七夕の願いごと

文字数 3,644文字

 七月七日の夕暮れ。石畳が敷き詰められた円形の広場の真ん中に大きな笹の枝がかがげられ、赤、青、黄、緑の色とりどりの短冊が結ばれている。風が吹くたびに短冊はひらひらと揺れ、ときにはくるくると回り、見る人の目を楽しませていた。
 いつもはジェラートやクレープの屋台が並ぶ広場だが、今夜は綿菓子や射的、金魚すくいなどの珍しい露店が並び、家族連れや浴衣を着たカップル達で賑わっている。
「日本のクリスマスのようなものかしら」
 カランコロンと下駄を鳴らしながら、ヘイランは青い浴衣を着て人混みの中を歩いていた。日本人街の七夕祭りの警備が今夜の彼女の仕事である。ヨーロッパ中のアジア人街を取り仕切るスー商会からの依頼だ。
 お祭りの雰囲気を壊さないようにと、浴衣姿でのパトロールを指示されていた。黒髪をアップにしたヘイランの和装は様になっていたが、初めて着る日本の伝統衣装は仕事には不向きだった。裾が脚にまとわりつき、下駄の足元はおぼつかない。今日は暗殺の仕事ではないが、もし戦闘にでもなったらやっかいだな。ブラジャーのバックベルトに挟んだ護身用のナイフと薬物の小瓶を指先で確かめながら、ヘイランは広場の喧騒に目をやった。

 パン、パン。パン。
 広場の左手奥から聞こえた銃声に、ヘイランは身を固くした。護身用ナイフに手を伸ばして慣れない下駄で駆けつける。だが音の出どころは本物の銃ではなく、射的の露店のおもちゃの銃だった。
 三人の子供が銃を手に、数メートル先の棚に向かってコルクの弾を打っていた。棚の上にはキャラメルやチョコレートなどのお菓子の箱が立ててあり、弾を当てて倒すともらえるらしい。
 男の子二人は箱を一つも倒せないまま弾をすべて使い果たしていた。髪を三つ編みにした女の子は銃を両手で握りしめ、片目を閉じて狙いをつけていた。女の子も箱を一つも倒せていないが、まだ弾を五発残している。
 パン。発砲音がして女の子の銃の先からコルクの弾が飛びだし、ビスケットの箱の数センチ横を通り過ぎた。
「ああ、惜しい!」
 横で見ていた男の子達が地団駄を踏んで叫んだ。
「ちょっといいかしら」
 弾の発射角度と弾道を目で追っていたヘイランは女の子に歩みより、小さな手から銃を取り上げた。片手で銃を構えると、パン、パン、パンと流れるような手つきでコルクの弾を三発放つ。棚の上のお菓子の箱がバタ、バタ、バタと倒れた。
「おじさん。この銃の照準、十時の方向に三度七分ずれてるわ」
 目を丸くする店主を一瞥して、ヘイランは銃を女の子に返した。
「狙ったところより少し右下を打ちなさい。それからさっき倒したお菓子はあなた達にあげるわ」
 カランコロンと下駄を鳴らして、ヘイランは射的屋を後にした。
 広場をパトロールして歩くヘイランの耳に、子供の泣き声が聞こえてきた。なんのトラブルだろう。駆けつけると、金魚すくいの露店の前で数人の子供達が泣きべそをかいていた。子供達の足元の水槽の中で赤や黒、まだら模様の小さな金魚がゆらりゆらりと泳いでいる。
「おやおや、結局一匹もすくえませんでしたねえ」
 麦わら帽子を被った目つきの悪い男が、店の奥でニヤニヤと笑っていた。
「これはなに?」
「金魚すくいですよ。お嬢さん、知りませんか。ポイというこの道具で水槽の中の金魚をすくうのですよ」
 ヘイランが問いかけると、男は虫眼鏡のような円形のプラスチックの枠を手にかかげた。枠の内側には薄い紙が貼られている。
「すくった金魚は差し上げるんですが、この子らは一匹もすくえませんでしてなあ」
 男が意地悪そうに目を細めて、泣いている子供達を見た。
「私にもやらせてちょうだい」
 代金を払ってポイを受け取ると、ヘイランは水槽の前にしゃがみこんだ。浴衣の袖が水につからないよう、左手で袖を押さえる。
 薄い紙だけど、水をすくわずに金魚だけをすくえば破れそうにないわ。ポイに張られた紙を観察してから、ヘイランはポイを水面に斜めに差し込んだ。金魚の下にポイを運び、枠の中の水を落としながら素早く金魚をすくいあげる。
 ボッチャン!
 紙が破れて穴が開き、ポイの真ん中から金魚が水槽に落ちた。すくい損ねた金魚が水の中でよろよろと泳ぎだす。金魚をじっと見つめながら、紙が破れたポイを上下に振って重さを確かめると、ヘイランは露店の周囲にいる大人に声をかけた。
「事務所のタオ・スーを呼んできて」
 事務所へと駆けていく人を見送ると、ヘイランは露店の奥の麦わら帽子の男を睨みつけた。
「子供相手にインチキするなんて最低ね」
「おやおや、なにをおっしゃっているのでしょうか。お嬢さんこそ失礼ではないですか」
「しらばっくれるんじゃないわよ」
 二人はじっと睨み合った。
「売り上げの計算で忙しいのに、一体なにごとね」
 背中にしょった算盤をカチャカチャと鳴らしながら、タオ・スーがおっとり刀でやってきた。裏社会の顔役だが、歳のころはヘイランと同じくらいの若さだ。栗毛色の巻き髪が綺麗なスー商会の女取締役である。
「こら、メフィスト。お前またズルしたあるか」
「いえいえ、とんでもない。こちらのお嬢さんがおかしな言いがかりをつけているだけでございます」
 メフィストと呼ばれた男が、タオ・スーに向かって慇懃無礼に頭を下げた。
「ヘイラン、ちゃんと説明するあるね」
「金魚をすくえないように、この男がインチキしてるのよ」
「なんの証拠があって、インチキなどとおっしゃるのか」
 狡猾な目つきでメフィストがヘイランを見た。ヘイランは浴衣の胸元に手を入れて、ブラジャーのバックベルトに挟んだ小瓶を取り出した。
「証拠はこれよ」
 小瓶の蓋を開けると、ヘイランは中の透明な液体を水槽の中にトボトボと落とした。半分ほど落としたところで水槽に手を入れて、ぐるりと大きくかき混ぜる。すると、ゆらゆらと泳いでいた金魚がピタリと動きを止めて、ゆっくりと静かに沈みだした。水槽の中の金魚はみんな動かなくなり、腹をみせて水槽の底へと沈んで落ちた。
「な、なにをする!」
 掴みかかってきたメフィストの手を、ヘイランは手刀で払いのけた。
「水槽に睡眠薬を入れたのよ。一時間もすればまた泳ぎだすわ。それより見てごらんなさい。金魚がみんな沈んでる。おかしいと思わない?」
 ヘイランに言われて、タオ・スーは「うーん」と首をひねった。
「金魚は死んだら水面に浮くあるね。動かない金魚は浮くはずね。なのにどうしてみんな沈んでるね」
「金魚に重りを飲み込ませてるのよ。だから体が重くなって、普通なら浮くはずの金魚が沈むのよ。何なら一匹腹を裂いて確かめてみましょうか」
「いやもう、それはご勘弁を」
 額に汗をかいて両手を前に突き出し、メフィストはペコペコと頭を下げた。
「メフィスト! ズルは許さないあるね。今から事務所に来てもらうね」
 右手で背中の算盤を抜くと、タオ・スーはメフィストの頭をゴチンと叩いた。
「それじゃあ、私はパトロールを続けるから。タオ・スー、後は任せるわ」
 振り向いて歩き出したヘイランの浴衣を、誰かがツンツンと引っ張った。金魚すくいの露店の前で泣きべそをかいていた子供達だった。
「お姉ちゃん、ありがとう」
 泣きはらした目はまだ赤いが、口元は笑っている。
「どういたしまして。お仕事だから」
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼうよ」
 子供たちがきらきらした目でヘイランを見上げる。
「ごめんなさいね。これからパトロールしないといけないから遊べないわ」
「じゃあ、僕達も一緒にパトロールする!」
 子供達がヘイランに飛びついて、小さな手で奪い合うようにヘイランの手を握った。柔らかな子供達の手の感触に、ヘイランの口角がすっと上がった。
「いいわよ。じゃあ一緒に行きましょう」
 子供達の手を握り返して、ヘイランはカランコロンと歩きだした。

「ご苦労だったあるね。無事に終わってよかったあるね」
 七夕祭りが終わってスー商会の事務所に行くと、タオ・スーが算盤をパチパチと鳴らしながら、報酬の入った封筒をヘイランに差し出した。
 封筒を受け取り、ヘイランは青い浴衣を脱いで私服に着替えた。下着姿のヘイランのメリハリのある体を見て、ほほおっとタオスーが息をのんだ。
「あんた、綺麗ね。うちのクラブで働けばすぐにナンバーワンになれるね」
「つまらない冗談はよしてちょうだい」
 封筒をポケットに押し込み帰ろうとしたヘイランに、タオ・スーがもう一度声をかけた。
「せっかく七夕祭りに来たんだから、あんたも短冊書いたらいいね」
 ヘイランは人さし指を唇にやり、タオ・スーが指さした机の上をじっと見つめた。そして着ていた浴衣と同じ青い短冊を手に取ると、サラサラとペンを走らせて机に伏せて置いた。
「必ず笹に吊るしておいてよ」
 そう言い残して、ヘイランは振り向かずに扉から出ていった。タオ・スーは椅子から立ち上がり、裏向きになっている短冊を表に向けた。
 青い短冊には丁寧な文字でこう書かれていた。
「来年も七夕祭りに来れますように」
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登場人物紹介

【ちゃん猫】

#呟ロニア をはじめ、創作活動が活発なノベロニアン。

『黒猫オテロ』シリーズなど、ユーモラスでほのぼのとした物語が持ち味。

【冬厳@主夫ロニア】

短編を書き綴る人。

『シュクレのスイーツコレクション』シリーズが50作品を突破。

大人な視線の、どこか優雅な語り口が特徴。

【高嶺バシク】

バトルからユーモラスな作品まで、魅力的な長編作品を多数執筆。

『蒼竜騎士と赤竜騎士の軌跡』が書籍化。人気と実力を兼ね備えた作家。

【果汁100%のコーラ】

セルバンテス以前から、オセロニアの二次創作活動を続けている。

壮大な戦記ものから、ネタに徹したギャグものまで、幅広く書きこなす。

【嵐山林檎】

二次創作にとどまらず、多方面で活動する文筆家。

熟練の筆致で、鋭くキレのある展開が心地良い。

【悠々自適】

優しく穏やかな気持ちになるストーリーを書く。

キャラクターに温かい視線を送る、癒し系ノベロニアン。

【エイル】

ノベロニア界の輝く新星。

深い考察から生み出される世界観に期待。

【山岸マロニィ】

ノベロニアの主犯。

文筆活動に集中すれば良いものを、勢いだけで多方面へ手を出しすぎて、全てがやりかけな残念な人。

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