午後は眠い 2
文字数 3,140文字
少女は己の名前をノーティと名乗った。
ちょっと独り言が多いのを除けば、ごくありふれた思春期の少女。己の行き先を求めてこの家へ訪れたのに、他に気になることができるとそちらの方にあっさり意識が傾いてしまう辺り、現状に切羽詰まった様子もなかった。
まぁ霊は皆、まずどこに行けばわからないから賢者を探し此処までやってくるだけで、急いで何処かへ行かないとと思っているわけではないから、賢者を見つけた後も焦っている者を見る機会の方が少ないが。最後に消滅さえしなければ構わないのだろう。
特に少女が気にしたのは部屋の壁にいる見栄えのいい男の存在。
カトレアにそんな時期はなかったが、思春期の乙女の多くは己や他人の色恋沙汰が相当好きである、と聞く。
その例にもれず、ノーティもどうやらそういう乙女らしい。
「美人賢者と壮絶美男子が一つ屋根の下で禁断の恋……っ」
キラキラと目を輝かせてそんな発言をしつつ二人を交互に観察し始めている姿は、内容を聞くまでもなく頭の中でいろいろと楽しそうな空想を巡らせていそうだった。
禁断の、と真っ先に発言に出てきているが賢者は別に色恋を禁じられていない。仮に同棲しようが結婚しようが、あまつさえ不倫をしようが、その資格の維持に問題ないのだが、詳細を全く知らない一般の者から見ればそういうものとは無縁な存在に見えるのかもしれない。
そういえば彼も最初はそう思っていた様子だった。誰でも、なんとなく賢者と言われると色恋に関係なさそうに思うのだろうか? 実際には結構その辺緩い者が多いのだけれど。
己の好奇心を一切隠さない姿は、いっそ清々しく、不快さを感じる隙もない。
そんな恋に夢見る乙女に、彼女は告げる。
「恋はないわー」
「ええー勿体無いそんな馬鹿な! ……って、もしかして恋なんてすっ飛ばして愛しかない的な!? きゃーっ!」
恐るべしは思春期乙女の想像力。
そして妄想力。
これがノーグのような相手なら乗じた言葉遊びも悪くないが、この少女相手にそんな遊びをしたら永遠に脱線して本題に戻ってこれなくなりそうだ。
苦笑して受け流す。
「そうそう愛だけ残った感じ。ってわけで私たちのことはこの辺にしてノーティの話を聞きたいんだけど」
「愛は否定しないんですね覚えておきましょう」
すかさず、なにやら不穏な言葉が聞こえて気がするが無視する。
こっちも今相手をしたら少女の妄想が止まらなくなりそうなので。
「さっき許婚とか言ってたわよね? 教えて?」
少女が今までの発言の中でこぼしていた単語の一つを拾い上げて尋ねれば、自分のことになったからだろうか途端につまらなさそうな顔をしてノーティは腕を組む。その様子は、興味ある話題を取り上げられて、ただ拗ねているようにも見える。
それでも不承不承答えてくれた。
「アタシのなんてよくある話ですよぅ。親が決めた許婚がいるんですけどね? まー別にこれが美形でもないし頭も良くないし気も利かないし何にも自慢するところがない人でぇ、子どもの頃はそういうのわかってなかったから平気だったんだけどー、最近は将来あれと結婚と思うと本当憂鬱、みたいな」
「ふんふん。未来を考える年頃になったから?」
「そう!」
ぐいっと身を乗り出す少女。
「結婚ってやっぱ一生もんでしょ。うちみたいな家だと簡単に離婚もできないしさぁ。死ぬまで冷めた仮面夫婦とか別居で終わるとかより、できりゃー長く楽しくできる相手としたいじゃないっすか」
「そうね。その相手は無理そうなの?」
「もーっ! 無理そうだから憂鬱なんすよ!」
あーもう、とため息まじりに境遇を嘆く少女には、軽い口調とは裏腹に、本気でそれに悩んでいる様子が見える。
単に己の好みでない許婚だから嫌、ではなくて、死ぬまで一緒に居るのが辛そうな許婚だから嫌だ、といった所だろうか。それは少女が結婚という行為を真面目に考えている証でもある。
この先結婚をする気がないカトレアでも、仮に死ぬまで一緒に居る相手を選ぶとなれば相応に自分に合いそうな、居心地の良さそうな相手を探すと思うので、許婚という決まった枠の中それができない相手を前に苦悩する気持ちは辛そうだなと憶測できる。
元は平民であるカトレアには許婚はいない。
この国の庶民でそんなものがいる者の方が少ないだろう。
だが現実として、貴族や一部の金持ちの中で許婚は珍しくもない。より良い子孫、より良い血筋、より良い家同士の関係を求めて、それは古くから続く文化でもある。
そこまで考えて、そういえば、と彼女の記憶に引っかかるものがあった。
「あれ、私にも許婚の申し込みがあったっけ」
「賢者様に? いやむしろ美人だし賢者だから当然あるか」
「……どういうことです初耳ですが」
この話にぎょっとした顔をするのは壁にいる男のみで、会話をしている少女の方は平然としたものだ。
これは少女からすれば「賢者を許婚にする」という行為が珍しくもないから、なのだろう。賢者の多くは平民出身だが、その頭脳で賢者と公的に認められている「明らかに優れた良い才能を持った者」なので、主に平民の金持ちの中では賢者と許婚になり婚姻を結ぶ行為は珍しくない。
そこに多く発生する多少の年の差は、互いが子どもが作れる年齢でありさえすれば見逃される。
貴族でも、家の存続や立場の維持に困っていない場合などに賢者を迎え入れる場合もあるようだ。過去には王族に迎え入れられた記録まであるので、王侯貴族にとって完全な平民と婚姻するよりは世間体としても問題ない相手が賢者である。
彼女は賢者には珍しく若い女だったので、この家に来るまでにそういう話はちらほらと入ってきた。霊を導く案内の賢者とわかっていても、他に若い女の賢者が殆どいないからだったのだろう。
さっきまでと違う様子で目を輝かせてノーティが尋ねてくる。
「ねぇねぇ賢者様、どんな相手から申し込まれたの?」
「えーっと、商人に貴族に、騎士とか城の役人もいたかしらね?」
「おお〜モテモテ! 選び放題じゃん! いいなぁ好きなの選べるって」
羨ましそうに少女が言う程、その申し込みは楽しくはなかったが。
殆どが許嫁となる当人でなくその家族からの申し込みであったし。
彼らが欲しいのは優秀な可能性の高い子どもが産める若い女賢者であって、小賢しく面倒臭くだらしなく霊と会話する色気のない彼女ではなかったから、おそらく安易に許婚など作った日には、その相手の方が、今の少女と同じようなボヤキを毎日こぼすようになっていたに違いない。
結婚早々の破綻が目に見えるようだ。
それはともかく、何だか妙な期待をしている少女には事実だけを教える。
「全部、ちゃんと相手からの希望で破談になってるけどね」
「……ちょっと何したの賢者様」
「まぁ、少し噂を流しただけよ? あの女賢者は霊からの恨みで健康な子どもが産めないって」
「ひえぇ……自分で流す内容にしては超酷いよ」
ただの噂だ。
何の根拠もないよくあるものだが、それが流れると潮が引くようにそういう話が一斉に消えたのを覚えている。案内の賢者という特殊さもあって信じるものも多かったのだろう。お陰で、彼女の許婚になって嘆く若者が生まれる可能性を消せたと思えば、その後に尾ひれがついて二度と噂を回収できなくなるとしても安いものだろう。
それだけで、子どもが欲しいだけの申し出ばかりだったというのがわかるというもの。
この程度で怖気づくような相手では、案内の賢者を迎えられるはずもないのに。
そんな本音は隠して、ただにこりと笑うだけで返事にした彼女を、二人が信じられないものを見るような目で見てきたが、別に婚姻どころか出産する気もないから、何の問題もないのだった。
ちょっと独り言が多いのを除けば、ごくありふれた思春期の少女。己の行き先を求めてこの家へ訪れたのに、他に気になることができるとそちらの方にあっさり意識が傾いてしまう辺り、現状に切羽詰まった様子もなかった。
まぁ霊は皆、まずどこに行けばわからないから賢者を探し此処までやってくるだけで、急いで何処かへ行かないとと思っているわけではないから、賢者を見つけた後も焦っている者を見る機会の方が少ないが。最後に消滅さえしなければ構わないのだろう。
特に少女が気にしたのは部屋の壁にいる見栄えのいい男の存在。
カトレアにそんな時期はなかったが、思春期の乙女の多くは己や他人の色恋沙汰が相当好きである、と聞く。
その例にもれず、ノーティもどうやらそういう乙女らしい。
「美人賢者と壮絶美男子が一つ屋根の下で禁断の恋……っ」
キラキラと目を輝かせてそんな発言をしつつ二人を交互に観察し始めている姿は、内容を聞くまでもなく頭の中でいろいろと楽しそうな空想を巡らせていそうだった。
禁断の、と真っ先に発言に出てきているが賢者は別に色恋を禁じられていない。仮に同棲しようが結婚しようが、あまつさえ不倫をしようが、その資格の維持に問題ないのだが、詳細を全く知らない一般の者から見ればそういうものとは無縁な存在に見えるのかもしれない。
そういえば彼も最初はそう思っていた様子だった。誰でも、なんとなく賢者と言われると色恋に関係なさそうに思うのだろうか? 実際には結構その辺緩い者が多いのだけれど。
己の好奇心を一切隠さない姿は、いっそ清々しく、不快さを感じる隙もない。
そんな恋に夢見る乙女に、彼女は告げる。
「恋はないわー」
「ええー勿体無いそんな馬鹿な! ……って、もしかして恋なんてすっ飛ばして愛しかない的な!? きゃーっ!」
恐るべしは思春期乙女の想像力。
そして妄想力。
これがノーグのような相手なら乗じた言葉遊びも悪くないが、この少女相手にそんな遊びをしたら永遠に脱線して本題に戻ってこれなくなりそうだ。
苦笑して受け流す。
「そうそう愛だけ残った感じ。ってわけで私たちのことはこの辺にしてノーティの話を聞きたいんだけど」
「愛は否定しないんですね覚えておきましょう」
すかさず、なにやら不穏な言葉が聞こえて気がするが無視する。
こっちも今相手をしたら少女の妄想が止まらなくなりそうなので。
「さっき許婚とか言ってたわよね? 教えて?」
少女が今までの発言の中でこぼしていた単語の一つを拾い上げて尋ねれば、自分のことになったからだろうか途端につまらなさそうな顔をしてノーティは腕を組む。その様子は、興味ある話題を取り上げられて、ただ拗ねているようにも見える。
それでも不承不承答えてくれた。
「アタシのなんてよくある話ですよぅ。親が決めた許婚がいるんですけどね? まー別にこれが美形でもないし頭も良くないし気も利かないし何にも自慢するところがない人でぇ、子どもの頃はそういうのわかってなかったから平気だったんだけどー、最近は将来あれと結婚と思うと本当憂鬱、みたいな」
「ふんふん。未来を考える年頃になったから?」
「そう!」
ぐいっと身を乗り出す少女。
「結婚ってやっぱ一生もんでしょ。うちみたいな家だと簡単に離婚もできないしさぁ。死ぬまで冷めた仮面夫婦とか別居で終わるとかより、できりゃー長く楽しくできる相手としたいじゃないっすか」
「そうね。その相手は無理そうなの?」
「もーっ! 無理そうだから憂鬱なんすよ!」
あーもう、とため息まじりに境遇を嘆く少女には、軽い口調とは裏腹に、本気でそれに悩んでいる様子が見える。
単に己の好みでない許婚だから嫌、ではなくて、死ぬまで一緒に居るのが辛そうな許婚だから嫌だ、といった所だろうか。それは少女が結婚という行為を真面目に考えている証でもある。
この先結婚をする気がないカトレアでも、仮に死ぬまで一緒に居る相手を選ぶとなれば相応に自分に合いそうな、居心地の良さそうな相手を探すと思うので、許婚という決まった枠の中それができない相手を前に苦悩する気持ちは辛そうだなと憶測できる。
元は平民であるカトレアには許婚はいない。
この国の庶民でそんなものがいる者の方が少ないだろう。
だが現実として、貴族や一部の金持ちの中で許婚は珍しくもない。より良い子孫、より良い血筋、より良い家同士の関係を求めて、それは古くから続く文化でもある。
そこまで考えて、そういえば、と彼女の記憶に引っかかるものがあった。
「あれ、私にも許婚の申し込みがあったっけ」
「賢者様に? いやむしろ美人だし賢者だから当然あるか」
「……どういうことです初耳ですが」
この話にぎょっとした顔をするのは壁にいる男のみで、会話をしている少女の方は平然としたものだ。
これは少女からすれば「賢者を許婚にする」という行為が珍しくもないから、なのだろう。賢者の多くは平民出身だが、その頭脳で賢者と公的に認められている「明らかに優れた良い才能を持った者」なので、主に平民の金持ちの中では賢者と許婚になり婚姻を結ぶ行為は珍しくない。
そこに多く発生する多少の年の差は、互いが子どもが作れる年齢でありさえすれば見逃される。
貴族でも、家の存続や立場の維持に困っていない場合などに賢者を迎え入れる場合もあるようだ。過去には王族に迎え入れられた記録まであるので、王侯貴族にとって完全な平民と婚姻するよりは世間体としても問題ない相手が賢者である。
彼女は賢者には珍しく若い女だったので、この家に来るまでにそういう話はちらほらと入ってきた。霊を導く案内の賢者とわかっていても、他に若い女の賢者が殆どいないからだったのだろう。
さっきまでと違う様子で目を輝かせてノーティが尋ねてくる。
「ねぇねぇ賢者様、どんな相手から申し込まれたの?」
「えーっと、商人に貴族に、騎士とか城の役人もいたかしらね?」
「おお〜モテモテ! 選び放題じゃん! いいなぁ好きなの選べるって」
羨ましそうに少女が言う程、その申し込みは楽しくはなかったが。
殆どが許嫁となる当人でなくその家族からの申し込みであったし。
彼らが欲しいのは優秀な可能性の高い子どもが産める若い女賢者であって、小賢しく面倒臭くだらしなく霊と会話する色気のない彼女ではなかったから、おそらく安易に許婚など作った日には、その相手の方が、今の少女と同じようなボヤキを毎日こぼすようになっていたに違いない。
結婚早々の破綻が目に見えるようだ。
それはともかく、何だか妙な期待をしている少女には事実だけを教える。
「全部、ちゃんと相手からの希望で破談になってるけどね」
「……ちょっと何したの賢者様」
「まぁ、少し噂を流しただけよ? あの女賢者は霊からの恨みで健康な子どもが産めないって」
「ひえぇ……自分で流す内容にしては超酷いよ」
ただの噂だ。
何の根拠もないよくあるものだが、それが流れると潮が引くようにそういう話が一斉に消えたのを覚えている。案内の賢者という特殊さもあって信じるものも多かったのだろう。お陰で、彼女の許婚になって嘆く若者が生まれる可能性を消せたと思えば、その後に尾ひれがついて二度と噂を回収できなくなるとしても安いものだろう。
それだけで、子どもが欲しいだけの申し出ばかりだったというのがわかるというもの。
この程度で怖気づくような相手では、案内の賢者を迎えられるはずもないのに。
そんな本音は隠して、ただにこりと笑うだけで返事にした彼女を、二人が信じられないものを見るような目で見てきたが、別に婚姻どころか出産する気もないから、何の問題もないのだった。