第11話

文字数 4,493文字

第九節 同化を拒んだ先住民ホピ
グランド・キャニオンに向かうアリゾナ・ハイウェイはすっかり夜の帳に包まれていた。ハイウェイの彼方から、巨大な黄色い満月が現れ、周囲に広がる砂漠の植物群を、闇から浮かび上がらせた。見渡す限り平野が広がるところでは、月は地平線からいきなり姿を現わす。まるで、巨大なボールがぽんと飛び出てくるようだ。道は上り坂となり、植物群は再び闇の中へと沈んでいった。高度が増すにつれて、ハイウェイの両側が白く光り始めた。残雪だ。突然、大きな影が右前方で動いた。ライトに照らし出されたのは数頭の大鹿だった。凍結した道を進む車の軋む音に驚いて、青灰色のビロードの胴体をぶるんと震わせたかと思うと、白い息を吐き出して、あっという間に雪を被ったままの樹林の中に逃げ込んだ。わたしたちはグランド・キャニオンを一望に見渡せる台地に立つモーター・インに宿をとり、身体を休めた。
夜が明けると、グランド・キャニオンが視界の果てまで続いていた。幾層にも積み上げられた地層が、朝陽にくっきりと浮かび上がっている。底知れない谷底から突き出ている岩山が光っていた。グランド・キャニオンの谷底には、大峡谷の威容を生み出したコロラド川が流れている。川は二億年という星霜をかけて、ゆっくりと地層を侵食し、グランド・キャニオンを形成した。頂上に先住民のキバの跡があった。儀式を執り行った、地下にある空間の跡である。高山特有の潅木が、その周囲を覆っている。
先住民の祖先は北東アジアから丸木舟に乗り、太平洋の荒波を越えて北米大陸の南西端に足を踏み入れた。凍結したベーリング海峡を陸路で北米大陸に渡ったのとは別のルートである。
太平洋を船で渡って来た先住民の祖先は、現在カリフォルニア湾と呼ばれる湾岸からコロラド川をたどり、グランド・キャニオンの谷底にある地層のひだに分け入った。
そして、とてつもない高さの地層の壁を少しずつよじ登り始め、いつしかグランド・キャニオンの頂上を極めた。グランド・キャニオンの谷底を「地下世界」とすれば、頂上は「地上界」である。創世神話で先住民の祖先は、地下世界から地上に現れたのだ。
キバは地下世界から地上界への出口に築かれた。地上から梯子で中に入ると、祭壇には木や石などの平板が置かれ、創造主から賜ったとうもろこし、稲妻、雨を呼ぶ雲を象徴する図柄が描かれている。祭壇前の土間には、彩色された砂粒で、霊的存在であるスピリットの砂絵が安置される。砂絵の縁(ふち)はひきわりとうもろこしで線状に囲まれている。その真ん中には泉から汲み出された新鮮な水を入れた儀式用の器が置かれた。儀式は四日間続き、最終日には人々の身体と儀式用の用具に灰をかけて、現れた強大な力を持つスピリットの力を中和し、身の安全を守ったという。
先住民ホピの祖先と死者のスピリットは「カチーナ」と呼ばれ、雲を呼び、雨を降らせて砂漠の大地を潤す。カチーナを具体的に表現するのは儀式に使用される仮面である。
頭部をすっぽりと覆う仮面を被ったカチーナ役の先住民は、ユッカ(砂漠の野生ユリ)の枝を握り、子どもを追いかけて鞭打つ。逃げ惑い、一時パニック状態に陥るが、儀式の最後にカチーナが仮面を脱ぐと親戚や隣人の顔が現れ、胸を撫で下ろすという。キバ社会に子どもを「入会」させるイニシエーションの儀式の一幕だ。
霊的な存在は、たとえ眼に見えなくても、人間にただならぬ影響力を及ぼすことを教え、記憶に留めさせる仕掛けである。
ホピは社会組織として、母系を核とするクラン(氏族)を構成している。クランにはそれぞれ固有の名前がある。太陽、霧、雪など自然にまつわるもの。熊、鷲、蛇、蜘蛛など生物の名前もある。
彼らはクランを単位として土地を共有するのが伝統であったが、アメリカ政府はこれを破り、一方的に土地の個人所有制を押し付けようとした。ホピは黙っていなかった。アメリカ政府の行為は、社会秩序に対する重大な挑戦である。抵抗するホピは、次々にサンフランシスコ沖にあるアル・カトラズ島の連邦刑務所に放り込まれた。一八九○年代のことである。
土地だけでなく、政府は学校教育にも介入した。ホピの村に学校を建て、アングロ・サクソン式の教育を強制しようとしたのである。ホピは伝統的な教育が破壊されはしないかと恐れた。
政府は最初懐柔策をとったが、ホピが子供を政府の学校に行かせないようにすると、父親を逮捕し、三ヶ月もの重労働を課したのである。父親の責任を問ったのは、ホピの社会が母系の伝統を持つという事実を全く知らず、ただアメリカ、ひいてはヨーロッパの常識を振り回した結果であろう。相手の伝統文化や社会の成り立ちさえ理解せず、やみくもに自分らの鋳型にはめ込もうとした蛮行である。
政府は村々に軍隊を派遣し、子供を強制的に学校に連れて行った。その際、兵隊がキバの中まで入り、イニシエーションの儀式を受けていた子供を連れ出し、儀式を中断させるという事態まで起こった。か、と言ってホピ社会が「反米」でまとまったという訳ではなかった。それまでの接触を通じ、アメリカ側に親近感を持つホピもいた。ホピは親米派と反米派に分裂し、別々のキバで儀式を行うようになった。アメリカの介入は、ホピが本来もっていた調和と均衡の宇宙観を破壊したのである。「村社会の平和を守るには、どちらかの派が村を去るしかない」
両派はオライビという村で雌雄(しゆう)を決することとなった。何と、綱引きでの決戦である。両派は思いっきり綱を引き合った。結果反米派が敗れ、二百九十八名が村を去り、十キロほど離れた場所に新しい村を作ることになった。
しかし、アメリカの執拗な追及は続く。政府は反米派のリーダー、ヨケオマら幹部を逮捕し、騎兵隊の駐屯地に収監する。ヨケオマは首都ワシントンに護送され、時の大統領タフトと面会させられた。米国大統領に会わせれば、ホピの伝統を捨て去る気になるだろうというのが政府の思惑であった。タフトは肥満で有名な大統領で、それを自慢にさえしていたが、面会の様子が政府担当者の記録に残っている。
(タフト大統領の面前に進み出たヨケオマは、全く動じなかった。蜘蛛のような細身のヨケオマなのに、大統領の恰幅の良さは微々たる印象も与えなかったようだ)
アメリカは反米派ホピのリーダーの懐柔に失敗したが、教育による同化政策を続けた。親から子供を切り離すため、学校はホピの村からずっと離れた場所に作られた。子供らは寄宿舎生活を強いられ、慣れない洋服を着てキリスト教式の授業を受け、教会行事に参加させられた。教室は勿論、寄宿舎や校庭でホピ語を話すことは禁じられた。もしも見つかれば、容赦無く鞭(むち)が飛んだのである。
*伝統・慣習を破壊する白人政府にノー
ジョン・コリエは白人ながら先住民の知識が豊富で、先住民の立場を理解しようとする男であった。コリエは一九三三年、新大統領フランクリン・ルーズベルトの下でインディアン対策局のトップに任命される。最初の仕事は「インディアン再編法」という法律案の策定であった。
再編法は居留地に暮らす先住民に対し、限定された自治権を与えようとするものであった。部族に関する法律の制定や部族議会構成員の選定などを任せようという内容である。
同時に先住民の土地に対する権利を認め、伝統的な暮らしを奨励することも検討されていた。一九三五年、法の成立を待って部族議会の議員選挙が行われ、翌年ホピ国家の正式な憲法が採択された。
しかし、連邦政府と先住民の関係は、目覚しい進展を見せることはなかった。政府に対するホピの不信感は根強く、再編法の各条項を承認するかどうかの住民投票を大半のホピがボイコットする。すでに、新たな火種がまかれていた。インディアン対策局が、ホピとナバホの所有する家畜の頭数を制限しようとしたのだ。その理由は居留地の土壌の侵食を防ごうというものであった。事前の相談は一切無く、突然「羊を半分召し上げる」と通告されたホピとナバホは怒り、抗議した。羊はホピ、ナバホにとり重要な収入源である。政府は召し上げる羊を補償として市価で買い取るとしたが、補償は一回限りという条件であった。羊は毎年羊毛を産し、安定した収入をもたらす。一回きりの補償では採算が全く合わない。
 第二次大戦後の一九四八年、インディアン対策局は、今度は全米の先住民を混乱に陥れる政策を打ち出した。先住民を居留地から都市に移住させようとしたのである。
居留地は元々辺鄙な場所に設けられたので、収入を生み出す仕事が少なく、都市で仕事を与えて先住民の経済的な環境を改善しようという政策である。都市への移住交通費と、場合に応じて職業訓練費が支給されることになった。
しかし、先住民は政府のご都合主義で一方的に都市へ移動することなど全く望んではいなかったのだ。結局、この政策も先住民の大半が居留地からの移動を拒否し、失敗に終わった。
政策に応じて都市に移住した先住民もいたが、彼らを待っていたのは、貧民街での生活であり、失業であった。政府はただ先住民を居留地から移動させるだけで、都市での生活をきめ細かくサポートすることなく、後は放ったらかしだったのである。
このように、インディアン対策局が打ち出す政策は、先住民の意向を悉く無視した場当たり的なものであった。コリエも結局は、アメリカ政府の枠を越えられなかったのである。
居留地に住むホピの人口は二十世紀以降増え続けている。一九○○年には約二千五百人だったのが、一九九○年の人口統計では七千三百六十人を数える。家族単位の世帯数の比率は合衆国の平均を上回る。部族の伝統を重んじ、地域的および血縁的に強い絆を守り続けているからであろう。伝統文化を如何に白人支配による同化政策から守るかという難題に取り組んできたホピの族長が、合衆国に対し語りかける。アンドリュー・ヘルメクアフテワ。氏族「青い鳥」の族長である。
「我々の宗教は大地とその上に住む人々を正しく見守ることを基本とする。ホピであり続けるには、その基本を忘れることは出来ない。もしも別のあり方を受け入れたら、我々自身に苦難が及ぶと、祖先が教えている。その教えは代々引き継がれて来た。もしもあなた方が現在進めている土地政策を続けるなら、我々の大地は消え去り、生活が破壊される。大地が消え去ることは、ホピが消え去ることにつながる。ホピが消え去れば、平和が去るのだ。我々は指導者として、あなた方と膝を交え、古(いにしえ)から伝承されてきた教え、祖先の忠告、ワシントンの白人権力者が我々に与えている影響について考えてみたい。ホピのあり方を壊したくないからだ。族長として尋ねたい。我々の許に来て話し合う意志はお持ちだろうか。話し合えば、我々の大地は失せず、ホピのあり方も壊されずにすむだろう。我々はホピとして生きたい。最初から歩んできた道を尊重したい。ホピの宗教は平和への道であり、全ての人々と分かち合うべきものだ。だから、あなた方とも分かち合いたい」。
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