第3話

文字数 1,576文字

 塔の上の少年
 永見エルマ

 本日は、お花のお世話デーです。お花のお世話デーといっても、そんな日があるのではなく、朝、少年と二人で話をしていて、急遽、部屋に置いてある植木鉢をお世話しようとなっただけのことです。塔と少年は、胸を躍らせながら準備を進めました。リビングルームには、バラや、ペチュニア、シクラメンなど、たくさんのお花が置かれており、天井からは、これまたたくさんのツル性植物が吊るされています。それら全てのお世話をするとなると、一日で終わるのか怪しいほど多いのです。黄金色のテーブルに鉢を並べると、根詰まりを起こした植物を大きな鉢へと移していきます。作業をしながら、また少年はお喋りを始めます。
 「僕はね、植物が大好きなんだよ。ほら見て、このサフィニア。僕が初めて育てたお花だよ。花弁についた桃色のハートがとても愛らしいでしょ。それにこのパキラなんて、僕の腕くらい大きいし、青々としてとてもたくましいよね」
作業を続けながら塔は、大きさなら負けてないよ、と冗談を一つ。
続いて、少年はペチュニアを手に取ります。
「とうさんはこの子達のこと、覚えてる? この子達はね、僕が初めて挿し芽を成功させた株だよ。あの時は大変だったなあ。一日中ずっとこの子達を抱えて、新芽が出ないかって見守ってたんだ。こんなに小さかったんだよ」
少年は、人差し指と親指を差し出して隙間を作り、片目を閉じてその隙間越しにペチュニアを覗きます。
ああ、もちろん覚えているよ、と塔は答えます。躓いて危うく落とすとこだったよね。
「結局、親株は冬を越せずに死んでしまったんだけどね。できることなら、また親子揃って濃紫色の八重を見せて欲しかったな」
塔は当時のことを鮮明に覚えていました。少年は枯らしてしまったことを気に病んで、ベッドで毛布にうずくまってしまい、夜になるとしくしくと枕を濡らしたのでした。一週間ほど籠っていた間、塔には何もしてあげられなかったという後悔だけが残っていたのです。
ふと、少年は手を止めると、目を輝かせながら言います。
「時々、想像するんだ。もし自分が植物になれたら、どんな感じなんだろうって。きっと楽しくて仕方がないだろうなあ。たんぽぽの綿毛になって空を旅したり、ひまわりの種になって誰が一番先に太陽に届くか競争したり。」
綺麗な花をつけて、みんなを魅了しちゃったりしてね、と塔は少年の調子に合わせてあげます。
でも、根ついてしまうとその場から動けないし、近くに誰かいてくれないと、きっと寂しいよ、と言いかけた途端、塔は喉の奥に何か引っかかったような感覚に襲われ、言葉が出なくなってしまいました。
 「どうしたの。とうさん」
 少年は気にかけますが、塔には届きません。塔は植え替えどころではなくなってしまいました。
 「とうさんは、きっと疲れてしまったんだね。残りは僕が一人でやっておくよ」
 少年は黙ってしまった塔に少し違和感を覚えますが、一人鼻歌を歌いながら作業を続けるのでした。
 気がつくとあたりは夕暮れで茜色に染まっていて、月がその真ん丸な顔を出し始め、塔のすぐそばの森では母鼠が、もう帰る時間だよ、と小鼠の手をとって一緒に家へ帰っているのでした。塔は、何も言わず、ただ夕日を眺めていました。
 今まで長い間生きてきて、一度もこんな感情を抱いたことはなかった。この感情をなんと呼べばいいのだろう。この状態を少年になんと説明したらいいだろう。
 塔はまたもや頭を悩ませることとなりました。しかし、いつまで経っても答えは出ません。以前のように泣きたい気持ちになるわけではありませんでしたが、塔の心の中にはぽっかりと穴が空いてしまったようでした。それからというものの、塔は何をするにしても、心ここに在らずといった状態で、いよいよ少年が心配をし始めた頃、大きな事件が起きてしまうのでした。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み