第1話 とある父と娘の旅路で
文字数 4,210文字
***
西 暦 で 一 六 〇 × × 年 後 ──
何処を見渡しても永遠に続くような緑の山が連なりを見せている。そこに人の姿はなく、それらしい整備された道路はおろか獣道すら見つける事が困難な、まさに樹海。
どこも同じようなオークの木が立ち並んでいた。
周囲で一番高そうな杉の木から少女は世界を一望するが、人里らしいものは見えない。彼女の出で立ちは巫女というよりは白拍子姿に、白い外套を羽織り、フードを深々と被っている。外見は十七歳前後だろうか。
少女は目の前に広がる現実に深い溜息を吐いて項垂 れた。
「はぁあ……。どこをどう見てもビルどころか人類の建造物がまったくない。……父様 の話だとこの辺一帯を《武蔵野国 って呼んでたらしいけど。ってか、武蔵って埼玉県と一部東京であってたっけ? でも、神奈川県の一部にもあったような……」
フードから見え隠れする紺青色 の瞳は宝石のように美しいが、何処か冷めた目をしていた。
少女は視界の端に映る小さな動物を睨 んだ。宙を浮遊する青い兎がすやすやと心地よさそうに眠っている。この兎がそもそもの発端であることを思い出し、収まっていた怒りが沸々と湧き上がった。
「ちょっと、父 様 。勝手に私の封印をぶち壊した後、丸投げしないでちゃんと説明してほしいんだけど!」
今にも兎を力の限り握りつぶそうと指先が動くが、当の本人は長い耳を片方だけ僅かに震わせた。
「うう……寂しい。もう、彼女に会えないのか……」
抑えても抑えきれない悲痛の声に、少女の怒りはあっという間に鎮火してしまった。父であり、あの龍神がこうも泣くなど娘である彼女にとっては困惑の極みだった。
「いや、えっと……まだ人類が絶滅しているか分かんないでしょ。ほら、人類意外としぶといし、たかだか一万年ぐらいで滅んだりしないって。「また会う」って約束したら、母様は絶対に守るよ」
少女は慌ててフォローするが、青い兎は項垂れたまま目を開けようともしない。
この青い兎が、《八百万の神々》の中でも群を抜いて最強と言わしめた神──龍神とは誰も思うまい。彼女が最後に見た父親は、神々しく偉大で畏敬の念を抱くほど遠い存在だった。それが──
「うう……一万と四千? ……八千年まえから愛しているのに……」
昔、流行った歌にあったような台詞を口ずさむ父親の姿に、少女は溜息が漏れる。
(いやまあ「また会おうね」って約束してうっかり寝てたら一万年経っていて、しかも人類滅んでいるかもしれないって思ったら凹むか……)
少女は母親のことを思い出す。父も少女も母が大好きだった。普通の人間で、おっちょこちょいで、よくこけていて、全然強くない。でも芯がとても強い人だった。
人類が滅んでいるのであれば、その魂も存在しないだろう。少女はたとえ別人であっても、母の魂である転生者と会って見たいと思っていた。
父がそれほどまで恋い焦がれる魂、その転生者はやはり母の面影を残しているのだろうか。
「母様……。私も会いたかったな」
きゅう、と無情にもお腹の音が鳴った。
「ううっ……、お腹減った。もう猪の丸焼きは飽きたし……。香辛料もないから美味しくない……。もうちょっとちゃんとしたご飯が食べたい。炊き立ての白いご飯に、醤油でといた生卵、ほうれん草のおひたしに、豆腐となめこの味噌汁……!」
「たしかに彼女の料理は、いつでも美味で最高です。くっ……、たい焼きに、ふわふわのホットケーキ、旬のイチゴパフェ、ビターなチョコムースに、クッキー、紅茶マフィン、みたらし団子……。どれももう食べられないのですね」
少女は「それはデザートじゃないか」と父親に突っ込もうと思ったが、落ち込んでいる姿を見て言い留まる。なんだか、一気に力が抜けてしまった。
「はあ、母様……。お腹減ったよぉ」
蒼穹 の青空を仰ぎ見ながら少女は呟いた。風が吹き抜けると、白い外套と白拍子の裾 が揺れた。耳を澄ませても自然界の音しか聞こえない──そう少女がそう思った時だった。
金属音がぶつかり合う、剣戟 が少女の耳に入る。
「!?」
凄まじい剣戟のぶつかり合う音、そして爆発──二キロほど先で爆煙が狼煙のように上がった。ついでその近くで爆炎が連続的に轟 く。おそらく何らかの襲撃を受けているのだろう。
こんな派手な争いが出来るのは、人類もしくは高い知能がある生物だ。
少女は杉の木に手を当てると感覚を研ぎ澄ます。地面の振動から足音を聞き分け人数を捕捉する。
馬に似た足音が一つ。残りは四足歩行の獣──その数は二十はいるだろうか。
「父様、人かもしれない……って、もういないし!?」
少女は期待を胸に振り返る。だが、先ほどまでいた青い兎の姿はなかった。
「あのバカ父」と苛立ちながらも、彼女は爆炎と剣戟の中心地へ急ぎ空を駆けた。
***
下生えした草木を蹴散 らし、森の中を器用に六本足の馬が疾駆する。
鞍 にまたがるのは、大鎧を身にまとった人間の姿をした──老兵だ。七十は超えているだろうが、その屈強そうな体躯 は歴戦の戦士を彷彿 とさせる。総髪を一つに束ね、墨色の髪には白髪が目立つ。いや、もっと驚くべきは、頭に二つの角がそそり立っていることだ。
馬は後ろから迫る脅威に怯える様に嘶 いた。
「くっ……。嘗めおって」
まるで森の樹海が遊び場と言わんばかりに楽しげに飛び回るのは、獅子の姿に鷹の翼を生やしたグリフォン。そして騎乗するのは《人狼》たちだった。みな騎士に似た甲冑を着こなし、《八輪の車輪》をモチーフにした紋章の旗を掲げている。旗の色は黄色。
「やっぱり鬼は頑丈だな。《炎の言霊》を使ってまだ生きてんだから。人間なら簡単に胴体が吹き飛んでるっていうのに」
「ばーか。《宝玉》を持つ人間はつえーんだぜ、知らねえのか?」
「へえ、そいつは是非とも見てみたいもんだな」
傍 から見ると人狼の区別はつきにくい。みな兄弟に思えるほどそっくりだ。
ケラケラと雑談をしているが、グリフォンの統率に乱れはない。よく訓練されたグリフォンを自分の手足のように動かし、獲物 に肉薄する。
「おい、てめぇら。お喋りはその辺にして仕留めるぞ。でねぇと俺らの首も危ねえんだ」
その中で指揮官が一喝する。彼だけは毛並の良いグリフォンに跨り、黄色の手綱で先陣を切っていた。
部下が全員「へい」と声を上げるのを確認したのち、指揮官は腰に佩刀 していた刀を抜いて一斉攻撃の指示を出す。
「暁の地獄 より大罪たる罰を与えよ──増幅 ・爆炎弾 」
「爆炎弾 」
指揮官の詠唱呪文に合わせて、部下は呪文だけ連呼する。
刹那、周辺一帯に空気が熱を帯び、グリフォンたちの頭上に巨大な炎の塊が出現する。まるで隕石とも呼べるそれは、周辺の木々を巻き込み老兵と馬を押しつぶした。
──轟
凄まじい爆発によって澄んだ空に爆煙が立ち昇る。木々や花々は灼熱の炎によって焼かれ、爆発の衝撃で巨大なクレーターが出来上がっていた。
残り火が木々を舐めるように燃やし、黒と灰色の爆煙で周辺の視界は悪い。ふと馬は丸焦げになって僅かに香ばしい臭いが漂う。
「ぐはっ……」
その中で直撃しながらも老兵は、片膝を突きながら刀を握っていた。その眼光は猛禽類に似て凄まじい殺気を人狼に向ける。
「うわ、マジかよ。アレで死なないとか、どんだけ頑丈なんだよ」
指揮官はグリフォンに跨ったまま老兵に剣先を向ける。すでに数名の部下に退路を断つように指示していた。もっとも直撃した老兵の体は焼き焦げ、走る余力などないだろう。
それでも、老兵の頑なな瞳は人狼の指揮官を捉えて離さない。
「……人狼ごときに……鬼が……敗れたなど、若に申し開きできぬ」
「安心しろ、その若もすぐにそっちに行く。おい、お前ら」
指揮官は先ほどと同じ詠唱呪文を紡ぐ間、部下に老兵の手足を切断するように指示を出す。部下の人狼は佩刀していた刀を抜き、老兵に斬りかかる。
剣戟で一撃、二撃までは防ぐものの、数で圧倒的に不利だ。その上、グリフォンの爪が老兵の肩に深々と突き刺さった。
「ぐあああ」
鎧ごと引き千切られ、赤黒い血しぶきが地面を濡らす。
指揮官はこれで任務も終わり、そう思って「爆炎弾 」と唱えた。任務を無事終え、早く一杯やりたい。そんな考えがちらつき大きな口元が緩んだ刹那──指揮官の頭上に顕現した炎の玉が掻き消えた。
「なっ──!?」
目を剥いたのは指揮官だけではなかった。老兵もまた目を見開いた。
突如として凄まじいエネルギーそのものが消滅したのだ。
「ぐえ」と間抜けな声を上げて、人狼たちとグリフォン数体が地面に倒れ落ちた。それは指揮官が退路を塞ぐように命じた人狼たちだった。
「随分と血気盛んな狗神様 の眷族 だね。なに、お腹でも空いてるの?」
少女は老兵の前に颯爽 と現れた。たじろいだのは人狼の指揮官だ。
「き、貴様……何者だ!?」
「ん、アタシ?」
人狼の指揮官はグリフォンの手綱を制しながら、剣先を突如現れた少女へと向ける。
少女はフードと白い外套を脱いだ。淡藤色 の艶のある長い髪は一つに結っており腰まである。前髪の分け目は左側で、顔は童顔、肌は蜂蜜色で馬鹿みたいに元気がいい。瞳は紺青色、背丈は百七十センチ前後、白拍子姿の美女──
「に……人間!?」
「そうね。半分正解、半分外れ。アタシは龍神の娘にして──かつて世界に名を轟かせた天津国五大龍王 が一人、水龍王よ」
少女は堂々と、そしてハッキリと明言した。
「は?」
「は?」
何処を見渡しても永遠に続くような緑の山が連なりを見せている。そこに人の姿はなく、それらしい整備された道路はおろか獣道すら見つける事が困難な、まさに樹海。
どこも同じようなオークの木が立ち並んでいた。
周囲で一番高そうな杉の木から少女は世界を一望するが、人里らしいものは見えない。彼女の出で立ちは巫女というよりは白拍子姿に、白い外套を羽織り、フードを深々と被っている。外見は十七歳前後だろうか。
少女は目の前に広がる現実に深い溜息を吐いて
「はぁあ……。どこをどう見てもビルどころか人類の建造物がまったくない。……
フードから見え隠れする
少女は視界の端に映る小さな動物を
「ちょっと、
今にも兎を力の限り握りつぶそうと指先が動くが、当の本人は長い耳を片方だけ僅かに震わせた。
「うう……寂しい。もう、彼女に会えないのか……」
抑えても抑えきれない悲痛の声に、少女の怒りはあっという間に鎮火してしまった。父であり、あの龍神がこうも泣くなど娘である彼女にとっては困惑の極みだった。
「いや、えっと……まだ人類が絶滅しているか分かんないでしょ。ほら、人類意外としぶといし、たかだか一万年ぐらいで滅んだりしないって。「また会う」って約束したら、母様は絶対に守るよ」
少女は慌ててフォローするが、青い兎は項垂れたまま目を開けようともしない。
この青い兎が、《八百万の神々》の中でも群を抜いて最強と言わしめた神──龍神とは誰も思うまい。彼女が最後に見た父親は、神々しく偉大で畏敬の念を抱くほど遠い存在だった。それが──
「うう……一万と四千? ……八千年まえから愛しているのに……」
昔、流行った歌にあったような台詞を口ずさむ父親の姿に、少女は溜息が漏れる。
(いやまあ「また会おうね」って約束してうっかり寝てたら一万年経っていて、しかも人類滅んでいるかもしれないって思ったら凹むか……)
少女は母親のことを思い出す。父も少女も母が大好きだった。普通の人間で、おっちょこちょいで、よくこけていて、全然強くない。でも芯がとても強い人だった。
人類が滅んでいるのであれば、その魂も存在しないだろう。少女はたとえ別人であっても、母の魂である転生者と会って見たいと思っていた。
父がそれほどまで恋い焦がれる魂、その転生者はやはり母の面影を残しているのだろうか。
「母様……。私も会いたかったな」
きゅう、と無情にもお腹の音が鳴った。
「ううっ……、お腹減った。もう猪の丸焼きは飽きたし……。香辛料もないから美味しくない……。もうちょっとちゃんとしたご飯が食べたい。炊き立ての白いご飯に、醤油でといた生卵、ほうれん草のおひたしに、豆腐となめこの味噌汁……!」
「たしかに彼女の料理は、いつでも美味で最高です。くっ……、たい焼きに、ふわふわのホットケーキ、旬のイチゴパフェ、ビターなチョコムースに、クッキー、紅茶マフィン、みたらし団子……。どれももう食べられないのですね」
少女は「それはデザートじゃないか」と父親に突っ込もうと思ったが、落ち込んでいる姿を見て言い留まる。なんだか、一気に力が抜けてしまった。
「はあ、母様……。お腹減ったよぉ」
金属音がぶつかり合う、
「!?」
凄まじい剣戟のぶつかり合う音、そして爆発──二キロほど先で爆煙が狼煙のように上がった。ついでその近くで爆炎が連続的に
こんな派手な争いが出来るのは、人類もしくは高い知能がある生物だ。
少女は杉の木に手を当てると感覚を研ぎ澄ます。地面の振動から足音を聞き分け人数を捕捉する。
馬に似た足音が一つ。残りは四足歩行の獣──その数は二十はいるだろうか。
「父様、人かもしれない……って、もういないし!?」
少女は期待を胸に振り返る。だが、先ほどまでいた青い兎の姿はなかった。
「あのバカ父」と苛立ちながらも、彼女は爆炎と剣戟の中心地へ急ぎ空を駆けた。
***
下生えした草木を
馬は後ろから迫る脅威に怯える様に
「くっ……。嘗めおって」
まるで森の樹海が遊び場と言わんばかりに楽しげに飛び回るのは、獅子の姿に鷹の翼を生やしたグリフォン。そして騎乗するのは《人狼》たちだった。みな騎士に似た甲冑を着こなし、《八輪の車輪》をモチーフにした紋章の旗を掲げている。旗の色は黄色。
「やっぱり鬼は頑丈だな。《炎の言霊》を使ってまだ生きてんだから。人間なら簡単に胴体が吹き飛んでるっていうのに」
「ばーか。《宝玉》を持つ人間はつえーんだぜ、知らねえのか?」
「へえ、そいつは是非とも見てみたいもんだな」
ケラケラと雑談をしているが、グリフォンの統率に乱れはない。よく訓練されたグリフォンを自分の手足のように動かし、
「おい、てめぇら。お喋りはその辺にして仕留めるぞ。でねぇと俺らの首も危ねえんだ」
その中で指揮官が一喝する。彼だけは毛並の良いグリフォンに跨り、黄色の手綱で先陣を切っていた。
部下が全員「へい」と声を上げるのを確認したのち、指揮官は腰に
「暁の
「
指揮官の詠唱呪文に合わせて、部下は呪文だけ連呼する。
刹那、周辺一帯に空気が熱を帯び、グリフォンたちの頭上に巨大な炎の塊が出現する。まるで隕石とも呼べるそれは、周辺の木々を巻き込み老兵と馬を押しつぶした。
──轟
凄まじい爆発によって澄んだ空に爆煙が立ち昇る。木々や花々は灼熱の炎によって焼かれ、爆発の衝撃で巨大なクレーターが出来上がっていた。
残り火が木々を舐めるように燃やし、黒と灰色の爆煙で周辺の視界は悪い。ふと馬は丸焦げになって僅かに香ばしい臭いが漂う。
「ぐはっ……」
その中で直撃しながらも老兵は、片膝を突きながら刀を握っていた。その眼光は猛禽類に似て凄まじい殺気を人狼に向ける。
「うわ、マジかよ。アレで死なないとか、どんだけ頑丈なんだよ」
指揮官はグリフォンに跨ったまま老兵に剣先を向ける。すでに数名の部下に退路を断つように指示していた。もっとも直撃した老兵の体は焼き焦げ、走る余力などないだろう。
それでも、老兵の頑なな瞳は人狼の指揮官を捉えて離さない。
「……人狼ごときに……鬼が……敗れたなど、若に申し開きできぬ」
「安心しろ、その若もすぐにそっちに行く。おい、お前ら」
指揮官は先ほどと同じ詠唱呪文を紡ぐ間、部下に老兵の手足を切断するように指示を出す。部下の人狼は佩刀していた刀を抜き、老兵に斬りかかる。
剣戟で一撃、二撃までは防ぐものの、数で圧倒的に不利だ。その上、グリフォンの爪が老兵の肩に深々と突き刺さった。
「ぐあああ」
鎧ごと引き千切られ、赤黒い血しぶきが地面を濡らす。
指揮官はこれで任務も終わり、そう思って「
「なっ──!?」
目を剥いたのは指揮官だけではなかった。老兵もまた目を見開いた。
突如として凄まじいエネルギーそのものが消滅したのだ。
「ぐえ」と間抜けな声を上げて、人狼たちとグリフォン数体が地面に倒れ落ちた。それは指揮官が退路を塞ぐように命じた人狼たちだった。
「随分と血気盛んな
少女は老兵の前に
「き、貴様……何者だ!?」
「ん、アタシ?」
人狼の指揮官はグリフォンの手綱を制しながら、剣先を突如現れた少女へと向ける。
少女はフードと白い外套を脱いだ。
「に……人間!?」
「そうね。半分正解、半分外れ。アタシは龍神の娘にして──かつて世界に名を轟かせた
少女は堂々と、そしてハッキリと明言した。
「は?」
「は?」