第32話たったの三日間だけだったけど有り難う

文字数 2,772文字

その後部屋へと戻り、カップラーメンと花豆の煮豆とで昼食代わりにした。
そして午後3時頃までをコタツの中でゴロゴロしながら時間をつぶしたのち、真知子は一人でお風呂へと向かった。
俺はまた本を読み始めたのだが、いつの間にか寝てしまっていた。
その後、目を覚ましてから真知子の姿を探すと、俺の対面でコタツに足を入れて眠っていた。
夕食の時間も近くなり、俺は真知子のことを揺り起こしてから食堂へと向かうことにした。
すると昨日までの賑やかさは影を潜め、食事をとる人の数も半数近くにまで減ってしまっていた。
雑談も少なく皆、黙々と食事をとっていたのだが真知子の箸の勢いも、昨日に比べるといくらか弱まっているかのようにも見えていた。
そして夕食後部屋へと戻り、布団を敷いてから時間を潰すことにした。
俺はフロントのロビーの所に置いてあったスポーツ新聞と地元の地方紙とを借りてきて、真知子と分けあって読むことにした。
そして午後8時を迎える頃、真知子と二人で階下にある風呂場へと向かった。
すると男湯には先客が4人おり、皆ぬるい方の源泉に修行僧のようにして目を瞑り、浸かっていた。
とても話し掛けられる様子では無かったので、俺は無言のまま、源泉と上がり湯とを2往復したのち約20分ほどで出てきた。
そして部屋へと戻り灯りを点けたまま、布団の中で真知子の帰りを待つことにした。
するとそれから一時間ほど経ってから、足取りも軽く真知子が帰ってきた。
そして布団の上に腰を下ろすと同時に、俺に向かって喋り始めたのである。
「ねえ貴方、聞いて。
また昨日からのお友だちに会えたの。
約束はしていなかったけれど、昨夜と同じ時間に行けばまた会えるかなと思って。
そしたら向こうの方も同じことを思っていたんですって。
今までは5人でワイワイガヤガヤとお話をしていたんだけれど、今回は二人きりでの話になったので、より身近な会話をすることが出来たの。
なんでもその人は私より2つ年上で、今までキャリアウーマンとして一人で頑張って生きてきたそうなの。
しかし昨年の秋、私と同じ肺腺癌を患ってしまい、今は千葉県にある大学病院で放射線治療と抗癌剤治療を受けているんですって。
でもこのままの状態では会社にも迷惑を掛けてしまうと思い、早期退職をしたそうなの。
そして今は蓄えてあった貯金で生活をしているみたいなんだけど、それもいつまでもつのか不安になって来たって言ってたわ。
今回病気になってみて、初めて自分が孤独であったことの淋しさを感じているそうなの。
一人っ子だし、ご両親も既に亡くなっていて、これから先のことを思うと不安で夜も眠れなくなる日も有るんですって。
本当に人にはそれぞれのドラマがあるのね。
私は貴方と子供たちに支えられて生きている事を、改めて感謝するわ。
これから先も末永く宜しくお願いしますね」
すると俺は、こう返した。
「当たり前だろ。
昨日も言った通り、人は支えあって生きていくものなのさ。
身内であれ他人であれ、必ず誰かの助けを借りて生きていくのが人生なんだ。
それがお互い様ということさ。
せっかく俺たちも、何かの縁があって夫婦になれたんだ。
この先に何が起ころうとも、お前とは一生添い遂げるつもりさ」
「貴方、有り難う」
そしてその日は眠りについていった。

翌朝6時にまた二人して風呂場へと向かってみた。
すると男湯にはまだ誰も入っていなかったので、俺はぬるい方のラジウムの源泉を独り占めして浸かることにした。
そして源泉が注ぎ口から流れ出てくる音だけを聞きながら、その静かな空間で想いを巡らせてみた。
「今回、真知子と一緒に湯治にやって来て本当に良かった。
特に真知子は色々な病気に苦しむ人たちと語らい、励まし励まされ、そして勇気も貰うことが出来た。
そして温泉の効能とも相まって、肉体的にも精神的にも回復への良い方向に歩んで行けるだろう。
それに俺自身もノンビリとする事ができ、鋭気を養うことも出来た。
また、真知子とも二人きりで本音で語り合う時間も持てた。
よし、また会社に戻ってからの実験研究へと向き合える活力も漲って来たぞ、頑張るぞ」
その後、部屋へと戻って行ったのだが、真知子はまだ帰ってきてはいなかった。
そして暫くしてからであった。
真知子がメソメソしながら部屋へと戻ってきたのである。
俺はその姿が心配になり、理由を聞いてみた。
すると、こう説明してくれた。
「和代さんとは、これでお別れになるので最後の挨拶をしてきたの。
たったの3日間だったけど本当に他人とは思えなくなってきちゃった。
何でも話し合える、あんな姉がいたら楽しかっただろうなと思ってね。
私には弟しかいなかったから。
でもね、いつの日かまたここで会おうねって約束してきたの。
昨日、連絡先も交換しておいたしね。
でも本当に淋しくなっちゃった。
和代さんはもう少しの間、ここで湯治を続けるって言ってたわ」
俺は落ち込んでしまっている真知子のことを慰めようとはしたものの、このぐらいの言葉しか思い浮かばなかった。
「ああそうなんだ。
それは辛いだろうけれど、これからも長い付き合いになるといいね。
歳も近いことだし、頻繁に連絡を取り合うようにしていきなよ」
その後、二人して食堂へと向かった。
今朝の献立も充分に食欲をそそられるメニューでは有ったのだが、真知子の箸はそれほどは進まなかった。
食事後、食堂を出たところに置いてある長椅子に、真知子が腰掛けたので俺もその横に座った。
すると5分ほどしてから、先ほどの話で聞いていた和代さんが食事を終えて出て来たのである。
その姿を見つけた真知子はサッと椅子から立ち上がり、和代さんの元へと近づいていった。
そしてお互いの左肩に自分の顔を近づけて、泣きながら何かを囁いていた。
その姿には俺も、つい、もらい泣きしてしまいそうになってしまった。
「ふたりとも大病を患って、自分の命というものと現実に向き合っている。
言わば病気仲間だ。
その気持ちは健常者である我々には、到底分からないのかも知れない。
それはとても、孤独との闘いでも有るのと同時に恐怖でもあろう。
そして何で私がという怒りにも似た、心の揺れもあったに違いない。
それ故に3日間だけの親交ではあったのだが、和代さんとは歳も近く、また同じ病気だという事もあり、より親近感が湧いてきていたのだろう」
その状態は数分間続き、最後には固く握手をしてから離れた。
そして真知子が俺の元へと戻って来るのを見ていた和代さんは、俺に対しても軽く会釈をしてから自分の部屋へと帰っていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み