トリビア:後白河くんと頼朝くんのメンタルが半端なく強い件について
文字数 1,574文字
二人とも、長期にわたって、軟禁生活を経験しているという点だ。
やりたい放題やったイメージのある二人だけど、それは後半生、三十過ぎてからだ。
それまでは世間的にほぼ抹殺されている。存在しないことにされている。
その状態で生きのびている。
私なんてこのコロナ禍一、二年くらいの外出制限で、こんなに参っている。
来週こそはとか、来月こそはとか、期待しては失望のくりかえし。先が見えない。
皆さんはどうですか。耐えてますか。あとどれだけなら耐えられますか。
雅仁くんは前のページで書いた窓に板ガンガン事件のときすでに二十九歳。それまで飼い殺しの人生だ。その後もさらに二度幽閉されている。
頼朝くんは逆に十二歳で源家嫡男として役職についていて、十四歳が初陣で、ここで惨敗する(平治の乱)。死刑になるところを助命されて伊豆に配流。伊豆は海も山もきれいで食べ物もおいしくて楽園だけど、そういう問題じゃない。どんなパラダイスでも、すでに大人の世界にデビューをはたしている才能ある若者が「一生何もしない」「一生どこへも出ない」ことを条件に、監視付きで行かされたら地獄だ。
そこに二十年間いたのだ。
二十年ですよ。このおはなしだと二年くらいの雰囲気に圧縮してるけど、本当は二十年です。
よく、心が折れなかったと思う、この二人。それだけでめちゃくちゃ尊敬してしまう。
私だったら絶望して舌噛んで死んじゃうんじゃないだろうか。
またはクスリに走るとか。アル中になるとか。
想像しただけで目の前が暗くなる。
コロナがなければ、ここまでは想像できなかったと思う。
当時の人がみんなそんなにがまん強かったかというと、そうでもない。
例えば、平家の
この維盛くんがどんな人かというと。
光源氏の再来と言われたほどの美貌だったらしい。
いやちがう、イケメンこのさい関係ない。
富士川の合戦という、平家が大敗を喫した痛恨の一戦があるのだけど、これ不戦敗で、水鳥がいっせいに羽ばたく音を聞いて源氏の大軍襲来とかんちがいした平家軍がパニクって逃げ帰ったと言われている。そのときの総大将が維盛くんだ。
激怒した清盛お祖父ちゃんに
「顔も見たくない。どっか行って死んじゃえ」
とまで言われている。うわー。きつい。これきつい。だめだ、自分のことのように心臓が痛い。
それがトラウマになったのだろう。維盛くん、叔父の知盛くんたちがまだ必死で戦っているときに一人だけ戦線離脱して
「もう人を殺すのも殺されるのもいやだ」
出家して、海に入水、つまり投身自殺してしまう。
優しすぎる。
以前は私も「なにそれ、おとうふメンタル?」なんて軽く思ったりしてたのだけど、いまそれを猛省している。維盛くん本当にごめんなさい。
こっちが人間としてデフォルトだろう。いまは痛切にそう思う。最後まで戦い抜く知盛や教経のほうが尋常じゃないのだ。
まして何十年も閉じこめられるなんて無理だ。いや何十年でも期限がわかっているならまだいい。このまま死ぬまで生き埋めかもしれない――そんなの、ちらっと考えただけで頭がおかしくなりそうだ。
頼朝も後白河院も、どうやってその絶望に耐え抜いたんだろうか。
そして。
このメンタル最強の二人の人生に、それぞれ最大の出会いをもたらしたのが、義経だったのだろうなと思うのだ。
生き埋めだった彼らの人生にいきなり開けられた、風穴だったのだろうと。
義経自身のメンタルが強いか弱いかは測りにくい。がまん強くなかったことは確かだ。いつも速攻。どうして?というくらい生き急いで、あっというまにいなくなってしまう。
頼朝と後白河がやっと自分の人生を歩みはじめる、その年齢まで、義経は生きていない。