第8回 王子の誇り 息子の怒り

文字数 8,940文字

「大変です、お客人」
 ばたばたと誰かが走ってきて、寺院で案内を乞うたときに最初に出てきた下男の声がした。ジョイドが応じているのに耳を傾けようとはせず、セディカは〈黄泉の君〉の前に(たたず)み、両手を握り合わせてひたすら祈っていた。太子が話を聞いてくれるように、信じてくれるように、偽物を追い払えるように、亡き国王の恨みを晴らすことができるように——最後の一つはともかく、全体的に冥府の主神に対して祈ることではないような気はしたけれど。そしてもう一つ、ひょっとしたら一番切実に——場所もあろうに寺院の本堂で、理由はどうあれ人を騙すことを、お赦しくださいと祈らずにもいられなかった。
 (もっと)も、(おび)えるような思考を含んでいる一方で、セディカは生まれてこの方十三年、未だかつてなかったほどに落ち着き払っていた。不敬なことであるという認識も、赦しを乞うべきであるという判断も、至って淡々となされて感情を伴わない。
 やがて、騒がしくはなくとも一人ではないとわかる気配がやってきたけれども、少女は微動だにしなかった。誰かが慌てたようだったのは院主だろう。
「太子殿下の御成りである」
 知らない、よく通る、厳しさと険しさを帯びた声が告げた。
 少女はやはり、動かなかった。
「あれは耳が聞こえぬのか」
 今度の声は先よりも若かった。
「そのようなことは」
「では、聞こえていてあの態度か」
 ざわりと風が立つように、背後で怒気が膨らんだ。
「無礼であろう」
 普段であれば身が(すく)んだかもしれない。怒鳴り声なら父で慣れているけれども、自覚している自分の非を(きゅう)弾されるのはまた違う。が、太子より上位にいるつもりになれ、というのが青年たちの指示だ。
「太子とはいえ人の子でいらっしゃいましょう。神への祈りを(さえぎ)られますか」
 平然とジョイドが口を挟む。相手の顔色が変わったかどうかはわからないけれども、少なくとも言い返す気配はなかった——から、そろそろ、よいだろう。
 少女は(あご)を上げ、ここで初めて、向き直った。
 太子は一目でそれとわかった。(よろい)をまとい、宝剣を腰に差し、(かぶと)は寺院の中だからか外している。二十歳になるならずで、トシュやジョイドより若い。外には軍勢が待機しているのかもしれないが、この場に従えているのは数人だった。
 案内を務めているのだろう院主と二、三人の僧侶がおろおろしているのは、尤もであったし、申し訳のないことであった。太子の来訪はちゃんと知らされたのに、(かしこ)まって迎えないとは思うまい。
 セディカはしずしずと歩み、自然に言葉を交わせるところまで近づいて、とはいえ何かあってもジョイドが間に割り込める程度には距離を取って、立ち止まった。
「お待ちしておりました。〈錦鶏集う国〉の王太子殿下」
 静かすぎて自分でも聞いたことのないような声がした。
「何者か」
「わたくしは何者でもありません。わたくしの元におります者より、殿下にお伝えすることがございます」
 巫女よろしく振る舞ってやろうという意識はなかったけれども、衣装の効果か声音ゆえか、それらしい印象は与えられたと見えた。太子もその周りも怒りと(さげす)みを鎮めて、代わりに警戒の色を浮かべている。
 セディカはジョイドに、正確にはその手元に、目を向けた。
「申し上げなさい」
 カコ、と小箱の(ふた)が開き、中から(まばゆ)い光がこぼれ出た。その中からひゅっと飛び出してきて、小さな雲に乗って太子の顔の前へと飛んでいったのは、ピンと立てた指ほどの背丈しかないトシュである。上から下まで緋色の衣装で固めて、頭も赤茶色の長髪になっているから、院主や僧侶たちが見てもトシュであるとは気づかないだろう。
「ふむ、これが〈錦鶏集う国〉の太子か」
 キィキィと高い声を出して、トシュは太子の周りをくるくると飛んだ。
「な、何だ、この一寸法師は」
 太子は反射的に剣の柄に手をかけ、とはいえ抜くわけにもいかないのだろう、身構えながら戸惑った。トシュは太子の右へ左へ、またやはり驚いている他の人々の間へとひゅんひゅん動く。
「太子どの。あんたのお父上は、まあどことは言わんが遠方の生まれで、跡目争いに敗れて流れてきたな。館に火をかけられたところ、錦鶏に命を救われて辛くも逃げ延びたわけだ。そこで国を(おこ)したときに『錦鶏』と名をつけたとか」
 その話はジョイドからも聞いた。史書の上ではそうなっているけれども、文字通りに受け取ってよいかどうかは断言できないと言い添えて。本物の錦鶏が現れたのか、きっと錦鶏の助けだと解釈したのか、誰かしらを錦鶏に(たと)えたのか、全くの創作なのか——最後の一つを入れる辺りが容赦ない。
「だからどうした。広く知られた話ではないが、秘事ではない」
「ほう、ではその遠方の地名を言おうか」
「……いや、よい」
 意地が悪いと思ったのは、追及されたくないことらしいなとはこれで察せられてしまうからだ。帝国と接していない、西国よりも西——帝国からは(じゅう)国と呼ばれて蔑まれる国の出身だったようだと、セディカはトシュから聞いていた。東国よりも東が()国と呼ばれるのと同じことである。
 父王が帝国から遠く離れた土地の生まれであることを、自身にとって恥であると感じているのか、他者に対して弱みになりうると考えているのかは判断できない。前者の意識が微塵もなくとも、後者ゆえに暴かれたくないということは十二分にありうるのだから——具体的な地名を伏せたとはいえ、配慮としては減点だ。
「この地に国を建てたのは、ここまで流れてきてこの寺院に救われたからだな。この寺院の開祖からして、政争に敗れて遠方から落ち延びてきた貴人、もしくはその従者だと言われている。そうと知ってる当時の院主どのが、お父上を突き放すはずもない」
「言われている、と。曖昧な伝承を知っていたところで何の自慢になる」
「聞かれていいならもう少し言ってやろうさ。ここで主人の方が没して、従者が墓を建ててそのまま(とど)まったんだ。実際の開祖は従者だが、そいつが主人を立てて、主人の名前で記録を残した。意を汲んで曖昧なままにしといてやるのが気遣いってもんだろうが、太子殿下のお尋ねとあっちゃ致し方ない」
 落ち延びてきた貴人とその従者、とは身に覚えのある設定であった。
「さて、あんたの国は五年前まで(ひでり)に苦しみ、素性の知れぬ方士に救われた。お父上は喜んでその方士を弟と呼び、重用した。その方士が牡丹を愛するからと、庭園の一画にわざわざ牡丹を一(むら)植えさせもしたな」
「……確かに」
 これはセディカは聞いていないエピソードだ。
「かほどに優遇してやったにも(かかわ)らず、その方士は三年前、何とは言わんがある貴石をお父上から奪って逃げた。然るにお父上は今もその方士を恋しがり、自らも牡丹を愛でては(なつ)かしんでいる。相違ないか?」
「ああ、相違ない」
「相違ないか!」
 トシュは急に声を張り上げ、再びくるくると雲で螺旋を描くと、セディカの前へと飛んできた。
「よろしい、ご主人。太子どのには話してやろう。太子どのには話してやろうが」
 そうして見返った先は、太子以外の面々である。
 ジョイドが後を引き受けた。
「殿下、お人払いを。ここからは殿下ご自身と我が主人の他、耳に入れることは許されません。お嬢様、わたくしにもおそばを離れるご許可を」
「おまえの判断に任せます」
 太子は迷うようだったが、やがて供の一人に合図をすると、その一人が一同に退室を命じた。ジョイドも含めて出ていくのを見送ってから、最後に自分も続く。
 本堂には太子とトシュとセディカだけが残った。
 それは即ち、第一の目的を達成したということである。太子と、太子だけと、話す準備が整った。必ずしもジョイドまで遠ざけなくともよかったし、反対にセディカが残らなくともよかったのだけれど。
 もう太子に対して上から物を言う必要もない。慌てず騒がず、きちんと礼儀に(のっと)って、セディカは深く頭を下げる。
「ご無礼をお許しください。どうしても殿下お一人に申し上げなくてはならないことがございます」
「ご主人が謝らんでいい」
 トシュは二人の間に浮かんだ。普通の声に戻っていたせいか、太子が眉を寄せる。
「太子どの、心して聞かれよ。かの方士は逃げてはいない。三年前のその日、お父上を井戸に落として殺し、お父上に成り済まして〈錦鶏集う国〉の玉座を乗っ取った。太子どのが今、息子として孝を尽くしている相手こそ、他ならぬお父上の(かたき)
「——何」
「昨夜、お父上は夢を通して、太子どのに真実を伝えよと我が主人に託された。ご主人、証拠をお見せするといい」
 (うなが)されて、セディカは太子の前に(ひざまず)いた。顔を伏せて捧げたのは、あの赤翡翠である。精()な錦鶏を宿す、〈錦鶏集う国〉国王の形見。
「——貴様ら、さてはあの方士の仲間か!」
 鋭い声の直後、キィン、と金属音が頭の上で響いた。
「よしな。今はそっちも守ってやったが、もう一度やったら(せっ)(かく)の名剣が折れるぜ」
「本性を現したか」
「あんたを()()()す必要はないからな。やつの手下がどこかに紛れ込んでいるとしても、あんたとお母上は違うだろう」
 剣を(はじ)き飛ばした、らしい。太子が蹈鞴(たたら)を踏むのと、トシュがセディカのすぐ前に下り立ったのがわかった。
「我が王子でなかろうと父上が王でなかろうと、悪ふざけでは済まぬぞ」
「信じられんのも無理はないが、俺らとしては聞いたことを伝えるしかないんだよ。しかし、陛下(じき)(じき)にくださった証拠を疑われちゃな」
 そういう風に疑われるとはセディカは思っていなかったけれども、トシュには予想の範(ちゅう)だったのか慌てた様子はない。
「思い当たる節はないか? 例えば、聞くところによると、庭園は国王陛下の命令で封鎖されたそうだな。弟がそれを奪って消えた現場だから辛くなる、とかいう話だそうだが、俺が思うに、(まか)り間違って井戸を暴かれるとまずいからだぜ」
 井戸の中には本物の国王がいる。
「同じ頃から、あんたは後宮への出入りを禁じられてるらしいじゃないか。学問に集中させるためだと。それも多分、お母上と引き離すのが目的だ。親子で話してる間に、お父上の様子がおかしいと悟られるかもしれんからな」
 夫婦や親子であれば、他人には気づかないことに気づくかもしれない。そして母と子であれば、他人には話さないことを話すかもしれない。庭園を封鎖したのと同じことで、危険の芽は摘んでおきたいのだろう。
「それにな、太子どの——ご主人、すまない——太子どの、我が主人も母上と死に別れた身だ。親が死んだなんていう嘘はとても()けない」
 そこまで言った後で、トシュは脇へ避けた、ようだった。
「とにかく、こいつは受け取ってくれ。俺らが嘘を()いていようと、これがあんたら王家の宝なのは変わらねえだろ」
 ややあって、セディカの掌から翡翠が取り去られた。顔を上げれば、太子は自らの手の中をみつめていた。
「……父上が、亡くなられたと?」
 呟きは弱々しく聞こえた。
「そなたたちは何者だ。それが事実であるとして——何故、父上は他の誰でもなく、そなたたちに伝えた」
「何故と俺らに訊かれてもな。うちの大事なお(ひい)さんを巻き込みやがって、どういう了見なのかこっちが訊きたいわ」
「無礼な口を()くのはおやめなさい」
 立ち上がりながらセディカはたしなめた。王族相手の言葉遣いでないのは最初からだけれども、度が過ぎる。
 口出しされるとは思わなかったのか、トシュは軽く目を(みは)ったが、聞き入れる、というより折れる()()りを見せた。
「俺は方士だ。大陸の東の果てに生まれて、大陸の西の果てで修行を積んだ。名乗ることにこの際意味があるかは知らんが、名はトシュ=ギジュ。相棒のことを勝手に話すわけにはいかんが、あいつもやっぱり方士でな。同じ方士ならやつの手(くだ)もわかるだろうとお父上は踏んだんじゃないか。——ご主人は俺らに巻き込まれただけさ」
 重要な事実が欠けている、とセディカは思った。人間よりも妖怪の血が濃いという事実を抜きにして、トシュが何者であるかを語ったことにはなるまい。だが、必要なことは告げたとも思った。国王がトシュとジョイドを指名し、セディカに仲介を頼んだ理由は、これで十分説明できている。
 太子は——顔を半ば、覆った。
「信用せよと?」
 トシュが腕を組む。いつの間にか例の棒は菜箸ほどに縮まっていた。
「簡単に信用されても、それはそれで〈錦鶏〉の将来が心配になるけどな。——これは提案なんだが、今からこっそり王宮に戻って、後宮のお母上に会ってみたらどうだ。妻と息子じゃ見える顔も違うだろ」
 返事はしばらくなかった。
「このこと、他に誰が知っている」
「外にいる俺の相棒だな」
 太子は挑むようにトシュを睨みつけてから、剣に近づいて拾い上げた。離れたまま、こちらへ切っ先を向ける。
「わかった、母上にお会いしよう。我が戻るまで、そなたたちはこの本堂から出てはならぬ。もし悪しき企みありとわかれば、そなたの相棒とやらも含めて三人とも斬り捨てる。撤回するなら今のうちだ」
「承知した」
 トシュが片手を顔の横に上げたのは、誓う、という意志表示だろう。……これはいつか聞いた〈誓約〉になるのだろうか。
 (むし)ろ太子は撤回されることを待っているようだったが、やがて剣を(さや)に納めると、(あと)退(ずさ)りに扉まで戻って、こちらを睨んだまま外へ出た。扉が閉まって数秒、トシュが肩の力を抜く。
「お疲れ、お姫さん」
 そっちも楽にしていいぞ、という呼びかけのようにそれは聞こえたが、セディカは反応を示さなかった。何と言おうか——心当たりがなかったので。
 トシュの手が目の前でひらひらと踊った。
「……おいおい、ちょっと落ち着かせただけだろうが」
 焦られる覚えはないが、注意を引こうとしたのだろうことは伝わったので、目だけでなく頭も動かして見上げる。しばしの凝視の後、(さじ)を投げたような、叱られることを覚悟したような調子で天井を仰がれた。解せない。
「ま、あれだ。外のやつらを呼ばないとは、話のわかる王子様だったな」
「本当よ。ずっと無礼を働いていたのに」
「って、口は利くのかよ。はん、あいつの親父は偉いだろうが、俺の親父も大分偉いわ」
 何だか子供っぽい反抗をしてから、真面目な顔になる。
「朝も言ったが、おまえは小人に憑かれてただけだ。後で何か言われても(とぼ)けとけ」
 辻褄はジョイドが合わせる、と頼もしいのか無責任なのかわからないことをトシュは請け合った。セディカは笑いも呆れもせず、ただ、そうだろうなと思った。

 太子が再び姿を現すと、トシュはセディカをその場に(とど)めて前へ出た。
「あんたとお母上は、俺らを信用する気になったか」
「ああ。母上も昨夜、夢の中で父上から同じ話を聞かれたそうだ。旅の娘とその二人の従者が力になるであろうと」
「……ご主人? 王妃殿下に話を通してあるだなんて聞いていないが?」
「おまえが陛下を遮ったのでしょう」
 途中でトシュに起こされたのだ。最後まで聞ければ、聞けたかもしれない。
 セディカの身を案じてのことだったとはわかっているし、ただ事実を述べただけのつもりだったが、トシュは咎められたように肩を竦めた。
「なら……、改めて、お悔やみ申し上げる。お父上が安らかに眠られるよう、及ばずながら力を貸そう」
 太子は頷いて——否、(うつむ)いて、(こぶし)を握り締めた。
「……三年前。……あの方士が去った日の夜。……老いたなと、言ったそうだ」
 一言一言、絞り出すようだった。
「さぞお辛かろうと、慰めの言葉をおかけした母上に。老いて、容貌も衰えたと」
 拳の震えは離れたセディカにも見て取れた。
(しい)したのみならず、かほどの侮辱を」
 母のみならず父への侮辱でもあるのだというその言葉からは、〈錦鶏〉国王がどういう夫であり、父であったかが窺えた。

 酷なことを言っているなとはトシュ自身思った。父親が死んでいる、それから既に三年も経っている、現在父の姿をしているのは父を殺した張本人である——しかも、そうした事実を知らせた上で、他人には隠せと指示したわけだから。
 だが、太子と共にただちに王宮に乗り込んで秘密を暴く、というわけにもいかない。準備しておきたいことが二、三あるのだ。偽国王があっさり観念するようなら空振りになるけれども、事が都合よく運ぶ想定で予定を立てるものではない。
 供の者たちや僧侶たちの前では、太子は動揺も悲嘆も憤怒もきっちりと隠した。小人に戻ってセディカの前に浮いているトシュへ、口の利き方に気をつけよ、と去り際に一睨みくれたのが唯一の発露であったが、これは隠れ蓑にもなる。無礼な異国人に王族らしからぬ扱いをされた後なら、普段と様子が違ってもそうおかしくはあるまい。
 太子への態度には院主も苦言を呈していたけれども、ジョイドが既に丸め込んだ後らしく、トシュとセディカはあまり厳しくは言われなかった。どのみちトシュはさっさと朱塗りの小箱に飛び込むふりをして、実際には蚊に姿を変えて隠れてしまったが。それからセディカの服にかけた術を解いて、巫女服がぱっと別物に変わるところを周りに見せつけて驚かせたから、その流れでセディカの方も()()()()になった。当のセディカはただ、どういうことかと問うようにジョイドを顧み、ジョイドはやはり周りに見せつけるようにわかりやすく笑んだ。
「大丈夫です、終わりましたよ。これであの小人も気が済んだでしょう」
 その先は相棒に任せて、トシュは寺院の外へと飛んでいって人間の姿に戻った。帰ってきたときは(うさぎ)の姿をしていたのだ——雪のように真っ白な兎になって、獲物を探していた太子を引きつけ、寺院の門まで誘導してきた。その後は兎ほど目立たない鼠に、次いで小人に、化け直している。つまり、表向き、トシュはまだ帰ってきていないのである。
「おや、いないと思ったら。今帰ってきたんですか」
 門をくぐれば、うまいこと下男にみつかった。
「さっきまで太子様がおいでだったんですよ、狩りの途中に立ち寄られて。しかも、お宅のお嬢さんとしばらく二人きりでお話されていたとか」
「うちのお姫さんとか?」
 白々しく、言われたままを繰り返す。下男は続けてよいものか迷うように言い(よど)んだ。
「あのお嬢さんはどういう方なんです? あの格好は、まるで……錦鶏のような」
 目論見(もくろみ)通りの感想に、にやりとしそうになったが、(こら)える。
「お姫さんの問題じゃねえんだ。あの小人が……っと、小人も見たか?」
「いえ、あたしは。小人がどうこうという話は少し聞きましたが」
 僧侶が安易に噂話を広めたりはしない、という風なことを下男は言った。そうはいっても小人になど現れられては、流石(さすが)に口の端に上ったのだろう。
「あの小人がお姫さんを利用しやがるんだわ。小人だってまあまあ希少な存在だろうが、若い巫女を従えてりゃあ箔がつくし、見栄えもいいしな。お姫さんの心身や名誉に悪影響がなけりゃあ、とりあえずいいが」
「……院主さんからもお二人に言われてましたが、何か変なことになっているようなら相談なさってくださいよ。あたしにじゃなく院主さんにですが」
 最後の部分に思わず笑う。
「そうだな。王太子殿下にまで話を聞かせたとなると、何か厄介事があるのかもしれん」
 親切な人々ではあるのだ。国王が偽物と入れ替わっていることに気づいていないのだから、その偽物との対決においては直接の助けにはならないだろうけれども、後方支援としては当てにしてよいかもしれない。〈錦鶏〉の住人であって〈冥府の女王〉の使徒であるなら、トシュよりよほどこの問題の関係者であるのだし。
 セディカとジョイドはどこにいるのかと尋ね、しばらく部屋でお休みになるそうですよと返事を貰って、トシュは修行用の建物へと足を向けた。とりあえず、一仕事終わったわけだ。
 どちらの部屋かを聞きそびれたなと思いつつ、セディカが使っていた方から覗くと、果たしてそこに二人はいた。が、思いも寄らないことに——椅子にきちんと腰かけたセディカが、表情は動かさぬまま、ぽろぽろと涙をこぼしているから当惑する。
「な、何だ?」
「セディに何をしたのさ」
「落ち着かせただけだっての」
 恨めしげにトシュを見やったジョイドは、だからといって涙を(ぬぐ)うわけにも、頭を()でるわけにも、背中を(さす)るわけにもいかないわけである。トシュとて泣かせるような真似をした記憶はない。緊張を除こうと軽い術を使ったつもりが、どうやら強すぎたらしいという自覚はある……が。
「反動みたいなもんか?」
「何でもないの。ちょっと……変なことを考えちゃっただけ」
 案外冷静な声音でセディカが言った。何でもないことなのに涙が止まらなくなったのであれば、それはやはり効き目がありすぎた反動ということになりそうだ。
 深呼吸が一つ、挟まった。
「……お父様も、偽物だったりしないかなって。本物が——本物は——お母様が結婚を決めた、本物のお父様は別にいて……」
 収まったかと見えた涙が、瞬きを受けてまた流れ落ちた。
 偽物だったら。本物ではなかったら。受けた仕打ちは変わらなくとも、もしも——本来なら惜しみない愛情を注いで然るべき、実の親ではなかったのだとしたら。
 〈錦鶏集う国〉の国王が実は殺されているように、セディカの父親が実は殺されているとしたら——。
「な、亡くなっててほしいわけじゃないのよ」
「わかるよ」
「つうか、わざわざそんな曲解はせんわ」
 得心した二人はそれぞれに応じた。
 もし本物の父親が死んでいるとわかれば、そのこと自体には胸を痛めるだろう。それとこれとは別の話だ。第一、今の父親が偽物であったとしても、即ち本物が死んでいると決まったものではない。単に追い払われただけかもしれない。
 大体、十中八九、そんな事実はないのだろうから——現実味がないと本人もわかっているだろう仮定の、揚げ足を取って苛めるものではない。太子や王妃の前で口にしたわけでもないのだし。
 目を閉ざした少女は、自分が自然に落ち着くのを待つことにしたようだった。青年たちはしばらく無言で視線を交わしたり、少女とドアとを見比べたりしていたが、結局はこの場を離れないことにして、佇んだまま少女を見守った。
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