第三十五章 女たちの最期

エピソード文字数 4,892文字

 彪は、人形たちの瓦礫の中、辺りを見回して、額に浮いた汗を、破れた袖で拭いながら、言った。
「……さて。残っているのは、羅羅さんと奥さんだけど。どうする?お姫様」
 彪と暎蓮の『結界』内に残っていた羅羅と妻の二人からは、『邪気』もかなり抜けていたが、『気力』もかなり抜けていた。二人の霊体は、どうにか映像として浮かび上がっていたが、彼女たちは、もはや口をきく力もないようだった。
 ただ、彼女たちは、その目だけを動かして、『結界』内に入ってくる彪と暎蓮を見ていた。
 暎蓮が、その彼女たちに、そっと、声をかける。
「羅羅様。それに、奥様。『合』様は、この世から滅されました。……もう、復讐は、終わりにしませんか」
「あれだけ木端微塵にしちゃったからね。もう、『合』がよみがえることなんて、ないと思うよ」
 彪も言う。
「どなたかを憎むという、苦行はもう終えて、お楽に、なりませんか」
 暎蓮が、彼女たちにもう一度、優しく言った。……羅羅が、小さく口を動かす。
 暎蓮が彪を見ると、彪がうなずき、羅羅の顔の前で手のひらを少し動かした。
 ……これで、彼女が言葉を発しやすくなる。
『……これだけの、『邪気』を持っていたうえに、これだけの、私の『罪』……。『楽になる』といっても、どうせ、私も、滅するというつもりなんだろう』
 羅羅は、『気力』のない声で言った。
『私は、それでも構うものか。自分の手ではやれなかったけれど、あの男の最期は見られたわけだからね』
 暎蓮は、答えた。
「……無理に、ご自分を貶めようとなさることはありません。『合』様を滅したのは、私たち『巫覡』です。そして、それは、あの方が、すでに『邪』におなりになってしまわれていたから、という事情があればこそ。そこに、羅羅様や奥様が関与なさるご必要は、ないのです」
 暎蓮は、つづけた。
「滅されるか、天上に開放されるか。……それは、あなた様がた次第です。復讐心をお捨てになり、清浄な『気』を取り戻し、天上に開放されたいとおっしゃるのであれば、もちろん、お手伝いは、します。ですが、『邪心』を強く持ったままでいたいとおっしゃるのなら、……残念ですが、ここで滅されるか、『合』様のお望みであったように、『地獄界』へ堕ちていただくしか、ありませんが」
 暎蓮は微笑んだ。
「……人間(ひと)は、誰でも、『邪心』を持つ生き物です。それは、ここ、『聖域』である『天地界』の住人であったとしても、人間である以上、逃れることなどは、できません。……ですが、その『邪心』に囚われることを良しとするか、ご自分の中で、自らの『邪心』を征伐しようと、律するお気持ちをお持ちになるかどうかで、魂の行ける場所は、変わってくるのです。……ですから。もう一度、おうかがいします。……お二人とも。『復讐』は、もう、おやめになりませんか」
「俺も、それをお勧めするよ。なんたって、恨みの対象の『合』は、もう、それこそ、いなくなっちゃったんだしさ」
 彪が、暎蓮の隣で、彼女の言葉を後押しした。
 ……羅羅と妻は、思いがけないことを言われたようで、黙り込んだ。
 その彼女らに、さらに暎蓮は、言った。
「天上に開放されれば、生まれ変わり、新しい人生に歩みだすこともできます。……いかがですか」
 羅羅は、しばらく黙っていたが、やがて、投げやりに、言った。
『……あの男の望むようにだけは、なりたくないね』
「では、『復讐心』をお捨てになりますか」
『捨てられるのかい?こんな私が……』
 暎蓮は、微笑んだ。
「……もう、あなた様からは、先ほどまでのような『邪心』や『怨念』は、ほとんど抜けていらっしゃいます。……本当は、ご自分でも、それにお気づきなのでしょう?……それに。そのために、私たち『巫覡』は、いるのです。……ねえ、彪様?」
 暎蓮は、横にいた彪に顔を向け、笑ってみせた。彪も、笑顔を作る。
「うん」
 暎蓮たちの言葉に、羅羅の霊体が、胸を突かれたような顔をした。
 暎蓮は、妻のほうにも声をかけた。
「奥様は、どうされたいですか」
『……私は、長いこと、ずいぶん大きな『邪念』を持ちつづけてしまったわ。もはや、この気持ちからは、自分を切り離せない。そして、また、私は、決して消えることのない『罪』も背負っている。そのことは、決して忘れてはいけないこと。『斎姫』様がおっしゃっていたような、『『邪念』を自らで『征伐』する』ということが、私には、できなかったのよ』
「ですが、羅羅様ご同様、あなた様からも『邪心』は抜けてきていますよ。……私たち『巫覡』には感じられるのですが、あなた様も羅羅様も、本当はとても御心がお優しく、白い方です。ですが、それがあったため、今回このような事態にまで発展してしまった……。あなた様がたに『合』様とのご縁があったのは、悲しいかな、『天帝』様の『ご意志』であったはずですが、それでも、今ならまだ、次の、新しい人生をやり直すことはできます。……どうか、もう一度、お考えになっていただけませんか」
 妻は、弱々しかったが、暎蓮に向かって、微笑んで見せた。
『……いいえ。私は……。もう、すべてが、遅いの。そして、もう、生まれ変わりも、したくない。だから、せめて、あなたがたの手で、私を、滅して』
「本当に、それでよろしいのですか」
 暎蓮は、言いつのった。
「……お子様のもとへ、いらっしゃれなくても。あなた様のお子様は、今、天上にいらっしゃいます。罪のなかったお子様は、今、天上で、生まれ変わる準備をなさっているのです。天上に行ければ、あなた様がたは、再びまた、相見えることもできるかもしれません。それなのに、そのお子様のもとへいらっしゃれなくても、本当に、よろしいのですか」
「子供?」
 彪が、驚いた顔で言った。……なんの話だ?
 暎蓮が、彪に言う。
「奥様には、『合』様との間に、まだ小さな、赤ちゃんが、いらしたのです。……ですが……」
 妻が暎蓮の言葉を引き継いで、言った。
『『合』という男に絶望した私は、『合』との間にできて、生まれてすぐの子供を、この手で殺して、大河に流してしまったの。子供が、『合』に似ているんじゃないかと思うと、憎らしくて、……恐ろしくて。本当は、私が、あの子を、『合』のような子にしないために、母として、護らなくてはいけなかったはずなのにね。本当に……。……これじゃ、羅羅さんのしたことを、責めるわけにはいかないわよね』
 そう言いながら、妻は、力なく、笑った。
 彪は、驚いた。……お姫様は、そこまでわかっていたのか。
『だから。殺してしまった、罪のないあの子へ詫びるためにも。ここで滅されるのが、私にとっての、唯一の、救いなの……』
 それを聞いた暎蓮の顔が、つらそうになった。……しかし、彼女も、『斎姫』だ。『巫覡』の一人としての『使命』は、全うしなくてはいけなかった。
「……そうですか……」
 暎蓮は、やっとのことで、言った。彼女は、言いながら、隣に立っていた彪の片手を、握った。……その、彼女の気持ちに寄り添うべく、彪は、暎蓮に握られた手を、硬く握り返した。 
 その彼の手の力加減を確認したところで、彼女は、息をつき、言った。
「……わかりました。では。せめて、お名前だけでも、教えていただけませんか。私たち『巫覡』たちの記憶に、とどめるためにも」
 彪は、暎蓮の横顔を見つめた。
 ……ここまでやるのが、『斎姫』の……いや、俺たち『巫覡』の仕事なのか。
 妻は、言った。
『私の名は、(かい) 紗織(しゃおり)……』
「紗織様。ありがとうございます。……忘れません」
 暎蓮は、彼女に、一礼した。
 そして、彼女は、彪を振り向いた。
「……彪様」
「……うん」
 紗織の魂を、この世界から、滅する時が来たのだ。
 二人は、両手で、紗織の霊体に手をかざし、声を合わせた。
「……(けつ)!」
 彪の手から、『聖気』が注がれ、暎蓮の手からは、せめてもの手向けだろう、『神気』が注がれる。
 紗織の瞳が、閉じられた。……その霊体が、次第に霧状になり、消えていく。紗織は、最後に、一瞬だが、彪と暎蓮に微笑んだような気がした。紗織の霊体が、その場から、完全に消えた。……彼女は、この世界と決別したのだ。
 妻が消えていく様子を、横からじっと見ていた羅羅が、言った。
『私のせいだけど。……あの人も、気の毒な人だったね……』
 彪と暎蓮は、その彼女の言葉を聞いて、今度は羅羅に向き直った。
「それがおわかりになるあなた様になら、必ず望みはあります。……では、羅羅様。始めましょうか。……彪様」
「わかった」
 彪が、羅羅の霊体の額に手を当て、暎蓮は、羅羅の胸に手を当てる。
 二人は、再び、声をそろえた。
「……(じょう)!」
 二人の手から、『聖気』が発され、それが羅羅の中に送り込まれていく。
 羅羅の場合は、彼女の魂を天上に開放する、という、一般の『巫覡』のやる儀式で充分間に合うことなので、暎蓮も『神気』は使わず、普通の『巫覡』同様に、『聖気』を使う。
 ……その清い『力』に押し出される格好で、羅羅の霊体から、残されていた『邪気』が抜けて、上空に上っていく。霊体を包み、また、中を流れてゆく『聖気』の動きが心地よいのだろう、羅羅が、その力を自ら受けるように、次第に、顔を上向け、目を閉じる。白かった彼女の髪が、だんだんと長く伸びて、色も黒く変わってゆく。豊かで、艶のある、美しい髪だ。
 彼女の顔つきも、それまでのやつれ、荒んだものから、穏やかで、微笑みをたたえたものに変わっていった。
 羅羅の中から『邪気』がすべて抜けて、『聖気』が満ち、彼女の『気』が清浄に戻ったところで、彪と暎蓮は、彼女からそっと手を離した。
『……ありがとうございました』
 羅羅が、彪と暎蓮に一礼し、言った。もう、あの蓮っ葉な言葉遣いではなく、もと女官らしい、品のあるものに戻っていた。
「……羅羅様。あなた様は、もう、充分お苦しみになりました。もう、『罪』は、消えたのです。……それから。……あなた様には、来世で、あなた様に最もふさわしい、素晴らしい殿方との出会いがあります。そして、その方と手を取り合うことで、今度こそ、本当にお幸せになれます。ですから、今は、どうか、それを、お待ちになってください。……少しの間だけ、天上で」
『『幸せ』に……?……こんな私が、本当に、そんなふうになってもよろしいのでしょうか、『斎姫』様』
 羅羅が、驚いた顔をした。
 暎蓮は、微笑むと、言った。
「はい。先ほども申しあげたとおり、あなた様の『罪』は、もう、消えたのです。そして、この『予見』は、ただの慰めではありません。たった今、……そう、『天啓』があったのです。……これは、『天帝』様の『ご意志』です。どうか、お信じになってください」
 彪は、いつもの暎蓮の口癖の様を見て、やっと、この件が終わったことを感じ、自分も微笑んだ。そして、言った。
「……羅羅さん。大丈夫だよ。お姫様の『天啓』は、百発百中なんだ。それに。……俺も今、同じ『天啓』を見たからね」
『お二人とも……』
 羅羅が、声を詰まらせた。両の瞳からは、美しい涙が流れている。
「さあ。……お行きになってください。そして、……いずれまた。どこか、別の場所で、お会いしましょう。その時を、楽しみに待っております」
「さようなら、羅羅さん。……来世は、お元気で、幸せにね」
 二人は、羅羅に別れを言うと、彼女に向かって、両手を伸ばした。声をそろえ、
「……(しょう)!」
 と、『聖気』を使って、彼女を天上へ送り出した。
 羅羅の姿が、消えていく。その羅羅の表情は、初めて見る、彼女の曇りのない笑顔だった。
『お二人とも、お元気で。ありがとう……』
 羅羅の最後の言葉は、尻切れだったが、……彪と暎蓮には、充分、響いた言葉だった。
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登場人物紹介

白点 彪(はくてん ひゅう)

十三歳。『玉雲国』の『宮廷巫覡』で、強力な『術』を使える『術者』でもある。

この国の『斎姫』で初恋の相手、十一も年の違う憧れの『お姫様』である暎蓮を護るのに必死。

温和な性格。

甦 暎蓮(そ えいれん)

二十四歳。しかし、『斎姫』としての不老の力で、まだ少女にしか見えない。『玉雲国』の王である扇賢の妃。『傾国の斎姫』と言われるほどの美女。世間知らず。

彪が大のお気に入りで、いつも一緒にいたがる。しかし、夫の扇賢に一途な愛を注いでいる。

使う武器は、『破邪の懐剣』と『破邪の弩』。

桐 扇賢(とう せんけん)

十七歳。暎蓮の夫にして、『玉雲国』の王。『天帝の御使い』、『五彩の虎』の性を持つ。単純な性格ではあるが、武術や芸術を愛する繊細な面も。

生涯の女性は暎蓮一人と決めている。

彪とはいい兄弟づきあいをしている。愛刀は、『丹水(たんすい)』。

関 王音(せき おういん)

二十代後半。扇賢のもと・武術の師で、宮廷武術指南役。美しく、扇情的だが、『天地界』中にその名と顔が知れ渡っているほどの腕の『武術家』。

暎蓮にとっては、優しい姉のような存在。彪や扇賢にとっては、やや恐れられている?

愛刀は『散華(さんげ)』。

ウルブズ・トリッシュ・ナイト

二十代後半(王音より少し年下?)。扇賢のしもべで、『玉雲国』ただ一人の『騎士』を自称する、人間界の西方が出自の金髪美男。暎蓮に懸想しており、彪や扇賢とは好敵手関係?戦うときは銀の甲冑と大剣を持つ。マイペースな性格。

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