第13話 目指すもの

文字数 2,411文字

 落語関係の雑誌はかっては色々と出ていた。月間「落語」季刊「落語ファン」、月間「演芸」とかあったがどれも休刊か廃刊となってしまっていた。今では不定期に「噺の友」という雑誌が刊行されるだけとなってしまっていた。
 世間では落語ブームとか言われているが、浅いブームなのが判る。勝手はコアなファンがそれらを買い支えていたのだが、今のファンはCDも買わず、ネットで済ませてしまう。
「ま、録音したのは高座を記録したものでは無く、その時の会場の雰囲気を高座ごと記録したものに過ぎませんですからね」
 柳生は「まさや」で酒を口にしながら雅也の疑問に答えていた。雅也が出したのは、先日半年ぶりに刊行された「噺の友」だった。
 A4のその雑誌に先日柳生が末広亭で演じた「たちきり」の評論が載っていたのだった。内容は柳生の高座を高く評価しており「以前は只旨いだけの噺家だったが、復帰してからは噺に凄みが加わった」と評されていた。
「それほどじゃありませんよ」
 凄いと褒める雅也に対して柳生は謙遜する。いや本当の気持ちなのだろう。彼の目指す噺は未だ先にあると考えているからだ。
「今日はふぐの刺身を食べて戴きます」
 雅也はそう言って柳生の目の前に網の目の白い皿に綺麗に並べられたふぐを出した。
「冬と言ったらふぐですよね。落語にもふぐを扱った噺があるんですよ」
 柳生の言葉に雅也が反応した
「へえ~。どんな噺なんです?」
「ある旦那の所に出入りの幇間が尋ねて来るんです。丁度ふぐが手に入った所なので食べて行けと言うのですが、お互い万が一の事があれば怖いので誰かに食べさせて大丈夫なのを確認してから食べようと話しが纏まります。そこへ乞食がやって来ます。一旦は追い返したのですが、呼び止めて例のふぐ鍋を与えます。
 幇間が乞食の後をつけて行き、様子を見るとイビキをかいて昼寝しているんです。それを見て大丈夫だと思った旦那と幇間は食べ始めます。食べるとやはり旨いのでたちまち食べ尽くしてしまいます。
『美味かった』と言っていると例の乞食がやって来て
『先ほどのものは、すべてお召し上がりになりましたでしょうか?』と訊くので
『全部食べてしまったからもう無い』と答えます。すると乞食は
『お二人とも大丈夫そうですね。それならユックリと食べさして戴きます』
 と落とす噺なんです。昔は中毒になることが多かったですからね」
 柳生の噺を聴いて雅也は
「ふぐはそれまで食べたものによって毒が出来るんですよね。だから毒にならない餌を食べて育ったふぐは無毒なんですよ」
 思いがけない雅也の言葉に柳生は
「ホントですか! じゃあ今日のふぐは?」
「今日のは養殖です。でもこれには毒があります。そもそも無毒のふぐでも肝は出してはならないと決められていますからね。ふぐの内蔵の管理が厳しいのは同じなんです。でも天然と養殖では身の硬さが違うんです。当然養殖の方が柔らかいのですが、面白い事に身の柔らかい方を好む方もいらっしゃるですよ」
 雅也に言われて刺し身を口に運んで見ると確かに天然に比べると少し柔らかいが、返って旨味が口に広がるのが速いと感じた。
「捨てたものじゃ無いでしょ」
 確かにそう感じた。
「コリコリした食感だけを楽しんで、旨味を感じる前に飲み込んでしまう人もいますからね」
 確かに食感を第一にして、それだけを大事にする人も居ると柳生は思った。
「大体、日本では鮑の水貝のコリコリ感が良いとされていますからね」
 雅也の言葉に頷く柳生だった。
「神山さんだったら、どう食べるでしょうかね?」
 柳生は今日は来ていない神山の事を思った。
「そうですね。黙って出したら気がつかないかも知れませんね。天然のふぐでも身の柔らかいのはありますからね」
 それを聴いて柳生は落語も演者が色々と考えて演じても、受け手の客が、それを感じられ無ければ何もならないと思った。全てに於いてそうだが、特に落語と料理は似ていると感じた。
「私は料理人として、理想はお客さん一人ひとりに合わせた料理を出せればと思っているのですが現実には難しいです。師匠は理想とする落語の形ってどんなものなのですか?」
 雅也は一度柳生の追求する噺の形を訊いてみたいと考えていた。恐らく神山ならそんな事は訊かないであろうとは思った。何故なら、数多の名人を見て来た彼ならそれぞれが違った特徴を持っていて、そのどれもがオリジナルに溢れており、誰かの二番煎じでは無いことを良く理解しているからだ。
 落語関係の雑誌の編集者として神山はそれだけの資質を持っていると柳生は考えていた。
「そうですね。古典落語はどれも本当に良く出来ています。だから演じるにあたって、自分の考えて簡単に噺を変えないことですかね」
「噺を変えない?」
「そうです。良く落語は大衆芸能だからお客にウケるように変えて行くべきだ。という意見の人が居ます。間違いではありませんが、それだけでは落語が死んでしまいます。お客にウケるだけなら何も落語でなくても良い訳です。漫才でも漫談でもコントでも構わない訳です。でも幾ら爆発的にウケたとしても、それらは残りません。かっての漫才ブームの時の漫才が残っているかと問えばお判りでしょう」
 柳生がここまで己の考えを口にするのは初めてだった。
「勿論、全く変えなくても良いという訳ではありません。変えて行くべきですが、それらは良く考えて、独りよがりではならないと思っています。その意味で個人的にはお客さんの耳に心地よい噺が出来れば良いと思っているんです」
「耳に心地よいとは、深いですね」
 雅也は柳生の真意を理解したみたいだった。
「ふぐの中骨で出汁を取ってありますから、〆に雑炊作りますか?」
「ああいいですね。寒い夜にはピッタリですね」
 小料理「まさや」は静かに更けて行くのだった。
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