一人の少女が俯きながら、とぼとぼと歩いている。
何か悲しいことがあったのだろうか?
いや、それだけではないようだ。
きょろきょろと、せわしく目線を動かしている。
どうやら、落とし物を探しているようである。
よほど大切なものなのだろう。
その顔には悲壮感が漂っている。
日はそろそろ落ちようとする頃。
何度も同じ道を往復しているのだろう。
少女の顔には明らかな疲れが見てとれる。
しかし彼女は疲れを意識の外に追いやって、必死の思いで落とし物を探して歩き続けていた。
少女がついに諦めの言葉を呟いた、ちょうどそのとき。
一人の男が彼女の前に現れた。
スーツに身を包んだサラリーマン風の男が、柔らかい笑みを浮かべて話しかける。
見知らぬ男。
普段なら不審に思い警戒するところでもあるが、その邪気のない笑みに、思わず少女も答えてしまう。
ほぅ、それはお困りでしょう。
・・・そうですね、これも何かの縁。
宜しければ、私も一緒に探して差し上げましょうか?
私のことでしたらお気になさらずに。
今も散歩していたようなものですから。
そのついでに、道々探し物をしても手間ではございません。
―――ああ、もちろんお邪魔でなければ、ですが。
普段であれば断っていたであろうか。
だが、彼女が探しているお守りが、彼女にとって、本当に、心の底から大切なものであったこと。
そして何より、今しがた心が折れて諦めかけていたこと。
このまま一人でいては、本当に諦めてしまうところであったことは明白であり、それが例え見知らぬ男であっても、一緒に探してくれるという申し出は何よりもありがたいことであった。
えと・・・じゃあ、その・・・ちょっとだけ、お願いしてもいいでしょうか・・・?
―――なるほど。
そのお守りは、お別れしたお友達からの贈り物だったと。
失くしたものについての詳しい話を聞きながら、今日一日少女が歩いた道を一緒に辿る。
はい。
マモルくんが遠くに引っ越しちゃうことになって。
それで、お別れのときに渡してくれたお守りなんです。
あ、いえ、手作りのお守りで、こう・・・小さな巾着になってるやつで・・・
そう言って、手のひらに小さく円を描く仕草を見せる。
袋の色は白で、道に落ちてたらきっと目立つと思うんですけど・・・
どうしても見つからない・・・
まぁそう悲観なさらずに。
誰かに盗られるようなものでもないでしょう。
道に落ちていないのであれば、きっと誰かが交番に届けてくれているのでは?
・・・そうですよね。
きっと、誰かが拾ってくれて、交番に届けてくれますよね。
明日、交番に行ってみます。
―――結局のところ、少女の探し物を見つけることはできず、空は夕日に染まる時刻となった。
そうですか。
私もまた、注意を払って探してみます。
もし見つけたら、初めにお会いした場所でお待ちしておりますので。
・・・あの、本当にありがとうございました。
私一人だったらきっと、どうしていいか分からなくなっちゃってたと思います。
―――しばらくたって、それでも見つからなかったら、素直にマモルくんに謝ろうと思います。
ああ、それが良いかもしれませんね。
贈り物は唯一無二のものではありますが、所詮は物。
送り主の気持ちに勝るものではありません。
あまり気負わないのが良いでしょう。
―――ああ、探し物のお嬢さん。
交番には行ってみましたか?
はい。
でもやっぱり、お守りは届いてないみたいで・・・
・・・あの、昨日は時間もなくて、何もお礼できなくてすいませんでした。
もし、これからお時間あるようでしたら、昨日のお礼にお茶でもどうですか?
お茶ですか?
時間に余裕はたくさんありますが・・・よろしいので?
二人が入ったのは、カジュアルな雰囲気の明るい喫茶店。
お茶を飲みつつ、二人はそこでしばしの間談笑した。
―――おはなし、お上手ですよね。
聞いてて全然退屈しません。
お聞きしていいのか分かりませんけど・・・どんなお仕事されてるんですか?
私ですか?
そうですね、実は私、あまり働かなくても生活できる程度の余裕はありまして・・・
何をしているかと申しますと、こういったことを―――
はい。
皆様に笑顔を・・・
そして、贈り物をする私にも笑顔を。
さすれば皆が幸せに―――
それを願っての通り名です。
ああ、別に怪しい勧誘とかではありません。
ただの道楽・・・
先程申し上げましたとおり、私働かなくても生きていける程度の固定収入がありまして。
まぁ、遊んで暮らすには頼りない程度のものではありますが、特にお金のかかる遊びに興味はありませんで。
ならば使える時間を皆様のお役にたてたいと。
そういった、ただの変わり者の趣味と思って頂けましたら結構です。
・・・どうですかね?
それは良かった。
・・・よろしければ、あなたにも。
心を満たす「何か」をお贈りしましょうか?
あぁまぁ、少しニュアンスは違いますが。
例えば、お金が欲しいという人がいるとします。
そんな方にそのままお金を配るわけではありません。
その方はお金が欲しいのではなく、お金を使って買える「何か」が欲しいのだからです。
さらに「何かが欲しい」というのは、「その何かを手に入れること」により「心の何か」を満たしたいことに他なりません。
少し分かりにくいですかね?
ではあなたがお守りを探す理由を考えてみてください。
手元に置いておきたいから?
違いますよね。
理由はもっと別にあるはずです。
うん、わたしは何でかな・・・
なくしちゃったって気づいた途端にすごく悲しくなって、急いで探さなくちゃって思ったから・・・
何で探したいのかっていうと・・・
大切な人からもらった贈り物だから?
そこまでいけばあと一歩です。
お守りが無くなったことによって生まれた不安は「お守りが欲しいから」ではない。
ならば、それを満たすものは何なのか・・・
それを探し出し、お贈りするのが私なのです。
お守りを見つけたいけど、本当に欲しいものはお守りじゃないってこと?
そう、そしてお守りで満たされていた心の隙間を、もっとぴったりとしたもので満たしましょう、ということです。
まぁ、ものは試し。
あなたの心、満たす何かを探し出して差し上げましょうか?
たしかに、心が埋まって十分幸せ~って感じじゃないとは思うけど、なんかこう、埋まってないから毎日色々楽しいんじゃないかなぁって。
それはまた、お若いのに達観していらっしゃる。
確かに、人は足りない何かを満たすために生き、まただからこそ生きる気力がわいてくる。
―――ですがね、それでも私は皆様の心を満たして差し上げたい。
まぁ、無理強いする話でもありませんので、この話はここまでと致しましょうか。
はい。
せっかくのお誘いですけど、わたしはやっぱり足りないままがいいです。
いや、逆に諭されました。
ありがとうございます。
・・・ですが、もしも気が変わることがありましたら遠慮なさらずに。
いつでもお待ちしております。
あれから数日。
友人との学校からの帰宅途中、少女は再び男と出会った。
はい、お久しぶり。
あれからいかがです?
探し物は見つかりましたか?
そのわりにはあまり沈んだ顔をされてない様子・・・
大分吹っ切れましたか?
それまで少女と見知らぬ男の会話を黙って聞いていた、もう一人の少女が口を挟んだ。
あ、うん。
ほら、この前話した、一緒にお守りを探してくれたおじさん。
名前は・・・あれ?
あぁ、いえいえ、ただのおじさんで結構です。
それでも覚えて頂けるとおっしゃるのでしたらそう、肩書きの方をば・・・
うん、みんなのお願いを叶えてあげて、笑顔にしてくれるんだって。
ああ、そう胡散臭そうな目で見ないで。
今の説明では語弊があるかと。
正しくは、皆様の心から欲するものを見つけ出し、それをもって心を満たして差し上げたい、といったところです。
・・・まだ怪しいですか?
え?
う~ん、どうだったかな?
たしか、もらったお守りは大事なんだけど、贈ってもらった、その心が一番なんだとか、そんな感じだったかな?
それでわたしも、思い詰めてたのが楽になったのかな?
もちろん見つかってくれたら嬉しいよ?
でも、ダメだったら素直にマモルくんに謝ればいいかなぁって。
・・・そ。
あんたがそれでいいならいいんだけど。
ねぇ、さっきのアイツ、胡散臭くない?
あ~、うん、たしかにだいぶ怪しい人だったけど・・・いい人だよ?
・・・とにかく気をつけなよ。
まるっきり詐欺師の手口じゃん。
え~、大丈夫だと思うけど・・・
うん、ありがとう、気をつけるね。
―――翌日。
昨日と同刻・同場所で。
少し違うのは、少女の友人が一人で男を待ち伏せていたこと。
何が目的かって聞いてんのよ!
あのコにへんなこと吹き込んで・・・
一体何がしたいのよ!
少女に手を引かれ、男は人の入らない細い路地裏へと連れ込まれた。
・・・ここなら誰もこないでしょう。
あんた、本当になんなの?
あのコが探し物してるところにたまたま出くわして、それがまた親切にタダで探すの手伝ったうえに人生相談まで受けてあげたわけ?
はい、私、皆様に笑顔をお贈りするのが何よりの・・・
それが一番胡散臭いのよ!
何よそれ!?
何でも好きなものあげましょうって!?
そんな話あるわけないじゃない!
何でも好きなものというのとは少し違いますね。
私は、その方が心の底から欲するものを導きだし、それをお贈りしているのです。
さて、そう申されましても。
私、現に様々な人に贈り物を差し上げてきておりますので。
なるほど、少し話が見えてきました。
貴女がお気に召さないところ、どうやらあの少女が立ち直ったところにある。
―――違いますか?
そうなると、いくら探してもお守りが見つからない理由も察しがつきます。
落としたのではない・・・貴女ですね?
ああ、誤解なさらずに。
別に貴女を咎めるつもりではありません。
私が知りたいのは、あくまでも人々の望み、願望―――
言い換えてしまえば欲望なのですから。
さてどうです?
胡散臭さも少し解けてきたのでは?
貴女はきっと私のことを人々の願いをタダで叶える、ただの親切なおじさんと思っていたのでしょう。
何のことはありません。
私はただ、私の欲求を満たしたいだけなのです。
そう。
そして、それが叶ったときにその人が何を思うのか。
ただただそれが見たいだけなのです。
さてそこでです。
貴女のご友人は、正直申し上げて欲がない。
そう、私としては物足りない。
私が興味惹かれるのは、むしろ貴女のような方なのです。
先程貴女はこう呟きましたね?
「何故あのコなの」と。
それは「何故自分ではないのか」ということではないですか?
・・・肯定と受け取りましょう。
―――さぁ、これで利害は一致しました。
貴女には満たしたい欲望がある。
私はそれを満たして差し上げたい。
何も迷うことはありません。
貴女の「望み」を差し出してください!
うるさいわね・・・!
アンタにお願いしたら!
守くんがわたしのものになるの!?
無理でしょ!?
いい加減なこと言うんじゃないわよ!
―――ええそうよ!
わたしとあのコと守くん、三人幼馴染みだったのよ。
わたしも守くんが好きだった。
なのに、最後の贈り物はあのコにだけ・・・
結局、守くんにとっての特別はあのコだけだったのよ!
自分を蔑ろにした二人の絆が気に障る、だからお守りを隠したと?
・・・分からない。
でも、そうね、だからなのかも。
教室に誰もいないときを見計らって、あのコのカバンからお守りを抜き出した。
お守りがなくなったのに気付いたあのコのあの泣き顔、胸がすっとしたわ。
そのあとも、必死で探すあのコの顔、それでも見つからなくて、涙を堪えながら見当違いの場所を探し続けるあの顔も。
見つかるわけないわよね。
わたしが持ってるんだもの。
―――さあもういいでしょ? 満足した?
だったらわたしの願いを叶えて!
心を満たして!
なんにもできないとは言わせないわよ!
もちろん。
それはこちらも望むところです。
ただひとつ。
教えてください、貴女は何故まだそのお守りを持っているのでしょうか。
それは・・・
守くんの作ったお守りだもの、わたしが欲しがってもいいでしょ!?
ふむ、愛しい彼の手作りの品を手に入れたい。
・・・本当にそうでしょうか?
貴女が思いを寄せる守くんから、他の者への心の込もった贈り物。
貴女が彼を想っているのなら、逆にそれを持ち続けることは辛いのでは?
自分に向かわぬ思いの込められた品、本来ならば見るに堪えないもののはず。
捨ててしまえば事足る話です。
ならば何故―――答えは簡単。
あとで返すつもりだったんでしょう?
本当は彼女のことを憎んではいないからです。
・・・ちがう、私は守くんが好き。
だから、守くんから特別な扱いを受けたあのコのことが憎らしくて・・・
憎らしい、言い換えるならばそれは嫉妬。
そして、嫉妬の相手は果たして彼女だけなのでしょうか?
もうお気付きですね?
貴女が真に望んでいたもの。
それを掬い出し、形にするのが私の仕事―――
そうして男は右手をすい、と彼女へと差し出す。
何もないその手のひらに、何かが現れようとしている。
―――差し上げましょう。
これが貴女の心を満たすもの―――
それは古ぼけた、ただのぬいぐるみ。
だがしかし、彼女はそれに目を奪われる。
私が出来るのはここまでです。
あとは、貴女の胸に聞いてみましょう。
男がそのぬいぐるみを少女の胸に押し当てる。
するとそれは、まるで抵抗もなくするりと少女の「なか」に溶け込んでいった。
ああそうだ。
あのぬいぐるみ、あのコが欲しがっていたぬいぐるみ。
小さすぎて、もう覚えてもいなかった、とおい昔の話。
守くん、あのコ、そしてわたしの三人で、一緒にお金を貯めて買った、ぬいぐるみ。
そうだ、あの頃からわたしたちは親友になったんだ。
あのときのあのコの嬉しそうな顔、わたしもおんなじぐらい嬉しかった。
きっと守くんもそう。
ああなんだ、わたしが嫉妬してたのはあの二人。
特別な関係に、わたしも一緒に入りたかったんだ。
そう、わたしが本当に望んでいたのは―――
己の想いに気付いたその時、彼女を襲ったのは得も言われぬ苦痛であった。
―――そう、貴女が望んでいたのは「三人の関係」。
幼馴染みとしての、三人の絆。
そこにひとり取り残されたために生まれた嫉妬心。
貴女は彼女を憎んでいたわけじゃない。
元の関係に戻りたかっただけなんです。
胸の奥が潰される―――
あるいは、異物を捻じ込まれているような圧迫感。
そして、それに伴う尋常ならざる苦痛。
そのあまりの激痛に、彼女は胸を掻き毟り、地面をのたうち回る。
苦悶の表情を浮かべる彼女をしりに、しかし男は笑みを絶やさず、淡々と語り続けた。
先ほどの貴女の表情、実に満たされた、良い笑顔でした。
そして―――
やはり貴女も死ぬのですね。
目がかすみ、耳に届いた男の言葉もすぐには呑み込めなかった。
だが、襲い来る激痛が彼女に告げる。
私の贈り物を受け取った方々は、皆一様に死んでいく。
何故でしょう。
いや、分かります。
心の底から望んだもので満たされる。
それにより、生きることの目的を達したから―――
でも私は生きている。
まだまだ人々の心を満たし足りないからなのでしょう。
胸を掻き毟る手に、何か異物が触れる。
引き千切られた服の下、素肌から直に何かが生えていた。
そうそれは、先程胸に押し込まれたぬいぐるみ。
なるほど、苦しいのは当然だ。
肉を、骨を、そして臓器を。
あの思い出の品が侵食し、同化している。
本来ならば多量の出血を伴い、とうに意識を失い死んでいてもおかしくない。
だが不幸にも、その血は同化したぬいぐるみに吸いとられ、彼女の命を、そして苦痛を徒に長引かせていた。
さて、それでは私はこれで。
・・・ああ、礼には及びません。
私は皆様に笑顔を与え、それを見るのが何よりの喜びですので。
男は一礼し、少女の絶命を待たずに立ち去っていく。
―――彼女が命を失うには、その後数刻の時間を要した。
人は、満たされぬ生き物である。
それ故に、毎日をもがき、苦しみながら生きている。
そして多くの者は、それが満たされることなく死んでゆく。
もしもそれが満たされるのであれば――――
だが忘れてはいけない。
与えられるものには必ず対価が必要であること。
そして人の欲望に底はないということ。
―――それを満たすための対価など、あなたの命以外にありえない。
それでも悪魔は忍び寄る。
そのときあなたは、その誘惑に耐えられるだろうか?
さあ―――