の第一線、ぼくらの暮らす海上都市アステリアは、どれほど世紀をまたいでも止む気配のない人間どうしの争いごとから、いち早く脱却したといわんばかりに上空をドームで覆い尽くした。創設者たちは人種も民族も国境も関係なく一定数の人間を選び出し、都市に移住させる権利を与えた。
 移住が完了した後、彼らは五つの行政を立ち上げることになる。それが財務局、情報局、公安局、生命管理局、そして監査局。
 なぜその名なのかはよく知らないし、どういう意味なのかもよく分からないが、いつしかアステリアの住民はこれら行政をさして〝階差機関〟と呼ぶようになる。


 8区を抜けたところでぼくの回線に接続要請が入ったことを拡張現実が知らせる。ウィリアムからだった。

『端末に出てくださいよ、何度もかけたのに。しょうがないから回線を入れましたけど、本来なら任務外で回線を使うのは……』
「用件は」

 長くなりそうな小言に口を挟み本題を急かす。

『……民放のチャンネルにつないでください。3です』

 ぼくは拡張現実のモニター機能を呼び出し、民放3チャンネルにつなぐ。
 どうやらニュースの速報のようだ。

〈昨夜午後11時半ごろ、9区にある区長の自宅の一部で火災が発生した件について、公安局が出火原因などを調べていたところ、区長宅から税金の横領と思われる証拠が多数見つかりました。これを受け監査局による調査が入ると同時に、公安局から区長に横領容疑がかけられていることが分かりました。
 区長は数年前から長期にわたって税金を着服していたことが、今回の事件によって……〉

 ぼくはチャンネルを閉じて回線に戻る。

「これで任務完了か」
『情報局からニュースを事前に聞かされていたので、一応お知らせしとこうかと』
『ありがとう。それにしても、仕込みだったとはいえ情報がはやいな。起きてから数時間もしないうちに、気がつけばアステリア中この話題で持ちきりだ』
『なにせ情報社会ですから。人は新しいものに興味を示しても、古くなったものには見向きもしませんからね。たぶん、一週間前のニュースは何だったか、と聞かれて答えることのできる人なんて、大尉みたいな特殊な人を除けば、片手で数えられるほどじゃないですか』
『そうかもね』

 とぼくは言った。たぶんそうだろう。

『そんな中で〝古き良き時代を取り戻す〟なんてブームが起こっているのがなんだか不思議ですよね。知ってますか、今十代を中心にレコードっていう道具がはやっているんだそうですよ』
『知ってる。大昔の音楽再生機だろ。どこ行ってもクラシックとかジャズが流れてるよ。人類の最先端を謳ってる割に過去を振り返ろうとするなんて、なんだか矛盾してるような気がしないでもないけど』

 ぼくが疑問を投げかけると、ウィリアムはすぐに答えた。

『誰だって全力で走れば疲れますから。どうしてそんなにまで速さを求められる社会になったのかは知りませんが、みんな少しぐらい立ち止まって休みたいんじゃないですか。っと、長話しが過ぎましたね。今どの辺りですか』
『8区を抜けたとこだ。もう着くよ』
『大佐から、到着次第すぐに作戦室に集まれとのご指示です』
『了解』

 情報社会か。
 ぼくは車窓から外の景色を眺める。
 飲食店のメニューや客による店の評価、雑貨屋の品揃えから客層まで、観光客を対象にありとあらゆるもののデータであふれかえっていた。まるで街そのものが情報となって生きているかのように。
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