2.分り合うために
文字数 762文字
多くのお人は「他人のことなんか分るか」とおっしゃられるかも知れませんね。それでは次はどうでしょうか?
童牛は思うのですが「癖は経験値である」はいかがでしょう?
ここはこんな流れで語ってまいりますね。
主人は主体で、従業員は客体でしょうか?それは違うでしょう‥私的にはです。こんな
結局、異言語をつかう人が集って社会をつくり・国家をつくり・家族をつくっている。親子にも夫婦にも言葉の行違いはあって当然(普通)なんですね。この舞台「ナンでもカンでも好いですか❢」 はそういった様ざまの問題(実在する悩み)をネタに始めております。
実在するお人や組織から発信されたネタだけでなく、今回は私・童牛も
【講談社の投稿機能の不慣れからか、童牛の投稿記事が何遍も消えてしまった】
それにしても童牛はどうして落着いていられるのか?
これへの「解」は簡単です。イソップ寓話「農夫とその子どもたち」です。世界には宝が埋まっていると教える。どこを掘っても宝を得られる。これを模した話が近年出版されたように思います。「起こること」にはすべて意味がある。私だけの理解でしょうか?
私の投稿記事が(私のミスで)消えた事実は私が宝(利益)を手に入れるチャンスであり・切っ掛けに違いありません。もちろん、私のミスでなくて他者の
今回はここまでにしておきます。