第7話
文字数 2,034文字
あの大姑さんのその後ですが、90歳を超え認知症も進行して来たため、去年の暮れから、完全看護の介護施設でお世話になっていました。施設へ入居させる際、本人の激しい抵抗に遭いましたが、その際も、彼女が入所したくなるよう説得に協力させて頂きました。
麻貴ちゃんは週に一度、大姑の面会に訪れていましたが、彼女は運転免許を持っておらず、都合がつくときは私の車で送り迎えし、定期的に私も大姑に面会しては、更に彼女がこの施設を気に入るように、アフターフォローも万全。
勿論、それらは頼まれたわけではなく、私自身、麻貴ちゃんとのお喋りでとても癒されるものですから、こちらから積極的に誘っており、今日も、いつでも良かった用事を口実に、彼女を送り迎えした次第です。
『今日は、どうもありがとう! とても助かりました。竜太郎さんも義母も御礼がしたいそうなので、今度また、うちのお菓子を食べに来てください。子供たちも、こうめちゃんに会えるのを楽しみにしています』
文字を書くのが大の苦手だった麻貴ちゃんでしたが、PCが普及してからは、以前より随分楽になったようです。
麻貴ちゃんにとって、『手で文字を書く』ことに比べて、『キーボードを打つ』ほうが断然やりやすいことが判明し、こうしてメールを送ることも出来るようになりました。
彼女が抱えていたのは『ディスレクシア』といわれる文字の読み書き(その両方、もしくは片方の場合もあり)が著しく困難という学習障害の一種らしく、程度の差こそありますが、海外では約1割の人がこの障害を抱えているともいわれているそうです。
一見同じ様に見える文字でも、麻貴ちゃんにとってはフォントの違いで読めなかったり、読みやすかったりするらしく、彼女へのメールは指定されたフォントで送るようにしていて、間違って違うフォントで送っても、自分で変換して読んでくれているようです。
また、この症状は何割かの確率で遺伝することもあるらしく、麻貴ちゃんの3人の子供たちのうち、真ん中の子だけが母親と同様に文字を書くことが困難でした。
ですが、当初からそのことが分かっていたので、学校側が対策を講じてくれ、タブレット端末を使ったり、かつて私たちがしたように、口答でのテストを採用してくれるなどの工夫をしながら、概ね他の子供たちと変わらない学校生活を送っているそうです。
もし、麻貴ちゃんも幼い頃からそうした対応をして貰っていたなら、今とはまた違った人生になっていたかも知れません。
和菓子店のほうですが、大姑さんが介護施設に入られた以外は、みなさんお変わりなくお元気で、お店もますます繁盛していました。
一時、洋菓子ブームに押され、和菓子の人気は下火になったものの、竜太郎さんの斬新なアイディアで次々に新商品を開発し、従来の伝統的な和菓子に加え、洋菓子に親しんでいる若い世代の人たちの口にも馴染む新しいテイストの和菓子が人気を呼びました。
かつて女将さんが見抜いた通り、麻貴ちゃんの天才的な味覚が、それら商品開発に大きな功績を果たしたのは言うまでもありません。
更に時代の流れでインターネットでも出店を始めると、全国から注文が舞い込むようになり、特に人気の高い商品は数か月待ちの状況。今では、押しも押されもせぬ大人気和菓子店に名を連ねています。
やがて3人の子供たちは、それぞれが和菓子職人・パティシエ・シェフになるという夢を叶えて行くのですが、それはまた、別のお話。
夜になり、葛岡さんの奥さんの車が戻っているのを確認したところで、昼間渡せなかった回覧板をお届けに伺いました。
インターホンを鳴らすとすぐ、柊くんの声で応答があり、小走りに出て来た彼に一緒に来るように懇願され、そこで私の目に飛び込んで来たのは、仁王立ちになっている奥さんと、涙目になりながら、肩で息をしているおばあちゃんの姿でした。
いつもなら、リビングで思い思いに過ごしている、おりべ・いまり・かきえもんの3猫たちも、この緊迫した空気に姿を見せません。
「…どういうこと?」
「母さんとばあちゃんが、『出てけ』『行かない』で、言い合いになって…」
「何でまたそんなことに…?」
「『あんたは常識がない』って、ばあちゃんが…」
すぐにそれが、おばあちゃんが橘井さんに感化されての、湾曲した正義感から出た言葉だと直感したものの、次の瞬間、『わああっっ!!』と大声で泣き出したおばあちゃんは、自分のお部屋へ行ってしまいました。
とりあえず、おばあちゃんが変な気を起こさないか、柊くんに様子を見守るように指示し、怒り心頭のまま立ち尽くしている葛岡さんを宥め、お昼間の出来事を伝えると、納得した表情で頷きました。
そして、大きく溜め息をつき、まだ治まりきらない怒りを何とか押さえ付けながら、今あった出来事を話し始める葛岡さん。彼女が会社から帰宅すると、いきなりおばあちゃんから『あんたは常識がない』と、暴言を浴びせられたのだそうです。
麻貴ちゃんは週に一度、大姑の面会に訪れていましたが、彼女は運転免許を持っておらず、都合がつくときは私の車で送り迎えし、定期的に私も大姑に面会しては、更に彼女がこの施設を気に入るように、アフターフォローも万全。
勿論、それらは頼まれたわけではなく、私自身、麻貴ちゃんとのお喋りでとても癒されるものですから、こちらから積極的に誘っており、今日も、いつでも良かった用事を口実に、彼女を送り迎えした次第です。
『今日は、どうもありがとう! とても助かりました。竜太郎さんも義母も御礼がしたいそうなので、今度また、うちのお菓子を食べに来てください。子供たちも、こうめちゃんに会えるのを楽しみにしています』
文字を書くのが大の苦手だった麻貴ちゃんでしたが、PCが普及してからは、以前より随分楽になったようです。
麻貴ちゃんにとって、『手で文字を書く』ことに比べて、『キーボードを打つ』ほうが断然やりやすいことが判明し、こうしてメールを送ることも出来るようになりました。
彼女が抱えていたのは『ディスレクシア』といわれる文字の読み書き(その両方、もしくは片方の場合もあり)が著しく困難という学習障害の一種らしく、程度の差こそありますが、海外では約1割の人がこの障害を抱えているともいわれているそうです。
一見同じ様に見える文字でも、麻貴ちゃんにとってはフォントの違いで読めなかったり、読みやすかったりするらしく、彼女へのメールは指定されたフォントで送るようにしていて、間違って違うフォントで送っても、自分で変換して読んでくれているようです。
また、この症状は何割かの確率で遺伝することもあるらしく、麻貴ちゃんの3人の子供たちのうち、真ん中の子だけが母親と同様に文字を書くことが困難でした。
ですが、当初からそのことが分かっていたので、学校側が対策を講じてくれ、タブレット端末を使ったり、かつて私たちがしたように、口答でのテストを採用してくれるなどの工夫をしながら、概ね他の子供たちと変わらない学校生活を送っているそうです。
もし、麻貴ちゃんも幼い頃からそうした対応をして貰っていたなら、今とはまた違った人生になっていたかも知れません。
和菓子店のほうですが、大姑さんが介護施設に入られた以外は、みなさんお変わりなくお元気で、お店もますます繁盛していました。
一時、洋菓子ブームに押され、和菓子の人気は下火になったものの、竜太郎さんの斬新なアイディアで次々に新商品を開発し、従来の伝統的な和菓子に加え、洋菓子に親しんでいる若い世代の人たちの口にも馴染む新しいテイストの和菓子が人気を呼びました。
かつて女将さんが見抜いた通り、麻貴ちゃんの天才的な味覚が、それら商品開発に大きな功績を果たしたのは言うまでもありません。
更に時代の流れでインターネットでも出店を始めると、全国から注文が舞い込むようになり、特に人気の高い商品は数か月待ちの状況。今では、押しも押されもせぬ大人気和菓子店に名を連ねています。
やがて3人の子供たちは、それぞれが和菓子職人・パティシエ・シェフになるという夢を叶えて行くのですが、それはまた、別のお話。
夜になり、葛岡さんの奥さんの車が戻っているのを確認したところで、昼間渡せなかった回覧板をお届けに伺いました。
インターホンを鳴らすとすぐ、柊くんの声で応答があり、小走りに出て来た彼に一緒に来るように懇願され、そこで私の目に飛び込んで来たのは、仁王立ちになっている奥さんと、涙目になりながら、肩で息をしているおばあちゃんの姿でした。
いつもなら、リビングで思い思いに過ごしている、おりべ・いまり・かきえもんの3猫たちも、この緊迫した空気に姿を見せません。
「…どういうこと?」
「母さんとばあちゃんが、『出てけ』『行かない』で、言い合いになって…」
「何でまたそんなことに…?」
「『あんたは常識がない』って、ばあちゃんが…」
すぐにそれが、おばあちゃんが橘井さんに感化されての、湾曲した正義感から出た言葉だと直感したものの、次の瞬間、『わああっっ!!』と大声で泣き出したおばあちゃんは、自分のお部屋へ行ってしまいました。
とりあえず、おばあちゃんが変な気を起こさないか、柊くんに様子を見守るように指示し、怒り心頭のまま立ち尽くしている葛岡さんを宥め、お昼間の出来事を伝えると、納得した表情で頷きました。
そして、大きく溜め息をつき、まだ治まりきらない怒りを何とか押さえ付けながら、今あった出来事を話し始める葛岡さん。彼女が会社から帰宅すると、いきなりおばあちゃんから『あんたは常識がない』と、暴言を浴びせられたのだそうです。