#5 メンテナンス

文字数 2,976文字

炎天下。目を背けたくなるほどに晴れ渡った空の下。
若い男が三人、並んでソフトクリームを舐めていた。

「もうだめだ、暑くて溶けそう」
「いや事実溶けかかってるぞ」
「ちげーし、ピーナツソフトの話じゃねえし。てかシノっち食べるの速すぎんだろ」
「シゲが喋ってばっかりいるからだ。シデさんを見てみろ、さっきから無言で――」

憎まれ口を叩きあうふたりが、傍らに立つ黒髪の青年を見れば。
ぽた・ぽた・ぽた、とアスファルトに滴るピーナツ色の甘い汁。

「「めっちゃ溶けてんじゃん」」

「申し訳ありません……昔から食べるのはあまり速くなくて」
「シデさん、食べ方が上品すぎるんだよ。もっとシノっちみたいにがっつかないと」
「焦らすなってシゲ。何にだってそれぞれのペースがあるだろう。バイクと同じだ」

シノっちと呼ばれた大柄な青年がそう言うと、シゲと呼ばれた青年は唇を尖らせて「それはそうだけど」と呟いた。シゲは、威勢もよければ聞き分けもいい性格であるようだった。
三人の前には三台のバイクが、直射日光を受けてじりじりと輪郭を歪めている。向かって右の二台は750CCのスポーツタイプ。ハンドルやマフラーなど所々がカスタマイズされた、運転手以外を運ぶ気のない鉄の駿馬だ。一方で、左の一台は110CCの原付バイク。青い塗装こそ鮮やかだが、それは新聞配達員や郵便局員、そば屋が使う業務用の荷車と同じ形状をしていた。

「シデさんはもっと大きいバイクに興味はないの?」
「……あっ、あ、はい今のところは」
「いやごめん。食ってからでいいよ」

シデさんと呼びかけられた小食な青年は、ソフトクリームコーンを滴る液体を舐めとりながら、申し訳なさそうに頷いた。その間にも、またひとつ落ちた甘い雫が、腰に括りつけられた白色のマウンテンパーカーをかすめる。地面に向いたコーンの先端はすでに湿っていて、その先からソフトクリームが漏出するのはもはや時間の問題だった。
まだ話す余裕がないシデを見かねて、シノっちが口を挟む。

「どう見ても新しいもんな、この原付。ぴかぴかだ。まだどこも弄ってないでしょ」
「ええ……僕はどこも。譲っていただいたバイクなので改造の有無は知りませんが」
「へぇ貰い物なんだ。誰から?」
「もとは従姉のものであったと」
「こんなにいい状態の原付バイクを手放しちまうとは、訳アリかね」
「まぁ、どちらにせよご縁には変わりない。こうして三人のライダーが『木村ピーナッツ』のもとに集ったご縁にソフトクリームで乾杯だ。もっとも、まだ食べてるのはシデさんだけだけど」

うだるような真夏日。館山市にあるピーナツ直売店『ピネキ』の駐車場にて。
三人は国道410号線の往来を眺めながら、コーンの杯をめいめいに掲げた。


——千葉県といえばピーナツ、ピーナツと言えば『木村ピーナッツ(ピネキ)』でしょ。
と、前泊した宿のスタッフから紹介されて訪れたその場所にはバイクの先客がいて、それぞれ繁野・篠原と名乗った。どちらもまだ若い男で、手持無沙汰にソフトクリームを舐めていた。彼らは原付バイクでやってきた三人目のライダーが同い年だとを知ると、親し気に、シゲ・シノっちの愛称で呼ぶよう自己紹介をしなおした。これも何かの縁だから、と。

そんな一期一会の一場面。
青い原付バイクのライダーは、端正な顔を綻ばせてシデと名乗った。シデはふたりと同じピーナツ色のソフトクリームを購入すると、それを物珍しそうに眺めながら、自身が旅の途中であることを短く告げた。

「シデさんは今日はどこまで行くの?」
「大山千枚田まで行こうかと」
「えっ、どこよそれ。シノっち知ってる?」
「確か鴨川のほうだよな。都心から一番近い棚田だっけか。地元民なら知っとけって」
「オレ別に田んぼに興味ないし。シデさん物好きだね。多分クソ暑いから気をつけて」

シゲがアスファルトから立ち上る陽炎に眉を顰める。
シデは、シゲが発した最後の五文字に小さく頷いて、

「おふたりはどちらまで行かれるのですか」
「オレらは、その辺を適当に走るかって言ってたんだけど……」
「実はもうひとりツーリング仲間を待ってたんですよ。待ち合わせ。でも何というか、そいつがどうも来れなさそうで」
「急にお体の調子を崩してしまったとか?」
「いや、バイクの調子が悪いとかなんとか」

シノっちがスマホを掲げ、仲間の欠席をシゲに伝える。
するとシゲは「今日は解散だな」と案外素直に呟いた。
集合して早々ツーリング予定を取り消したふたりの潔さに面食らったシデが、ソフトクリームを消費するのも忘れて問いかける。

「シゲさんとシノっちさんのおふたりでは行かないのですか」
「ああ、うん。幼馴染みだからやっぱり三人で走りたいし。まぁあいつが来なくてお流れになることが実際多いけど。わりと毎回ドタキャンなんだよな」

シデは唇に手を当て、非正規パーツでカスタマイズされた二台を横目に思案する。
何度もツーリング予定をドタキャンしなければならない状態なんて、大変古いタイプの愛車で相当ガタがきているのか、それとも単にバイクの扱いが人一倍粗いのか。あるいは。

「その方のバイクはそんなによく不調になるのですか」
「いや、あいつが『調子よくないかも』って言ってるだけで実際そうかは知らんけど。ただ、オレらの中であいつが一番バイク歴長いし、嘘じゃないんだろうよ」

シゲが無感動に告げるのを見かねて、シノっちがフォローするように説明を継ぐ。

「ドタキャン癖には辟易してますけど、バイクの不調がわかるってのは大したスキルですよ。以前、ツーリングの出先でシゲの愛車がパンクしたことがあるんですが、そのときシゲが『確かに最近空気圧みてなかったわ』なんて言うもんだから、そいつめちゃくちゃ不機嫌になっちゃって」
「あったあった。『メンテナンスがなってない!』ってクソ怒ってたよな」

ふたりが思い出話に華を咲かせている横で、シデはそのエピソードに感心するように瞬いた。
それから教訓の咀嚼に十分な間をおいて「なるほど」と呟いた。
灼熱で溶けたソフトクリームがその手を伝うのにも気づかずに。

・・・

大山千枚田は千葉県鴨川市の西の端、長狭平野のある大山のふもとに位置する。
館山市の中心街にある木村ピーナッツからは、海の見えない山間部をひたすら北上するルートが最短となる。途中で給油を経てようやく目的地に辿り着いたのが正午過ぎ。
高い位置から照りつける太陽が、駐車した原付バイクとその運転手をねめつけるように照らす。その熱と光に眩んだのか、シデはヘルメットを脱ぐとよろよろと原付バイクのシートに寄りかかった。

時折吹く生ぬるい風が、青々とした稲穂の水面にさざ波を立てる。階段状の稲穂の海は見渡す限り続き、日本の原風景といわれるその景色はまさに壮観。シデはしばらくの間ぼんやりとそれに見入っていたが、

ふと口中に鉄の味を感じて、火照った顔を胸元へ俯けてみれば。
ぽた・ぽた・ぽた、とマウンテンパーカーに描かれる赤い水玉。

上唇から顎を伝って流れる棚田の補色に、ぎょっとして目を見張る。鼻血なんて小学校のグラウンドで転んで以来だろうか。慌てて手の甲で拭って鼻をすすったが当分止まりそうにない。
溢れ出た血は温かく、知らぬ間に体に無理を強いていたことの証明に他ならず。
「メンテナンスがなってない」とはこのことだと、シデは苦々しく息を吐いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

シデ

原付バイクと旅をする青年。

人の顔を認識することができず、まれに、人以外のものを「人」と認識する。

”アオイさん”

青い塗装の原付バイク。

車種はホンダ スーパーカブ110。シデの従姉・麻木青衣の遺品であり未練。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み