第1話

文字数 4,668文字

 鬱蒼と生い茂る木々のあいだを抜けてひたすら山道をのぼって行くと、その寺はある。古い寺だがよく手入れがされていて、決してみすぼらしい印象はない。
 その寺にはさまざまないわくがあり、地元の人間ならばまず近寄らない。正確には、いわくがあるのは寺ではなく、そこに暮らす住職一家である。
 名を不破という。
 家族構成は住職とその妻、そして息子がひとり。
 この住職は同性の月森から見ても苦み走ったいい男で、若いころには異性から数々のアプローチを受けたらしいが、それらには見向きもせず独り身を貫いた。
 だが、あるとき、彼は恋に落ちた。
 それは道ならぬ恋だった。
 けれども住職はその恋を成就させ、生涯の伴侶となる愛しい妻と、愛の結晶ともいえる息子を得た。
 問題は住職ではなく、その妻と息子だった。道ならぬ恋というのは俗にいう不義密通などではない。
 住職が愛した相手はそもそも人間ではなかった。文字どおり、住む世界の異なる異界のものと彼は契りを交わしたのだ。
 それだけならまだいい。
 いや、よくはないだろうが、少なくとも月森は他人の色恋沙汰などに関心はないし、だれがだれと結ばれようがかまわない。
 それが自分自身に影響を及ぼすものでない限り。
 住職のひとり息子は月森と幼馴染みで、いっぷう変わった人物ではあるが、月森は彼を嫌いではなかった。だがこの男にはひとつだけどうしても理解できない部分があり、月森にとってはそれこそが切実なる問題なのだった。
 いつからだろう。
 不破は本気とも冗談ともつかぬ口調で月森にささやくのだ。
「おまえは私の嫁だ」と。
 たちの悪い冗談だと一蹴してきた月森だったが、不破はつまらぬ戯れごとをいう男ではないということもわかっていた。
 そして。
 ついに不破は実力行使に出た。

 *****

「ああ……っ」
 背後から容赦なく貫かれて月森は褥に臥して固く拳を握りしめる。
 庭に面した雪見障子から月明かりが差し込み、力ずくで欲望を捩じ込んできた男と、彼に犯される月森の姿を照らし出す。苦痛のためにびくびくと波打つ月森の背中に覆いかぶさり、不破は低くささやいた。
「力を抜け。そのほうが楽になる」
 無理やり突き刺してきたくせによくいう、と歯を食いしばりながら月森は胸の内で反論する。
 ほんとうに楽にしてやりたいと思うなら今すぐ離れてくれ、と。
 そうしているあいだにも不破は思いのままに月森の体内を掻き回す。
 もう何度目だろう。
 こうして彼の欲望を押し付けられるのは、今がはじめてではない。
 最初のときは気が狂うかと思った。いや、不破の気が触れたのかと思った。あらん限りの力をふりしぼって抵抗した月森に、この美丈夫はなんでもないことのように告げたのだ。
『いっただろう。おまえは私の嫁だと』
 そして彼は女を抱くように月森を抱いた。
 それ以来、不破は当然のような顔をして月森をとらえては欲望のままに征服する。
 今夜のように。
 月森を攻め立てながら不破は彼の萎縮したものを握る。敏感な部分に冷たい指が絡み付き、月森はびくんと大きく身体を震わせた。
「や、触るなっ」
 うつぶせにされ、腰を高く突き出すような姿勢を取らされていた月森は褥のうえを這いずり逃れようとする。だが不破の手が腰をとらえて強引に引き戻す。
 その拍子に奥まで貫かれて月森は頭をのけ反らせた。
「ああぁっ」
「そんなに締め付けるな。なかに出してもいいのか?」
 とんでもないことを淡々とささやかれて月森はぶるぶるとかぶりを振る。冗談じゃない。不破は激しく突きあげながら月森のものに執拗に刺激を与える。いやでいやでしかたがないのに、生理的な反応によって彼のものは硬度を増していく。
「おまえなんか嫌いだっ」
「素直じゃないな。おまえの身体はもう私を受け入れることに慣れつつあるようだが?」
 揶揄を含んだ声でいわれて目のまえが真っ赤に染まる。
「だれがっ……んぁぁっ」
 もっとも弱い部分に意図的に刺激を加えられ、あられもない声が喉から漏れる。不破の長い指は性急に快楽をうながす。急激に突きあげてくる射精感に抵抗できない。
「はっ……いやっ、あぁぁっ」
 そのまま不破のてのひらに体液を吐き出した。ぐったりとくずおれる月森の唇を割って不破は濡れた指を無理やり突っ込んできた。親指以外のすべての指に咥内を犯される。舌に広がる苦い味が自分の精だと理解した瞬間、吐き気が込みあげてきた。
「苦しいか。咬み切ってもかまわんぞ。どうせすぐに再生する」
 恐ろしいことを耳許でささやきながら不破は無遠慮に口腔をまさぐる。
「ぐっ……んん」
 背後からの律動がにわかに加速し、全身を激しく揺さぶられる。息ができなくて不破の指に咬みつくが、それは彼の高ぶりにさらに火を注ぐだけだった。
「は……っ」
 苦しげな息を吐きながら狂ったように腰を打ち付けてくる。肉がぶつかる生々しい音と体液が掻き回される卑猥な水音。そして獣のような荒々しい息遣いが部屋中に響く。
 月森を苛む熱い楔がずるりと引き抜かれた瞬間。
 不破の欲望が背中に放たれた。
 ようやく解放された月森はそのまま褥に身を投げ出す。後処理を終えた不破が隣に寄り添いささやいた。
「今夜はこのまま泊まっていけ。妙さんには使いをやる」
 勝手にそう決め付けると、行為のときとは異なるやさしい手付きで月森の髪を撫でる。
 月森の家は不破家と同じ山のなかにある。お互いが唯一のご近所という、ほかからは隔絶された環境だった。自然と両家の行き来は密になる。こんな関係はまったく望んでいないが。
 ふと、部屋の中になにかの気配がした。
「お呼びで」
 乾いた声が聞こえる。月森はゆるゆるとその方向に視線を向けるが、月明かりの届かない部屋の奥、闇のなかに声の主はいるらしく姿は見えない。
 月森の髪に触れながら不破が命ずる。
「月森の家に使いを。明日の朝には帰すと」
「御意」
 すぐに気配が消える。
 不破の眷属ならば人間ではない。家にひとり残してきた祖母が気掛かりだが、祖母は月森などよりはるかに肝が据わっているし、不破家に関しては今さらなにが起きても動じることはないだろう。
 そう思い、目を閉じる。
 ひどく消耗していた。不破に抱かれたあとは毎回こうなる。それがふつうなのか、それとも相手が不破だからなのかはわからない。
 不本意極まりないが、無理やり犯された褥のうえで、その当人の腕に抱かれながら月森は深い眠りに落ちた。

「起きろ、月森」
 ゆさゆさと身体を揺さぶられて月森は目を覚ます。瞼を開くと、覗き込んでくる不破の顔があった。瞬時に意識を取り戻して月森は飛び起きる。
 昨夜の行為のあと、なにも身に着けずに眠ったため彼は全裸だった。寝汗に濡れた肌が冷たい。そんな彼を見下ろす不破はすっきりとした顔をして、すでに制服姿だった。
 彼は、もはや月森のものとなりつつある自分の寝間着を投げて寄越す。
「湯を浴びてくるといい。用意はできている」
「何時だ」
「まだ6時まえだ。時間はある」
 不破の答えに安堵の息を吐く。外泊をしたうえに学校を遅刻したとあっては祖母に顔向けができない。
 渡された寝間着を羽織り、そろりと立ちあがる。不破は月森の身体を斟酌しない。翌朝、足腰が立たないこともままある。しかし幸いというべきか、今朝はそれほどひどくはなかった。
「危なっかしいな。湯殿まで連れていってやろう」
「いらん。触るな」
 肩に触れてきた手を振り払う。その拍子に足許がふらつく。不破の腕が月森の身体を引き寄せた。
「今さら遠慮するな。夫には素直に甘えろ」
「だれが夫だ、ふざけるな!それに遠慮しているわけじゃない。いやがってるんだ。わかれよ」
 いや、わかっていっているに違いない。不破はそういう男だ。見ると案の定、彼は意地の悪い笑みを唇に浮かべている。
「いいのか?そんな格好でふらふらして母上に見付かってみろ。嬉々として頭からバリバリと喰われるぞ」
 さもおかしそうにいう不破の言葉にげっそりする。そのとおりだった。
 不破の母上は黙ってさえいれば妖艶なる美人である。だが、彼女は月森のことを異様に気に入っており、しかもその気に入りかたが尋常でない。幼いころから顔を合わせるたびに「ほんにおいしそうな子だこと。ひと口味見させてくれないかねえ。指の一本でもいいから」と舌なめずりせんばかりの恐ろしい笑顔で迫られる。
 もちろん、その都度、丁重に辞退しているのだが。
 この親にしてこの子ありとはよくいったもので。月森にとって不破親子は鬼門以外のなにものでもない。
 ただひとり、住職だけは常識人だと認識しているが、あの母子の夫であり父親である以上、油断は禁物だと日々自戒する月森なのであった。

 月森が住む土地はいちおう町として扱われているが、実質は村である。旧くから続く家がほとんどで、こんな辺鄙な田舎に越してくるような酔狂な人間はめったにいない。そのため、みな顔見知りといっても過言ではない。そういうところだ。
 月森と不破は毎朝電車で一時間かけて高校へ通っている。
 地元では不破を知らない者はいない。つまり、彼の出自を。月森でさえ、彼がいったいなにものであるのかほんとうのところを理解しているわけではないが、わかっているのはただひとつ、不破は人間ではないということ。
 いや、半分は人間の遺伝子を受け継いでいるわけだから、いわゆるハーフなのだが。
 見た目は人間と変わらない。強いていうなら、一般的な人間よりずいぶん整った容姿をしている。これは母上にもいえることだ。
 その姿は人目を引く。
 だが不破と目が合うと、まるで熱いものに触れたかのようにだれもがさっと視線を逸らす。それは条件反射のようなもので、不破の瞳を直視できる人間はごく限られた数人のみだ。
 彼の眼差しはひとに畏怖の感情を植え付ける。
 これは人間同士でもあることだが、明らかに自分より力を持つ相手をまえにしたとき、ひとはとっさに畏縮して目を伏せる。それと同じで、不破自身にその気はなくても、彼の存在は否応なしに他人を脅かす。
 幼いころから近くにいた月森は、もうその感覚に慣れてしまって今さらどうということもないが、他人が不破に見せる態度を理解することは難しくない。それについて不破自身がどう感じているのかはわからないし、今となってはわかりたいとも思わない。
 不破のせいで月森の生活はとんでもないものにされてしまったのだ。
 あの台詞。
『おまえは私の嫁だ』
 不破はそれを公言して憚らない。ありえないことに、月森は自分のものだと、みなに宣言したのだ。しかも言外に「だからちょっかいを出すな」と威嚇までしている。
 そのおかげで、小さなころから月森には不破以外の友人がいない。
 あげくの果てに力ずくで身体を弄ばれて。
 それでも不破から逃れられないのは、結局、自分もまた心のどこかで彼を恐れているのだろう。そう月森は思う。
 ふだんの不破は乱暴ではあるが、それでもまだやさしいところがある。だが月森を抱くときの不破はまったく容赦がない。もしかして自分は彼に憎まれているのではないか。そう思うほどだ。
 月森には不破という男がわからない。わからないまま、なすすべもなく彼に身体を犯されていく。
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