第1話

文字数 1,996文字

本当に彼女に会っていいのか。
その言葉が一瞬、佳緒の頭によぎり、インターホンに伸ばしていた指をそっと胸の前に戻した。
これから会う光と佳緒の付き合いは長いが実際にあったことはない。
それでも光は佳緒にとって大切な人である。
けれども、彼女にとって、私はどのような存在だろうか?数多の知人の一人ではないだろうか? そんな不安が靄となって佳緒の心を覆っていく。自然と足元を見つめていた。
しかし、家の前でうだうだと悩んでいても仕方ない。今日会えないかと誘ったのは佳緒なのだから。
佳緒は頭を切り替え、大きく深呼吸をし、インターホンのチャイムを押した。
しばしの静寂が訪れた。ほんの短い時間だったが、 佳緒には長く感じられた。
「はあい」 とドアの奥から語尾の伸びた返事が聞こえ、足音が近づいてくる。 そしてガチャリと鍵が回る音が聞こえた。

その日、佳緒は家までの長い道を早歩きで歩いていた。今日も学校で一人だったなぁと無意識に呟く。
七月という半端な時期に転校してきた佳緒は、もうできあがっていた友達の輪にうまく加わることができず、通学や休み時間は一人だった。
寂しくないと言えば嘘になるが、それより佳緒は学校より楽しみなものがあった。
自宅に帰ってきた佳緒はすぐさま父の書斎に入り、パソコンの電源を入れた。
暗いウィンドウが色づくまでの時間がもどかしくて、椅子に座って所在なく足をぶらつかせていた。
パソコンが使えるようになると、 すばやくウェブを立ち上げ、なじみある単語を入力する。
ページをクリックすると可愛らしいマスコットが出てきたが、それには目もくれず、右端に視線を移す。
新着のメッセージが7件きていますと表示されていた。
佳緒は思わず頬が緩み、それらを一つずつ表示させる。もう見慣れた人たちによるコメントだ。
コメントを読み、一つずつ返信していたところチャット画面に
─ヒカリさんが入室しました。
の吹き出しがポップアップした。
ヒカリは、佳緒が交流している人たちの中でログインしている時間がよく被り、また共通の話題や日常の悩みなどをよく話した。住んでいる場所は佳緒のところから遠く、年齢も高校生と記載されていた。
このコミュニティサイトは中高生を意識して作られていたが、年齢や居住地、性別が正しいものか佳緒には重要ではなかった。
この日もヒカリと会話をしていたところ、階下で母が帰ってきた音がした。
ヒカリに母が帰ってきたので切るねと返し、パソコンの電源をオフにした。
帰宅して母が帰ってくるまでのこの数時間が、佳緒が広い世界に立って、色々なことを話せる貴重な場所であった。

その日は雨が窓を激しく打ち立てる上、雷鳴も轟いていた。だから気づかなかった。
いつの間にか母が佳緒の背後に立っていて、画面を見ていた。母と目が合った瞬間、
「これはその……」と言い淀んだ。
母は佳緒がネット上で交流していることを理解し、佳緒が学校でうまく馴染めていないから、ネットに逃避しているのだと指摘した。
違うと伝えようとしたが、母の指摘に佳緒の体が熱くなる。
自分でも苦しい言い訳を早口で返した。
それが母に逆効果だったようだ。
口喧嘩は父が帰ってくるまで続いた。母が帰宅した父に説明し、父は優しく佳緒を諭した。
両親の言い分はもっともだった。自分の心配をしていることも。
─でも、わかってない。
こぼれそうになった言葉を飲み込み、佳緒は両親の決まりに従った。
「わかった。やめる。でもその前に別れの挨拶ぐらいさせてほしい」
最後の方は上手く言葉にならなかった。娘が泣くとは思わなかったのだろう。両親は顔を見あわせ、娘の頼みを聞き入れた。
両親が書斎から出ていくと佳緒は画面に向き合い、訳あって来られなくなった、これまでの感謝を書き残した。
ログアウトしようとしたとき、ポップアップした一文が佳緒の目を惹いた。

「おばあちゃん。この紙の山どうしたの?」 遊びに来た孫が佳緒に問いかけてきた。
「今掃除していたらね、懐かしいものが出てきたんだよ。古い友人からの手紙だよ」
「ふーん、どうして手紙なの。おばあちゃんのときにスマホがあったでしょう?」
「私が中学生の頃は持ってなかったからね。」
「この光って人からの手紙多くない?その人、誰?男の人?」
孫は恋バナかと思い、目を輝かせながら訊ねた。
佳緒はそんな孫に微笑を浮かべ一枚の写真を手渡した。
「こっちがおばあちゃんで。こっちがその人」
 そこには歳は三十歳頃の、佳緒と赤子を抱いた女性が笑顔で写っていた。
「この時が初めてあったときの写真でね。それからもずっと手紙のやり取りが続けたんだよ」
「ずっと手紙で?こっちの方が便利じゃない?」
孫娘は自分のデバイスを掲げた。
「直接会話するのも、時間をかけてやり取りするのも違った趣があるんだよ」
佳緒は孫をみて、遠く空を眺めた。
「もう会えないけれど。言葉を選んで文章にするのはとても楽しかったよ」
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