号外

文字数 1,652文字

人々の目は凶器だ。
大人の目は鋭く子供の目は嘲笑うかのようで年寄りの目は(あわ)れむような。私は負けないようにその目を()らさなかった。誰が相手でもその目を許すことはできなかった。妹がその目に気付かないように。妹を守りながら歩く。幼い私は精一杯。
大人に近づくにつれ優しい目があることを少しずつ知った。それらのおかげで妹はたくさん笑いたくさんの人達に囲まれている。
生まれてから死ぬまで、人には人が必要だ。

外に出た。仕事に行かなくてはならない。あの家から出て行くきっかけがあってよかった。息苦しい。秋の背中を思い出す。部屋を出て行く後姿。玄関扉の閉まる音。何も話せなかった。
空っぽのまま仕事をする。体は自然と動く。私は元気だ。綺麗な笑顔も作ることができる。まだ大丈夫。
私が必要とされる時間が終わってしまった。いつもより早く終わってしまったのではないだろうか。帰れるところはひとつしかなかった。
電車に乗ると体の力が一気に抜けて哀しみが襲って来る。見慣れたいつもの駅に着く。降りてすぐに見えてくるコンビニ。ここに二人でよく来たことを思い出す。お酒を飲んだ後の私は、アイスクリームか、ココア生地にホワイトチョコレートがかかったビスケット菓子を決まって買う。コンビニの前で煙草を吸う秋の隣で、そのどちらかを私はゆっくり食べる。
千弘くんと心ちゃんと四人で朝まで遊んだこと。たっぷりご飯を食べてから、ビリヤード、ダーツ、ボーリング。どちらかの家でテレビゲームや他愛もない話をして過ごした。私は不器用でうまくできないことも秋はそれら全てを器用にしてしまう。四人ではしゃいで、たくさん笑った。
旅行に行った日のこと。私達は遠出をすると、決まって晴れていて、いつも気持ちのいい出発。その場所の初めての空気を吸って、知らなかった新しいものを食べに行く。静かな懐かしい雰囲気の商店街でスマートボールをした日。秋の夢中になる姿を、私は隣でずっと見ていることができた。帰る場所は同じで、帰らなくてはいけないことを嬉しくさせた。
必ず隣に秋はいた。一緒に眠りにつくことができない日があっても、朝、目が覚めるといつもすぐ側に。
涙が流れていた。いい思い出ばかりがこんなに溢れているのに。それなのに、何故今、こんなに哀しい思いをしているのだろう。
たくさんの人達が駅に群がっている。私はぼんやりそれを眺めていたのだった。何かを受け取る人の波に乗って私もそれを受け取った。
号外。災害。此処、同じ日本で起きた出来事。立ち止まって目を通す。私の哀しみはあまりに小さな出来事だった。携帯の着信。里実。
「香だ。声が聞きたくなったの。ニュース、びっくりして」
「里実」
それ以上何も言えなくて涙が止まらない。
「香?泣いてるの?」
「私、またひとりぼっちになった」
夜が近づく今日の空は、薄暗く心細く冷たくて寂しい。
「帰っておいでよ。待ってるから」

四日目。秋は帰ってこない。私は日常を過ごす。起きて電車に乗って仕事をしてまた電車に乗って眠る。テレビで流れ続ける朝と夜のニュース。受け入れなくては。今起きている現実を。ずっとどこかが締め付けられている。動悸がしてなかなか眠れず、朝になると髪が引っ張られるような感覚がするようになった。
抱きしめて欲しい。温もりがあれば泣くことができて眠ることができるかもしれないのに。私の隣には誰もいない。

思うままに生きたい。ありのまま、伝えて、求める。好きと伝えればよかったのだろうか。寂しいから側にいて欲しいと求めればよかったのか。けれど、それで誰か傷つけてしまうくらいなら今のままでいい。何より、私は自分を傷つけたくない。
人は怖い。あの人々の目を忘れることができない。屈折してしまった考えは、ずいぶんと前から根付いてしまってもう救いようがないように思う。
それでも分かっていることがある。押し殺した感情は、結局何かの形で、誰かを、そして自分を、必ず傷つけることになる。
誰も愛せないこんな私を、愛してほしいと期待してしまうのは、愚かなことだろうか。
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