第8話 さようなら

文字数 749文字

 美容室へ行き、セミロングだった髪を切ってショートボブにした。
「ありがとうございます」
という声を背中で聞いて、外に出る。すでに、午後5時をまわっていて、夕焼けが空を茜色に染めていた。しばらく空を見上げていると、やがて、木々や家々の輪郭が傾いた陽を浴びて金色に輝き始めた。わたし、こんな空は好きよ。
 初秋にしては生暖かい夕方の風を頬に受けながら、まっすぐ前を向いて歩いているのは、花音でもなく、美也子でもなく、富永恵子である。
 手にはボストンバックを提げている。すでに、あの部屋の荷物は一時保管場所へ移動している。いずれ近いうちに引っ越す。
 誰も、何もわかっていない。主人格はこの私。他の人格はすべて私が支配している。
実の父親と兄から虐待を受け続け、誰一人として味方のいなかった私は、複数の人格をつくることでしか生きられなかった。苦しんで、悩んで、悲しんで、絶望の淵に落とされて、それでもかろうじて生きているのは、複数の人格があるから。
 人格を統一されたら、その瞬間に私は死ぬ。
 役立たずだった花音には消えてもらう。あんなに小心者だなんて思わなかった。美也子も、そろそろおしまいかもね。これまでにも、何人にも消えてもらっている。今度はもっと強くて、美人で、才能のある子を作ろうか。
 確かに、私は、あのクズのような男を殺した。大型キャリ-バックに入れて山林に捨ててやった。でも、それは花音を消すのと同じこと。兄は、私の影に怯えて海外に逃げた。私が生きていく上にあたって、邪魔をするものは、これからも消して行く。
 今度はどこへ行こうか。暖かいところがいいかも。
 隆一さん、あなたは素敵だったわよ。でも、優し過ぎたわね。もう二度と会うことはないでしょうけど。
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