第1話

文字数 9,918文字

『恋はタイミングが大切なの』
 そう従妹のお姉ちゃんが言ってた。
 読モで女子力高いお姉ちゃんの言葉だから間違いない。
 でも、私はタイミングなんてわからなかった。
 素敵な男の子と恋に落ちることを夢見て応募した番組だったのに。

 まだ手帳に挟まったまんまの、使えなかったチケット。
 私は未だに後悔している。


×××


「ナツキちゃん! テラス席にこれ運んで」
「はーい!」
 オーナーの言葉に私は元気よく返事してトレイにフードをのせた。

 海開きも先日終わったばかりの湘南の海。
 潮風が気持ち良い、騒がしいけど活気が溢れて人で込み合う浜辺。
 その浜辺をでーんと見下ろす、オシャレなウッドテラスがウリのこのお店。
 海のカフェ、プティソレイユは今日も満員御礼。

「お待たせしました。シークワーサースムージーと黒糖アメリカンドックです」
 フランス語の店名そのものって感じのオシャレな外観や内装なのに、なぜかメニューはオーナーの出身地にちなんだ沖縄風。
 でもその意外な組み合わせが何故かSNS映えすると評判なんだよね、このお店。
「あ、あのっ! ナツキちゃんですよね?」
 突然、女の子に声を掛けられる。
 オーダーのフードを運んだテーブルの隣の席に座る、私とそんなに歳が変わらないであろう高校生らしき女の子の集団。
 そっか、この子達もあの番組を観てたんだ。
 なんだか嬉しいような、恥ずかしいようなくすぐったい気持ちと。
 ……それと、ちょっとだけ思い出す、胸の奥のほんの少しだけある苦い気持ち。
 私は頷く代わりに、にっこりと笑う。
 うん、自画自賛だけど最高の笑顔じゃね?
 そして有難いことに、彼女たちは歓声を上げてくれた。
 この反応すごく嬉しい。
「あたしたち、恋ステがめっちゃ好きで! で、登場した時から、ナツキちゃんのファンで!
 ナツキちゃんのインスタ見てここにきましたっ!」
「夏休みは週末、ここでバイトしてるんですよね!」
「今日のネイルもめちゃくちゃ可愛いっ! 良く見せて~!」
 興奮した彼女たちから口々に私に飛び交う質問と称賛。
 ナツキちゃんのファン、かぁ……。
 ただの女子高生の私にファンとか……なんだか嬉しいなぁ。
 あの番組で私って最後まで賑やかし要員で終わっちゃってたのにね。
「恋ステ見ててくれたんだ、ありがと! うん。明日もここにいるよ。このネイル可愛いでしょ? これはね~ベースをフレンチにして貝殻スタッズとラメでキラキラにデコる、この夏私イチオシのネイルなんだ」
 私の指先でキラキラ踊る色とりどりの爪先。
 イエローやミントグリーンのパステルカラーと白のフレンチ。
「わあっ、ホンモノのナツキちゃんのデコネイルだ~! そのデコネイルへの情熱って言うか、愛って言うか……マジ憧れちゃう」
「うちは高校も親もネイル禁止だし……ちょー、羨ましい」
「ね、私も彼氏がデコネイルとか好きじゃないからさぁ。周りに理解のあるナツキちゃんが羨ましい~」
 お、この子達、もしかして周りが理解があるから、私がネイルをしてると思ってるのか。
 そんでネイルをしたまんま、学校に行ってると思ってるのね。
 確かにあの番組、私のことネイル好きってことあるごとに紹介してたからね。
 毎週、今日のネイルのポイントは? って聞かれてたし。
 私イコールデコネイルってイメージついちゃっても無理もないし、ぶっちゃけそれって結構嬉しいし。
 だけど……うーん。
 ちょっと違うんだけどなぁ。
 私はゼロ円スマイルを顔に張り付けたまま、ゆっくりとテーブルから離れようとした。
 けど……。
「でも、恋ステでナツキちゃんが最後まで誰ともくっつかなくて安心した~」
 ぐさり。
 その言葉が私の心臓に突き刺さって、ゼロ円スマイル仮面に大きなひびが入る。

『恋する週末ホームスティ』略して恋ステ。
 学生に人気のあるストリーミング配信のこの番組に、私は今年の冬に参加した。
 理由はもちろん、素敵な彼氏を作るために。
 素敵な男の子に恋をして、男の子も私を好きになって、チケットを渡されて、私の彼氏いない歴イコールに終止符を打つ!
 そう具体的なプランを夢見て、絶対絶対彼氏を作るぞって決心して参加したのだ。
 だけど、何もないまま終わってしまった。
 いや、正確にはちょっとあったけど……結果的には何もなかったって言うか……。

「でもさ、レン……だっけ? あの沖縄の男の子。ナツキちゃん、結構仲良かったよね?」
 レン。
 その言葉に2本目の矢が胸に突き刺さる。
 ……耐えてくれ、私の仮面。
「ばっかね! ナツキちゃんがあんなダサいの男の子好きになるわけないじゃん!」
 ぐさり。
「それにナツキちゃん、はっきり言ってたし。あの子にダサいって。それってナツキちゃん的にありえないってことでしょ?」
 ぐさぐさぐさ。
「赤ミーバイだっけ? あんな変な魚とナツキちゃんが似てるとか言うのも失礼だっての」
 ああ……そうだね。
 その部分、オンエアの時には面白おかしく、でーんと真っ赤な魚のドアップを出されちゃったもんね。
 分厚い唇に、でろんとした大きな顔。
 そして毒林檎みたいに真っ赤な全身。
 あんなのと似てるなんて、ほんとデリカシーないよねレンのヤツ。
 雨の様に降り注ぐ言葉の矢。
 レンはありえない。ナツキちゃんが誰とも付き合わなくて良かった。
 うん、そうだね。確かにそうだ。
 でも、もう限界だ。
「それではごゆっくり~」
 私はまだ名残惜しそうにしている彼女たちの前からそそくさと厨房に逃げ帰った。

 分かってる。
 人間は外見じゃないって、言葉は単なる気休め。
 偽善的って言うの?
 結局は外見もそれ相応にしないと世間は内面も見てくれない。
 私だっていくらネイルが好きでも、学校にはデコったネイルで行かない。
 だから外見って、とても大事。
 確かに私はレンはダサかった。
 私もダメ出ししたし。
 ダサいって、それじゃモテないし、恋愛も出来ないって。

 でもさ、その外見が壊滅的にダサい子の内面にさ……私ってば惹かれちゃったんだよね。


×××


 レンの最初のイメージは「ダサくて暗い」だった。
 そしてそのイメージは最後まで覆る事はなかった。

 身長は高いはずなんだろうけど、大きな背中を猫背気味に丸めていて、ぼそぼそと喋るのがまずイケない。
 身なりに気にしないのか、表情が分からないくらいぼさぼさで長い前髪、分厚いぐるぐる眼鏡。
 テレビに出るからってスタイリストさんがコンタクトを必死に進めてたけど「合わないから」の一言だけでかたくなに拒否をしてたっけ。
 撮影時期的にロケは雪山がメイン。
 スキーや雪で遊ぶシチュが多かったんだけど、沖縄生まれで沖縄育ちのレンには寒かったみたいで、着ぶくれしてて、ずんぐりって印象だった。
 口数が少なくて不愛想で、何を考えてるか分からない男の子。
 なのになんで恋ステに応募してきたんだろう?
 それがレンへの第一印象だった。
 まあ意外にも運動神経は良いみたいで、初めてのスキーに悪戦苦闘することなく、難なく滑ってみせた。
 でも、撮れ高っていうの?
 それがほとんどゼロ。
 他のメンバーが悪戦苦闘してたり、下手なメンバーと一緒に滑ったり。
 そんな映像の方が番組的に面白いみたいで、レンのシーンはほとんどカットされていたんだよね。
 カメラが回っていてもいなくても、静かにぼーっとメンバーの片隅にいるレン。
 ひとりが好きなのか、それとも私たちが嫌いなのか。
 協調性が無いだけなのか……
 始めは私たちもスタッフさんも彼の扱いに困ってしまった。
 私さ、こう見えても結構そういうの気にする方なんだよね。
 恋ステってまずはメンバーが仲良くなるために、知る事から始まるじゃん?
 ……今考えると彼氏作りにきたのに何してるんだって我ながら思うけどさ。
 でも、なんとなく気になっちゃったんだよね。
 レンももしかしたら、人と距離を取るのに悩んで、あまり話せないのかなって思ったんだ。
 というか、人と話すことに慣れてない感じ?
 そんなレンと話すチャンスが突然降ってわいて。
 私にレンを見直すきっかけを与えてくれた。

 それは最初の週末。
 みんなで冬の海を見ながらBBQをするとか言って、漁港に行った時。
 私とレンは買い出し係で魚市場を回る事になった。
 たくさんの魚に圧倒されている私に、丁寧に説明してくれたのはレンだった。
「この魚ってなんていうんだろ?」
「…それはノドクロ」
「ノドクロ?」
「…ああ、脂が良く乗ってうま味があって…刺身にするとうまい」
「レンって魚に詳しいの?」
「…それほどでもないと自分では思うけど…確かに内地の人よりは詳しいかも」
 ちょっと意外だった。
 そっか。こうやってレンは自分の好きな話題だと会話のキャッチボールをしてくれるんだ。
 私はここぞとばかりに頭をフル回転させ、レンのプロフィールを思い出して問いかけた。
「そういえば、レンって石垣島に住んでるんだよね。海にも詳しそう」
「詳しいというか……実家はダイビングショップだから」
「えっ! レンも出来るの、ダイビング」
「もちろん」
 レンと海……陰キャと海……うーん、想像がつかない。
「…俺は、将来ダイビングのインストラクターになりたいからな」
 突然のレンの将来の夢の告白に私は驚いた。
「レンが? インストラクター?」
「似合わないっていうのも、合わないっていうのも分かってる。…だから、この番組に出たようなモンだけど」
 レン曰く、ダイビングインストラクターは接客業。
 人とコミュニケーションが取れないのは致命的だから、いっそ同年代の子たちと旅をする番組に出るのはどう? と家の人に勧められて応募したんだって。
 なるほど、恋をしたいから応募したわけじゃないのね。
 というか、恋ステ出演に親が薦めるのか。
 沖縄の人っておおらかって言うけど……おおらか過ぎね?
「…ともかく、人と接することに慣れるには良い機会だと思った。番組の主旨とは違うだろうけどな。…これ、他のメンバーや番組の人には言うなよ」
 と、しっかり口止めも忘れないレン。
 でも一応、恋ステって密着ロケ型バラエティなんで、この部分、どっかでこっちを見てるカメラに撮られてますけど。
 というか、番組に主旨にそぐわないって自覚はあるのね。
 そして口数は少なくても、しっかり自分の考えは話すんだ……って意外な面にちょっと驚いて。
 なんだ結構面白い奴じゃん、と思った矢先にレンが言った言葉。
「…あのさ。初めて会った時から思ってたんだけど…おまえのその爪、すごいな」
 またこの言葉。
 たちまち、私の体は凍り付いた。

 私はネイルが好きだ。
 特に派手にデコったネイルが大好き。
 指先が綺麗で、きらきらしているだけでふふって笑いたくなるくらい、嬉しい。
 ずっと見ていたいし、いつまでもデコっていたい。
 でも、デコったネイルって、……ウケが悪いんだな。
 親や大人や男子だけじゃなくて、学校の女子にまで。
 いわく、
 家庭的に見えない
 派手過ぎる
 料理して欲しくない
 ひっかかれそう……etc
 出るわ、出るわ。
 不評のオンパレード。
 さっきも言ったけどさ。
 結局は外見もそれ相応にしないと世間は内面も見てくれないんだよね。
 だからネイルのデコは週末だけで、普段はベースとトップコートだけ。
 学校は結構校則が緩くて、ネイルは派手でなければOKって感じなんだけど、オフにしてる事が多い。

でも恋ステに出演が決まった時は、恋しに行くんだから自分の好きなものを押し出していきたい!
 って思って、いつもは週末しかしないネイルのデコを最初の週はかなり気合をいれた。
 だけどこの日、メンバーや番組のメイクさんにデコネイルは控えめの方が良いよ、なんてアドバイスされちゃって。
 かなりへこんでたんだ。
 そこにレンの一言。
 逆に興ざめしたっていうか、レンもそうなんだ……っていうか。
 ちょっとがっかりしたのを覚えてる。
 この後にくる言葉はどうせ「派手」だの「学校は大丈夫なの」とか。
 戸惑い、否定、拒否……そんな負の感情が織り交じった言葉をかけてくるのに決まってる。

 でも。
「これ、おまえが自分でしたのか。凄いな。
 ……でも、大変だろ。こんなに綺麗にメンテナンスするの」
 レンから出たのは思いがけない言葉だった。
 凄い? 綺麗?
「…派手だとか、やり過ぎたとか思わないの?
 つか、こういうのって苦手って男子多いけど」
 私の言葉に首をかしげるレン。
「苦手? 俺は爪を自分でやるつもりはないぞ」
「いやそうじゃなくてさ、女の子がこういうのイヤじゃない?」
「なんで? それはおまえが好きでやってるんだろ? 男のためにやってるわけ?」
「はあ? 男のためとか馬鹿言わないで。
 私は私が可愛くしたいからネイルしてんのっ!」
 そう言った時、ハッと気付いたんだ。
 そう、私はネイルが好きだからしてるんだって。
 誰かのためじゃなくて、私のためのネイル。
 デコるのは週末だけって決めて日曜の夜にはキレイのオフするのだって、私の好きなネイルの印象を悪くしたくないから。
 バイトをしてお小遣いを貯めたり、プチプラグッズのチェックを欠かさなかったり、ネイルスクールに通ったり……それは全部ネイルのため。
 周りのウケなんて関係ない。
 私はデコメイルを愛してる!
 そう気付かせてくれたのはレンで、そして 好意的にネイルを褒めてくれる男の子は初めてだったんだ。

「だったら、良いじゃないか」
 レンはふっと笑った。
「おまえが好きなら良いじゃないか。それに……俺も好きだ。
 ネイルとかよくわからないが、おまえらしい爪だなって、思う」
 だから、レンが褒めてくれたってわかった瞬間、ちょっと……いやかなりときめいた。
 ダサくてもさいけど、なんだか気になるレン。
 もっともっと、レンのこと知りたいなって思って迎えた、2週間目。
 この週は雪山のペンションに泊まって、翌日はスキー。
 可愛らしい北欧風のペンションアンド修学旅行の夜みたいな雰囲気でメンバーはテンションが上がりっぱなしで。
 夕食の後はメンバー全員でテレビゲームで盛り上がり……のはずだったんだけど。
 レンはそれを眺めながら、リビングの片隅でスマホをいじりながらコーヒーを飲んでいた。
 なので私もスマホをいじりたいフリをして、さりげなくレンの隣をゲット。
 横に座った私にレンは特に気にするまでもなく、スマホをいじりつづけ……
「おまえは赤ミーバイだな」
 唐突にレンが言ったんだ。
「赤ミーバイ?」
「ああ、こっちではなんていうんだ?えっと、魚で……」
「ああ、沖縄の魚だよね。真っ赤なやつ。前に沖縄に行った時にみたことある」
 数年前、家族旅行で沖縄に行った時に市場で一度だけ見かけたことがある。
 赤いうろこが綺麗な、ちょっと大きな魚。
「知ってるのか? ああ、赤ミーバイは……」
「あれってさ、真っ赤で綺麗だけど、食べるのはちょっと勇気いるよね~
 あんなに派手な魚を食べるのは私はちょっとカンベンって感じ」
 市場のオジサンに美味しいよ、って散々勧められたっけ。
 でも、あんなに赤い魚を食べるのは……ちょっと抵抗があるよね。
「……そう、なのか?」
 驚いた様に目を見開くレン。
「俺は……美味しいと思うけど、赤ミーバイ」
「そんなに美味しいの? だったら今度、沖縄に行く機会があったら食べてみようかな~」
 そっか、海が好きなレンがこんなに落ち込むとは……そんなに美味しいのね、赤ミーバイ。
 明らかに声のトーンがダダ下がったレンに私は申し訳ない気持ちになった。
 そうだよね、自分が肯定するものを否定されるのは気分がさがるよね。
 馬鹿ナツキめ。自分だって散々ネイルの事で嫌な思いしてきたのに。
 ああ、反省。
 レンに気を取り直しもらおうと、私はとっさに会話を続けようとした。
「っていうかさ、レンも赤ミーバイみたいになれば?」
「俺が? 赤ミーバイ?」
「そうそう、もう少し外見に気を付かえば? そんなにダサいと女の子にモテないよ」
 私以外にね……って付け加えたかったけどさすがに恥ずかしくてやめた。
 恋愛は駆け引きが大切って、お姉ちゃんが言ってたからね。
 ここは少し、含みを持たせてレンの出方をみないと。

「カッコいいレンとか全然想像がつかないけどさぁ」
 ま、別に私はレンがダサくてももさくても、良いんだけどね。
 人間、外見だって言っても、やっぱり中身も重要だもん。
 そりゃ良いにこしたことはないけどさ、高望みはするもんじゃないって。
 付き合う人は私と感性があって、思いやりがあって、どきどきさせてくれる人が良い。
 ――そう、レンみたいな。
 と、言いたいことは山ほどあったけど、すべて飲み込んだんだ。
 恋の駆け引きのために。
 今はそれを言うタイミングじゃないって。

 ……でも私はこのことを、のちに死ぬほど後悔する。
 私どこか残念そうなまなざしで私をみて、そしてそのまま押し黙るレン。
 その後もレンは沈黙したまま。
 そして。
 結局、レンとは翌週から会うことがなかった。

 そう、レンのチケットは2週間で終わったのだった。
 そしてレンがいなくなって思ったんだ。
 ……ああ、私、やっぱりレンに恋してたんだなって。


×××


「赤ミーバイって表現。
 それって結構脈アリな表現だったんだと思うよ~」

 客足が途切れた昼下がり。
 それまでキッチンに缶詰めだったオーナーがやってきて、バーカウンターに腰を下ろした。
 この人はこうやって時々、恋ステの話を蒸し返して、私の反応を見て楽しむところがある。
 まあ、時給が良い、環境が良い、SNSに映えると好条件ぞろいで倍率が高かったこのバイト。
 雇ってもらった理由に「若い子にわりと知名度がある恋ステに出たことがあるから」ってのがあるから、邪険には出来ないけどさ。
 どーも、面白がってるフシがあるんだよね。
 ……そして、その手にはちゃっかりと缶ビールがあるんだけど。
 あのね、オーナー、まだ営業中だよ?
「よいしょっと。これは一休みだからノーカン」
 私のジト目に気付いたのか、言い訳するオーナー。
 それを冷ややかにスルーして、私はグラスを磨く。
「これから新しいバイトの人が来るのに大丈夫ですか?」
 そう、明日からもう一人このお店にバイトが増える。
 私と同じく、夏休みの週末限定の勤務の高校生だっけ。
 その高校生とこれから軽いミーティングをするんだって、オーナーが言ってたけど……しょっぱなから酒臭いとか大丈夫なの?
「大丈夫だよ。新しいバイトって言っても俺の甥っ子だからね。
 ……でさ、アカジンミーバイって言って沖縄の高級魚の筆頭の魚なんだよ」
 いきなり何言うんだろう、このオヤジは。
「味も価格も最高級な魚を例えに言うなんて、それってめちゃくちゃ褒めてるんだと思うんだ。
 そういうところがうみんちゅらしいんだよね」
「うみんちゅ?」
「そ、海の人って書いてうみんちゅ。漁師とか海を生業にして生活してる人。
 レンはさ。根っからのうみんちゅなんだよね」
 「……オーナー。なんでレンがうみんちゅだなんて知ってるんですか?」
 ダイバー云々の話は丸々カットされたから、誰も知らないはず。
 そもそもレンの場面はほとんど放映されてない。
 なぜなら、別のメンバーの三角四角関係がめちゃくちゃ盛り上がって、放映されたのはそちらの方のシーンが多かったからだ。
 私は「デコネイルが大好き」って部分でフォーカスされることが多かったけど、レンは一番最初に帰っちゃったし。
 まあ、私はチケットを10枚持ってたので、最後の週までいましたけどね。
「だって、レンは俺の甥っ子だからさ」
 はあ~~?
 そんなの初耳なんですけど?
 ん? 甥っ子?
「ちょ、ちょっと待ってください」
 私は思わずオーナーに詰め寄る。
「さっき、新しいアルバイトは甥っ子って言ってましたよね?
 そしてレンが甥っ子だって……それって……もしかして……」
「うん。実はさ、新しいバイトっていうのも、実はレンなんだよね~」
 なんだこの満面の笑みはっ!
 いたずらに成功した小学生かよっ!
 このたぬきオヤジ! 時給倍にしろっ!
「あ、きたきた~」

 えっ?
 オーナーがひらひらと手を振る、その先のオープンテラスのほうにワタシはゆっくりと、恐る恐る目を向けた。
 そこにいた人影。
 開口一番、私の口から出た言葉は
 久しぶり、とか
 元気にしてた? とか
 会いたかった! とかじゃなく……
「だれ?」
 だった。


×××


 だって、私の知ってるレンじゃなかったんだもん。

 まずオシャレ。オシャレが過ぎる。
 今年流行りのアッシュブルーのシンプルなサマーニット。
 インした白いTシャツをちらっと見せるなんてコワザを使うなんて……こいつ、やりおる。
 そして、レンってこんなに足が長かったんだっけ? と再任認識させる黒いスキニーパンツ。
 そう言えば猫背だっただけで、こんなふうに背筋を伸ばすと身長も高いんだ。
 ずんぐりだと思ってたけど、あれは寒くて着ぶくれしてただけだったんだ。
 でも、痩せてるとかじゃなくて……割と筋肉質っていうか、マッチョっていうか。
 そっか。レンって元から素材が良かったのか。
 シンプルイズベストっていうけど……素材が良くなければシンプルもベストにならない。
 そして素材がもっとも左右される、顔。
 ぐるぐる眼鏡はどうした?
 そして眼鏡の下はそんな切れ長の二重があったのかよ。
 ぼさぼさの切りっぱなしの髪はどうした?
 なんで少し明るめにカラーリングされてんのよ。
 しかも……髪が短めにカットされてるから……
 イケてるメンズの顔面がこれでもかってくらい、さらされてるんだけど……。
 つうか……レンって、こんなにイケメンだったの?

「……誰って。いきなりそれかよ。
 おまえが言ったんだろ、もう少し外見に気を使えって」
 ぶっきらぼうに返してくるレン。
 でもその顔は少しだけ、赤くなってる。
「言ったけど……まさかこんなビフォーアフター決めてくるとは思ってなかったし」
「これでも、雑誌読んだり、美容院行ったり……色々勉強したんだからな」
「……ねね、ナツキちゃん。
 実はね、赤ミーバイってレンの大好物なんだよ」
 そっとオーナーは私の耳元に囁く。
 うるさい、オーナー。
 あとでお説教させてください。あと感謝も。
 
 でも、そっか。
 なるほど、今わかった。
 ……レンもレンなりに、駆け引きをしてたんだ。
 そして、私の言葉を真に受けて、全身改造しちゃうくらい……私のこと好き、なのか。
 
 ――…うん。決めた。今夜、ネイルをしよう。
 今日のネイル以上にデコデコのキラキラに。
 沖縄の魚に負けないくらい、赤ミーバイに負けないくらい、派手なネイルに。
 そして明日、渡せなかった恋チケットをレンに渡すんだ。
 うん、それって最高のタイミングじゃない?

 そう決心したのに。
 レンは唐突に恋チケットを差し出した。
 「……これ、まだ有効だろ?」

 えっ?
 ここですぐそれ出してくる?
 今は感動の再会の場面だよ?
 もう少しやりとりしてから、もったいぶって出すものでしょ?
 ……まったく、これだから、陰キャって。
 本当に空気が読めないんだから。

 って、やめやめ。やーめた!

 駆け引きなんて向いてないや。
 私も、レンも。
 でもお似合いで良いじゃないか。
 だから本気の、素直な気持ちをだそう。
 うん、そう思える今が一番良いタイミングに決まってる。

 私は返事の代わりに、差し出されたチケットごとおもいっきりレンに抱きついた。

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