第30話 果たされた約束

文字数 1,532文字

 日が暮れた。この時をどれぐらい待っただろうか? 望遠鏡を庭に運び出し、海の方を向けた。

「き、昨日も、み、見れたのよね?」

 秘未心の質問に、私は望遠鏡をいじりながら答えた。

「はっきりと見えるのは今日ですけど。よく彗星には尻尾があると言うじゃないですか? 毒ガスとか、空気がなくなるとかって話は嘘ですけど…。尻尾が二本、ちゃんと見れるのは今日だけです」
「尻尾が二本?」

 そういえば、鳶雄たちには彗星の具体的な説明はしていなかった。

「塵でできたダストテイルと、イオン化したガスからなるイオンテイルがあります。太陽とは反対側にできます」

 向きはこれで大丈夫だ。後はもう少し暗くなるのを待つだけだ。

「その尻尾は肉眼じゃ見えないの?」

 茜が言った。

「十年に数個は見ることができますが…。シュトゥルム彗星はその数個には入っていません。この望遠鏡で交代で観測しましょう」

 私は茜の発言は、望遠鏡は一台しかないことが原因と思った。
 しかし裕唆が直後に、梟町の人たちは今日、みんな彗星を見ようとしていると言った。どうやら私が葉子に天文台に連れて行ってもらったことがきっかけらしい。それで天文台を再開するかどうか、役場で話し合われ、それが住民に伝わったとのこと。そしてシュトゥルム彗星が近づいていることをニュースで知り、いい機会だと言って星空を見上げようとしているらしい。

 この町の天文台が生きていたら、と何度も思う。あの大きな天体望遠鏡が手入れさえしてあれば、町の人みんなで彗星を観測できた。
 望遠鏡はこの一台しかないから、私は悔しかった。

 ここは前向きに考えよう。町の人たちに彗星を見せることができなくても、鳶雄たちには見せることができる。彼らなら天文学を理解してくれると私は確信している。過疎化が進んでいる梟町で天文台をリニューアルさせる意味があるのかどうかは、私としては疑問である。無駄しか生じない、無意味なことかもしれない。
 しかし、たとえ行為が無駄でも、意志には意味がある。これから先、世界中で宇宙開発が進むだろう。それに乗り遅れてはいけない。

 私は、少しでも天文学に興味を持ってくれた人全員に敬意の念を抱いた。

「ところでさ」

 鳶雄が切り出した。

「何でしょう?」
「この望遠鏡は、真庭の家に置いて行くんだろ?」

 私はそうですと首を縦に振った。

「俺が大事に預かっておくよ!」

 鳶雄の提案に私はちょっと反対した。

「鳶雄君が欲しいと言うのなら、お譲りしますよ。私は梟町に、もう戻って来られないかもしれませんから」

 使ってくれる人がいるのなら、その人に譲るべきだ。私の物だからと言って、保管させては埃まみれになるだけ。必要としている人がいるのなら、是非とも使って欲しい。その方が望遠鏡も喜ぶだろう。

「何言ってるのよ? この先、梟町はきっと颯武君のことを必要とするはずよ。その時まで、生きてみせなさい! 抱いた夢は捨てさせないわ。それに、次の大きな休みに戻って来ること、私と約束しましょう。」
「わかりました」

 私は葉子と約束した。

「その時までに、天文台は再開するでしょうかね…?」
「させてみせるわ!」

 葉子も私に約束した。

 いよいよ辺りがちょうどよいぐらいに暗くなってきた。私はファインダーでシュトゥルム彗星を探した。

「見つけました」

 望遠鏡の向きを動かし、捉えた。みんなで見ると約束した、シュトゥルム彗星を。

「さあ、鳶雄君。覗いてみて下さい」

 私は鳶雄に促した。鳶雄が望遠鏡を覗く。

「うわぁ!」

 鳶雄の嬉しい悲鳴が、この星降る夜空に響いた。
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