揺れる木漏れ日

文字数 1,264文字

 男はもう何年も捜していた。町をさまよい、駅をわたり、落としものをどこで落としたかを独り思案しながら。行き詰まると、出会う人々に尋ね、落としたときの自らの気持ちや景色を思い出す努力をする。風が心地よい日だった。勢いよくはためく何十匹もの鯉のぼりが楽しげに踊っていた。喧嘩しているようにも、遊んでいるようにも見える。

「ここよりも風が強そうでしょ」。
「そうだな。確かに」。
「川は風の通り道なんだよ」。
「そうなんだ…」
「そう…なんだよ。だから弱虫になりそうなときに、私ここに来る」。

 この川沿いの土手道で出会ったユリは風に踊る鯉のぼりを眺めながら、きっぱりと言った。喉元で疑問を反復させ、男はいつの間にか、話す彼女の横顔を見ていた。風が、強くしてくれるということか。鼻筋の通った切れ長の目をした端正な、少し男っぽい顔である。その横顔は特別感情を表している様子ではなかったが、揺れる木漏れ日に明るくなったり陰を帯びたりして、笑ったり泣いたりしているように見える。

「そうなんだ」。
わかってないかもしれないが、ユリが風を感じ、風を見に来る理由が分かる気がした。だから男も駅から歩き、ここに辿り着きユリと出会ったのではないか。川を横断してはためき彩る何十匹もの鯉の姿は壮観だった。それでも、地元の人には珍しくもない景色を立ち止まって眺めている男が珍しかったのだろう。どちらが先にうなずいたかもわからないが、ユリと男との会話が始まったのがほんの15分前ほど。

「ほんとに?」
わかっているのか、と言わんばかりにユリは男の顔を覗いた。

「わからないけど、僕がここにいるってことも、同じことなんじゃないのかな」。
「どうかな。あなたは弱い人じゃない気がする。体は細いけど、結構図太い人のような気がするな」。
男は苦笑した。木漏れ日が揺れ、一瞬、ユリの顔が泣きじゃくっているように見えた。

「私は強がっている弱い子。だからここに来るの。…風に当たると感じるの」。
ゆっくりと発話するユリはどこを見るでもなく川の方を向いて話し続けた。男は自分の胸の鼓動が聞こえ、脈が速くなるのを感じ、情けなくなった。

「風が肌に当たると、私が今ここにいるんだ、ってことを、感じるの」。
彼女も見失っているものがある。男は言葉以上のことがわかった気になってうっかりことばに出した。

「わかる気がする」。
「ほんとに?」
「ほんとさ」。
 女は悪戯っぽく男を見上げ、口角をあげ、振り返り歩き出した。男は少し後ずさりしてから、立ったまま、川をまたぐ鯉のぼりに目を凝らした。ひと時もじっとしていない、宙を舞う巨大魚ら。風にあおられ、踊り、生き生きと歌っている。原色の赤や青、黄や緑が歌っている。歩いていくユリのほうを見ると、洒落ているがくすんだ、鈍い色の上下をまとっていた。ユリは男が後をついて来ることを当然承知しているかのようにゆっくりと、ゆっくりと歩き続ける。この鯉たちを躍らせる、見えない風を見てやろう。男はしばらく立ったまま見やった。
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