天秤のお話
文字数 10,476文字
鬱蒼と生い茂った森の中を、一台の小型ソリが低速で走っていた。
木々にぶつからないように気を付けながら、操縦士の青年は操縦桿を巧みに操る。その隣には、幼い顔付きの女の子が座っていた。髪色は青銀に染まり、後ろで二束に結っている。
「エズ、お腹空いちゃった」
自分のお腹に両手を置き、女の子が言う。
エズと呼ばれた青年は、横目に女の子のお腹を見て、首を横に振る。
「我慢だ」
「えー」
不満に満ちた声を上げ、女の子は顔をしかめた。
「ペコペコなのに」
食事を取ったのは、何時間前のことか。
お腹が空いた女の子は、唇を尖らせて不満を露わにする。その仕草にエズは溜息を吐き、左手で無段変速機を三速に入れる。
「もうすぐ、次の町だ」
「えっ、ホントに?」
二人が乗るソリが森の中を進み出してから、景色は一向に変わらない。
「でも、お腹が鳴っちゃう」
四方に空に、どこを見ても木々がざわめいている。ソリが起こす風に、音を立てているのだ。次の町に着くまでの辛抱なのだが、女の子は我慢ができずに両足をバタつかせる。
「カーミンは食いしん坊だな」
「むう」
食いしん坊と言われて、カーミンと呼ばれた女の子は頬を膨らませた。
「エズはお腹空かないの」
何か食べるか、と。言ってくれることを期待していた。残念ながら期待外れの言葉に、カーミンは逆に問い掛けてしまう。すると、
「空いてる」
さらっと呟く。
実は、カーミンだけでなく、エズも同じくお腹を空かせていたのだ。
「じゃあ、わたしと同じね! 何か食べ物はあったかなー」
言うや否や、カーミンは後ろを振り向き、荷台に目を向けた。その顔は、明るさを取り戻している。食いしん坊と言われたことも、既に忘却の彼方へと葬られていた。
「箱の中に、砂糖菓子がある」
町に着いた後、食堂で腹を満たす予定だったが、カーミンの腹の音を我慢させることはできなかった。結局、エズはお菓子の在り処を告げる。
「箱って、これ?」
「それだ」
小さな箱を掴み、前を向く。蓋を開けて中身を確認してみると、砂糖をまぶした揚げ菓子が幾つか入っていた。
「美味しそう」
右手の親指と人差し指で摘まみ、カーミンはニンマリと笑う。
「食べていい?」
「ダメだと言ったら、食べないのか」
「ううん、食べる」
「それなら、聞く意味がないだろ」
「あるもん」
カーミンは指で摘まんでいた砂糖菓子をエズの口元へと近づける。
「はい、エズの分ね」
「……ん」
口を開け、エズは砂糖菓子を頬張る。甘い味が口の中に広がっていく。
「おいしい?」
「ああ」
返事に満足したのか、カーミンは箱の中の砂糖菓子を、もう一つ摘まむ。
「いただきます」
砂糖菓子を食べるカーミンは、幸せに頬を緩める。
「とっても美味しいわ」
今、誰よりも幸せだと言わんばかりの表情で、モグモグと口を動かしていく。その顔を見て、エズは口角を上げる。
「町が見えたぞ」
「あっ、港町ね!」
砂糖菓子を食べていると、ようやく森林地帯を抜けることができた。
その先に見えたのは、どこまでも続く青い海だ。風に舞って潮の香りが鼻孔をくすぐる。
「どんな町なのかな」
「入ってみれば分かるさ」
ソリは、走る速度を徐々に落としていく。
二速から一速に変更し、目的地である港町の手前で停まった。
「ほら」
ソリから降りたエズは、カーミンに手を差し出す。その手を取り、カーミンは地面に足を付ける。そして、大きく背伸びをしてみせた。
「傍に海があるから、きっとお魚が美味しいわ」
「食べることがばかりだな」
「旅の娯楽の一つだもん」
「まあ、確かに」
食は、旅の香辛料だ。腹を落ち着かせ、心を満たすことができる。
二人が言葉を交わしていると、いつの間にか小型ソリは姿形を無くしていた。残されたのは二人の旅荷だけだ。
「旅人かい? よく来たね」
町の入口で地べたに座る男性が、片手を上げて声を掛けてきた。
「一人に付き、銅貨二枚貰うよ」
町に入るには、通行料が要る。
エズとカーミンは、銅貨四枚を男性に手渡し、町の中へと入っていく。
ここは、港町として有名だ。
木でできた柵に囲まれており、日々数え切れないほどの人々が足を運んでいる。最たる要因は、商売だ。
「へえー、活気に満ちてるわ」
カーミンの言うとおり、港町の中は賑わっていた。人々は街中を足早に行き交い、誰もが忙しなく動いている。しかし、一つだけ気になる点があった。
「エズ」
それに気付いたカーミンは、エズの名を呼ぶ。
「この町の人達って、どうしてアレを持ってるのかな」
アレと言い、カーミンは瞳を彷徨わせる。視界に映る人、人、人の波。そのほとんどが、大小様々な天秤を抱えていた。
「お姉ちゃん、この町のことなんにも知らないの?」
とそこに、カーミンの背に声が掛けられる。
二人が振り向いてみると、そこには小さな男の子が立っていた。
「この町はね、取引が盛んなんだよ」
「取引が?」
聞き返すと、男の子は大きく頷く。
「ここって港町だからさ、たくさんの人達が取引に来てくれるんだ」
この町は、外部の人間が旅の道中に羽を休めるのに、丁度いい場所にあった。自然の成り行きだろうか、各地を行き来する行商人が足を運ぶ機会が、多々あった。商人達が集まるということは、商売を行なうにも何かと都合がよくなる。その結果、この町では一日に数え切れないほどの取引が行われるようになった。
しかしだ、その全てが公平な取引というわけではない。
損得勘定に思考を巡らせ、得を求めすぎる者の中には、不公平な取引を持ち掛けることが日常茶飯事となっていた。
騙されず、損をしない為には、どうすればいいのだろうか。この町の人々は頭を悩ませた。
そして、一つの案が提示される。
天秤を持つ、ということだ。
その案は、すぐに可決された。以降、この町に住む人々は、一人に付き一台、天秤の所持が義務付けられるようになった。
しかしあくまでも、それはこの町に住む人々に対する義務であって、外部の人間には適用されることはない。だが、当然のことながら、はいそうですかで終わるはずもない。
商売をする為に、この町を訪ねてきた者は、天秤を持つ必要がない。けれども、この町で取引を行なう者にとって、天秤を持たざる者は、信用するに足る相手ではない。
つまりは、取引を行なうことができない。
故に、一度でもこの町に足を踏み入れたことのある商人は、以後必ず天秤を手にするようになる。それは暗黙の了解とでも言うべきだろうか。この町には天秤屋が多く立ち並び、ここで取引を行なう商人達の橋渡しを担うようになっていた。
しかしそれこそが、この町で取引を穏便に済ませる為の手段であった。
「ほら、ボクも持ってるよ」
そう言うと、男の子は自分の天秤をカーミンに見せる。それはとても小さな天秤だ。
「お姉ちゃん達も、天秤屋さんで天秤を買ってくるといいよ」
ニコッと笑い、男の子は人の波に身を任せた。
「取引の為の天秤ね、なんか変なの」
外部の人間に天秤を買わせることで、町はひと儲けすることもできる。取引に天秤を用いる案は、この町にとって一石二鳥なのかもしれない。
「エズ。天秤で量ることができない取引とかって、どうしてるのかな」
「興味ないな」
だが、エズは取引を行なう為に町を訪れたわけではない。天秤を買う必要もなかった。
「それより、食堂に行くぞ」
「あっ、賛成! お腹いっぱい食べないとね」
エズに言われて思い出す。カーミンは、お腹が空いていたのだ。砂糖菓子を食べて空腹を満たそうとはしたが、まだまだ腹の音は治まらない。
カーミンは、辺りを見回す。食堂らしきお店を幾つか見つけた。
「どこがいいかなー」
「一番近いところでいいだろ」
「あー、もう! 悩んでる途中なのに!」
カーミンの手を引いて、エズはすぐ傍の食堂へと近づく。
扉を開けると、小太りの男性と目が合った。
「いらっしゃいませ、こちらのお席にどうぞ」
小太りの男性は、この食堂の店主だった。案内されるがまあ、二人はテーブル席に着く。
「……ん?」
手早くメニュー表を掴み、何を注文するか考え始めるカーミンを余所に、エズは気付く。
テーブルの上に、天秤が置いてあった。
「こちら、お水になります」
声に反応し、エズとカーミンは店主へと視線を向ける。
トレイにコップを二つ乗せ、頭を垂れた。そして、
「ご確認くださいませ」
何を思ったのか、店主は運んできたコップを、それぞれ天秤の上に置く。
「え、えっと」
何を確認するのか。意図が分からずに、カーミンは小首を傾げる。
すると、店主はトレイを脇に挟み、腰を屈めて、目線を天秤に合わせた。
「ご覧ください。平行を保っていますので、どちらのコップにも同じ量の水が注がれていることになります」
真面目な口調で店主が告げる。
「どちらが多いか少ないか、些細な事でお客様方が争うことはございませんので、どうぞご安心くださいませ」
「はあー、そういうことだったのね」
水の量が均一だと証明する為に天秤を用いるとは、思ってもみなかった。
カーミンは、少しばかし呆れ気味に頷く。
「それで、ご注文はお決まりでしょうか」
「ぼくはこれで」
「じゃあ、わたしもエズと同じのにする」
二人は、少し値が張るランチメニューを食べることにした。
「出来上がりまで、暫くお待ちくださいませ」
注文を聞き終えた店主は、厨房へと戻っていく。
エズはコップをテーブルの上に置き直し、椅子に背を付ける。
「……ふふっ」
店主が見えなくなると、途端にカーミンがほくそ笑む。
「お水の量、同じだって」
「ああ」
「でもわたし、今から少し飲むから、同じじゃなくなるね」
天秤の上からコップを手に取り、カーミンは口を付ける。
冷たい水が喉を通り、潤していく。
「おいしー」
そしてまた、そのコップを天秤の上に置いた。
「エズ、貴方のも置いて。どっちが軽いか勝負ね」
「不公平だな」
「うん? 何のこと?」
カーミンは、水を飲んでいる。エズよりも量が少ないのは誰に目にも明らかだった。だが、
「それなら、ぼくにも考えがある」
エズは、自分のコップを掴み、水を一気に飲み干してしまう。
「あっ、あーっ、ズルい!」
「ズルくない」
むうっ、と怒ったような表情で、カーミンがエズを見る。
「ぼくの方が軽いぞ」
素知らぬ顔のエズは、空になったコップを天秤の上から取り、テーブルの上に置く。
「お水、貰えますか」
手を上げ、厨房の店主におかわりを求めた。
すぐに店主が近寄り、コップに水を注ぐ。かと思いきや、空のコップを天秤の上に乗せ、交互に水を注いでいく。重さが同じになるように、微調整も欠かさない。
「これでよし、と」
細かい作業ではあるが、この食堂の店主は、天秤が平行にならなければ気が済まない性格の持ち主であった。
「変なお店ね」
再び、厨房に戻る店主の背を目で追いながら、カーミンが呟く。
しかしながら、この町に住む人々にとって、天秤で物を量る行為は日常でしかない。当たり前のこととして天秤が用いられており、何もおかしな点はないと認識されている。
むしろ、天秤を持たざる者に当て嵌まるエズとカーミンこそが、この町では異質なのだ。
「お待たせ致しました」
間を置かず、店主が料理を運んでくる。
随分と歪な形の皿を二つ、料理が零れ落ちないように気を付けながら、天秤の上へと置く。
「こちらの料理は、御覧の通り公平です。それでは、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
一見、歪に見えた皿の形は、よく観察してみると、これは天秤に載せやすくする為に、あえて歪に作られた物だと分かる。
「わたしだったら、疲れちゃうわ」
カーミンは、そこまでして公平さを求める店主に対し、驚きを隠せない。
「ぼくも同じだな」
何をするにも天秤を用いるのは、苦労が絶えないことだろう。
相手の顔色を常に窺い、公平さを主張しなければならない日々は、疲れを生み出す。そう思ったエズとカーミンは、この町の人々に少しだけ同情しつつ、料理に手を付ける。
食事を終えた二人は、街中を散策していた。
喧騒に耳を傾けてみれば、取引に天秤を用いる声が聞こえてくる。町のどこに行っても、天秤の話ばかりだ。そんな人々を視界に捉えながら、露店で鳥の串揚げを買ってもらうのはカーミンだ。
「エズ、わたしも天秤を持った方がいいのかな」
と、買う気もないのにカーミンが口を開く。
串揚げにパクつき、モグモグと美味しそうに口を動かしている。
「一日に食べるお菓子の量を決める為にも、必要かもしれないな」
「うっ、……やっぱり要らないかも」
話に乗り、エズがからかう。
天秤を持った後の自分を想像し、カーミンは苦々しい顔になった。
「しかし多いな」
右を見ても左を見ても、天秤屋がある。一度限りの消耗品でもないのに、潰れずに商いを続けることができているのは、それだけ多くの人々がこの町を訪れるということになる。
「試しに入ってみるか」
「わたしは要らないからね?」
念を押すカーミンを見て、エズは口の端を上げた。目に付いた天秤屋を覗いてみると、二人は店内に陳列された天秤の数に驚く。
「やあ、どのタイプの天秤をご所望で?」
勘定場の椅子に腰掛けた男性が、二人に話し掛ける。天秤屋の経営者だ。
エズは、何となく入ってみただけだと口を開き掛けた。
が、直後に後ろから声を掛けられた。
「あの、もしや貴方は、赤の人ではありませんか」
振り向くと、そこには大きな荷物を背負う男性が佇んでいた。
「違います」
素っ気なく、エズが答える。
だが、荷物を持った男性は引き下がらない。
「赤い服装に、十字柄の手袋、赤の人に間違いありませんよね」
エズの服装は、下界に住む人々の間で広まる噂と、ほぼ同じだ。故に、男性はエズを赤の人だと思ったのだ。ふう、と溜息を吐いて、エズが一言。
「ぼくは黒の人です」
「黒の人? よく分かりませんが、赤の人と同じということでよろしいですよね?」
赤の人ではなく、黒の人と訂正されて、男性は眉を潜めた。違いが分からないのだ。けれども、やはり引き下がらない。
「別に赤でも黒でもどっちでも構いません。どうか私の願いを聞き届けてはくれませんか」
エズの腕を掴み、逃がすまい、と擦り寄った。
一緒に店内へと入ったカーミンは、棚に並ぶ天秤を見るのに夢中だった。
「……聞くだけなら」
面倒くさそうに、エズが頷く。
「よかった! 実は明日、私はとても大切な取引を控えています」
願いを聞いてくれると思ったのか、男性は口早に話し始めた。その内容は実に単純だ。
取引を明日に控えた男性は、商人の端くれだ。どうにかして儲けを増やそう増やそうと考えていたのだが、良案が全く思い浮かばない。
天秤に細工を施し、取引相手を騙してしまおうとも考えたが、どの天秤屋を訪ねてみても、そのように不公平な天秤を扱ってはいなかった。
途方に暮れ、男性は諦めかけていた。
そんな時に出会ったのが、エズだった。
何があろうとも取引相手が損をする天秤が欲しい。男性はエズに願った。
「嫌です」
しかし、エズは気紛れだ。願いを叶える相手は自分で決める。例えそれが無垢な心の持ち主であろうとも、大量殺人を犯した人物だとしても。エズには関係のないことだ。
「そんなこと言わずに、頼みます!」
エズにすがり付き、男性は天秤を求める。
「ここは天秤屋ですから、お目当ての物が見つかるかもしれませんよ」
けれども、エズは男性の願いを叶えない。叶えるつもりがなかった。
「ちっ、何様だよ! 黒の人ってのは、願いを叶えることもできない出来損ないか!」
願いが叶わないと知ると、男性は悪態を吐き始める。だが、エズは気にも留めない。カーミンを連れて店の外に出ると、エズは帽子をかぶり直す。
「ズルい人だったね」
そんなエズの仕草を目に映し、カーミンがぽつりと呟いた。自分が利益を得る為であれば、取引相手が理不尽な損を押し付けられたとしても構わないのだろう。だからこそ、あの男性は不公平な天秤を願い求めたのだ。
「人は欲に忠実な生き物だからな」
願いが叶わないと知った時の、表情の変化は、実に見ものである。態度や口調、仕草や息の吸い方まで、全てが一変してしまう。そんな人間の姿を、エズは数え切れないほど見てきた。
一つ一つ、心に留めておいては、黒の人は務まらない。
「ねえ、あっちにも天秤屋さんがあるみたい」
くいっと袖を引っ張る。
カーミンなりに、エズの心を穏やかにさせようと考えていた。
「行ってみるか」
「決まりね」
微笑み、カーミンはエズと一緒に二軒目に梯子する。
店内を覗くと、先ほどの店と同じく、天秤だらけだった。
「ここも天秤がいっぱいあるわ」
「天秤屋だからな」
一般的な形の物から、食堂で見たようなおかしな形の物まで、多種多様な天秤が店内に取り揃えられている。
ただ見ているだけでも楽しくなってきそうだ。
「あのー」
と、二人が天秤を眺めていると、またもや声を掛けられた。
「もしかして、赤の人ですか」
「違います」
一軒目と同じ問い掛けに、エズは即否定する。
面倒事に巻き込まれるのは御免だった。
しかしだ、この男性も簡単には引き下がらない。
「いやいや、赤の人ですよね? その恰好を見ればすぐに分かりますよ」
顔に笑みを張り付け、握手を求める。
エズは手を掴まず、視線を天秤へと戻す。
「実は私、行商をしておりまして」
差し出した手を引っ込めて、男性は笑顔のまま話を始める。エズの態度などお構いなしだ。
「明日、とても重要な取引があるのです」
「どこかで聞いたような話ね」
カーミンが口を挟むが、男性は構わず続ける。
「そこで赤の人である貴方にお願いがあります。何があろうとも絶対に私が得をする天秤を出しては貰えませんか」
また、欲の皮が突っ張った願いである。
この男性も、自分の利益の為に、不公平な天秤を欲しがっていた。
「さっきと同じじゃない」
言い方は異なるが、一軒目の男性と願いの中身は同じだ。
一人目は、何があろうとも取引相手が損をする天秤を欲した。
そして二人目は、何があろうとも絶対に自分が得をする天秤を求めた。
同じ目的の為に、エズに願いを叶えてもらおうとしている。
「嫌です」
「そんな、いいじゃないですか。私の願いを叶えてくれたら、お礼に取引で得た利益の一割をお渡ししますよ? それでどうですか」
「興味無いので」
軽くあしらい、エズはカーミンの横に立つ。
すると、カーミンがエズの手を握り、店内を引き連れる。
「くそっ、役に立たないな。赤の人は人間の願いを叶えるのが仕事だろ」
男性の声が背に掛かるが、エズは気にしない。それは、カーミンと二人で旅を続け、幾度となくぶつけられた台詞だ。正直言って、エズはその声に反応を示すのも面倒くさかった。
特に買う気はないのだが、二人は天秤を見ていく。
とここで、一軒目で願いを求めた男性が店内に入ってきた。
「邪魔だ、退け退け」
エズとカーミンを手で払い、天秤屋の店主に近づく。
お目当ての物を手に入れる為に、天秤屋を梯子しているのだ。しかし、ここで思わぬ事態へと発展する。
「あっ、あんたは」
「むっ、こんなところでお目に掛かるとは、奇遇ですね」
エズに不公平な天秤を求めた二人の男性は、実は顔見知りであった。
「いやー、明日の取引が待ち遠しいですよ」
「そうですねー、良い取引が行なえることを祈っていますとも」
ははは、と笑い合い、二人は握手を交わす。
その会話が耳に届いたのは、エズだ。
「気が変わりました」
「「えっ」」
手に持っていた天秤を棚に戻し、エズは彼等に視線を向ける。
そして、ゆっくりと口角を上げた。
「お二人の願い、叶えましょう」
「ほ、本当ですか!」
「やった! やったぞ!」
エズの気紛れに、二人は大いに喜んだ。
だが、すぐに気づくことになる。取引相手が目の前にいるということに。
「では、まずは貴方の願いから」
一軒目で出会った男性に、エズは語り掛ける。
「貴方の願いは、何があろうとも相手が損をする天秤でしたね」
「えっ、いや、違うっ、ああ、違わないが……いやしかし、今そんなことを言われたら……」
男性の思惑など、エズはお構いなしだ。取引相手の目の前で、エズは右の手の平を広げた。すると、手の平の上に天秤が現れる。
「さあ、どうぞ」
「あ、……ああ。ありがとう」
ばつが悪そうな表情で、男性はエズから天秤を受け取った。
「さて、次は貴方の願いでしたね」
「いいっ!? いや、叶えてくれるのは有り難いが、どうせならひと気のない所で……」
「確か、絶対に自分が得をする天秤が欲しいと仰っていましたね」
「ああぁ、言わないでくれ……」
二軒目の男性の願いも、取引相手にバレてしまう。
今度は左の手の平を見せると、何も無かったはずの空間に、天秤が一つ具現化されていく。
「ぼくからのプレゼントです」
「……ちっ」
苦々しい表情を浮かべたまま、男性は天秤を掴み取る。
「お二人の願いは叶えましたが、一つだけ補足説明を」
もはや一刻も早くこの場から立ち去りたいと考える男性達を前に、エズは更に口を開く。
「今、お渡しした二つの天秤ですが、明日の取引以外に使うことはできません。もし、別の取引に用いる場合は、願いの効果が消えてしまいますので」
「「そ、そんなっ!」」
二人は、考えていたのだろう。明日の取引では使えない代物だが、別の取引の際に利用すればいいと。だが、考えを見透かされていたのか、エズは二人の願いに制限を掛けていた。
「それでは、ぼくはこれで失礼します」
カーミンの手を取り、エズは店外へ。いつの間にか空は暗くなっていた。
「もうこんな時間か」
「夜ご飯、どこで食べる?」
「カーミン、お前は食べることが好きだな」
「当然じゃない。だって美味しい物を食べると幸せになれるもん」
それよりも、と話題を変え、カーミンはエズの顔を見る。
「あの人達、あれでよかったの」
天秤屋で出会った二人の男性は、エズから天秤を貰った。
しかしながら、その天秤を明日の取引で用いることができるか否か。
「面白いだろ」
「んー、よくわかんない」
呟くカーミンの頭に手を置いて、エズは口の端を上げてみせた。
あくる日の出来事。
エズとカーミンは、とある場所へと足を運ぶ。その場所とは、天秤を渡した男性達が取引を行なう予定の建物だ。実際に顔を出し、取引の結果をその目で確かめようとしていた。だが、
「あれ? なにか揉めてるのかな」
カーミンが小首を傾げる。怒声が建物の外まで聞こえてきた。
扉を開け、中に入ってみると、天秤を渡した男性二人が言い争っていた。
「私の天秤を使うんだ、そうすれば私は損をしない!」
「いいや、私の天秤を使うべきだ。でなければ私が得をしないだろうが!」
二人の応酬を耳にすれば、何を争っているのか一目瞭然だ。
口論の種は至って明快、どちらの天秤を取引に使用するべきか。
「予想通りになったな」
「エズって意地悪よね」
「願いを叶えたんだ。むしろ感謝されたいさ」
肩を竦め、二人の様子を傍観する。
すると、エズとカーミンの背中に声を掛けてくる者がいた。
「お姉ちゃん、こんなところで何してるの」
昨日、街中で出会った男の子だ。
カーミンは、男性達の願いをエズが叶えたことを話す。
天秤を得たまではよかったのだが、どちらの天秤を用いるかで互いの主張が平行線となり、取引を行なうことができずにいた。そんな彼等の姿を瞳に映し、それから視線をエズに向け、男の子は何かを閃く。
「じゃあさ、ボクのお願いを叶えて欲しいな」
「どんな願いですか」
その言葉に、エズは興味を抱いた。
年下の男の子が相手でも口調を変えず、願いを聞く。
「このおじさん達の為に、どんなものでも正確に量れる天秤をちょうだい」
「「えっ」」
男の子の台詞に、男性達は言い争いを中断する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、そんなことはしないでいい!」
「そうだそうだ、天秤はここにあるんだから、もう必要ないんだ!」
止めてくれ、頼むから、と。不公平な天秤を持つ男性達は、考え直すようにと説得する。けれども、エズは既に動いていた。
「その願い、叶えましょう」
いいですね、面白い。
ぽつりと呟くエズは、男の子の願いを叶えることにした。
男性達の願いは、エズの耳には届かない。一瞬のうちに三つ目の天秤を具現化したエズは、それを男の子にプレゼントする。
「ありがとう、赤の人さん」
「黒の人です」
訂正するが、男の子の興味は移っている。
男性達の傍に寄り、欲のない純粋な笑みを浮かべ、元気よく告げる。
「この天秤、使っていいよ!」
途方に暮れる男性達は、もはや損得の為に貰った天秤を用いる機会を失っていた。気付けば不公平な天秤は二人の手元から消え去り、この場に残されたのは、どんなものでも正確に量れる天秤が一つ。
「よかったですね、正確な取引ができますよ」
それだけ言い残す。
エズは、カーミンと共に建物の外へと出て行くのであった。
木々にぶつからないように気を付けながら、操縦士の青年は操縦桿を巧みに操る。その隣には、幼い顔付きの女の子が座っていた。髪色は青銀に染まり、後ろで二束に結っている。
「エズ、お腹空いちゃった」
自分のお腹に両手を置き、女の子が言う。
エズと呼ばれた青年は、横目に女の子のお腹を見て、首を横に振る。
「我慢だ」
「えー」
不満に満ちた声を上げ、女の子は顔をしかめた。
「ペコペコなのに」
食事を取ったのは、何時間前のことか。
お腹が空いた女の子は、唇を尖らせて不満を露わにする。その仕草にエズは溜息を吐き、左手で無段変速機を三速に入れる。
「もうすぐ、次の町だ」
「えっ、ホントに?」
二人が乗るソリが森の中を進み出してから、景色は一向に変わらない。
「でも、お腹が鳴っちゃう」
四方に空に、どこを見ても木々がざわめいている。ソリが起こす風に、音を立てているのだ。次の町に着くまでの辛抱なのだが、女の子は我慢ができずに両足をバタつかせる。
「カーミンは食いしん坊だな」
「むう」
食いしん坊と言われて、カーミンと呼ばれた女の子は頬を膨らませた。
「エズはお腹空かないの」
何か食べるか、と。言ってくれることを期待していた。残念ながら期待外れの言葉に、カーミンは逆に問い掛けてしまう。すると、
「空いてる」
さらっと呟く。
実は、カーミンだけでなく、エズも同じくお腹を空かせていたのだ。
「じゃあ、わたしと同じね! 何か食べ物はあったかなー」
言うや否や、カーミンは後ろを振り向き、荷台に目を向けた。その顔は、明るさを取り戻している。食いしん坊と言われたことも、既に忘却の彼方へと葬られていた。
「箱の中に、砂糖菓子がある」
町に着いた後、食堂で腹を満たす予定だったが、カーミンの腹の音を我慢させることはできなかった。結局、エズはお菓子の在り処を告げる。
「箱って、これ?」
「それだ」
小さな箱を掴み、前を向く。蓋を開けて中身を確認してみると、砂糖をまぶした揚げ菓子が幾つか入っていた。
「美味しそう」
右手の親指と人差し指で摘まみ、カーミンはニンマリと笑う。
「食べていい?」
「ダメだと言ったら、食べないのか」
「ううん、食べる」
「それなら、聞く意味がないだろ」
「あるもん」
カーミンは指で摘まんでいた砂糖菓子をエズの口元へと近づける。
「はい、エズの分ね」
「……ん」
口を開け、エズは砂糖菓子を頬張る。甘い味が口の中に広がっていく。
「おいしい?」
「ああ」
返事に満足したのか、カーミンは箱の中の砂糖菓子を、もう一つ摘まむ。
「いただきます」
砂糖菓子を食べるカーミンは、幸せに頬を緩める。
「とっても美味しいわ」
今、誰よりも幸せだと言わんばかりの表情で、モグモグと口を動かしていく。その顔を見て、エズは口角を上げる。
「町が見えたぞ」
「あっ、港町ね!」
砂糖菓子を食べていると、ようやく森林地帯を抜けることができた。
その先に見えたのは、どこまでも続く青い海だ。風に舞って潮の香りが鼻孔をくすぐる。
「どんな町なのかな」
「入ってみれば分かるさ」
ソリは、走る速度を徐々に落としていく。
二速から一速に変更し、目的地である港町の手前で停まった。
「ほら」
ソリから降りたエズは、カーミンに手を差し出す。その手を取り、カーミンは地面に足を付ける。そして、大きく背伸びをしてみせた。
「傍に海があるから、きっとお魚が美味しいわ」
「食べることがばかりだな」
「旅の娯楽の一つだもん」
「まあ、確かに」
食は、旅の香辛料だ。腹を落ち着かせ、心を満たすことができる。
二人が言葉を交わしていると、いつの間にか小型ソリは姿形を無くしていた。残されたのは二人の旅荷だけだ。
「旅人かい? よく来たね」
町の入口で地べたに座る男性が、片手を上げて声を掛けてきた。
「一人に付き、銅貨二枚貰うよ」
町に入るには、通行料が要る。
エズとカーミンは、銅貨四枚を男性に手渡し、町の中へと入っていく。
ここは、港町として有名だ。
木でできた柵に囲まれており、日々数え切れないほどの人々が足を運んでいる。最たる要因は、商売だ。
「へえー、活気に満ちてるわ」
カーミンの言うとおり、港町の中は賑わっていた。人々は街中を足早に行き交い、誰もが忙しなく動いている。しかし、一つだけ気になる点があった。
「エズ」
それに気付いたカーミンは、エズの名を呼ぶ。
「この町の人達って、どうしてアレを持ってるのかな」
アレと言い、カーミンは瞳を彷徨わせる。視界に映る人、人、人の波。そのほとんどが、大小様々な天秤を抱えていた。
「お姉ちゃん、この町のことなんにも知らないの?」
とそこに、カーミンの背に声が掛けられる。
二人が振り向いてみると、そこには小さな男の子が立っていた。
「この町はね、取引が盛んなんだよ」
「取引が?」
聞き返すと、男の子は大きく頷く。
「ここって港町だからさ、たくさんの人達が取引に来てくれるんだ」
この町は、外部の人間が旅の道中に羽を休めるのに、丁度いい場所にあった。自然の成り行きだろうか、各地を行き来する行商人が足を運ぶ機会が、多々あった。商人達が集まるということは、商売を行なうにも何かと都合がよくなる。その結果、この町では一日に数え切れないほどの取引が行われるようになった。
しかしだ、その全てが公平な取引というわけではない。
損得勘定に思考を巡らせ、得を求めすぎる者の中には、不公平な取引を持ち掛けることが日常茶飯事となっていた。
騙されず、損をしない為には、どうすればいいのだろうか。この町の人々は頭を悩ませた。
そして、一つの案が提示される。
天秤を持つ、ということだ。
その案は、すぐに可決された。以降、この町に住む人々は、一人に付き一台、天秤の所持が義務付けられるようになった。
しかしあくまでも、それはこの町に住む人々に対する義務であって、外部の人間には適用されることはない。だが、当然のことながら、はいそうですかで終わるはずもない。
商売をする為に、この町を訪ねてきた者は、天秤を持つ必要がない。けれども、この町で取引を行なう者にとって、天秤を持たざる者は、信用するに足る相手ではない。
つまりは、取引を行なうことができない。
故に、一度でもこの町に足を踏み入れたことのある商人は、以後必ず天秤を手にするようになる。それは暗黙の了解とでも言うべきだろうか。この町には天秤屋が多く立ち並び、ここで取引を行なう商人達の橋渡しを担うようになっていた。
しかしそれこそが、この町で取引を穏便に済ませる為の手段であった。
「ほら、ボクも持ってるよ」
そう言うと、男の子は自分の天秤をカーミンに見せる。それはとても小さな天秤だ。
「お姉ちゃん達も、天秤屋さんで天秤を買ってくるといいよ」
ニコッと笑い、男の子は人の波に身を任せた。
「取引の為の天秤ね、なんか変なの」
外部の人間に天秤を買わせることで、町はひと儲けすることもできる。取引に天秤を用いる案は、この町にとって一石二鳥なのかもしれない。
「エズ。天秤で量ることができない取引とかって、どうしてるのかな」
「興味ないな」
だが、エズは取引を行なう為に町を訪れたわけではない。天秤を買う必要もなかった。
「それより、食堂に行くぞ」
「あっ、賛成! お腹いっぱい食べないとね」
エズに言われて思い出す。カーミンは、お腹が空いていたのだ。砂糖菓子を食べて空腹を満たそうとはしたが、まだまだ腹の音は治まらない。
カーミンは、辺りを見回す。食堂らしきお店を幾つか見つけた。
「どこがいいかなー」
「一番近いところでいいだろ」
「あー、もう! 悩んでる途中なのに!」
カーミンの手を引いて、エズはすぐ傍の食堂へと近づく。
扉を開けると、小太りの男性と目が合った。
「いらっしゃいませ、こちらのお席にどうぞ」
小太りの男性は、この食堂の店主だった。案内されるがまあ、二人はテーブル席に着く。
「……ん?」
手早くメニュー表を掴み、何を注文するか考え始めるカーミンを余所に、エズは気付く。
テーブルの上に、天秤が置いてあった。
「こちら、お水になります」
声に反応し、エズとカーミンは店主へと視線を向ける。
トレイにコップを二つ乗せ、頭を垂れた。そして、
「ご確認くださいませ」
何を思ったのか、店主は運んできたコップを、それぞれ天秤の上に置く。
「え、えっと」
何を確認するのか。意図が分からずに、カーミンは小首を傾げる。
すると、店主はトレイを脇に挟み、腰を屈めて、目線を天秤に合わせた。
「ご覧ください。平行を保っていますので、どちらのコップにも同じ量の水が注がれていることになります」
真面目な口調で店主が告げる。
「どちらが多いか少ないか、些細な事でお客様方が争うことはございませんので、どうぞご安心くださいませ」
「はあー、そういうことだったのね」
水の量が均一だと証明する為に天秤を用いるとは、思ってもみなかった。
カーミンは、少しばかし呆れ気味に頷く。
「それで、ご注文はお決まりでしょうか」
「ぼくはこれで」
「じゃあ、わたしもエズと同じのにする」
二人は、少し値が張るランチメニューを食べることにした。
「出来上がりまで、暫くお待ちくださいませ」
注文を聞き終えた店主は、厨房へと戻っていく。
エズはコップをテーブルの上に置き直し、椅子に背を付ける。
「……ふふっ」
店主が見えなくなると、途端にカーミンがほくそ笑む。
「お水の量、同じだって」
「ああ」
「でもわたし、今から少し飲むから、同じじゃなくなるね」
天秤の上からコップを手に取り、カーミンは口を付ける。
冷たい水が喉を通り、潤していく。
「おいしー」
そしてまた、そのコップを天秤の上に置いた。
「エズ、貴方のも置いて。どっちが軽いか勝負ね」
「不公平だな」
「うん? 何のこと?」
カーミンは、水を飲んでいる。エズよりも量が少ないのは誰に目にも明らかだった。だが、
「それなら、ぼくにも考えがある」
エズは、自分のコップを掴み、水を一気に飲み干してしまう。
「あっ、あーっ、ズルい!」
「ズルくない」
むうっ、と怒ったような表情で、カーミンがエズを見る。
「ぼくの方が軽いぞ」
素知らぬ顔のエズは、空になったコップを天秤の上から取り、テーブルの上に置く。
「お水、貰えますか」
手を上げ、厨房の店主におかわりを求めた。
すぐに店主が近寄り、コップに水を注ぐ。かと思いきや、空のコップを天秤の上に乗せ、交互に水を注いでいく。重さが同じになるように、微調整も欠かさない。
「これでよし、と」
細かい作業ではあるが、この食堂の店主は、天秤が平行にならなければ気が済まない性格の持ち主であった。
「変なお店ね」
再び、厨房に戻る店主の背を目で追いながら、カーミンが呟く。
しかしながら、この町に住む人々にとって、天秤で物を量る行為は日常でしかない。当たり前のこととして天秤が用いられており、何もおかしな点はないと認識されている。
むしろ、天秤を持たざる者に当て嵌まるエズとカーミンこそが、この町では異質なのだ。
「お待たせ致しました」
間を置かず、店主が料理を運んでくる。
随分と歪な形の皿を二つ、料理が零れ落ちないように気を付けながら、天秤の上へと置く。
「こちらの料理は、御覧の通り公平です。それでは、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
一見、歪に見えた皿の形は、よく観察してみると、これは天秤に載せやすくする為に、あえて歪に作られた物だと分かる。
「わたしだったら、疲れちゃうわ」
カーミンは、そこまでして公平さを求める店主に対し、驚きを隠せない。
「ぼくも同じだな」
何をするにも天秤を用いるのは、苦労が絶えないことだろう。
相手の顔色を常に窺い、公平さを主張しなければならない日々は、疲れを生み出す。そう思ったエズとカーミンは、この町の人々に少しだけ同情しつつ、料理に手を付ける。
食事を終えた二人は、街中を散策していた。
喧騒に耳を傾けてみれば、取引に天秤を用いる声が聞こえてくる。町のどこに行っても、天秤の話ばかりだ。そんな人々を視界に捉えながら、露店で鳥の串揚げを買ってもらうのはカーミンだ。
「エズ、わたしも天秤を持った方がいいのかな」
と、買う気もないのにカーミンが口を開く。
串揚げにパクつき、モグモグと美味しそうに口を動かしている。
「一日に食べるお菓子の量を決める為にも、必要かもしれないな」
「うっ、……やっぱり要らないかも」
話に乗り、エズがからかう。
天秤を持った後の自分を想像し、カーミンは苦々しい顔になった。
「しかし多いな」
右を見ても左を見ても、天秤屋がある。一度限りの消耗品でもないのに、潰れずに商いを続けることができているのは、それだけ多くの人々がこの町を訪れるということになる。
「試しに入ってみるか」
「わたしは要らないからね?」
念を押すカーミンを見て、エズは口の端を上げた。目に付いた天秤屋を覗いてみると、二人は店内に陳列された天秤の数に驚く。
「やあ、どのタイプの天秤をご所望で?」
勘定場の椅子に腰掛けた男性が、二人に話し掛ける。天秤屋の経営者だ。
エズは、何となく入ってみただけだと口を開き掛けた。
が、直後に後ろから声を掛けられた。
「あの、もしや貴方は、赤の人ではありませんか」
振り向くと、そこには大きな荷物を背負う男性が佇んでいた。
「違います」
素っ気なく、エズが答える。
だが、荷物を持った男性は引き下がらない。
「赤い服装に、十字柄の手袋、赤の人に間違いありませんよね」
エズの服装は、下界に住む人々の間で広まる噂と、ほぼ同じだ。故に、男性はエズを赤の人だと思ったのだ。ふう、と溜息を吐いて、エズが一言。
「ぼくは黒の人です」
「黒の人? よく分かりませんが、赤の人と同じということでよろしいですよね?」
赤の人ではなく、黒の人と訂正されて、男性は眉を潜めた。違いが分からないのだ。けれども、やはり引き下がらない。
「別に赤でも黒でもどっちでも構いません。どうか私の願いを聞き届けてはくれませんか」
エズの腕を掴み、逃がすまい、と擦り寄った。
一緒に店内へと入ったカーミンは、棚に並ぶ天秤を見るのに夢中だった。
「……聞くだけなら」
面倒くさそうに、エズが頷く。
「よかった! 実は明日、私はとても大切な取引を控えています」
願いを聞いてくれると思ったのか、男性は口早に話し始めた。その内容は実に単純だ。
取引を明日に控えた男性は、商人の端くれだ。どうにかして儲けを増やそう増やそうと考えていたのだが、良案が全く思い浮かばない。
天秤に細工を施し、取引相手を騙してしまおうとも考えたが、どの天秤屋を訪ねてみても、そのように不公平な天秤を扱ってはいなかった。
途方に暮れ、男性は諦めかけていた。
そんな時に出会ったのが、エズだった。
何があろうとも取引相手が損をする天秤が欲しい。男性はエズに願った。
「嫌です」
しかし、エズは気紛れだ。願いを叶える相手は自分で決める。例えそれが無垢な心の持ち主であろうとも、大量殺人を犯した人物だとしても。エズには関係のないことだ。
「そんなこと言わずに、頼みます!」
エズにすがり付き、男性は天秤を求める。
「ここは天秤屋ですから、お目当ての物が見つかるかもしれませんよ」
けれども、エズは男性の願いを叶えない。叶えるつもりがなかった。
「ちっ、何様だよ! 黒の人ってのは、願いを叶えることもできない出来損ないか!」
願いが叶わないと知ると、男性は悪態を吐き始める。だが、エズは気にも留めない。カーミンを連れて店の外に出ると、エズは帽子をかぶり直す。
「ズルい人だったね」
そんなエズの仕草を目に映し、カーミンがぽつりと呟いた。自分が利益を得る為であれば、取引相手が理不尽な損を押し付けられたとしても構わないのだろう。だからこそ、あの男性は不公平な天秤を願い求めたのだ。
「人は欲に忠実な生き物だからな」
願いが叶わないと知った時の、表情の変化は、実に見ものである。態度や口調、仕草や息の吸い方まで、全てが一変してしまう。そんな人間の姿を、エズは数え切れないほど見てきた。
一つ一つ、心に留めておいては、黒の人は務まらない。
「ねえ、あっちにも天秤屋さんがあるみたい」
くいっと袖を引っ張る。
カーミンなりに、エズの心を穏やかにさせようと考えていた。
「行ってみるか」
「決まりね」
微笑み、カーミンはエズと一緒に二軒目に梯子する。
店内を覗くと、先ほどの店と同じく、天秤だらけだった。
「ここも天秤がいっぱいあるわ」
「天秤屋だからな」
一般的な形の物から、食堂で見たようなおかしな形の物まで、多種多様な天秤が店内に取り揃えられている。
ただ見ているだけでも楽しくなってきそうだ。
「あのー」
と、二人が天秤を眺めていると、またもや声を掛けられた。
「もしかして、赤の人ですか」
「違います」
一軒目と同じ問い掛けに、エズは即否定する。
面倒事に巻き込まれるのは御免だった。
しかしだ、この男性も簡単には引き下がらない。
「いやいや、赤の人ですよね? その恰好を見ればすぐに分かりますよ」
顔に笑みを張り付け、握手を求める。
エズは手を掴まず、視線を天秤へと戻す。
「実は私、行商をしておりまして」
差し出した手を引っ込めて、男性は笑顔のまま話を始める。エズの態度などお構いなしだ。
「明日、とても重要な取引があるのです」
「どこかで聞いたような話ね」
カーミンが口を挟むが、男性は構わず続ける。
「そこで赤の人である貴方にお願いがあります。何があろうとも絶対に私が得をする天秤を出しては貰えませんか」
また、欲の皮が突っ張った願いである。
この男性も、自分の利益の為に、不公平な天秤を欲しがっていた。
「さっきと同じじゃない」
言い方は異なるが、一軒目の男性と願いの中身は同じだ。
一人目は、何があろうとも取引相手が損をする天秤を欲した。
そして二人目は、何があろうとも絶対に自分が得をする天秤を求めた。
同じ目的の為に、エズに願いを叶えてもらおうとしている。
「嫌です」
「そんな、いいじゃないですか。私の願いを叶えてくれたら、お礼に取引で得た利益の一割をお渡ししますよ? それでどうですか」
「興味無いので」
軽くあしらい、エズはカーミンの横に立つ。
すると、カーミンがエズの手を握り、店内を引き連れる。
「くそっ、役に立たないな。赤の人は人間の願いを叶えるのが仕事だろ」
男性の声が背に掛かるが、エズは気にしない。それは、カーミンと二人で旅を続け、幾度となくぶつけられた台詞だ。正直言って、エズはその声に反応を示すのも面倒くさかった。
特に買う気はないのだが、二人は天秤を見ていく。
とここで、一軒目で願いを求めた男性が店内に入ってきた。
「邪魔だ、退け退け」
エズとカーミンを手で払い、天秤屋の店主に近づく。
お目当ての物を手に入れる為に、天秤屋を梯子しているのだ。しかし、ここで思わぬ事態へと発展する。
「あっ、あんたは」
「むっ、こんなところでお目に掛かるとは、奇遇ですね」
エズに不公平な天秤を求めた二人の男性は、実は顔見知りであった。
「いやー、明日の取引が待ち遠しいですよ」
「そうですねー、良い取引が行なえることを祈っていますとも」
ははは、と笑い合い、二人は握手を交わす。
その会話が耳に届いたのは、エズだ。
「気が変わりました」
「「えっ」」
手に持っていた天秤を棚に戻し、エズは彼等に視線を向ける。
そして、ゆっくりと口角を上げた。
「お二人の願い、叶えましょう」
「ほ、本当ですか!」
「やった! やったぞ!」
エズの気紛れに、二人は大いに喜んだ。
だが、すぐに気づくことになる。取引相手が目の前にいるということに。
「では、まずは貴方の願いから」
一軒目で出会った男性に、エズは語り掛ける。
「貴方の願いは、何があろうとも相手が損をする天秤でしたね」
「えっ、いや、違うっ、ああ、違わないが……いやしかし、今そんなことを言われたら……」
男性の思惑など、エズはお構いなしだ。取引相手の目の前で、エズは右の手の平を広げた。すると、手の平の上に天秤が現れる。
「さあ、どうぞ」
「あ、……ああ。ありがとう」
ばつが悪そうな表情で、男性はエズから天秤を受け取った。
「さて、次は貴方の願いでしたね」
「いいっ!? いや、叶えてくれるのは有り難いが、どうせならひと気のない所で……」
「確か、絶対に自分が得をする天秤が欲しいと仰っていましたね」
「ああぁ、言わないでくれ……」
二軒目の男性の願いも、取引相手にバレてしまう。
今度は左の手の平を見せると、何も無かったはずの空間に、天秤が一つ具現化されていく。
「ぼくからのプレゼントです」
「……ちっ」
苦々しい表情を浮かべたまま、男性は天秤を掴み取る。
「お二人の願いは叶えましたが、一つだけ補足説明を」
もはや一刻も早くこの場から立ち去りたいと考える男性達を前に、エズは更に口を開く。
「今、お渡しした二つの天秤ですが、明日の取引以外に使うことはできません。もし、別の取引に用いる場合は、願いの効果が消えてしまいますので」
「「そ、そんなっ!」」
二人は、考えていたのだろう。明日の取引では使えない代物だが、別の取引の際に利用すればいいと。だが、考えを見透かされていたのか、エズは二人の願いに制限を掛けていた。
「それでは、ぼくはこれで失礼します」
カーミンの手を取り、エズは店外へ。いつの間にか空は暗くなっていた。
「もうこんな時間か」
「夜ご飯、どこで食べる?」
「カーミン、お前は食べることが好きだな」
「当然じゃない。だって美味しい物を食べると幸せになれるもん」
それよりも、と話題を変え、カーミンはエズの顔を見る。
「あの人達、あれでよかったの」
天秤屋で出会った二人の男性は、エズから天秤を貰った。
しかしながら、その天秤を明日の取引で用いることができるか否か。
「面白いだろ」
「んー、よくわかんない」
呟くカーミンの頭に手を置いて、エズは口の端を上げてみせた。
あくる日の出来事。
エズとカーミンは、とある場所へと足を運ぶ。その場所とは、天秤を渡した男性達が取引を行なう予定の建物だ。実際に顔を出し、取引の結果をその目で確かめようとしていた。だが、
「あれ? なにか揉めてるのかな」
カーミンが小首を傾げる。怒声が建物の外まで聞こえてきた。
扉を開け、中に入ってみると、天秤を渡した男性二人が言い争っていた。
「私の天秤を使うんだ、そうすれば私は損をしない!」
「いいや、私の天秤を使うべきだ。でなければ私が得をしないだろうが!」
二人の応酬を耳にすれば、何を争っているのか一目瞭然だ。
口論の種は至って明快、どちらの天秤を取引に使用するべきか。
「予想通りになったな」
「エズって意地悪よね」
「願いを叶えたんだ。むしろ感謝されたいさ」
肩を竦め、二人の様子を傍観する。
すると、エズとカーミンの背中に声を掛けてくる者がいた。
「お姉ちゃん、こんなところで何してるの」
昨日、街中で出会った男の子だ。
カーミンは、男性達の願いをエズが叶えたことを話す。
天秤を得たまではよかったのだが、どちらの天秤を用いるかで互いの主張が平行線となり、取引を行なうことができずにいた。そんな彼等の姿を瞳に映し、それから視線をエズに向け、男の子は何かを閃く。
「じゃあさ、ボクのお願いを叶えて欲しいな」
「どんな願いですか」
その言葉に、エズは興味を抱いた。
年下の男の子が相手でも口調を変えず、願いを聞く。
「このおじさん達の為に、どんなものでも正確に量れる天秤をちょうだい」
「「えっ」」
男の子の台詞に、男性達は言い争いを中断する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、そんなことはしないでいい!」
「そうだそうだ、天秤はここにあるんだから、もう必要ないんだ!」
止めてくれ、頼むから、と。不公平な天秤を持つ男性達は、考え直すようにと説得する。けれども、エズは既に動いていた。
「その願い、叶えましょう」
いいですね、面白い。
ぽつりと呟くエズは、男の子の願いを叶えることにした。
男性達の願いは、エズの耳には届かない。一瞬のうちに三つ目の天秤を具現化したエズは、それを男の子にプレゼントする。
「ありがとう、赤の人さん」
「黒の人です」
訂正するが、男の子の興味は移っている。
男性達の傍に寄り、欲のない純粋な笑みを浮かべ、元気よく告げる。
「この天秤、使っていいよ!」
途方に暮れる男性達は、もはや損得の為に貰った天秤を用いる機会を失っていた。気付けば不公平な天秤は二人の手元から消え去り、この場に残されたのは、どんなものでも正確に量れる天秤が一つ。
「よかったですね、正確な取引ができますよ」
それだけ言い残す。
エズは、カーミンと共に建物の外へと出て行くのであった。